朝の太陽の金色の光が、木々の合間を一線、差し込むように伸びた。空が紫から薄い青へと変わっていく。しかし、太陽に近い部分は赤みがかかった黄色に染まっている。朝焼けというものだった。今日はよく晴れた日になりそうである。
雪景色が朝日に照らされて、キラキラと輝き始める。ルカはその輝きを見て、何故か生命の神秘を感じていた。視界に映っているものは皆、雪の冷たさで枯れ果てているのに。また、目の前は白い雪による静寂の風景だというのに、ルカの脳内には何故か、年に一度にあるテネル村の賑やかなお祭りの音が蘇っていた。この雪の輝きが、今までの永遠に続くかのような夜の雪原の風景の終わりを示していて、そして同時にその事実を祝っているように見えたのだ。今まで薄明かりの世界だった分、陽の光とそれを反射する雪のきらめきは、世界がくるりと一転したかのように希望に彩られ、華やかだった。
気持ちのよい朝がようやくやってきた、そのことにルカは嬉しさが込み上げると同時に、少し焦り始めていた。夜と朝の間の曖昧な時間が終わったから、そろそろオバケたちも活動し始めるのではないか。それが不安で、ルカはオバケを見かけたらいつでも逃げ出せるように絶えず辺りを見回していた。
ルカが作っていた雪だるまの体部分は、すでに完成して道の端に座っている。後はマルレインの作っている頭を乗せれば、ほぼ完成だ。ルカはというと、雪だるまにつける目や鼻のパーツ、手の代わりになる木の枝を探している。
ルカは足元を注意深く観察していたのだが、ある物が目にとまった。
「・・・・花?」
雪だるまを転がしたことで姿を現した地面から、小さな青い花が咲いている。まるで冬空のような、くすんでいるが優しい色合いをしている花だ。今まで雪に埋まっていたせいで、そして一度雪玉に押しつぶされたこともあり弱々しいが、茎は丈夫なようでなんとか真っ直ぐに立っており、枯れることなく咲いている。雪水に濡れていたが、それが朝日を反射して逆に美しく映えていた。
雪の中の花、というのは自分の中のイメージに全く無かったので、驚愕の思いでしばらくじっと眺めていた。動きを止めてしまったルカに気づき、マルレインも雪だるまの頭から手を離して近寄ってきた。
ルカは視線を上げて、花を指差す。
「まあ、可愛らしいのう。この花は確か・・・・宿のロビーの植木鉢に咲いておった花じゃろう?」
マルレインの意外な言葉に、ルカは少し驚いた。そういえば、とロビーの木製の棚の上に、青い花の植えられた植木鉢があったことを思い出す。もしかしたらこの花は、寒い地域でも育つことができる花なのかもしれない。
「なんと健気で強いことよ。このような冷たい雪の中でも、一生懸命咲いておったのじゃな。こんなに小さくか弱いというのにな・・・・。」
まるで誰かに見つけてもらうまで待っていたかのようだ。花はあたたかな光を浴び、念願が叶ったかのように嬉しそうに風に揺れている。この花は一体、いつから咲いていたのだろう。このような寂しい極寒の地になど、花は咲かないものだと思っていたのに。
この花を見て、ルカは昨夜の温泉で自分が考えていたことを思い出した。
雪の中でも咲いていられるのはなにも造花と限ったことではないのだと、今わかった。強く生きる花ならば、どんなに大変な場所でも咲き続けることができるのかもしれない。誰かに自分自身の存在を知ってもらうために、この花はずっと、待っていたのだろうか。
白い雪に全てを覆い隠されても、自分をいつか見つけてもらうために、冷え切った雪の中でも長く長く辛抱強く、誇り高く咲き続けていたのだろうか?
