自分の目の前に、真っ白な雪野原が広がっている。とはいっても、高いところから見下ろしている形で。
眼下には雪の絨毯。しかし自分がその中に落ちることはない。
寒さも全く無い。
視界はずっと雪原の真上から眺めた状態で固定されているままだが、自分が空中にいるという浮遊感さえもなかった。
まるで、ひとつの美しい映像を観ているかのようだ。
自分の視界の脇から、雪がちらほらと降り続けている。
真っ白で明るい景色の中に、舞い降りていくたくさんの雪のかけら。
舞い散る雪が光を反射してきらきらと輝かなければ、そして雪の絨毯の青くなだらかな陰影がなければ、もはや雪が降っているのかどうかさえもわからない。
言ってしまえばこの光景は、光があって影もある立体的な、しかしただひたすらに白い絵だ。
木々や岩さえ一切見当たらず、自分の真下の空間はぽっかりと空いていて、白い雪のみあるばかりである。
そんな中にただひとつだけ、ぽつん。
色があるようで無い点があった。
目を凝らして確認しようとすると、視点がその物体に近づき始めた。
よく見ようとすればするほど、近づいていく。
ちょっと楽だな、と思った。
見れば見るほど近づいていき、物体の輪郭が確認できるほどになってきた。
あれは・・・・人形?
雪のベッドの上で眠っているかのように、人形が落ちている。
髪が長くて、個性的なデザインのドレスを着た、ぱっと見て可愛らしい人形だ。
ドレスも髪も色褪せて、もはやどのような色だったのかはよくわからないが、かつてはさぞ華やかな色合いだったのだろう。
もう頭の冠も錆び付いていて、それについた赤い玉飾りも、鈍い光しか反射していないけれど。
命ある者が生き生きと輝いているように、魂なき人形もまた生き生きと色鮮やかに輝いていたのだろう。
よく見ると、足首や膝、手首、肘、首元などに、関節の役割を務めている球が嵌め込まれている。
ああ、確かあれは・・・・球体関節人形というものだ。
自由に動き、自在な体勢が作り出せるように作られているから、幼い女の子はこういった人形を友達に、ごっこ遊びをするらしい。
母も確か、子どもの頃はよく人形で遊んでいたと言っていた覚えがある。
たしか大のお気に入りの人形があったという話だ。しかし、過ぎていく時間の中で失くしてしまったらしい。
地下室にあった、かわいいお人形。少女のお人形。きっとこの人形と同じくらい、かわいらしかったのだろう。
雪の中で、幼い女の子だった昔の母のような誰かが、落としてしまったのだろうか。
落とした誰かもまた、たくさん泣いたかもしれない。
この人形は古そうで全体の色がわかりづらいけど、肌がとても綺麗だった。
なめらかな陶器のように、雪よりも真っ白に、ほんのりと光を放っている。
この雪の中で、他の褪せた服のどんな色よりも、肌の白色が目立って見えた。
その白い肌の上に、ひび割れたような関節の黒い筋さえなければ、これは人形ではなかっただろう。
しかし雪は降り続く。
小さな雪のかけらは人形の上に次第に積もっていき、人形はさらなる白の中に覆い隠されていく。
まるで、存在が掻き消えていくかのように。
人形の存在が白によって塗り潰されていく。しかし、彼女はぴくりとも動かない。
だって人形だから、動けるはずもないのだ。
冷え切った人形のまま、少女は眠るように雪の中へ消えていく。
冷たい孤独の中へ―――虚無の中へ。
目の前の人形を拾い上げて助けたいけど、助けられない。
近いけど遠い場所にいるから、なす術も無くただ見ていることしかできない。手を伸ばしても、きっと届かない。
・・・・ごめんね。助けられなくて、無力で、ごめんね。
人形の彼女など、最初から存在していなかったかのように、
消えていった。
目の前が何も無い真っ白になったとき。自分は、空中になど浮いてなんかいなかった。
目の前に広がった白は、雪ではなかった。本当は、雪原の空だった。
真下へ向かって降っていた雪は、今は自分の視点の真上から降ってきている。
自分は雪の上で寝転んでいる。
さっきの人形と同じ場所に、自分は倒れていた。
さっきまで寒さなんて感じなかったのに、今は背中もお腹もすごく冷たい。
空気が冷えている。体も冷えている。
雪がどんどん降ってきて、雪は白いはずなのに、目の前がだんだん黒くなっていく。
自分が雪に埋もれ、塗り潰されているのだ。
冷たくて早く動きたいけど、動けない。
雪の重さに抗えない。こんなにやわらかい雪なのに、積み重なればこんなに重いのか。
まるで、氷に閉じ込められたみたいだ。いや・・・・雪と氷は似た者同士か。
このまま、自分のあの人形のように覆い隠されてしまうのか?
