ベーロンの攻撃とイレギュラーメンバーの反撃がぶつかり合う。
お互い、攻撃の手を緩めることはしない。どちらかの「カベ」が壊されるまで。
キスリングが放った光が、再び落下する。ロザリーのレイピアが、再び貫く。
ベーロンはぐるりと腕を振り回し、そのまま地面に叩きつけた。ビッグブルとリンダがぶつけられた衝撃で転がってくるが、エプロスが見えない力でそれを止めた。
彼は再び放出した魔力で、強固な光のカベを張った。ロザリーはいよいようんざりしたようなしかめ面が顔面から剥がれなくなったが、リンダにもう一度バリセットを頼むことはしなかった。
打撃を取りやめてオーバードライブで力を溜めたルカが、バーストを放つ。彼の渾身のエネルギーの一撃に、ベーロンが苦しげな声を上げて仰け反った。ルカはそれを表情を隠して見つめた。
ベーロンは先ほどから、こちらに対する攻撃をしかけてこない。魔力で自らの前にカベを張るだけで、その腕を振り上げて自らの敵を叩きのめしてやろうとする気配がなかった。彼が自身を護るカベをつくったとしても、これまで攻撃を受け続けてきたベーロンの外殻はもはや傷だらけで、幾重にも刻まれたひびから、黒い煙が少しずつ漏れ出ていた。彼の力が尽き始めているのかもしれない。おそらく、もうひとふんばりだろう。・・・・オバケに変身した彼の姿を、もとの人間の姿に戻すことができれば、こちらの勝ちだ。彼の最後の力を破ることができれば、手段を失った彼はもう手出しはできず、力の差に文句も言えないだろう。
スタンはそのルカの背後で、高笑いを上げている。その何にも染まらない漆黒の姿は、少し魔王に見えなくもないが・・・・。
「フハハハハ!どうだベーコ・・・・じゃなくてベーロンよ、余の力を味わったか!さあ諦めて降参するがいい!」
「いや、今のはルカ君がやったわけでスタン君は何もしてないんじゃ・・・・。」
「細かいことは気にするでない老けオヤジ。ハゲるぞ。」
スタンの理不尽に存在証明する言葉に、キスリングは頭をかいた。ちなみに決して頭が禿げてないか確かめてはいない。
スタンが何もしていないのはいつものことだ。が、「何かしろよ」という視線を送らないと、ルカは気が済まなかった。自分で存在をアピールするくらいなら、自分から頑張って欲しいものだ。
戦う前の意気込み・・・・スタンの怒りは本気だった。今のスタンは低く笑っているが、ベーロンに対しては本気で怒っている。いつもはどんなに暴言を吐いたところで口だけのスタンだが、自分を自分の望まない形で「魔王」として操作されたことには、さすがに堪忍袋の緒が切れたようだ。とくに支配される側より支配する側でありたい彼としては、ベーロンに踊らされていたというこれまでの事実は、何よりも自分の魔王としてのプライドをいたく傷つけたに違いない。それはルカもわかっている。
ルカはこっそりスタンに囁いた。
「・・・・・・・・あのさあ。スタンもベーロンになにか、力を見せてあげれば?・・・・ほら。せっかくだから、スタンの真の力とかなんか。」
「おお、そういえばそうだな子分!余も全ての力を取り戻したんだったな。すっかり忘れておったわ、余としたことが。」
「・・・・なんで忘れるんだ、そんな大事なこと。またカゲに戻ってるからじゃないの。」
「うるさい、こちらの体のほうが都合がいいのだ!今は!・・・・しかし、ふむ、そうだな。威張りくさっているヤツに、魔王としての威厳を見せ付けねばなるまい。そして認めさせねばな、余が本当の支配者であると!この取り戻した余の真の力・・・・クックック。思う存分思い知らせてやるわ・・・・!じゃっ。子分、お前の生命力ちょっと借りるぞ。」
「・・・・・・・・ボクの生命力・・・・って、それってそんな軽く借りるようなものじゃないよね・・・・。」
「ええい、子分は口答えするな!今はそこで見ていろ。ゆくぞ、我が地獄の炎を食らえ!」
「え・・・・えええ、ちょっと、インフェルノしちゃうの!?」
「なんだ子分、文句あるのか?」
スタンの備え付き充電器扱いであるルカの泣きそうな声はさらりと無視して、スタンはルカの生命力を自分自身に取り込み始めた。それはルカの背後に伸びる影とスタンが繋がっているためにできることだ。その力はスタンの魔力のエネルギーに変えられる。しかしルカにとってはいい迷惑だ。「文句あるわ」という文句を言おうかと思ったが、今彼の機嫌を損ねるわけにもいかないのでやめた。
