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「わっ!?・・・・」 「温泉というのも面白くないな。このような体のせいで、入っている感覚もありゃしない。」 あまりに突然に目の前に現れたので、驚いて背中を岩の角にぶつけたが、痛みを無言で耐えた。 「どうだ子分、温泉というものは?余にはよくわからん。気持ちよいのか?」 「ま、まあ・・・・どちらかというと。野外で入るっていうのはなんだか新鮮なんだけど・・・・」 普通のお風呂と比べれば、なんだか肌がスベスベするしお湯の感触も異なるように感じる。この感触が気持ちよいというのかはよくわからないが、なんというか・・・・普通のお湯の中よりも居心地がよいように感じる。ずっと入っていたくなるような、普通の湯とは違う、やわらかいトロトロとした感覚。無色透明で見た目では普通のお湯と変わらないのに、なんだか不思議だ。 「この湯の中には普通の湯よりも色々な成分が入ってるみたいでな。それで神経痛や筋肉痛、冷え性に疲労・・・・といろいろなものに対して癒し効果があるらしいぜよ。」 眼鏡をかけた湯治客が、ルカとスタンに温泉について説明してみせた。しかし、スタンは信じていないようである。 「ふん、こんな湯にそんな効果があるとは思えんな。うさんくさい。ただ体が温まって血の巡りがよくなっただけではないのか?」 「う・・・・温泉をナめたらいかんぜよ。肌がスベスベになっただろ?肌の美しさを保つ効果もあるんだぜよ。」 「へー、すごいじゃない!それは入りがいがあるわね。」 声がした方を見ると、ロザリーが湯着を身に纏い外に出てきた。いつも着ている鎧はもちろん着ていないが、白い湯着はまるで装飾が無くなった白い羽織のようだ。「うー、さむい」と言いながら、泉の傍まで裸足で歩いてきた。 「ホレ、見ろ子分。残念なことにタレ尻は見えんが、体つきは思ったとおり女らしくないな。大根のような腕と足だ。」 「あーら。何か言った、スタン?温泉を楽しめないからふて腐れてるのかしら?」 「温泉でのんびりくつろぐ魔王ほど、おかしなものも無いわ。・・・・いや、目の前の日傘を差しながら夜の温泉に入る女勇者の方がずっとおかしいかな?ククク!」 「う・・・・。あんたのせいでしょ、これは・・・・」 ロザリーは片手でピンクの傘を差しながら、もう片手で器用に掛け湯を浴び、そしてそそくさと湯につかった。そして傘が邪魔にならないよう、隅の方へと移動する。 「おいおい、ねえちゃん・・・・屋内だけじゃなく湯にまで傘を持ってこなくてもいいんじゃないんかい?」 「降っている雪がそんなに嫌なのか?」 「・・・・・・・・・・・・。何も言わず何も見ていないフリをしてください。お願い。」 ロザリーは目を逸らしつつ、真顔で言った。湯治客たちもそれ以上は問うことはしなかった。ルカの横では、スタンが笑いをこらえている。ロザリーの傘を持つ手がぷるぷると震えたのを、ルカは見た。温泉だからとはいえ、入浴中にまで傘を持ってこないといけないのはさすがに大変そうである。 「王女様は・・・・?」 「もう少ししたら入るって言ってたわ。今は人が多すぎるから入りたくないって。やっぱり王女だから、お風呂は広いほうが良いのかしらね。それともやっぱり、女の子だからかな?」 湯につかりながら、ロザリーはクスクスと笑った。そう言う彼女は、もう混浴には抵抗が無くなってしまったのだろうか。 「うーん、最初見たときは変人っていう印象があったけどな。よく見りゃーやっぱりべっぴんさんだな、あんた。こんなねえちゃんと一緒に入れるのも運がいいねえ、ほんと。」 「・・・・嬉しいけどね。最初の一言が余計よ。」 