息苦しい。鼻が、口が、雪によって塞がれていく。息が・・・・できない。
体がひどく冷たい。
手の指の先、足の先まで冷たさが広がっていく。
冷たい冷たい孤独の中へ。
このまま・・・・雪の中へ埋もれていったら、あの人形の女の子にも出会えるのだろうか。
自分と同じ仲間に・・・・。
―――そう思っていたら、体が軽くなった。
「――――ひッ!?」
声無き声を上げて、ルカは瞼を勢いよく開けた。斜めに傾いた、木造建築の黒い屋根の天井が見える。
ルカは急いで体を起こし、辺りを見回した。まだ部屋に満ちる闇は色濃いものの、ずっと瞳を閉じて眠っていたためかすでに目は暗さに慣れていて、ものの輪郭ははっきり見えた。狭い部屋の中に自分が横たわっていたベッドと、もうひとつ大きく膨らんでいるベッドがある。そのベッドには今、キスリングが寝ているはずだ。その証拠に、彼のうるさくも静かでもないいびきが聞こえてくる。それ以外は何の音も無く、しんとしていて静かだ。
自分はというと、掛け布団をベッドの脇に落としてしまっており、体の上には何も掛けてなかった。どうやら寝ている間に、自分で落としてしまったようだ。そのせいで体が空気に晒されてしまっており、すっかり冷えてしまっていた。寒かった。
しばらくルカは、荒く呼吸しながら部屋の中を見つめていた。しかし、冷えている空気に耐えられなくなり、ベッドから落ちた布団を引っ張り上げ、胸まで掛けた。最初は布団も冷たかったが、体温によってすぐに温かくなる。冷気を通さず暖気を逃がさない羽毛布団の効果は抜群のようだ。
枕元の壁に背をつけて、今まで見ていた夢の余韻に浸る。頭がまだ眠気によって、ぼーっと霞んでいた。
なんだか現実味があるようで無い、典型的な夢だった。・・・・どちらかというと嫌な夢だったが。なんだか自分が消えてしまうような、気持ち悪い夢。夢の内容はうっすらとしか覚えていないが、妙に脳裏に焼き付いているあの人形は・・・・一体何だったのだろう。
「・・・・ずっ・・・・ぐ、・・・・うぅ・・・・。」
何故だか昨日と違って今日は、鼻がつまって息苦しい。咳はまだ無いが、どうやら風邪を引き始めてしまったようだ。
そりゃああんなに暖かい環境からこんなに寒い環境に来たら、温度差に耐えられずに体調を崩すのも無理はない。一昨日はあたたかな南風がそよぎ陽の光が眩しいリシェロにいて、その翌日にこの雪原だ。横断トンネルを隔てたあちらとこちらの土地の気温差は軽く20℃はあるのではないか?これほどまでに激しい温度差のある場所に来ても風邪を引かないのは勇者と魔王と超人とバカくらいだ、とルカは納得する。自分のような凡人には無理があったのだ。加えてこの寒い中で、せっかくの羽毛たっぷりの防寒シェルターのような掛け布団を、全身に掛けずに寝ていたのだ。風邪を引くのも当たり前といえば当たり前だろう。・・・・だがしかし、せっかく熱い温泉に入って芯から温まったというのに、これではまったく意味がない。
あんな寒い夢を見たのと、夢の中でどうも息苦しかったのは、これらのせいだろうか・・・・とルカが推測していると。
「なんだ、起きたのか。」
影からひょい、とスタンが現れた。
細長い窓からはすでに、夜明け前のぼんやりとした薄明かりが入ってきている。スタンは暗闇だと影ができず出てこられないはずだが、その少ない明かりを利用して彼は出てこられたらしい。薄暗闇の中で、スタンの黄色い目と口が目立って見えた。
彼を見たらなんだかほっとした。こっちが本当の現実なのだと、自覚できたから。
「まだ夜は明けてないぞ、子分。さっさともう一度寝ろ。もったいないからな。」
「・・・・・・・・わかってる、けど・・・・。」
試しに横になってみるが、なんだか目が冴えてしまっていた。あんな嫌な夢を見てしまったからか、頭が興奮してしまっているようだ。その上ひどい鼻づまりのせいで気持ちよく寝るにも寝られない。このふかふか羽毛ベッドの温もりは、確かに居心地が良いのだけど。
「あーあ、眠れなくなってしまったか。残念だったな、今日はスーパー早起きでもするしかないんじゃないか、子分。こういうもう少し寝ていてもよいときに限って眠れないのは、一番ツライだろうな。ククク、大変だな。余は魔王だから、睡眠などいらぬがな。」
「・・・・うー。・・・・んぅー、・・・・・・・・あー・・・・む、り、だー・・・・。」
「余の子分のクセに情けないな、全く・・・・。その鼻声、風邪でも引いたのではないか?とりあえず、少し水でも飲んでくるがよい。どうだ子分、この余の優しさを見たか。」
「あー、はいはいどうも・・・・。」
スタンに言われ、ルカは起き上がり傍に置いてある靴を履き、ずるずると鼻をすすりながらずるずると体を引き摺るようにベッドを出た。とにかくまずは紙で鼻をかまなければ。スタンは起き上がったルカを見て、彼の影の中に引っ込む。
しかしスタンが消えても、彼自身の温もりは消えていなかった。いつも自分の影の中にいるのだから当たり前だ。彼がどこにも見えなくなっても、彼自身は自分から離れることはできない。魔王の魂は、常にこの影の中にいる。その事実が自分は一人ぼっちではないということを教えてくれていて、ルカはどこか安心した。ふつう魔王がとり憑いているのだからもう少し絶望してもよいはずだが、もはやすっかり慣れてしまった。魔王の存在に安心するというのも、おかしな話である。