実際、スタンは魔王としての実力(だけ)はすさまじい。彼の突拍子もない質問に対するルカの答えを気に入って機嫌のよいときに、フライングして誰よりも早く攻撃を仕掛けると、たいてい数秒で戦闘終了する程度には強い。普段からそれほどのとんでもない魔力を持つのであるから、奪われた全ての力を取り戻した彼の魔力の威力など、もはや想像がつかない。少なくとも今までの比ではないはずだ。・・・・それなのに今、自分の体力を削って魔力を作らないといけない理由がルカにはわからなかった。出力は必要最低限ぎりぎりまで抑え、できる限り自分では働きたくないということなのか。にくたらしい。
しかし先ほどスタンとロザリーが大真面目に戦い合っていたとき、実体である黒服の男の姿で放っていたスタンの様々な技が、ルカの印象に強く残っていた。自分の背後で、影のみの姿で立っている彼のイメージには全く合わないが、あの男の姿がスタンの正体だった。スタンは本当に魔王で、そして本気になると非常に強い。その部分においては、おそらく信頼ができる。(信用は全くできない。)
・・・・・・・・それにしても、なぜこれほどに魔王として申し分ない実力を持ちながら、世界征服が果たせそうな気配は一切ないのだろう。原因のひとつが彼の魔王としてあまりに残念な性格にあるのは間違いない。せっかく戻った彼の魔力は少しも有効活用できそうにない。
足元のルカは、生命力を大幅に吸収されてぐったりとしていた。恨みの視線をスタンに向けつつ、ハイランドで買った木の実を煎餅をかじるように噛み砕きながら気力(という名のHP)を補充している。
自身にみなぎる魔力を持って、スタンはククク、と不敵に笑った。スタンの周囲が、彼の強い魔力によって陽炎のようにゆらりと歪む。スタンは巨大化した影の体をぐんと大きく伸ばし、両腕を振り上げた。
インフェルノを放つ気だ。
しかし、その瞬間、
スタンの魔力の増幅に気付いたベーロンが、睨んだ。
「さあ!燃えて塵となって消え――――――――――――ッッガぁッ!?」
突然―――
突然、スタンが仰け反った。頭上からの声にならない叫びに、ルカはぎょっとしてスタンを見上げた。
「き、き、キサマ・・・・っ、な、にを・・・・・・・・ゥ、グ、・・・・アアアッ!」
「スタン!?」
一瞬、地響きか爆発が起きたような振動を感じた。普段の彼からは想像もできないような痛みの声。今まで聞いたことの無い、スタンの声だ。
あまりに突然なことに、頭がついていけない。彼は今は自分の影なのだから、痛みを感じるはずがないのに。
せっかく彼がつくった魔力はことごとく霧散したが、彼はそれにもかまわず、長い手で頭を抱え込んだ。彼らしくない尋常ではない様子に、驚いたルカは必死に呼びかける。
「・・・・・・・・・・・・ッ!」
「スタン!ねえ・・・・どうしたの!?」
今度は、背後でなにかが倒れる音がして、ルカはあわてて振り向いた。
「ど、どう、どう・・・・し、て・・・・・・・・!?い、や・・・・っぁあああ!?」
「・・・・ロザリーさん!」
先ほどまでレイピアで戦っていたロザリーが、身体の安定を無くしたように地面に崩れ落ちていた。膝をついた身体はひどく震え、顔色は青ざめている。彼女のそばには今までずっと差していたピンクの日傘が、開かれたまま転がっている。あれほど彼女が嫌がっていた蛍光ピンクの影が地面に浮かびあがっているが、それを気にする余裕がないようだ。
ルカは息を呑んで周囲を見回した。リンダが必死にその細い体を抱きしめている。後方のキスリングとエプロスも額を押さえながら、苦しげに顔を歪めてベーロンを睨んでいる。ビックブルは何故か頭上の両の角を握りしめて顔面から地面にはりついている(彼が一番心配すべきに見える)。リンダとビッグブルがたまらず悲鳴をあげた。
彼らの突然の変化をただ驚いて見ていたルカも、自分自身の異変に気づき、両手で頭を押さえた。
なんだろう、変だ。・・・・なんだか、頭の中がおかしい。気分が悪くなったルカは、頭を抱えたままその場にうずくまった。そして自分の中の、自分のものではない怪奇音に耳をすます。
なにかが変わっている。いや、変えられている?
でも、なにが?
だめだ。・・・・頭がうまく働かない。なにごとかを考えられない。まるで見えない何者かが自分の頭を押さえつけて、脳の中を都合のいいように掻き回して、勝手に思考が回ろうとしているみたいだ。
―――何が起こった?