ピンクの日傘の下の、黄と金と闇を混ぜたような色の髪が、諦め切った表情の目の片方を隠した。 「顔だけが良くても、何の役にも立たん。大事なのは中身だ中身。中身が腐っておれば、勇者という名もただの肩書きに過ぎんわ。そんな顔だけ女勇者なぞ、余の敵ではないな。」 「あんたねぇ・・・・あー、言っていることが良いことなのか悪いことなのか段々わからなくなってきたわ・・・・。でもね、あたしは顔だけじゃないわよ!中身も確かに勇者なんだから!・・・・大体、あんたの方が中身があるか怪しいわよ。そのペラペラな体のどこに中身があるのよ?魔王っていうのもただの肩書きだけじゃないの?または自称?」 「な、な、なんだとぉぉっ!それは余の本当の姿を見てから言えっ!」 しかし、スタンの魔王らしくなさは誰もが認める事実である。今のところ、本当に彼を魔王だと本気で認めているのはジェームスとロザリーくらいしかいないのではないか。ルカも正直、未だに半信半疑だった。しかしながら彼が自分の影を支配していてしかも自分が子分にされている以上、彼を魔王だと信じなければこんな旅なんてできないが。 「まあまあ、勇者とか魔王とかはとりあえず置いておいてさ。せっかくみんなで温泉につかっているんだから、ちょっと面白い話でもしないか?」 スタンを宥めるように、一緒に湯につかっている気さくな若い男が話題を振った。 「ふむふむ、面白い話・・・・とは?スタン君の体の中身よりも面白い話かい?」 しかし、ロザリーたちではなく予期せぬ方向から返事が返ってきた。キスリングが湯着を纏って入ってきたようである。いつの間に、とルカは目を見張った。 「ああ、そんな気持ち悪いことよりももっともっと面白い話さ。町で聞いた話なんだけどよ、これがとんでもない笑い話なんだよ。ほんと最高だね、こんな話を考えついた人は!こんな話、滅多にあるもんじゃないぜ。」 「ほほう、それは興味深いね。この世界において笑い話など星と同じ数だけあるものだが、そんな中でも最も高い面白さを秘めた話を知っているというのかい?ふふふ、それはぜひ聞いてみたいねえ。どんな話なのかな?」 「結構知られているネタさ。岩ガメと石コロの話。知ってるか?」 「・・・・『岩ガメと石コロ』?」 なんだかどこかで聞いたタイトルだった。ルカは眉をひそめ、今までの記憶の中を探る。 「まーたその話か?全く、飽きないねえあんたは。確かにその話は面白いがな、わしはもう聞き飽きたぜよ。」 「だってこんな笑える話、他に無いだろ?聞いておいて損はねえって!本当に面白いからよ。」 「ふーん、そうなの・・・・どんな話かしら、一回聞いてみたいわね。」 ロザリーが興味津々だというように、若い男を見た。キスリングも顎に手を当てて、瞳の中に輝く好奇心の光が輝きを増している。 「その話、余は聞いたことがあるぞ。あるノロマな岩ガメがマヌケなことに子供を見失って代わりに石コロを子供とするというなんともバカげた話だろう?クックック、あんなくだらん話は思い出すだけでも笑えてくるな。」 「へーえ。スタンはもう知ってたの?頭の中身が無いあんたが、わざわざ記憶しているくらいに面白い話なのかしら。・・・・にしてはずいぶんな言い草だけど。」 ロザリーがさり気なく嫌みを含めながら驚いた様子を見せる。 「おや、スタン君が知っている・・・・ということはつまり、ルカ君も知っているのかな。私はオバケのことについては未知の世界以外は全て知り尽くしているつもりだが、流行という常に流れてゆく人間関係の中に存在する会話の世界には中々ついていけず情報にも疎くてね。まさかその話題を知る人間が私の周りでは、ルカ君、スタン君、ルカ君とスタン君にその話を教えた人物、あと目の前にいる気さくな君、そしてそっちのアナタを含めて合計5人もいるとは。