「わらわたちが雪だるま作りでこの場所の雪をどかしたおかげで、この花も外に抜け出せたのじゃな。わらわたちは良いことをしたのう。・・・・花よ、見つけてもらえてよかったな。」
マルレインは満足したように微笑んで、雪だるまの頭のもとに戻り、仕上げに掛かった。でこぼこした面を手で軽く叩きながら、滑らかにしていく。そして雪玉に付いた砂や泥を、手のひらで綺麗に落とす。
その間、ルカは目の前の花から目が離せないでいた。雪の中に咲くその花は何故か、温泉で見つけた雪に埋まっていた歯車にも、夢の中で見た雪に埋まった人形にも、花のように可憐な少女にも見えた。この花がどういった名前なのかは知らないが、くすんだ青が雪の白とよく釣り合っていて、日光に輝く姿はしとやかで美しい。
しかし見ているものが寒色系であるせいか、または少しの間動かなかったせいか、忘れかけていた寒さが再び蘇ってきた。雪だるま作りで体を動かしていた間は、ずいぶんマシになっていたのだが。つまった鼻をすすると、鼻の奥が熱くなって頭がぼうっと霞む。さすがに外に居すぎてしまっただろうか、頭が熱っぽくなってきてしまった。
「さあ、ルカ。頭がようやく完成したぞ。この頭を体の上に乗せよ!」
マルレインが雪だるま(頭)をぽんと叩いて、ぼうっとしているルカに呼びかけた。
え、とルカは振り向いて目を丸くする。
「ぼ、ボクが?・・・・・・・・いや、・・・・ボクがそれ、ひとつを?」
「そうじゃ。わらわには力が足りぬ、召使いであるお前がわらわの代わりにこの頭を乗せるのじゃ。」
一緒に持ってはくれないのか、とルカは項垂れた。しかしずっと雪玉を転がしていたマルレインの手は、もしかしたら自分の手よりも冷たいのかもしれない。ここは男である自分がやるべきなのだ、とルカは自身に言い聞かせた。
ルカは体の首にあたる部分を手で擦って平面にし、頭にも同じように平面の部分を作った。体に頭を乗せたとき、安定せず転げ落ちるのを防ぐためである。少しだけ温度が戻りかけていたルカの手は、またもや感覚を失い始めた。
そしてルカは頭の底面に手を回して、空中に持ち上げようと試みた。・・・・が、非常に重い。丁寧に作られているおかげか力を入れても崩れたりはしなかったが、あまりに重すぎて少ししか持ち上げることができなかった。このまま無理に持ち上げたら、抱えれずに手が滑って雪頭を破壊、または体の上に勢いよく乗せて両方とも破壊してしまうかもしれない。それだけは避けたかった。
「ご、ごめんなさい。一人じゃ無理・・・・」
「はぁ、しかたのない召使いじゃのう。男のくせに、力が無いとは情けないことじゃ。わらわも少しばかり手を貸すゆえ、ありがたく思うがよい。全く・・・・」
マルレインは首を振り、眉間にしわを寄せて不機嫌そうに目を細めながら、雪玉の頭の底に手を回す。
そしてルカも手に力を込め、「いっせーの」と言って息を合わせ、同時に持ち上げた。
先ほどの重さが半分になり、大分持ち上げやすくなった。しかしそれでも重く、マルレインの力が弱いぶんルカが踏ん張らなければならない。これを長く持ち続けるのは無理だろう。マルレインも先ほどの態度が表情から消え、唸りながら雪玉を手で支えている。すぐにルカは雪玉を高く持ち上げ、体の上に乗せ、安定する位置にずらした。
ルカとマルレインは雪頭から手を離し、手についた雫を払った。そして地面にある軟らかい雪で、首元を接着剤のように固める。
そうしてから、やっと一息ついた。
「・・・・できたのか?」
「・・・・・・・・一応、できた、のかな・・・・。」
大きく丸い体と、それより一回り小さな丸い頭。朝日に照らされ、少し眩しくきらめいている。
自分の身長より少しばかり低めの背丈の雪だるまが、目の前にどっしりと構えて立っている。しかし実際に頭を乗せてみると、思っていたほど大きいものではなく、ルカはなんとなく落胆した気分になった。だがこうして自分で懸命に転がして作ったものを見ていると、達成感に似た満足感や、どこか誇らしいような愛着まで湧いてくるようだ。