「なっ・・・・。な・・・・何だ!?こ・・・・の・・・・これは・・・・」
「い、いや・・・・やめて!なにするの!?」
「あぎぎぎぎぎ!でえええええ!・・・・つ、ツノがもげそうだ!アタマがおかしくなるぜ!うぎゃー!」
「やめて・・・・やめて!いやっ、わすれちゃう・・・・!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
元魔王3人が呻く中、 キスリングは混乱する頭を必死に働かせる。今何が起きているのかを考える。
自分とは違う自分、それが脳を支配しようとしても。
―――自分とは違う自分。
リンダの言う「忘れる」という言葉。この言葉が、この状況の全てを表していた。
「・・・・!・・・・そうか。これは・・・・!」
今の状況を察したキスリングは、全員の様子を知るため顔を上げた。しかし自らの視界を、暴れ蜂の群れが襲ってきたように大量の黒いモザイクが覆っていき、やがて何も見えなくなる。視界が遮断され、ノイズの激しい光と闇が入り混じる狭い空間の中で見回すと、自分自身が巨大な黒い箱の中に荷造りされたことに気づく。
この黒い箱は、見たことがある。先ほど力を与えられたスタンとロザリーは、この黒いモザイク状の粒子で構成された箱に包まれて、それから様子がおかしくなった。―――わかった。今、彼らに施されたものと同じコントロールを、自分たちもされているのだ。
閉ざされた箱の中で、「あなたは―――として反応せよ」と、誰かが言う。
それらの機械的な強制命令は声にはならず、理性を破壊するつもりでいるような激しいノイズとなって、自分がおとなしくその指示に従うよう襲いかかってくる。脳味噌を鷲掴みにされて、痛みを和らげる麻酔のないままに、誰かの別の脳味噌を入れ換え備え付けられようとしているみたいだ。自分らしい思考を紡ぎ出していた脳細胞の一部一部を乱暴に削って、そこに秩序づけられたカラクリを組み込んでいくように、断続的に走るノイズ。頭が割れるような破壊音と、全身を切り刻むように貫く閃光。
もしかしたら、自らを構成していた人格のかたちが歪められ、変容し、別のかたちになろうとしているのかもしれない。あるいは、破壊されようとしているのかもしれない。今ここにいる自分を破壊して、社会の秩序を守るためのルールに従う、同じ顔の別の人間をかわりに作るのかもしれない。
全身に感じる「違う」自分は、自分だ。分類としての自分。
それに抗うように、自分としての意思を働かせる。分類する力が脳に染み渡ろうとしても、必死に拒む。
「自分はこのような人間にならなければならない」と、分類が言う。
「自分はこのような人間でありたい」と、「自分」が言う。
「あなたは―――として反応せよ」と、誰かが言う。
「―――として反応せよ」と、自分が言う。
分類表に刻まれた分類名が持つ記号としての働きの声が、自分自身の本来の音を押しのけて、埋め尽くそうとする。
「・・・・あーっ、うるさーいっ!もー聞きたくなーい!イタいわ、いやよ、消さないで・・・・!だって・・・・・・・・せっかく、エプロス様に、会えたのにっ・・・・!」
「・・・・・・・・あれっ。スタンのアニキはどこへ!?とか言ってる間もでええええあだだだだだぎゃー!ぐはー!負けるかー!うおー!ふんがーっ!」
「くっ・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。・・・・ふー。・・・・これは・・・・つまり、人格システムの、強制プログラミング・・・・いや、『強制分類』かな。本来のメモリーデータのデリート、あるいは上書きセーブを経てのコントロール。・・・・我々の中で、これまでの人格を形成してきたあらゆる記憶と自意識を上回る・・・・分類という記号に対する自己認識をより強調させ・・・・塗り替えることで、精神を「バグ」が発生する以前の形にまで初期化し、記号内に固定されたイメージそのままのクリアな人格に更生した上で制御し、あらためて世界機構を正す・・・・・・・・といったところなのかな・・・・?」
『その通りだよ学者君。その状態でよく考えるじゃないか。・・・・・・・・言っただろう。「お前たち」にはここで、消えてもらうと!お前たちになぜわざわざ、私の世界図書館をたずねてきてもらったのか。わかるか?・・・・そこの勇者と魔王に、この誰も見ていない場所で戦わせ、人知れず消えてもらうためだけではないよ。
・・・・この場所、この世界図書館こそが、お前たち全員の「分類」に及ぶすべての分類力の中心、世界の中枢だからだ。忘れてはいないかね?お前たちはまだカベの中にいることを。お前たちがどれほど抗おうと、図書館は今もこうして、ここにある。そしてこうも言ったね、この世界における「分類」は絶対だと。お前たちが、力で言うことを聞かぬなら・・・・
―――内から言うことを聞かせるのみだ!』
そう言いながらも、ベーロン自身も必死の形相だった。これが、今の彼に残っている分類の最後の力なのかもしれない。
全てがもう一度、「分類」通りになろうとしている。本来のあるべきかたちに修正されようとしている。
元の自分の意志と分類の自分の意思の板挟みになったようで、わけが分からなくなる。分類が奏でる狂気めいた不協和音に誰もが耳を押さえる。その中でキスリングはそれでも落ち着いて対処すべく、この強制的に支配される苦痛をどうにかしようと思考をめぐらせる。
ノイズに耐えながら黒い箱の向こう側に目を凝らすと、うずくまるようにしている勇者と、体を折り曲げ屈んでいる魔王の姿があった。このメンバーのうちでとくに強い力を持つ2人だが、超強力な属性をもつ彼らの分類は、なによりも彼らをイメージの型通りに縛りつけようとして苦しめるだろう。もとより自分自身の分類に対して、誰よりも強く誇りと責任感をもつ彼らのことだ。
つまり、どうしよう。えーと、この状況は。・・・・・・・・ちょっとまずいのではないか?