鼻をすっきりさせた後、ルカは壁の服掛けに掛けておいた自分の上着を着た。そして眠っているキスリングを起こさないように歩き、そっと扉を開けて廊下に出た。
嫌な夢を見るのはよくあることだ。そういえば、スタンにとり憑かれたあの日の翌日、最悪な夢を見てしかもベッドから転げ落ちて起床した覚えがある。スタンに影を乗っ取られたのがそれほどにショックだったのだろうか。
今回の夢も、きっと昨夜に見たマルレインへのあの見間違いや、岩ガメと石コロの話が印象に残っていたせいかもしれない。あの温泉のときに見た、マルレインの入浴姿も影響しているだろう、きっと。そう考えたら、恥ずかしくなって顔が赤くなる。そのおかげで体が少し火照り、寒い空気の中でもまだマシになった。利用したわけじゃないけど、さっきよりは温かくなった気がする。
宿の備え付きの水道は、木の壁から生えたような鉄製のポンプとパイプだった。田舎なのに生活機能は割とテネルと変わらないことに少し驚くが、そういえばテネルも田舎だったことを思い出す。パイプからは、この地の天然の雪水を使用しているのだろう、手が麻痺するくらいに冷たい水が出てきた。
それを手にすくい、一気に飲み干す。腹の中にキーンと冷たい感覚が流れていった。もっと暑いときに飲めば、とてもおいしく感じたに違いない。しかし今はただ、体の芯から寒くなっただけだった。それでも嫌な夢を見たあとで喉がカラカラに渇いていたため、飲んで気分が大分すっきりした気がする。代わりに、目は完全に覚めてしまったが。
水を止めて、ルカはふと考え込んだ。
不気味な夢だった。人形の女の子が消えていく夢。そして、自分が消える夢―――あの夢に出てきた人形が、今思えば、異常なほどにマルレインに似ていたのだ。
確かに、温泉のときに奇妙な違和感はあった。それに今までだって、マルレインは人形のように完成された、整った美しさがあるように感じている。母も、彼女を人形に例えて褒めていたくらいだ。
しかし・・・・ただそんなことで、彼女をあんなにも人形として見られるものか?まさか、夢の中にまで出てくるなんて・・・・。
あの夢は、一体何だったのだろう。いや、そもそも夢である以上、結局それに何の意味もあるはずもないのだが。
しかしなんだか自分だけではなく、あの人形にそっくりなマルレインまで消えてしまうのではないかと、ルカはふと不安になった。そんなこと、あるわけがない。大体、昨夜温泉で見た彼女への違和感は、結局見間違いだったのだ。彼女自身がそれを教えてくれたではないか。
「・・・・。」
王女は消えない。枯れない。居場所を探さなくても彼女には居場所が存在する。子ガメのようになることは無い。「王女」である彼女は、誰からも大切にされるから。
冷たい雪の中でも、大きく、美しく、華やかに咲き続ける。
しかし、雪の中で枯れずにいることができる花って、本当に存在するのだろうか?
―――雪の中でも枯れない花なんて・・・・花にそっくりだけど花とは違う、造花だけではないのか。
ルカはいつの間にか、階段を下りて1階のロビーにやって来ていた。
考えながら、あてもなく歩き出していたようだ。
宿の中は、外よりはマシだろうがやはり寒くて、とても静かだった。森にたちこめる霧の中にいるかのような、ひんやりとした静けさ。窓から入ってくる薄明かりがなければ、暗くて全く歩けなかったかもしれない。しかしもう明け方のようで、宿の中は暗闇から色を変えようとし始めている。
ルカはなんとなく、外への扉を開ける。暇でやることがない。風邪引き始めの人間は外に出るよりも、眠れずとも眠れないなりにさっさと横になるべきなのだろうが、今はそんな気分にはなれなかった。それに、明け方ならばオバケもいないかもしれない。こんなに寒いのだし。
扉を開けると、宿の中よりも一段と冷えた空気が肌と顔に触れる。やっぱり、とても寒い。
雪は今はやんでいて、辺りは明るくなり始めており、空は晴天になる前の紫がかった色になっていた。朝焼けの前の空の色って、あまり見る機会がないがこんな色だったのか。深い夜の闇から明るい朝の紫へ移りゆく色合いが、とても綺麗だ。
寒い場所は、どこか空気が澄んでいるような気がする。その凍てつく空気で、空中の汚れを掃除しているかのようだ。
ルカは雪原を見渡すように眺めた。すると、その薄暗い白の中に、ぽつんと色のあるものがあった。
さっきの夢と同じように。
「・・・・マルレイン・・・・?」
思わず目を凝らす。あれはどう見ても、マルレインの赤いドレスだった。
しかし夢と違うのは、視点が横からであること、それから雪がやんでいること、そして彼女が人形として落ちているのではなく、その場に立っていることだ。
ルカは駆け出して、マルレインがいる場所へ向かった。
彼女は動かず、雪に霞んだ雪原の果てをずっと眺めている。雪の絨毯が敷かれた道の真ん中で。