「うむ、上出来じゃ!ただ雪を丸めて転がしただけのものじゃが、転がすというだけでこんなに楽しめるとはのう。雪とやら、美しさのみならず楽しさも兼ね備えておるとは、やはり見上げたものじゃ。のう、ルカ、スタン?」
「うん、・・・・・・・・後は・・・・。・・・・目とか鼻とか、いろいろつければ完成かな?」
人形の魂は、特に目玉に宿るという。雪だるまは雪でできているので別にそれほど本格的なものではないのだが、もし心を宿らせると言うならば、やはり目を作った方が良いだろう。雪だるまにとっても、目があった方が楽しいに違いない。
冬なのに良い汗をかいたような清々しい気分で、ルカは空を仰いだ。夜から変わりつつあった空色はもはやすっかり朝になってしまっている。木々の合間からの太陽の光が、朝もやの中をたくさんの金色の筋となって清らかに射している。
しかし仰いだままの体勢でいると、鼻づまりが悪化してさらに息苦しくなる。鼻で呼吸をしようとすると、その度にずるずるという音がして気持ち悪かった。あまりすすっていると鼻の奥が熱くなるので、持ち歩いているポーチの中のちり紙で鼻をかんだ。
その隣では、マルレインがマントの下の手の片方を腰に当てながら、しかし慈しむように雪だるまを眺めていた。
「誰かが、この雪だるまを見てくれるとよいな。これを見たその者が、わらわが作った雪だるまだとは知り得なくとも、わらわがここで雪を転がした事実は消えぬ。・・・・これは、わらわの歩んでいるこの旅の足跡じゃ。ずっと残っておるとよいな・・・・」
マルレインは何故そんなにも、「事実」とか「足跡」とか、そういう自分自身の存在の証明にこだわるのだろう。ルカもその気持ちが分からなくは無かったが、マルレインは時々、ロザリーやキスリングにはほとんど見せない謎めいた気色を見せる。しかしルカも、彼女が一体何を考えているのか、さっぱりわからなかった。
そういえば、マルレインと自分の母が料理していたときも、似たような気色を見せていたような気がする。(そのとき自分はというと、台所の出入り口付近から観察していたのだが。)彼女のそういった一瞬の陰の顔が時々、ルカの頭に引っ掛かることがあった。
そのことについてもし訊ねたとしても、彼女は答えることは無いだろう。何故だかわからないが、ルカはそんな気がしていた。
「まさか・・・・こんな場所、誰も通らないよ。人もほとんどいないし、いるとしたら宿のお客さんくらいだし・・・・」
「現実的な考え方じゃな。賢いが、わらわはそのような考えがキライじゃ!雪の中に咲いておった小さな花が、ルカに見つけられたのじゃ。この雪だるまとて、ずっと待っておれば誰か一人くらい見てくれるじゃろう。」
彼女はそう言った。しかし、本当にこの雪道を通る人間が本当にいるのだろうか?マルレインは少し無理があるような発言が多い、という印象が第一印象からついている。王女故の温室育ちの世間知らずである上に、ワガママな性格だからだろうか。そのせいで、彼女の言葉はあまり信用ができない。
しかしながら雪だるまは、置いておくだけでもとりあえず意味はあるかもしれない。そのことで誰かに迷惑をかけることも無いはずだ。マルレインもそれで満足してくれるだろう。元々は自分が作り始めたのだから、今さらこの雪だるまをどうしようという気も無かった。
とりあえず、のっぺらぼうのままではいい加減に可哀想なので、雪だるまの顔のパーツとなるものを探すことにした。それに、完成させるならばそろそろ急がなくてはならない。太陽が完全に顔を出したら、この場所はオバケが徘徊しだすのだ。オバケ自体はそれほど怖くはないのだが、一人で戦える自信が全く無い。寒気で鳥肌も立っているし、自分も早く宿に戻ったほうがよいだろう。
「なんか、木の実みたいなもの、ない?あと木の棒とか・・・・」
ルカがマルレインに問いかけたその時、宿の方から人が走ってくるのが見えた。
白い羽織と金に輝く山吹色の髪を持つ、鎧を着た女性。よく見れば、ロザリーだった。