「あ、あああ、うぐ・・・・・・・・あたし・・・・あたしは・・・・」
『いいか。勇者は勇者だ!魔王は魔王だ!そのために生きろ・・・・そのためだけに生きればいい。ロザリー、お前が存在している意味を考えるんだ・・・・。』
うずくまるロザリーに向けられたベーロンの声が聞こえた。・・・・その声の響きが、まるで子どもの頭を撫でる父親の言葉のように、どこか優しいものに聞こえるのは・・・・何故なのだろう。
『・・・・思い出せ。なぜ、お前は「勇者」になった?困った人間を救うためだ。世界を邪悪な力によって支配しようとする恐ろしき魔王を倒し、世界に平和をもたらすためだろう?・・・・この世界は、まだ、平和などではない。なぜなら・・・・。・・・・そこに、魔王がいるからだ!その魔王を倒せ!「悪」は、倒されなければならない。「魔王」は平和な世界に、いてはならないのだ!』
ベーロンは大魔王スタンの存在を仰々しく、憎らしげに見た。強制分類によって瀕死となりつつあるスタンを、今ならロザリーは彼女自身の力で倒すことができるだろう。しかしロザリーはしとど流れる汗をたくましくぬぐい、ベーロンの言うことを彼女らしく鼻で笑った。
「・・・・・・・・バカじゃないの。そこにいる魔王は、今はただのカゲなのよ・・・・・・・・すっごいペラッペラの。倒せるわけないじゃない。物理的にアウトよ。」
先ほど勇者の力を与えたときとは異なり、正気のままで強制分類に耐えようとする彼女に、ベーロンは動揺したようだった。
『お前が望んでいる、理想の勇者であるお前自身を、私が与えると言っているのになぜ受け取らない!お前は「選ばれし勇者」になりたかったのではないのか?物語の主役としてふさわしい正義の味方になりたいのではないのか?お前が最初に望んだ夢を、私が叶えてやると言っているのだ!』
「うるっさいわねえっ!!ただフツーにこの場で夢を叶えてもらったってぜんぜん嬉しくないわよ!宝くじの抽選で当たった旅行チケットじゃあるまいしっ。それに筋書き通りに喋るだけの肩書き勇者なんて、あたしには意味がないの!・・・・そりゃ・・・・今だって、まだ、肩書きで勇者をやってるようなものかもしれない。でもね・・・・がんばって努力して、いつか・・・・ほんものの正義の味方ってやつになりたいんだから・・・・今ここで、なるわけいかないのよ・・・・・・・・」
定義者の言葉は、幼い子どもが好きなお菓子のように甘く魅力的に聞こえた。愛する娘を美しいお姫様にできるような、願っても叶いそうもない夢を実現させる力を、彼は確かに持っているのだ。自分が見たいものを見る目を、自分が望むものを感じる肌を―――人々と自分の認識を操作する力を使えば、いくらでも現実にすることができる。
有名な存在になることを望めば、人々に自分を「有名人」として認識させればいい。
お金持ちになることを望めば、今自分の手元にたくさんある何かを「通貨」と定義して、流通する社会をつくればいい。
この世で最もおいしいスープを望むなら、目の前のスープを「この世で最もおいしいスープ」と定義して、「この世で最もおいしい味」を口の中で再現して、自らも味わったように振る舞えばいい。
現実の時間が尽きることを怖れるなら、紙の上で何度でも書き換えて、時間を永遠のものにしてしまおう。
絶望を怖れるなら、絶望を認識しなければ。
希望を求めるなら、希望を認識すれば。
世界一美しい布でできたすばらしい服を着ているつもりになりたいのなら、自らに分類の魔法をかけてしまえ。
そのとおりに自分が反応し、相手にも反応させた瞬間、すべての夢はなにもかも現実となる。
魔法でドレスを身にまとった娘はお姫様となり、王子様がいる憧れの舞踏会の壇上に上がるのだ。
「愚か者には見えない極上の服」を着た王様は、誰もが見たこともないようなその豪奢な装いで歩き、人々は彼のその姿を手を叩いて絶賛するだろう。
魂のない人形を、本物の娘として見ることさえできる。
・・・・それでも、わかっている。
分類は完全ではない。
夢はただの夢だ。
何も知らない人々が、お金ではないものを、「通貨」と見なすことがまずあり得ないように。
たとえ自分が世界一のおいしさを演じることはできても、口の中のスープの味の平凡さを誤魔化すことなどできないように。
本当の意味で、そのモノに不相応な分類を強いることなど不可能だ。
時間は決して永遠にはなり得ない。
完成されたはずの認識のひずみはいずれ、夢を見続けようとする自分を、あるべき現実に引き戻す。
12時の鐘が鳴り響けばドレスの魔法は解けて、姫は娘に戻らなければならない。自分がいるべき場所へ戻らなければならない。だから王子は落ちたガラスの靴を拾って必死に探すのだ。本当はどこにもいないお姫様を。