あの夢の人形とは違って、彼女は色鮮やかだった。髪もドレスも肌も色があって、白の世界の真ん中で目立って輝いて見える。まるで大きな花が咲いているようだった。
「マルレイン?」
今度は呟くのではなく、彼女に呼びかけるように大きな声で言った。
もしかしたら呼びかけても反応がないかも、と夢を見ているときのような悪い展開を想定して不安がよぎったが、彼女はその声と雪を踏む足音に気づいたらしく、優雅に振り返った。
いつもと変わらない顔だ。
朝焼け前の薄暗い闇に輪郭がぼやけ、白い闇の上に佇む姿は儚げにも見える。しかし、強気でワガママそうなその表情は変わらない。
「どうしたのじゃ?ずいぶんと朝が早いのう。おはよう、ルカ。」
腰に手を当て、さも当然というような含みのない顔でマルレインは挨拶をした。
ついつられてルカも挨拶を返す。
「お、はよーございます・・・・・・・・じゃーなくてっ!ど、どうして外にいるんだ?その格好じゃ風邪引くと思うんだけど・・・・。」
見事な鼻声の自分がその良い例だ。
こんな雪の中での彼女のドレス姿は、どう見ても寒そうである。自分だってこんなに寒いのだから。
しかしマルレインは顔を顰め、不満そうな顔で言い返した。
「わらわは別に。・・・・朝焼けの雪景色を見たくて、外に出ただけじゃ。寒さ避けの服ならばちゃんとここにあるから、心配はいらぬ。ほれ、これでよいか?」
マルレインは小脇に抱えていた、昨日ルカに献上させた亜麻色のマントを広げた。そして自分の上から被って着る。それがあるなら何故早く着ないんだとつっこみたくなったが、言ったらきっと怒られるだろう。
しかし、マルレインが感情を持ってちゃんと動いてくれたので、少し安心した。ちゃんと自分の声は聞こえているし、マルレインの声も自分に届く。目もちゃんとお互いを捉えて見ている。よかった。どちらもここに存在している。
ここで突然目の前が真っ暗になって、このこと自体が夢だったとかいうオチだったら、悲しい上にありがちな展開だけど・・・・。しかしそれはただの杞憂だったようだ。この雪の感触、朝方の刺すような凍てついた空気は現実のものであることがわかる。
「ふう、寒いな・・・・見よ、ルカ。息がなんだか白いぞ。湯沸かしになったみたいで面白いのう。」
「・・・・もしかして、ずっとここにいたの?こんな時間に、眠くないの・・・・。ていうかオバケに襲われたらどうするんだか・・・・」
ルカも何故か白く見える息には興味があったが・・・・それよりもマルレインが、自分が来るよりも前からここにいたことが気になっていた。昼はオバケの時間、夜もオバケの時間。しかも夜は外に出るのは危ないと大人たちが言うほど、オバケが活動的になる。・・・・そんな中で、彼女はここに立ち尽くしていたのか。
しかし、彼女が襲われたような形跡は全く無い。
「大丈夫じゃ、わらわはこの通り無事でおる。もしかしたら、オバケたちも今の時間は眠っておるのかもしれぬ。・・・・夜でも昼でもない、どうも曖昧な時間じゃからな。」
「えーと、そうなの?・・・・か?」
「もしかしたら、の話じゃ!わらわにはようわからぬ。そんなこと、キスリングにでも聞くがよい。」
マルレインはその話題には興味がないと言うように、そっぽを向いて再び雪原の道の先の方へ視線をやった。
しかしそれでも、さすがに長くここに立ち尽くしているのはまずいと思うのだが・・・。いつ自分たちにオバケたちが寄ってくるかもわからない。
マルレインは戦うことなどできないのだ。それなのに危機感が足りないというのか・・・・随分と無防備なものだ、とルカは思った。初めて訪れたこの雪原のオバケとは、昨日に宿の前で1度だけ戦ったのみだ。したがってまだこの周辺のオバケに関しては全くと言ってよいほどわかっていないのだ、不用意に動くのは危ない。どんなオバケがいるのか、そのオバケたちはどれほど強いのか。それを知らずに勝手にひとりで動くと痛い目に遭うのは目に見えている。そしてたった今思い出したが、寝起きの自分は手ぶらだった。
だからと言って、王女マルレインのワガママを説き伏して無理やり連れて帰るなど、不可能であることはルカもよく知っている。今回はすぐ近くに宿があるし、なにかあってもマルレインの手を引いて全速力で退却すれば、なんとか逃げられるだろう。自分はロザリーやキスリングのように攻撃魔法を使えないので全くの手ぶらでは何もできないが、それでもいつか2人で夜に散歩したときみたいにはならないはずだ。それに彼女も一応は、魔力が封じ込められたボトルか何かを持ってきているのかもしれない。・・・・と、信じておくことにした。
しかし念のため、ルカは辺りを見回した。黒檀色の針葉樹があちらこちらに生えていて、黒く濡れた岩もところどころ雪に半分体を埋めていた。全ての黒いものの上に粉のような白い雪が積もっており、なにもかもが深く眠り込んでいるかのような静寂の白の世界は、ひどく寂しげに殺風景だ。この風景の内に、生命の息吹はどこにもない。白のキャンバスを彩るものはなにも。緑の葉をつけた木も、花もない。