もう起きたのか・・・・と、ようやくちゃんとした朝が来たことを実感する。実感した途端、夜明け前から起きていたことによる寝不足と、雪だるま作りによる疲労、風邪によるだるさが同時に体に圧し掛かってきた。
「ちょっとーっ!どこ行ってたの2人とも!?起きたら王女様がいなくて、全く!焦っちゃったじゃないっ!勝手に外に出て、オバケに襲われたらどうするのよーっ!?」
「す、すいません・・・・」
ロザリーが走りながら叫んだ言葉に、ルカは冷や汗をかいて小さく謝った。大体、最初に外に出ていたのはマルレインである。しかし自分も自分の意思で外に出てきたので、彼女に心配をかけたのは自分も同じなのだ。彼女が大声を出したせいで、木々に止まって休んでいた鳥たちが一斉に飛び立った。ロザリーと鳥たちに対して、わずかに罪悪感を感じる。
その声にマルレインも作った雪だるまから目を離し、ロザリーの方を見やった。そしてマルレインも、「悪かったな」と反省なんて皆無な調子でロザリーに謝った。そして走ってきたロザリーへ、ルカとマルレインは駆け寄っていく。ロザリーは息を切らしつつ、ほっと安心した様子でルカたちの行動を咎めた。
今、雪だるまは、誰にも見られていない。見ることができるとしたら、ルカの影の中にいる、スタンくらいだった。
―――スタンは、今がチャンスとばかりに影から飛び出した。
「フハハハハッ!お前たちの楽しみが雪で遊ぶことならば、余の楽しみは・・・・お前たち人間どもの絶望する顔を見ることだっ!見るがいい!!」
2度目の大声がして、ルカは慌てて振り向いた。
ルカの影からいつの間にかスタンが飛び出し、体を少し大きくして手を振りかざしている。
ルカは彼の言葉の意味を瞬時に理解し、しまった、と思ったが遅かった。
「だああっ!!」
スタンはかけ声とともに、勢いよく手を横へ薙ぎ払った。
それと同時にルカとマルレインがつくった雪だるまとその周辺の雪の絨毯に、点くはずのない炎が赤々と燃え上がり、瞬く間にその場の雪が全て融けて液体へと変化していく。雪だるまは炎に包まれ、儚くもあっという間にただの水になってしまった。
雪だるまを融かした炎は消えることなく積もった雪の上を走っていき、その付近の雪は熱が広がっていくようにどんどん融けていった。全ての炎が消えた後には、雪だるまがあった場所の周辺の雪はほとんど融け切って、その下の土と植物が丸見えになってしまった。
朝日の下で灰となって消える吸血鬼の如く、朝日に照らされたその場所は何も無くなってしまった。いや、雪が融けてまるでその場所だけ、「冬」から「春」になってしまったかのようだった。
あまりに唐突で想定外の出来事に、ルカとマルレインとロザリーは言葉を失った。
スタンは体を仰け反らせて、勝ち誇ったように、愉快そうに笑っている。
「クク、フハハハハッ!どうだ見たか、余の力を!まあ、できればこの土地全てを燃やしてしまえればよかったが・・・・まだ力が足りぬようだ。周辺の雪をとかす程度の力しか出せなかったわ。しかし、それでもよい。愉快だ愉快だ!お前たちのその絶望したその顔・・・・余はそれが見たかったのだ!フハハハハ!」
「やりましたな坊っちゃま!いつもよりも少しだけ魔王っぽいことが!」
そこに突然、魔王の執事ジェームスもやってきた。しかも、ロザリーの背後の雪の中から、ずぼっという音とともに顔を飛び出して。一体この執事はどこから現れたのだろうか。まさか彼がモグラである・・・・というわけではないはずである。
彼はロザリーの横を通り過ぎてルカの隣に立ち、スタンに低頭でお辞儀をした。その頭の上にはまだ雪が乗っている。少しマヌケな姿だった。
「ククク、まだ力が完全ではないとはいえ・・・・余の力の前では、雪だるまなぞ虫けら以下に等しいわ。雪なぞ、何にも使えぬと思っておったが・・・・たまには余のためにもなるものだな。雪はとけるもの。つまり雪とはとけてなくなるためにあり、したがって余にとかされるためにあるのだ!フハハハ!」
「おおお、そのめちゃくちゃにひん曲がったお考え!まさしく魔王の言葉にふさわしいものですぞ!わたくしもキャサリンちゃんと密かに観察・・・・いやいや見守っていたかいがあったというものです。いよっ、大統領!」