「愚か者には見えない極上の服」は、ひと時の夢から目覚めた瞬間、跡形もなく消えてしまう。それを着ていたはずの王様は、ちいさな子どものたった一言の指摘で、一糸纏わぬ哀れな姿になる。はだかになってしまった王様を見て、反応を強いられていた人々は、あるいは安堵するのかもしれない。それはいたって当然の、誰が見ても明らかな―――まぎれもない現実だったのだから。
あれほど愛する娘によく似ていたはずの少女が、瞬きする間に冷たい人形に戻ってしまうのも、魂なき者だという認めたくない真実が、それでも確かにそこにあるからだ。
動かぬ真実はいつだって必ず、あるべき核心にあり続ける。
たとえどれほど多くの嘘で塗り固め、虚しい幻想で隅に追いやったとしても。
だから、ここで「大勇者」になっても、それは本物ではない。
―――冷静な目を持った無垢な誰かがいつかきっと必ず、道化を演じる自分を指差して、ほんものの現実に気づかせるのだから。
「―――として反応せよ」。
「―――として反応せよ」。
「―――として反応せよ」。
「―――として反応せよ」。
「―――として反応せよ」「―――として反応せよ」「―――として反応せよ」
「―――として反応せよ」「―――として反応せよ」「―――として反応せよ」
「―――として反応せよ」「―――として反応せよ」「―――として反応せよ」
「―――として反応せよ」「―――として反応せよ」「―――として反応せよ」
「―――として反応せよ」「―――として反応せよ」「―――として反応せよ」。
複雑で迷いばかりの自分自身の思考を遮って、シンプルでより鮮やかな色へと塗り替えていくように、嵐のような指示が襲ってくる。しかしその言葉に抗わなければ、ここに来た意味がない。
「違う・・・・違う。違う、違う、違う。これは違うわ!あたしはあたし・・・・。あたしは、あたしなの!」
『お前は大勇者だ。大魔王と対決するための真の力も手に入れたじゃないか。この世界を元通りに・・・・平和で安らかな世界にするのだ。いいかげん、目を覚ませ!』
「だからそんなの違うって言ってるでしょーが!目は十分に覚めてるってのっ!
・・・・・・・・あたしは、どうせ「あたし」以上にはなれないの。あんたなんかに、なにがわかるっていうの!?あたしだって、勇者として悩んで・・・・・・・・この大嫌いなピンクのカゲをどうしようかとか、スタンをどう調理するかとか、もしかしたら最近またちょっと・・・・スト増えたかもとか、 もーさんっざん悩んで、いろいろ考えてるの!・・・・・・・・それをぜんぶ、なにも・・・・知らないくせに・・・・。勝手に押しつけないで!!」
定義者がつくりあげた理想の勇者像。そのイメージの枠を、いびつに不安定となった自分の意思に嵌められそうになり、ロザリーは必死に否定した。
誰かが定めてくれた型通りに生きるのは幸福だろう。理想とは違う不完全な自分自身に悩みながら、自分というものの思い通りにならない不自由さに苦しみながら、生きていくよりはずっと気持ちが楽だろう。
愛する娘のために父親がつくった、たのしい人形劇の世界。美しい自然も、楽しい町も、笑う人々もいて、少女を守る勇者も、少女をおどかす魔王も、やさしい世界をあたためる一部として存在し続ける。
その一部として生き続けてさえいれば、何を恐れる必要もない。
魔王がいなくなって世界が平和になれば、そこにあるのはいつもの見慣れた日常。
だけど・・・・。
きっとそこには、「あの冒険のときの自分」がいないと、思った。
ベーロンは何百年も続くこの長い長い物語を、決して終わらせたりはしない。そのために物語を侵食する異物を、なんとしてでも排除しようとする。
なぜなら、遠い昔に消えたあの子がいつか、この世界に帰ってこなければならないからだ。
『お前たちは間違っている。大勇者ホプキンスにかわる大勇者ロザリーよ、大魔王ゴーマを継ぐ大魔王スタンよ!キサマらは何のためにいる!?戦うためだ!世界のために、正しい正義のために、理想の悪のために!それがなぜわからんのだ!選ばれし大勇者、絶望と混沌を支配する大魔王!・・・・そうだ。演じればいいんだよ・・・・・・・・この劇の役者として・・・・!マルレインは、ずっと観ている・・・・。どこかで・・・・きっとどこかで!必ずだ!』
「ギ・・・・ギギッ・・・・・・・・」
『踊れ、踊り続けろ。―――お前たち全員、この世界で、永遠に、死ぬまで踊れ!!』
ベーロンは分類の力を振り回しながら絶叫する。・・・・彼が、泣いているように聞こえた。この巨大な体と顔は、その涙さえも隠してしまっている。彼は、娘への狂った愛情のみで支えられていた。それだけが彼の力を突き動かしていた。精一杯の声と力で、ベーロンは分類を操る。
スタンはそれに押し潰されそうになり、我を忘れている様子だ。まるで理性が張り裂け、狂いだす寸前にも見える。それを黒い箱の中から見たロザリーは、恐怖で目を見開いた。どうにかしなければならない、しかしどうすることもできない。
どうすればいい?今まで分類の力に支配されることで暮らしていたのに、それに抗うなんて無茶だったのだろうか?