そして今、私とロザリー君もその話を聞くとして人数に含めると、7人もいるということになるなあ。おや、宿のオーナーも入れると8人かな?とにもかくにも、憶万という実にたくさんの話題が世界を駆け巡る中、その岩ガメ君の笑い話を知っている者がこの時点で既に8人も集結しているということは、それ程にその話は知られているというわけだね?さて、今・・・・私とロザリー君を、岩ガメ君の話を知る者の中にカウントしてしまった時点で、その話を聞くのが決まってしまったわけなのだが・・・・」 「・・・・この話をすごく聞きたいんだっていうことはよくわかったからさ。とりあえず落ち着いてくれないか?」 止めないと延々と続きそうなキスリングの独り言を、若い男がうんざりとした様子で止める。 「しかしだな。わざわざ時間を割いて話を聞いてやったというのに、聞かせたヤツは途中まで話して笑い転げてしまったのだ。全く、無礼者で話にならん。物語というものは、最後まで話さねば意味がないというに・・・・」 「そりゃーあんな話、最後まで話したら腹筋が崩壊しかねないからなぁ・・・はは。仕方ないって、そう怒るなよ。代わりにオレが話してやるからさ。つっても、オレも最後まで話せる自信ねぇけどよ。」 「いや、だから最後まで話さねば意味がないっつの。」 若い男の言葉に、スタンが冷静につっこんだ。 「別にいいじゃない、最後にこだわらなくても。話せるところまで話してくれない?あたしも気になるし。」 「よーしよし、そうこなくちゃな。じゃ、続きから話してやるか!岩ガメが石コロを子ガメだと思い込んだところからな。で・・・・」 ―――話の内容はこうだ。 「イヤ、マジで、うわっはっはっはっは!やや、やっぱりダメだ・・・・笑っちゃって。ぎゃははははは!ダメだよな、笑っちゃってちゃ。や、やっぱこれ以上・・・・ぐははははは!話せそうに・・・・ぶっ!うっひゃっひゃっひゃっひゃ!」 「ぶふっ、だ、ダメだわあたしも。そ、それ以上話されたらほんとに腹筋が壊れるわ・・・・あっはははははは!あー無理無理!一旦終わりにしましょ。あははははっ!」 「ぶわはははは!ダメだ、その話は聞き飽きたがな・・・・ひゃははは!岩ガメのアホな様をつい想像しちまって笑っちまう。あーっはっはっはっは、だっから話して欲しくなかったがだって、あーもー。ひーははははは!」 「いや・・・・私としては・・・・くくっ。君たちの笑いっぷりのほうも・・・・ぐふふふ、見ていて笑えるんだがね・・・・うっぷぷぷ。」 温泉内が、大爆笑の渦に包まれる。さびしげな雪の夜だというのに、ここはなんと明るい雰囲気に変わってしまったことか。一気に活気付いてしまったようだった。 「フハハハハハ!確かにこれはバカでアホでノロマでマヌケで、本当に聞くに耐えん話だな。石コロが石コロだと気付かんとは・・・・これほどにおかしな話も無いわ。クククク、ウクククク。ダーッハッハッハッハ!くそ、キサマ、よいところでまた中断しおって・・・・」 黒い影が仰け反って、大声で笑う。 「ひひひ、ふへへへ・・・・ダメだ、笑っちまう。ごめん、もうあがるな。ちょっと雪で頭を冷やしてくるわ。はっははは、じゃ、途中だけどごめんよ。ぶぶぶ、続きはまた今度な。ぎゃはははは!」 若い男は未だに笑いながら、湯から上がって皆に手を振る。そして足を冷たそうにしながら雪の上を足早に歩いていき、更衣室へと向かっていった。 「ひー、ひー・・・・あはは、お腹、痛いわ・・・・。うー、明日、筋肉痛になるかも・・・・はは。」 やっと落ち着いてきたロザリーが、まだ思い出し笑いをしながら腹を押さえていた。 