ジェームスがその場を盛り上げるように、適当なことを言いながら長い両手を広げて扇ぐ。しかしルカはスタンの行動に、ロザリーはあまりの下らなさに、そしてマルレインは雪だるまを燃やされたことに呆然としていた。
・・・・何故、彼がこんなことを?その疑問の答えは、彼の正体を知る者ならば容易に想像できる。彼は魔王なのだ。半分が悪、もう半分がバカでできているような彼のことだ、マルレインたちの楽しみ―――「雪だるま」を融かすことは、彼女らにとっての悲しいことなのだと考えたのだろう。もちろんそれは間違いではなく、現にマルレインはショックを受けている。
しかし、マルレインの怒りの炎が、だんだんオーラとなって燃え上がり始める。ルカはその不穏な空気を感じ取り、その場から逃げ出したい衝動に駆られた。だがスタンは知らずにジェームスと話し込んでおり、ここで駆け出したらスタンとマルレインの両方の怒りを買うことになるだろう。自分の身に火の粉が飛ぶのはできるだけ避けたいのだが、スタンがいる限りそれは不可能と言っていい。
ルカが焦りを感じ始めたとき、背後でスタンが言った言葉が耳に付いた。
「クク・・・・大体だな。人間というものは、他のものばかりに気を取られておるからいかんのだ。本当に大切だというものはしっかり自分で見ておかねば、気づかぬうちに消えゆくのだ。または本当に大切にすべきものに気づけず、消えてしまった後からそれに気づく。・・・・本当に愚かなのは、その存在にさえ気づけぬことだがな。」
スタンは自分で言いながらもつまらなさそうな顔をして、いつもより目を吊り上げて言っていた。
「人間どもはこのことに気づいておらん。だーから大切なものどころか、自分さえも見失うのだ・・・・余は余が大魔王だということ、旅の目的を常に絶対忘れずにいるのにな、ばかな話だ。このことは物でも、相手でも、自分自身でも全てに共通することなのだぞ。わかるか、子分?」
スタンに声を掛けられたが、ルカは今ひとつ理解できず頷くことができなかった。しかしスタンはそれに気に留めず、人間は大切なものを忘れがち、と人を見下すような口調で呟いた。
頷かないルカに代わってジェームスが、本当に聞いているのかはわからないが、大げさに相槌を打っていた。
「ほほう、なるほど。そういう考えですか・・・・ふむう。うんうん、今日の坊っちゃまは頭が冴えておりますな!」
「今日のと言わんでも余の頭はいつでも冴えておる!つまりだ、さっきの雪だるまだって同じことなのだ。他のものに気を取られたから、余によってとかされた。・・・・最も、余の手にかかればそんな理屈は関係ないが。ククク、すっきりしたな!このナマイキな小娘に、やっと仕返しができたというものだ!ほれジェームスよく見ろ、この者どもの顔を!」
「いいですなあ、魔王様の執事としてなんという誇らしい気持ち!酒の肴を口にしながら見たい表情ですな。」
スタンとジェームスは再び大笑いした。ジェームスはその顔のせいでいまいち表情がわかりにくいが、声で笑っていることがわかる。ロザリーが「あたしは単に呆れているだけよ」とつっこんだが、2人は聞いていなかった。
マルレインは俯いて雪が融けてしまった場所を見つめ、そのスタンの笑い声を聞いていた。が、やがてしゃがんで融けていない雪を掴んだ。
「お前たち。言いたいことはそれだけか?」
「は?」
先ほど怖いと思ったときよりもずっと般若に似ている顔で、マルレインがスタンを睨んだ。ルカの背筋に冷たいものが流れ、彼は蛇に見込まれた蛙のように硬直してしまう。マルレインの目には、ぎらりとした鋭い光が輝いていたのだ。
その顔にスタンは怯むことなく、笑った表情のまま目を丸くした。
「言・い・た・い・こ・と・は、そ・れ・だ・け・か?」
マルレインは溢れんばかりの雪を思い切り握り締め、その手に収まりきらなかった雪が零れ落ちる。
その手に、ルカは恐怖を感じた。しかしスタンは気に留めていない。