オバケたちの姿は、今のところ見えない。夜明け前の霞のせいで遠くまではわからないが、少なくとも見渡せる範囲にはなにもいない。今のところはおそらく大丈夫だろう。・・・・木や岩の陰に隠れているのかもしれないし、なにしろオバケなので気まぐれに目の前にぽんと現れる可能性も否定できないが。
遠くをじっと眺めているマルレインも、今のところ周辺になにもいないということは信じているらしく、宿に帰る気はさらさらないようだ。仕方なく、ルカも彼女の召使いとしての仕事(ボディーガード)をすることに決めた。
「・・・・何を見ているの?」
「なぜそれを聞く?」
「いや、こんな状況で聞くなと言われても困るんだけど・・・・というか暇だし、気になるし・・・・。」
まだ朝日も顔を出していない薄明かりの雪原には、雪と岩と木々以外一切何もない。一体何が楽しくて、こんな寒い外まで出て見ているのか。ルカは理解できず、ただ飽きずに眺めているマルレインに呆れていた。そしてどうしようもなく、ルカは頭を掻く。
マルレインは先ほどとは違って表情を変えないまま、尋ねたルカから視線を移し足元を見つめた。そしてゆっくりと顔を上げ、明るくなってきた雪原の道の先を見やっていく。
その一連の動作を、ルカは無言で見ていた。無表情のマルレインの横顔は、やっぱり透き通るように白い。その赤い瞳をじっと見ると、その目の玉には雪の白い光がくっきり映っていて、まるで薔薇色に染まった大きなガラス玉のようだった。綺麗だな、と思う。しかしその間に、マルレインは瞼を閉じてしまった。
「ルカ。この先には、何があるのじゃろうな。」
「・・・・知らない。だってまだ調べてないし・・・・。たぶん、村かなんかあるんじゃない?」
平凡な答えだが、無難なところだろう。何にしても、探索すればわかること。この道の先で誰と出会うのか、何があるのかも、今日わかることだ。
ルカが返事をしたきり、その場は沈黙の空気に包まれた。マルレインが話さないので、ルカも何も言わなかった。
マルレインは先ほどと変わらない様子で雪原を眺めている。昨日の雪を見ていた時の楽しげな目の色が消えてしまっているのは、夜明けの空気が昼よりずっと冷え込んでいるせいだろうか。それとも、朝が早すぎて眠いからだろうか。ルカは目が冴えてしまっているが、マルレインは眠いのかもしれない。だが、自分から起きたのならばそれは自分のせいだ。
指出し手袋から伸びている自分の指先が、冷たすぎて真っ赤になっていた。このままでは、じきに痒くなってきそうである。ルカは手で両腕をさすり、ふーっと長くため息を吐いた。その白い息は、確かにヤカンのようで見ていて面白い。寒いけど。
ルカは白くなった息が消えていく様を眺めながら、知らず知らずのうちにマルレインに話を振っていた。
「・・・・嫌な夢を見たんだ。」
不意の言葉に、マルレインはルカに視線を移す。
ルカはしゃがんで手袋をはずし、足元の雪に触れた。
・・・・冷たい。
「なるほど、ルカが早起きだった理由はそれか。」
「君は、ここにちゃんといる?『マルレイン』としてここにいる?夢じゃないよね?」
マルレインは不意を突かれたような顔をして、目を瞬かせた。しかしすぐに不機嫌そうに腰に手を当てて、怒ったように言う。
その瞬間の彼女が一瞬悲しげに目を伏せた表情は、ルカもマルレイン自身も気づいていなかった。
「失礼なことを、お前の目は節穴か。わらわの姿も目に認められぬとは、お前の目は役に立たぬ、使えぬ目じゃ!よく見よ、わらわはこうしてここにおるじゃろうが。」
「変な夢を見たからって、お前はいちいち気にしすぎだ。そんな小さなことよりも、他に悩むべきことはたくさんあるだろうに。夢か夢じゃないか、なぞどうでもよいわ。目に見えるものを信じずにしてなんとする?」
マルレインとやはり唐突に会話に参加したスタンの諭すような言葉に、ルカは思い切り戒められた気がしてたじろいだ。
ダブルコンボで口にされる叱責は少々威力がある。この2人の偉そうな口ぶりと非戦闘っぷりは、実はお互い仲が良いのでは、と思わせるようなコンビネーションだ。
「・・・だよ、ねぇ。」
はぁー、とルカは自分に対するため息をついた。呆れも混じっているものの、ほとんどは考えすぎたことによる疲れのため息だった。ルカはしゃがんだまま雪に触れていたが、ふと雪を掴んで硬く丸め始めた。マルレインが昨日やっていたことを真似てみる。
マルレインはルカから目を離し、先ほどと同じように雪景色を眺めた。そんな彼女に、ルカは俯いたままもう一度確かめる。
「・・・・どこにも消えたりしない?」
「せぬ。わらわは消えぬ。わらわがいなくなれば、お前はわらわの召使いではいられなくなるからな。そしたら仕事が無くなってしまうじゃろう?わらわはお前を無職になどさせぬ。」
「いやいや、子分は余の子分であってキサマの召使いではないのだが・・・・。したがって子分の仕事が無くなるようなことはありえんからな。覚悟しておけ、子分。それと小娘。」
スタンはマルレインに無視されることを承知の上で、ルカの所持権を主張した。
もちろんマルレインは聞いて聞かぬふりをしているが、ルカの意思については2人とも頭に無い。ルカは眉をハの字にして困ったように2人を見上げていた。