「クックック、いい気味だ。余はどんなに笑っても、腹を痛めることなどせんからな。あのような話をされたせいで、明日の戦いに影響が出てしまうとは、それもまた笑える話だな。フハハハハ!」 「それはあんたの旅路にも影響が出ることを意味してるんだけど・・・・もういいわ。はー・・・・はは・・・・」 ロザリーが呆れたような視線で彼を見て、再び思い出したように笑った。 「うーん、確かにすごく面白い話だったね。こんな笑い話は全く、聞いたことがないよ!岩ガメの『岩』と『石』コロをうまく合わせているのがまた面白い。岩ガメ、というのはただのカメではなく、岩のように頑固、という意味もあるのかもしれないなぁ。そして主人公がカメなのは、やっぱりカメのように鈍感、という意味なのかな。いやあ、実に興味深いね!一体何を元にして作られたのだろうね。作った人もどんな人なのか知りたいなあ・・・・この話に、一体どういう意味を込めているのかな?」 「待てエセ学者。大体まだ、続きの内容がわからんではないか。そういう考察は、あの話の先を聞いてからにしろ。」 再び彼の長い考察が始まるのを予想したスタンが、もっともな意見で彼を制した。 「ああ、確かにそうだね。早く聞いてみたいよ、あの先・・・・うーん、気になる・・・・。他に続きを知っている人、誰かいないかなあ・・・・」 「わしは知っとるけどな。・・・・もー笑い疲れたし、話す気はないからな。聞くなら他のヤツにしてくれよ?」 疲れたように笑った眼鏡の湯治客は、キスリングに喋らされる前に念を押して言った。 「・・・・あ。」 「ん?どうした、子分。」 ふと俯いていた顔を上げ、横を向いたとき。温泉の湯を囲んだ岩の向こう・・・・温泉の傍の白い雪の中に何か、光を反射するものが埋まっているのが見えた。 「歯車・・・・」 「なんだ、またそれか。子分はそういう無意味なものをよく拾うな。しかし、何故こんなところに落ちておるのだ?」 何故こんなところに・・・・と言われても、ルカにはわからない。今まで落ちていた歯車だって、その疑問が通用するものばかりだったと思う。こんなに小さい歯車は誰も気付かないのに、何故かルカはよく見つけてしまうのだ。もしかしたら自分には、物拾いの特性でもあるのだろうか。 「あや?その歯車って・・・・もしかして、あの変なオッサンが探していたものではないんかい?」 「ほう、誰のことかね?あの変なオッサン、というのは・・・・」 キスリングが手を広げて訊ねた。 「この雪原のずっと向こうにな、人の名前を誰だと決めずに・・・・というかひとつの名前で呼ばずに好き勝手に呼ぶオッサンが住んでるんだぜよ。もう言うことも全然意味わからん変な男なんだが、確かちっちゃな歯車をたくさん欲しがっていてなあ。もしかしたらそいつが言っていた物かなーって思ってな。」 「へぇ・・・・変わった人もいるもんねー。まあ、あたしの周りにいる人なんて変人ばかりだから、今さら驚かないけど。」 「おい、それは余も含めて言っておるのか?そう言うお前だって充分変人なのだからな、覚えておけよ。」 「うっさいわね、トイレットペーパー魔王。」 ロザリーは紙のような体の魔王をからかって言った。 そしてルカは、もうひとつ、歯車を見つけたおかげで分かったことがあった。 「さーてと、いつもよりもちょっと早いが、そろそろわしもあがるかね。あんまりつかってたら、湯あたりして湯上りのビールどころじゃなくなっちまうしな。んじゃ、せっかくの温泉なんだ、おまんらも好きなだけくつろいでいけよ。」 眼鏡の湯治客も温泉からあがり、体中から白い湯気を立たせながら、更衣室へと歩み去っていった。 「なんじゃ、浮かない顔をして。温泉は気に入らなかったのか?」 