これ以上火に油を注がないでくれ、と心の中で頼んだが、その思いも空しくスタンはマルレインを鼻で笑った。もし言葉に出して言ったとしても、彼は子分の言うことに耳を貸さないだろう。
「ふっ、なんださっきから・・・・雪だるまのようなすぐ消えゆくもの、どうせあっても無くても同じだろう?余はその恨みがこもった目が見られればそれで満足なのだ。文句は受け付けん、だって魔王だからな。」
「・・・・わらわが、頑張って作った雪だるまを、無に帰すとは・・・・・・・・いくら魔王でも許せぬ!魔王だってやっても良いことと悪いことがあるじゃろう!?」
「やっても良いことに悪いこと、その両方をやってのけるのが魔王だっ!」
「許さぬ、絶対に絶対に許さぬ!雪だるまの仇、覚悟せい!」
マルレインは握り締めていた雪の塊を、スタンに向かって目一杯投げつけた。
ルカは慌ててそれを避けようとしゃがみこんだ。スタンに雪塊が当たる・・・・かと思いきや、それはスタンの体をすり抜けてしまった。
しかしそれだけで諦めるマルレインではなく、彼女は再び雪を掴み、今度は硬く丸め始めた。
それを見たスタンは、素早くルカに指示を下す。
「痛い思いをしたくなかったら走れ、子分!」
「え・・・・ええっ!?」
マルレインが次の雪球を勢いつけて投げる。ルカは焦って、その場から跳ぶように走り出した。
ルカがいた場所の雪に、ぽっかりと穴があいた。そこに先ほどの球が飛び込んだようである。雪が雪に穴をあけるのも不思議だったが、か弱いはずの彼女がそれほどに攻撃力のある雪球を投げられることのほうがもっと不思議だった。彼女のはり手が非常に痛いことは身をもって知っているが、まさか彼女ははり手だけではなく投擲の技術まで身につけているのだろうか。
キスリングがこの場にいたら、ルカにこう言っていただろう。「感情ひとつで力の強さなんて左右しちゃうものなのだよ」と。しかし、当の彼は未だに夢の中である。外で仲間たちがこうして喧嘩しているなんて、彼は知るよしもないだろう。
「待て!待つのじゃ、スタン!」
「誰が待つか、この凶暴王女が!」
ルカが完璧に視界に映っていないマルレインは、彼らに向かって再び雪球を投げた。しかも今度は二連続だ。
スタンはそれを炎で焼き払う。そして彼も雪を掴んで丸め、マルレインに投げた。
しかしマルレインの前にロザリーが護るように立ち塞がり、ピンクの日傘を目の前で素早く回して、飛んできた雪球をはじく。
「ちょっと、スタン!王女様に何してるのよ!?元はといえば、あんたが王女様を怒らせるようなことをしたんでしょうが。謝りなさい!」
「小娘が怒り出すことなぞ想定の内だ!想定内の出来事に謝罪もあるか!」
ルカが立ち止まった瞬間にスタンは地面の雪を掴み、ルカの背後で丸めた。それを見たマルレインもロザリーの背後で雪を丸め、予備の雪球を積み重ねている。彼らにとってのルカとロザリーは、今は盾の扱いと化した。
これでは雪合戦ではないか・・・・ルカは父の教えてくれた雪国の子供の話を思い出していた。雪だるまに、雪合戦。雪遊びをなかなかに堪能してるなあ、と我ながら感心する。しかし現在の状況には寒心せざるを得なかった。
空気を読んだのか読んでいないのか、ジェームスが「フレーフレー坊っちゃま!」とスタンへ応援のコールを上げている。ロザリーが呆れたような横目の視線で彼を睨んでいるが、マイペースな彼にその睨みが効くはずもない。
マルレインはスタンに雪球を投げるが、どれもルカに当たるか体をすり抜けるかで全く当たらない。彼女は悔しそうに唇を噛んだ。スタンが投げる球をロザリーは日傘を盾に防衛するが、決してマルレインが有利になったわけではないのだ。
「むむむ・・・・なぜじゃ、なぜ当たらぬ!こんなもの不公平じゃ!」
「フハハハハ!そんな雪ごときで余に勝てる思ったら大間違いだ。そこの盾無し安上がり日傘勇者さえも、余を討つことは不可能に等しいのだからな。潔く諦めるんだな、どっちにしろとけたものはどうしようもできんのだ。」
「うぐぐ、ルカごと雪の中に埋めてくれる!」
「え、ボクも!?」