そうしていたら、スタンと目が合ってしまった。彼は悪意も何も無いような顔で言い出す。
「・・・・余も特別に情けをかけてやろう。余がこうしてお前や小娘のことを話しているということは、お前たちがここに存在していることを示しているのだぞ。余がこうして話している限り、これは夢などではなく現実の世界なのだ。どうだ子分、これで少しは納得しただろう?」
「・・・・・・・・まあ、どちらかというと・・・・。」
確かに背後のスタンの存在は、何故か現実味を帯びている。スタンにとり憑かれて間もない頃は、この事実が悪い夢のように感じていたのに。・・・・いや、悪い夢だと思いたかったのだ。しかし今は、彼が自分の傍、自分の影の中にいるからこそ、こちらが現実なのだと思えるようになってしまった。スタンは大魔王だからその存在を許してはいけないというのに、彼がいることで現実だと納得できるのも、やっぱり可笑しな話だ。
しかしルカの返答が気に入らなかったのか、スタンは背後から目を吊り上げて睨む。
「ええい、返事ははっきりと言え、曖昧にするな!大体、魔王の子分が子供のように、夢ごとき現実ではないものに対しグダグダグダグダと悩むな。うっとうしい。だから人間というものはよくわからんのだ・・・・。」
スタンはすっぱりはっきりと言い述べた。
さすがは魔王、オバケの長というべきか。人間には無い感性を持っている。・・・・ように見えるが、言っていることはどこか子供を叱る親のようで、人間味があった。
スタンがルカに言い述べた後、マルレインもルカに一言、付け加えるように言った。
「・・・・ああ。それに・・・・わらわがもし消えてしまっても、お前が見つけてくれるのじゃろう?」
「?」
マルレインの自信満々の笑顔に、ルカはキョトンとして見上げた。
彼女は笑顔から、だんだんと怒りの形相に変わっていく。般若のような顔に、思わずぎょっとして雪団子を雪の中に落とした。怖い。
「約束忘れたのか?平手打ち10回されたいか?ふぅ、決まりじゃな、これは。」
「ひっ!ご、ごめんなさいすみませんちゃんと覚えてます・・・・」
思い出した。そういえば一昨日の夜に、くるりん岬で彼女と約束をしたのだった。
もしもルカが誰からも忘れてしまっても、居場所が消えてしまっても、マルレインは忘れないと。だからマルレインも同じ目にあったら見つけてほしい、と約束したのだ。
か細く小さい、灯火のように頼りない約束。
しかしもしも忘れたりなんかしたら、マルレインからの平手打ちが待っている。1発だけでも気絶しそうなほど痛いのに、10回なんてされたら頬がどれだけ赤く膨れ上がるかもわからない。そもそも、その後自分が生きているかさえ知れない。
怯えたようなルカの表情を見て、マルレインは満足そうに笑って頷いた。一瞬鬼のように見えたのは何故だろう。
ルカはマルレインがまた雪原に目を向けるのを見計らって、再びしゃがんだまま俯いた。
「約束やら平手打ちやらは余にとっては別にどうでもよいのだが。それより子分、お前は何をしておるのだ?」
スタンがしゃがんでいるルカを覗き込むように、体を伸ばして尋ねた。
ルカは落とした雪団子を拾って、周囲に積もった雪で団子を包むように固め、大きな団子を作っている。そして片手で支えきれない大きさになると、やわらかい雪の絨毯の上に乗せた。ごろりと団子を転がすと、周囲の雪がその団子に一緒にくっついてでこぼこした形になる。それを手でトントン、と叩いて滑らかな球体にし、また転がす。瞬く間に、先ほどとは倍の大きさの団子に成長した。
「何って・・・・雪だるま。一度は作ってみたかったから・・・・」
団子は大きく白い玉になり、ルカはしゃがんだ体勢のまま玉を、周囲へゴロゴロと転がし始めた。他の雪たちがどんどんくっついていき、玉が一周する度に一回り大きくなる。両端がロールカステラのような平らな面が出てくると、今度は平らな面を地面に押し付けてそこからまた転がす。そして四角い角が出てきたら、トントンと叩いて丸くする。そしてしゃがんでいる場所からやわらかい雪が無くなってくると、ルカはしゃがみ歩きで雪玉を移動させながら転がしていく。
最初は控えめに緩慢な動作で丸めていたが、雪玉が大きくなっていくにつれて大きく動かざるを得なくなってしまい、ルカはせっせと転がした。
正直、雪がこんなに重くなるとは思っていなかった。ゴロゴロと手に力を入れて玉を押す度に、手のひらに伝わる冷たさと重さに驚く。手袋を外した手のひらはとうに感覚は無くなっていて、融けた雪で手が濡れていることさえもわからない。すっかり真っ赤になってしまい、あとで宿に戻って手を温めたあとの霜焼けが不安だ。その前に風邪引きはさっさと寝床に入るべきなのだろうが、作り始めてしまった今、やめる気もさらさらない。寒くて風邪を悪化させても知らないよ、と自分自身に言っておく。知らないよ、と言っても自分のことだから知らないふりは実際にはできないが。
しかし・・・・雪はただやわらかいだけかと思っていたが、叩いて固めるとこんなに硬くなってしまうとは。こんなに硬い雪で雪合戦をしたら、石を投げられるのと同じくらい痛そうだ。