「いや、そういうわけじゃ・・・・・・・・・・・・あ、マルレイン?・・・・!」 少女の言葉に顔を上げると、思わずルカは息を呑んだ。 「うーん、白い湯着に白い肌にバックに舞い散る白い雪・・・・闇夜に湯気と共に白く浮かぶようで、いい味が出ているじゃないか!そして美しく長い髪と整った顔。深遠だが無垢な光を映し出す薔薇色の瞳・・・・。童話に出てくる雪の妖精を連想させるようなパーツが揃っていて、その部分も実に良いね。これで頭上にいつもの青銅色の王冠があれば、もっとそれらしく見えたかもしれないが・・・・ああ、手足が少し細すぎるような気もするけど。うふふふ、正にセクシーでキュートだね!」 「あのねえ、あんた。確かに王女様に対する観察力や詩的な感性はすごいと思うけどね。とりあえず、その舐め回すような視線と頬を染めて言うのはやめてくれない?なんか危ない人みたいよ。」 ロザリーが後ずさった。しかしキスリングの怪しく不気味な瞳の輝きは、強さを増すばかりだ。 「うんうん、普通の女性はともかく、王国の王女の入浴に立ち会えるとはなんて幸運なんだろうなあ。王女の入浴シーンは普通の女性と比べ、一度に珍しいコンブが6匹出てくるくらいに珍しいかな。ああ、興味深いよ・・・・こんなに近くにあるのに届かない、王女の中身が・・・・スタン君の中身も見たいけどね・・・・やっぱり解剖するしかないかなあ・・・・」 「待って待って待ちなさい!普通の女性ってもしかして、あたしのことを言ってたりする?まずね、女の子と一緒にお風呂に入れること自体が普通ありえないんだからね?温泉だからいいけど。いやその前に、中身って何よ中身って!?」 「どうでもよいが、そんなにジロジロと見るでない・・・・無礼者が。だから他人と湯につかるのは嫌なのじゃ!わらわだって風呂に入るものだというのに、それのどこが珍しいのか、わらわにはわからぬ。お前がわらわを褒めるのは勝手じゃが・・・・きっとわらわが王女だから、変わっているように見えてしまうだけじゃろう。」 つっこみが追いつかずに困り果てるロザリーだったが、マルレインが苛々とした様子で彼を止めた。しかし、そう言っている彼女は機嫌が悪くなったような口調だが、頬がほのかに紅く染まっている。少し照れているらしい。 「どうしたのだ、子分。そんな熟したトマトのような顔をして俯いて。のぼせたのか?気分が悪いか?全く、温泉で体を壊してどうするというのだ・・・・。」 「いいいいややや・・・・そ、そういうわけじゃないけど・・・・。ちょ、ちょっと、なんか自分って男湯とか行かずにここにいてホントにいいのかな、とかいろいろ・・・・。」 「ここは温泉である上に混浴だから問題は全く無いぞ。・・・・なんだ子分、もしかしてあの王女を見て鼻血ブーでもしたか?ククク!」 自分はそんなスケベな男になった覚えはないのだが・・・・。鼻血も出していないし。 「あ、ちょっと待ってください。そのような長い髪では、湯に髪がつかってしまいますわ。何かで結ばれたほうがよろしいかと・・・・」 「ふむ、そういえばそうじゃのう。ならば・・・・」 マルレインは手前の縦ロールの髪に巻いてあるリボンの片方を解き、それを使って後ろの髪をポニーテールに結った。 「ああ、あたたかいのう。舞い散る雪を見て湯につかるのも、風情があって良いものじゃな。見ている風景は寒いのに、体と心は何やらほっこり温かい。なんと不思議な心地じゃろう・・・・」 「・・・・は、はあ・・・・。」 マルレインはゆったりくつろぎモードだが、ルカは赤面してカチコチに固まったままだった。二人の様子を例えるなら、まるで温泉卵とゆで卵である。