雪の中にルカを生き埋めにされたら、さすがにスタンも敵わないだろう。光も影も無くなるから、ルカの影から出てくることも叶わない。しかし魔王封印に自分も付き合わされるなんて、ルカにとってはいい迷惑だ。
マルレインは小さな腕に抱えきれるだけ雪球を抱えて、ロザリーの前へ出て珍しく走る。そして片手でスタンを目がけて投げつけたが、やはりスタンには届かずルカの顔面に直撃した。
顔の雪を掃うルカに代わってスタンが怒り、両手に持つ雪を連続で投げた。走ったり避けたりといった俊敏な動きができない彼女の顔面とドレスに雪球が当たる。そのせいでマルレインも激怒した。
「やったなスタン!!」「うるさい小娘!!」
2人は同時に怒鳴り、球を投げつけ合った。
ルカは悲劇のヒロインさながらに「もうやめて!」と叫びたくなったが、そんな主張が彼にできるはずもなく、2人を宥めるように両手を突き出すことしかできなかった。それはマルレインからの攻撃を防ぐための手でもあるが、その手も空しく顔面に雪が命中する。ルカはこの状況から抜け出すべく、走って逃げる。その背後では、スタンと彼を追うマルレインが争っていた。スタンの体を透けて通った球が、自分の背に当たる。その勢いでルカは転びそうになった。
子供のように雪を投げ合う彼らに、ロザリーはもう開いた口が塞がらない。
「お、王女様・・・・!あーもー、スタンもやめなさいよ・・・・。」
しかし、魔王のくせに子供じみた性格のスタンは問題だが、マルレインは歳相応の姿に見えた。彼女は怒っているが、無意識にこの雪合戦を楽しんでいるようだ。ロザリーにはそれがわかった。だからこそもう、わざわざマルレインを守らなくてもよいだろう、と動かずにいる。もはや誰もこの状況を止める気配が無く、その中で唯一同情すべきなのは、喧嘩に巻き込まれているルカだった。
ルカはマルレインの攻撃から逃れるべく、大きな円弧を描いて大回りで走る。しかし、雪だるまを作る上で刻んだ溝を横切ろうとしたところで、目の前にジェームスが飛び込んできた。
「スト――――ップ、子分どの!ここはダメですぞ!」
あまりの速さと突然の出来事に、焦ったルカは足で急ブレーキをかけて立ち止まる。
「ええい、突然なんだお前は!?邪魔するでないわ!」
「しかし坊っちゃま、これをご覧ください!」
猫背の彼が指差す先には、先ほどルカとマルレインが見つけた、青い花が咲いていた。地上での騒ぎを傍観するように、小さくも可憐に咲いている。
危うく踏むところだった・・・・ルカはドキドキする胸を押さえながら、ほっとため息をついた。こんな小さいものにも気づくとは、ジェームスの視力は中々侮れない。
しかしスタンは乱暴者の王様のように腕を振り上げ、ジェームスを責める。
「花がなんだ?こんな花ひとつ踏もうが潰そうが、余には関係ないだろうが!悪の魔王がか弱い花を守ってどうする!」
「それは正論でございます、しかし・・・・。この花は、キャサリンちゃんの妹にあたるキャリアンちゃんが好んでおられる花なのですぞ!それを踏み潰してしまうなんてとてもとても!」
ジェームスは泣きそうな声で言いながら、しかしよくわからない表情のまま、首を勢いよく何度も横に振った。その気迫にたじろぎ、スタンは何も言えなくなる。しかし顔には「悪よりも女かい」と書かれており、少しショックを受けていることがわかる。
ルカは花を見下ろした。先ほどスタンの炎で近辺の雪と地面を暖められたおかげか、見つけたときよりも元気そうに見える。朝日が昇ってきたことで日の照り方も変わり、花も明るく輝いているようだった。
そういえば、マルレインも先ほどとは様子が変わった気がする。彼女は雪だるまが燃やされたことで怒り狂っているが、自分がいた事実や足跡にこだわっているときの顔に比べれば、ずっと良い表情だ。
スタンは他のものに気を取られていたから雪だるまを融かされたと言っていたが、それは違う。雪だるまのような「足跡」ばかりにこだわっていたならば、彼女は本当に大切なものに気づけずにいたかもしれない。大切なのは、自分がいたという「事実」ではないのだ。刻んだ印で自分の存在を支えるのではなく、最初から自分の存在を、自分にも他人にも見失われないようにしなければならない。