今ここで自分を忘れるわけにはいかない。なぜなら目的はまだ、果たされていないのだ。
しかしこの世界図書館には、世界の全てを分類している分類表がある。分類表と図書館とベーロンの力が、この世界に存在する者全てを支配しているのだ。それらが存在する限り、自分たちの分類は絶対だ。
・・・・それでも黙っていられるものか。
ロザリーは回転しない頭で、精一杯の罵倒を考えて彼に飛ばす。
「グギギ・・・・ギ・・・・ギ・・・・ギ・・・・」
「うう・・・・このっ・・・・へろへろ魔王!ペラペラ魔王!あーもうっ、バカバカバカバカバカバカバカ魔王!!お湯をかけた情けない焼き海苔!
・・・・・・・・・・・・しっかりしてよ。スタン!」
「ギィ・・・・・・・・ガ、ガ、ガアアアアアッ・・・・!」
「す、スタン・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・え?」
「自分」が消えてしまう、その今に分類に支配されそうな頭の中、
誰かの姿が真っ暗になりゆく視界のスミを過ぎる。
そして先ほど、一度分類に完全に支配された自分を、元に戻した声を思い出した。
あの機械―――ボイスレコーダーから奏でられた、たくさんの音。
自分の音。
「あ・・・・。」
・・・・そうだ。そういえば。
今、このように、自らの意志で分類を拒めているのは、なぜだった?
今まで、自分が自分でいられたのは、なぜだった?
・・・・また忘れてしまうところだった。自分が一番よく知っているはずの、大切な、とても大切なこと。
思い出せ。自分たちが今、ここにいる理由を。
そして自分たちがここまで辿り着けた、本当の理由がある。
――――――ガッ!!
突然、ベーロンの右頬が斬り裂かれた。
頬から黒い煙が溢れ、予想をしていなかった痛みに、彼は苦しみ仰け反った。怯むベーロンにさらに連撃が入る。それによって彼は思わず分類の力を手放し、彼らに分類を強制していた黒い箱は、固められた砂のカベが風にさらわれるように、もろく崩れて消えていく。
分類から解放された仲間たちが安堵からか、または強制分類されたダメージのせいか膝をつく。そして解放されたことに疑問を持ち、ベーロンを見上げた。
スタンも今ばかりは、普段見下している人物に少しは感謝を覚えざるをえなかった。
「子分・・・・!」
『なっ・・・・ルカ!き、きっさまあああっ!』
いつの間にベーロンに近づき攻撃していたのだろう。ルカのあまりの影の薄さに、ベーロンさえ気づかなかった。普段の存在感の無さが今ここで役立つとは。・・・・と、その場にいる者全員、ルカ自身も思った。
地面に着地し、ルカはベーロンに振り返る。その無表情の顔は強張り、ひどく汗をかいていた。それでも両手でしっかりと剣の柄を握り締めている。
そのときベーロンは、今しがた自らを強く傷つけた、彼が手に持つその剣の装いを、はじめてその目ではっきりと見た。
『・・・・!おまえ・・・・その剣をいったい、どこで手に入れた・・・・?』
「・・・・・・・・・・・・。知らない人からもらいました。」
『誰だ。いったい誰が、お前にそれを与えた!』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。なんかよくわからない人です。」
しかし、ベーロンはその剣をつくった者がいったい誰なのか、すでに気がついていた。
その剣には歯車が用いられていた。たくさんの小さな歯車が緻密に組み合わさり、まるで糸を紡ぐように互いを繋ぎ、結び、重なり合った機械的な造形は、武器でありながらしなやかに洗練されていて、不思議と美しいものだった。しかしベーロンから見れば、ただの腹立たしいガラクタのようにしか見えない。その剣が今自身の前に張った魔力のカベをものともせず、その刃で分類の力さえも打ち砕いたのだとわかった。
歯車の剣―――その造形を見て思い出されるのは、かつて、たくさんの歯車を用いた大きな発明に臨んでいた男。彼のことをベーロンは知っていた。図書館に反抗し、この世界の中枢から逃げ出したどころか、「世界」の中でわざわざイヤミな話を広めて自身を思いきりバカにした者。あのいまいましい笑い話をつくった男。・・・・実のところあの話を広めた最初の人間が誰なのかをベーロンは知らなかったが、話の作り手があの性根が悪く口もやたらとよく回る彼であろうことは、もはや明白だ。
彼が今どこにいるのかベーロンは知らない。しかしおそらくあの男の意図は、この小さな少年に託されたのだ。それが偶然か必然かはわからない。それでも確かに、現に少年はこうして、歯車の刃を手にしている。そのつるぎに組み込まれた、この世界の破滅を導く運命の歯車たちを。