異性を気にする年頃であるルカにとって、温泉であるとはいえ同じ年頃の女の子と入浴するのは、かなり緊張することなのだ。 「ふふ、あの調子じゃ、王女様が隣で楽しんでおられるのもわかってなさそうよね。でもいいなー、男の子って。複雑な上に繊細だけど、純粋なんだもの。そう思わない?」 「あ、私かい?えー、私が興味あるのはオバケちゃんと、世界でも有数とされる勇者と魔王と王女みたいな珍しいものだからなあ。男の子を解剖しようとは思わないかな、そういう趣味も無いしね。それに、すでに人間の肉体については医学書で解明されているからねぇ・・・・残念なことだが。しかしオバケちゃんは倒したら消えてしまうから、まだ研究が進んでいないんだよ。だからこそ興味深く、そして愛らしいのだがね。オバケちゃんのことを調べている者も、知りたいと思っている者も本当に少なくてね・・・・もったいないことだといつも思うんだが・・・・」 「・・・・・・・・・・・・。そういう話をしているわけじゃないんだけど・・・・。」 今のキスリングは生物解剖な気分らしい。男の子を解剖する趣味は無くても、オバケや他の人間を解剖する趣味はあるのだろうか。そして、少し話を振っただけで勝手に語り出してしまうのは、彼が学者だからなのだろうか。 「ああ、目の前の二人のことかい?・・・・そうだね、うん。やっぱり青春って良いねぇ、なんだか娘を見ている心地になるよ。まあいないけどね。・・・・うーん、私にもあんな時期がいつの日かあったのだろうが、知らぬ間に過ぎてしまうものなんだね。と言っても、昔の私は今よりも輝いていなかったから、私としてはやっぱり昔よりも今のほうが楽しいが・・・・ロザリー君にも青春時代があっただろうに、悲しいことだなあ・・・・。」 「・・・・何よそれ、どういう意味で言ってんの?あたしは老けている、という意味だったら怒るわよ?」 「例えそういう意味が込められていなくとも、キサマは老けているがな。」 影の体を伸ばしてロザリーたちの話を聞いていたスタンは、悪気のある表情もせずさらりと言ってのけた。スパーンと思い切り殴りたくなる衝動を、ロザリーは必死に抑える。殴ったところで彼には何も通用しないのだ。―――落ち着け、自分。 「・・・・ルカ。ずいぶんと不満そうじゃな?そんなにわらわと温泉につかるのがイヤなのか?」 「い、いやいや違います。ちょっと、雪に見惚れてただけで・・・・」 「・・・・・・・・ふん、わらわは雪よりも下か。つまらぬ、わらわはつまらぬ!わらわの召使いだというのに、わらわを優先せずにしてどうするというのじゃ!・・・・・・・・確かに雪は、とても美しいと思うがな。」 マルレインは自分が雪に負けたのが嫌なのか、それともまさか雪に対して嫉妬でもしたのか、一気に不機嫌になった。慌ててルカは否定する。雪は確かに綺麗だが、自分が見惚れたのはそれだけが理由ではない。延々と降り積もる雪を見ていると、柱時計の音をずっと聞いている時と同じような、穏やかな心になっていく感覚についつい目が離せなくなったのだ。美しさならば、先ほど見たマルレインの湯着姿のほうが上だとルカは思う。恥ずかしくて目を背けてしまったけれど。 「大体じゃな。わらわがこうしてくつろいでおるというのに、お前は気の利いた面白い話のひとつも話せぬのか?何かわらわを楽しませる話を持て、ルカ。あと入浴後にはミルクティーを淹れよ。それから後でわらわの靴を磨け。」 「この小娘が!余の子分を扱き使うなっ!・・・ふん、王女で世間知らずのキサマは知らんだろうな。温泉やらの入浴後に飲むものは牛乳が定番なのだぞ?ククク、紅茶なぞは食後にでも飲めばよいのだ。」 勝ち誇ったような笑みを浮かべるスタン。しかし言っていることが庶民的だ。 