ルカの背後霊と化しているスタンは興味無さげな目で雪玉の転がる様子を眺めていたが、マルレインは背後から聞こえる雪を転がす音と踏む音に、うるさそうに顔を顰めて振り向く。
「なんじゃ、さっきから。ゴロゴロとうるさい・・・・・・・・え。」
いつの間にかルカはマルレインから離れ、しゃがみながらあちこちに雪玉を転がしていた。ルカが雪玉を転がした後には、歪な溝の道ができている。転がした跡の一本の道はグネグネと曲がりくねり、その先にルカが一回一回重そうに雪玉の底を持ち上げ、ゴロンと転がしていた。そしてトントン、と叩いている。
マルレインは一瞬呆気にとられてその状況を見つめていたが、それでもルカが何をしているのかがさっぱりわからず、マルレインはやっとその場から動いてルカに尋ねた。
「何しておるのじゃ?」
「雪だるま。」
「雪だるま?」
「・・・・おとーさんから聞いたんだ。雪国の子供は雪だるまを作って遊ぶんだってさ。・・・・ほら、雪玉で体と頭を作って、体の上に頭を乗せて、目とか鼻とかいろいろつけて・・・・雪の人形を作るんだって。・・・・ボクはよくわからないけど、それが面白いみたい。」
あと他には雪合戦という雪を投げ合う遊びもあるらしい、とルカは付け加えて言った。しかしマルレインは雪合戦には興味が無いようで、目の前の雪の塊に注目している。
人形・・・・それではまるで、女の子の遊びのようではないか。しかし目の前でルカが雪玉を転がしている様は、どちらかというと力仕事のようで、男の子の遊びのようにも見える。マルレインは見たこともやったことも無い遊びに、興味津々といった様子でまじまじと見ていた。
しかし一生懸命雪玉を作っているルカだが、雪だるまをもし作り上げたとして、その後にどうするのだろうか。
それはマルレインもスタンも同じことを考えていたらしく、今度はスタンが彼に問いかけた。
「作ったところで、その雪人形は一体どうするのだ?持ち帰るのか?」
「・・・・え?あ・・・・・・・・全然、考えてなかった・・・・。」
初めてその事実に気付いたように、ルカは大きくなりすぎた雪玉をじっと見つめていた。どうしようもなく困り果てた表情で。
マルレインは、ルカの暇だから作ったという後先を考えない行動に、ため息をついて呆れた。しかし、辺りを見回したところである物が目にづく。彼女はルカに「見よ」と指差して見せた。
「あのように、道の端にでも立たせればよいじゃろう?」
ルカとスタンも、彼女が指し示す方向に目を向ける。そこに立っていたのは、手袋をした顔付きの大きな雪だるまだった。おそらく、温泉宿のオーナーか宿泊客あたりが作ったものだろう。作られてからすでにしばらく経過しているようで、赤い手袋には白い雪が積もっている。それでもこの雪だるまが融けないのは、この地域全体が冷凍庫のように寒いせいだろう。
いつまでも作ったものが残っている、というのは便利かもしれない。これだけ寒ければ食べ物を保存するにも苦労しないだろうな、とルカは少し羨ましくなった。自分の住むテネル村では、食べ物はいつも台所や地下室にある棚や樽の中に保存しておくが、ナマモノはあっという間に腐ってしまうため、長く保存するためには乾燥させるか濃いめの調味料に漬けておかなければならない。新鮮な生魚を食べたいときは、釣り人が川で釣ったものを買うか、いっそリシェロに向かった方がよいくらいだ。マドリルには冷蔵庫も普及しているとは聞くが、ど田舎のテネルは多くの家庭がまだまだ生活スタイルが古臭い。そんな村で雪だるまなんてつくって置いておこうとしても、一日も経たずに融けゆくだろう。
融けてしまったらわざわざ作った意味が無くなってしまうが、この雪道に置いておくのならば確かに問題は無さそうである。幸い人通りがほとんど無い・・・・それどころか住人もほとんど見当たらなさそうに見える地域だから、道の端っこに立たせておいても通行や生活の邪魔にはならなさそうだ。
よし、と雪玉を手にルカは頷く。だがその一方でスタン、そしてマルレインまでもが、ルカが考えている置き方とは別の置き方を考えていた。
「・・・・うん。じゃあ、目立たないところにこっそり置いとこうかな・・・・」
「そんなことでは甘いぞ、子分。この道を通る人間どもの通行に思い切り邪魔になるよう、道の中央にドーンと置くのがよいな。」
「なんじゃと?ダメじゃダメじゃ、誰の邪魔にもならぬ壊されぬ位置で、なおかつちゃんと目立つように置かねばならぬ!」
「え?」
マルレインがルカの言葉を咎めたため、予想外の返答にルカは焦った。スタンが言う置き方は怒られてもよいとして、自分の言う置き方に何かいけないところでもあったのだろうか。何故わざわざ目立つ位置に置くのだろう。
「どど、どうして?」
「ここに雪だるまを作って、ここを通った誰もがそれを見るように仕向けるのじゃ。・・・・わらわとルカがここにいた証、この地に印そうぞ。わらわたちに作られた雪人形は、生みの親のわらわたちを忘れぬ。」
―――ちょっと待て。いつからマルレインも雪だるまを作ることになった?