何かの力に頼るのではなく、この小さな花のように自分で大きく咲いて、輝かなければならないのだ。
マルレインは感情をあらわにして怒っていた。その顔は怖いけれど、いつもの元気な彼女に戻ったようで、嫌いではない。ワガママを言われるのは困るけれど、マルレインはマルレインらしくいてほしい。それが彼女の「咲き方」だと思う。やっぱり、元気なことが一番だ。
「あ。」
目の前でジェームスが、何かに気付いたように固まった。そしてカニ歩きで、そそくさと移動する。
スタンは頭上に疑問符を浮かべ、ルカと顔を見合わせた。
「どうしたのだ、ジェームス?」
「・・・・それではわたくし、これから執事仲間とマリンちゃんたちによる合同コンp・・・・宴会がありますので失礼致します。寒いですが皆様くれぐれもお風邪に気をつけて〜では!」
ジェームスは早口に言った後、深々とお辞儀をして空へ垂直に飛んで行った。それを見上げて見送ったルカとスタンは、彼の不自然な態度とセリフに疑問を抱く。
「・・・・合コンって、朝から?」
スタンは口を開けたまま何も言えず、ルカだけがぼそりと呟いた。そんなスタンとルカのその背後に、マルレインが立っていることにはまだ気づいていない。
背後のマルレインはにっこりと微笑んで、手に持つ浅葱色の瓶のコルク栓を摘んだ。透き通った瓶の中には、霧のように濁った青白い魔力を放つ、美しく煌く氷の花びらが封じられている。―――スタンにとどめを刺す気が満々だった。ルカの姿はスタンの影に隠れており、マルレインはその彼には相変わらず気づいていなかった。判断力が鈍っている・・・・スタンに雪だるまを融かされたことが、相当ショックだったようだ。
そしてマルレインは、コルク栓を思い切り引き抜いた。
スタンが少量の魔力を察知して、背後を振り向く。
「消えよ、スタン。」
「は―――」
時すでに遅し。
「凍りついたボトル」はこんなどーでもいい場面で使うものじゃないだろ、というつっこみを言う前に、スタンはルカの影に強制送還された。そのボトルの名前の通りに凍りついたルカが、ぐるぐると目を回して雪の中へ倒れたからである。風邪を引き始めていた体に青の魔法は、病状を一気に悪化させるには充分だった。
そのおかげで雪合戦もマルレインの復讐も中断することができたが、ひたすらにスタンのとばっちりを受けるルカは、つくづく薄幸の少年であった。
その周囲でポスポス雪原のオバケたちが、近づきたくても近づけない様子で木の陰から観戦していたことには、彼らは気づいていたのだろうか。
結局ルカは、温泉宿で2日間、風邪によって寝込むことになってしまった。
その間、同室のキスリングによる看病をされながら、ルカは再びスタンとマルレインの喧嘩を聞く破目になった。今度は、子分であり召使いでもあるルカを病気にさせたことによる、互いの責め合いである。しかし、ルカが寝込んだ原因は彼らにあるのだ。大喧嘩の原因はスタン、風邪の悪化の原因はマルレイン。どちらにも罪があることをロザリーが諭したことで、2人とも多少の不満は口にしつつも、なんとか喧嘩の幕を閉じることができたようだった。
彼らがやっと雪原を探索し始めた頃には、雪だるまを作った跡もスタンが雪を融かした跡も、全て無かったことになっていた。その2日の間に再び雪が降り、全てを白に戻してしまったのだ。
青い花も、雪に埋まってしまっていた。その場所には元々何も無かったかのように、何事も無かったかのように。
しかし、ルカは知っている。
どこからも誰からも見えなくなっても、消えたかのように見えても、その場所で咲いていることを。
姿は見えなくても、存在は消えない。
もし本当にいなくなってしまったかのように見えても、花である彼女はどこにも行かない。
それが例え造花だとしても、本物の花だって、同じように咲いているはずなのだ。
冷たい雪の下、そのどこかで。
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