「う・・・・ならば、わらわとてお前の知らぬことを知っておるぞ。紅茶風呂や牛乳風呂に入ったことがあるか?紅茶も牛乳も飲むこと以外にも使えるものなのじゃぞ。ふふん、しょせん影の体であるお前には縁が無いものじゃがな。」 「あら、王女様もそういうのやるんですか、やっぱり?あたしも時々するんですよ。湯の色がキレイになるし、美肌効果もあるし。」 「おお、ロザリーも知っておるのか。わらわはよく城で入っておってな・・・・ワインやハチミツも入れたことがあるな。」 「へぇー、さすが王女様ですね。いろいろ工夫してるのね・・・・」 マルレインとロザリーの女の子同士の会話が突然盛り上がり、スタンは言い返そうとしたがタイミングを逃してしまった。 「うんうん。どれも肌をなめらかにして健康にも良いから、入れて損は無いね!紅茶に含まれる成分は肌のほてりを沈め、ワインに含まれるビタミンは血行を良くし、体を温めてくれる。牛乳風呂なんて、遠い国の美しい女王が愛用したと言う伝説もあるんだ。マルレイン王女にはぴったりだと思うね!」 「なるほど、だから王女様は肌が白くてつやつやしててキレイなのね。いいわー、あたしも今度いろいろやってみようかな・・・・ワインはちょっと高いけど。」 「ワインは安いものでもよいのじゃぞ。赤ワインなら、お湯も宝石のような色になってさらに美しいからのう。」 「さまざまな成分が混じったものを湯に入れる・・・・さまざまな成分という共通点では、温泉も同じだね!温泉は天然に作られた湯だからこそ、身体の健康を促すようなあらゆる成分が混じっていてね、牛乳などと同じように美肌効果もあるのだよ。」 3人で風呂の話が続いてしまい、スタンは口が挟めず、置いてきぼりを食らった。 「ぐっ・・・・!紅茶やら牛乳やら、風呂に入れたらどうせ湯が臭くなってベタつくだけだ!・・・・・・・・・・・・実体を取り戻したら絶対に入ってやる・・・・。」 「魔王がお風呂でくつろぐなんてヘンだって言ったの自分じゃん・・・・。話についていけないからって、無理しないほうがいいんじゃないの?」 厳かな魔王の入浴シーンなんて、全く想像がつかない。想像できたとしても、気持ち悪いものばかりである。 「子分こそ話についていけてないクセに、何を偉そうに言っておるのだ。ていうか子分のクセにナマイキな。」 「ボクはもともとお風呂の話には興味ないし・・・・。」 別に風呂に何も入れなくても、汗は流せるのだからよいではないか。美肌のために色々なものを入れたり、石鹸を変えたりするのは、ルカには面倒なことにしか思えなかった。そういえば母やアニーも、肌や髪の美しさを保つために様々な方法を試していた。・・・・あるいはそのようにあらゆる方法を試し、効果を調べるのも彼女たちは楽しんでいるのかもしれない。 「―――っ!?」 ルカは一瞬、自分の目を疑った。 「小娘がどうかしたのか、子分。まさかお前、実はむっつりスケベだったりするのだな?いやーん、やーらしー。えっちー。」 「ち、違っ。だから違うってば・・・・っ。そう言うスタンがやらしいよ。ボクは別に何も・・・・」 その時、またマルレインの髪が揺れた。白い襟首が見え、ルカは硬直する。 「あれ?」 おかしい。先ほどは確かに、黒い線が見えた気がするのだが。やはり気のせいだったのだろうか? 「る、ルカ、何をジロジロと見ておる・・・・。」 「え?」 「こ・・・・このたわけが!ぶぶ、無礼者・・・・っ!」 ―――ダァンッ! マルレインの平手打ちが、久しぶりに炸裂した。これで2度目である。・・・・しかし、一緒に温泉に入るのだから、こういう展開も何となく想定していた気もする。旅をしたおかげもあってか、彼女の攻撃力は前よりも高くなっている気がした。 |