いや。もはやこの少年自身が「歯車」そのものなのだと、ベーロンは悟っていた。
強制分類が行われている中で、少年ルカは他の者たちほどの苦痛を感じることなく動くことができたのだ。彼には「分類」がないためかもしれない。「分類」がないことで分類の力の影響が弱く、強制分類の苦しみも少なかったのだろう。
ルカが振るうことで「分類」を破ったその剣、そして地味だがルカしか持たない「分類」を乱す力を再び目の当たりにして、ベーロンは彼と彼に力を与える者全てに対する怨嗟が胸の奥から込み上げてくるようだった。
『・・・・ルカ。そのようにお前はまた、私をジャマするのだな。やはりキサマは解せんヤツだ。「分類」がない、それだけで・・・・こんなにも世界を変えてしまうとはな・・・・!』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
『ただの小さな歯車ごときが。それでも、ひとつ混じるだけで、世界の歯車は全て狂ってしまう・・・・。世界の秩序を乱す異分子が!』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
『キサマさえ、キサマさえ消えたなら・・・・。勇者も勇者として、魔王も魔王としていられるはずが!ルカ、キサマも・・・・!「ただの平凡な少年」「ただの村人」として、何もせず何も考えず普通に暮らしていけば・・・・キサマがやるべきでないことを、やらなければ・・・・・・・・・・・・「ただの村人」のお前と私のマルレインが出会わなければ、こんなことにはならなかった!』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
全ての怒りの矛先をルカに向けて、苛立っているように、悔しがるように、そしてどこか悲しそうにベーロンが睨みつけた。ルカもいつも通りの得意の無言で、負けじとベーロンを見つめる。そして暫し、分類を持たない者同士は対峙した。
やがてルカは俯いて、静かに目を閉じる。
彼の言葉がほんとうなら。この世界を最初に壊したのは、たとえそれを意図していなかったとしても・・・・やはり自分だったのだろう。
自分の失われた分類は、本来は「ただの少年」だったのか。「村の少年」「平凡な少年」「影の薄い少年」だったのか。あるいは自分には最初から、分類がなかったのか。なにが真実だったのかはわからない。ともかく、何かのきっかけで―――たぶんきっと、自分が思っているよりずっと、ささいな理由で。まったくつまらない、ひょんなことがきっかけで―――自分は分類を持っていなかった。
分類を持たない自分は、この世界の外部の人間だ。創り手ベーロンと同じ、小さな箱庭の観測者。だからこそ、この世界の外側から物語を見る立場になり得た。
しかし、そのような見えない透明なカベに隔てられた「彼ら」の物語の中に、観測者の自分は入り込んだ。そこにあってはならない異分子として、招かれざる客として、混じってしまった。王女マルレインの冒険に、魔王スタンや勇者ロザリー、あらゆる役者たち、彼らがつくるはずだった物語の中に。彼の言うとおり、確かに自分は邪魔者だったわけだ。
だから、彼が娘のために築いた楽しい夢の終わりは、「ボク」が幕を引くようなものだ。
ルカは彼の娘、マルレインのことを思い出す。
少女マルレインにとって安全で楽しい世界。ここは、彼女が幸せであり続けるために生まれた、永遠の冒険の国。
幸せ?・・・・でも、本当に?
彼女は本当に、幸福だったのだろうか?この世界で、役割を演じながら生きていた彼女は、父親が生み出すその冒険を、本当に楽しんでいたのだろうか。
そうして不意に思い出す。いつかどこかで聞いた、王女ではないマルレインの、演技ではない本当の声。
―――楽しくないわ。・・・・私は、もっと、ずっと楽しい冒険を知ってるはずなの。
―――きみは、本当は、何を望んでいたのかな。
父ベーロンに彼女はそう呟いていた。父親から与えられた世界が彼女にもたらしたものは、彼女の望みではなかった。ベーロンが美しく理想的に創り上げた大勇者と大魔王。彼らが活躍する壮大な物語は、彼女に楽しみをもたらさなかった。彼女は、彼女を守る父親のもとで、本当は何を思っていたのだろう?どのようなものが欲しかったのだろう?
彼女に夢と安息を与える世界で、彼女はいなくなった。
代わりに造られた人形の彼女は壊された。
いつか見た夢の中で、彼女はどこか悲しげに、助けを求めていた。
いつかどこかで、その声と同じ、泣き声を聞いた。
あの少女の声を、あの子をボクは知っている。
彼女が幸福であるはずの世界。
―――それなのに、どうしてきみはそこで泣いているの?