その疑問はルカの口からは出なかった。生みの親のわらわたち、という単語はルカの頭を沸騰させるのに充分だった。その言い方ではまるで・・・・母と父のようではないか。
マルレインはルカの顔の表面温度の急上昇を知ることなく、言葉を続ける。
「雪人形が覚えておれば、これを見る者もわらわたちを忘れぬ。雪人形に、わらわたちの存在している事実を託そう。不安なのじゃろう、ルカ?ならば、わらわの言うとおりにするのじゃ!・・・・わらわも今この時のみ王女の恥を捨て、少しばかりお前に手を貸そうぞ。ふふ、感謝するのじゃぞ。」
マルレインはしゃがみ、雪を丸め始めた。ルカは不思議そうにその様子を眺めていたが、彼女の言葉の意味が分かって、ぷっ、と吹き出しそうになった。それをマルレインに悟られまいと、必死に堪える。
・・・・つまり。彼女はただ、自分も雪だるまを作ってみたいというだけなのだ。それを王女としてのプライドのせいでなかなか言えず、理由を作って遠回しにそのことを伝えたのだ。その証拠に、彼女は嬉々とした表情で雪に触れている。彼女は言葉が器用だが、性格が不器用だった。
それに、彼女の言う雪人形・・・・雪だるまの話についても、何故かルカは納得してしまった。ただの雪で作られたものでも、その物体は人の形を表しているのだ。人の形をしたものは昔から「魂の器」と考えられ、自分たち人間も身体という「魂の器」に魂を入れられ生きているのだと、子どもの頃に祖母から聞いたことがある。作り物の人形も人の形を模した「魂の器」だから、大切にしてやると心が宿るのだそうだ。わら人形など単純だが人の形をしたものでも、痛めつけてやると呪いという強い効果を発揮する・・・・そのような怪談話も、それと同じ理屈で生まれたらしい。
―――雪だるまが、自分のことを覚えていてくれる。それは、大切に作ってやれば雪だるまにも心が宿るということでもある。マルレインの話は祖母の話と重なり、妙に真実味があった。人形にも心があるということが、まるで本当のことのように感じる。
ルカは困ったように、マルレインに微笑む。
「・・・・・・・・じゃあ・・・・マルレインは、雪だるまの頭を作ってくれる?ボクのより小さくていいから・・・・」
「ふむ、召使いのルカがわらわに指図するのは、普通ならば許せざる出来事じゃが・・・・今回はわらわが大目に見てやろう。その頭、わらわに任せるがよい。」
マルレインは捻くれた言い方だがニコニコと笑って、マルレインの気持ちを配慮したルカの頼みを承諾した。
ルカは大きな体の部分を、マルレインは小さな頭の部分を作るため、雪玉を転がし始めた。ルカはあまりの手の冷たさに、時々立ち止まって赤くなった手のひらに、白い息を吐きかける。しかしマルレインはそれすらも忘れ、せっせと転がしていた。
2本の歪な道が、雪の絨毯の上に刻みつけられていく。その道のところどころには本当の地面の黒い色が顔を見せていて、細い隙間から、雪の下の枯れてしまった植物たちが姿を現している。土も植物も、久々の地上世界を目にして喜んでいるように見えた。
スタンはルカの背後で、2人が雪だるまを作っている様を黙って見ていた。そしてふと、悪者らしい邪悪な笑みを浮かべる。
「・・・・クックック、なるほどな。そういう意味か・・・・この小娘、この雪だるまにそのような・・・・」
面白いことを思いついたスタンは、低く笑う声をルカに聞かれないように、ルカの影の中に身を引っ込めた。
そして、彼らによる雪だるまの完成を待った。
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