ルカは深く息を吸い込んだ。そして長く、ため息をついた。
この世界の定義者であり、あの少女の父親であるベーロンと話さないといけない。
喋るのは苦手だけれど、それでも今はちゃんと、言葉にしなければならない。
・・・・自分の主張は、それを聞く相手に、伝わるものでなければならないから。
「あのさ。もし・・・・。あんたが言うみたいに、もしも・・・・・・・・もしも、ボクがいることで、今いるみんなにとって、なにか意味があるんだっていうのなら・・・・ボクはここにいるよ。」
『なんだと・・・・?』
「ボクは地味だし、影も薄いし、何のとりえもないけど。・・・・・・・・それでもボクはここにいる。・・・・・・・・いつまでも何も言わないで、黙ったままでいて・・・・そんなことで消えちゃったりなんかもうしない。ボクはボクが言いたいことを言うし、やりたいことを、ただやるだけ。あんたが何を言っても。・・・・ボクはずっと、こうして、ここにいるんだ。」
ルカは、真っ直ぐにベーロンを見て静かに言った。
普段はめったに強く物事を言わない彼が、自らの存在を主張する言葉に、ベーロンのみならずスタンやロザリー、キスリングたちも目を見開いた。その中でエプロスだけは、静かにその言葉を聞いている。ルカ自身が持つ力の根源、彼自身が選んで進もうとする、その「理由」を見守るために。
「本当は・・・・この世界に分類があるってことに関しては、ボクはべつにどーでもよかったんだ。「ただの平凡な少年」、「ただの村人」。確かにボクはそうだよ。・・・・でも、そんなボクでもべつにいい。だってきっとそれが事実、人が見た「ボク」だったんだ。
・・・・ロザリーさんが「勇者」でスタンが「魔王」ってことも、分類があってもなくても結局、そういう役割を持ってるんだってことは、なんにも変わらないんだよね。2人もその役を望んで、選んでやってるわけで・・・・・・・・ていうかそもそも分類表の上で一応そう分類されてるからってスタンが魔王っていうのは正直今でも全く信用できないワケだけど。」
「・・・・おいコラ待てコラ。何好き勝手に言って余は本当に魔 「アンタは黙ってなさい!」
「・・・・・・・・分類があるままこの世界で生き続けるのは、たぶんきっと、たいしたことじゃない。・・・・むしろそれがフツーなのかも。実際今までもフツーに暮らしてて、あまり不自由はしてなかったんだ。」
たとえベーロンが「分類」をつくらなくたって、人は勝手に分類をつくっているのかもしれない。目の前に広がる世界を認識するために、ボクたちは触れるもの出会うもの全てを分類する。名前に従って反応する。言葉に応じて言葉を返す。あらゆる記号を意味づけ、価値をつける。そうして認識した広い世界の中で、大勢の人間が生きる社会の中で、常に自分の役割を持って生きている。そうやって分類を持つことで、必死に、世界の中で居場所を見つけている。なんにしろボクたちはこの世界においてなんらかの形で束縛されていて、結局、不自由だ。ここでベーロンを倒して、分類表がなくなっても・・・・それでも世界にはこれからもずっと、分類は失われることなくあり続けるのだろう。
ボクは確かに村に住む「影の薄い少年」で、スタンは(一応)「魔王」であることに変わりない。
それでも。
「それでも・・・・。「あんたが勝手に決めた」分類のせいで、今ある何かが変わってしまうことだけは、イヤだ。今ここにいるみんなが町から消えるのはもっとイヤだよ。あんたは、今のスタンやみんなは、この世界にとって必要ないって言ったけど・・・・・・・・今のスタンも、みんなのことも・・・・ボクはそんなにキライじゃないんだよ。
マルレインのことだって、お前はいらないものっていうことにして、捨てたけど。それでも・・・・。どんな姿でも、どんなかたちでも、・・・・すっごいワガママな性格でも。それでも、ボクは・・・・
・・・・・・・・・・・・ボクは、マルレインが好きだったんだ。
―――好きなんだ!」
ルカは本当の気持ちを隠すことなく、長くため込んできた怒りを父親にぶつけた。
きみにはもう泣きやんでほしいのに。どうしたらボクは、きみを笑わせてあげられるんだろう。
どうしたらきみは、隠れている場所から出てきてくれるんだろう。
どうすればボクは、もう一度きみに、出会うことができるの?
もしかしたら、今のままの世界では、彼女は永遠に笑うことができないのかもしれない。
マルレインの代わりとなる新しいマルレインが、ひとり、またひとり、たとえ何人作り出されたとしても。彼女も、彼女を模した人形の彼女も、本当に望むものを得ることはできないのかもしれない。
本当の答えはきっとこの場所にはない。
ベーロンはこのカベに囲まれた箱庭の中で、永遠に迷い続けるだろう。見つからない本当の娘の姿を探して、見当違いの迷宮を永遠に彷徨う。幻想の歴史が綴られ続けるまま100年、300年、あるいは1000年経ってもいつまでも、彼の時間は留まったまま動き出すことなく、同じ場所を巡り続ける。
自分の本当の姿を、誰もが迷いながら探している。マルレインも、スタンも、ロザリーさんも、きっとキスリングさんもビッグブルもリンダさんもエプロスさんも。
怒りながら、泣きながら、笑いながら、ときに呆れながら、そこにいるはずの自分の姿を見失わないように、「こうありたい」と思って生きている。自分の在り方を貫こうとしている。主張をしている。だから一緒にここまでやってきてくれたのだろうと思う。
背後にいる彼らだけじゃない、今まで出会ってきたたくさんの人が、もしかしたら同じように自分の望む在り方を探していたのかもしれない。そして主張していた。ジュリア、マギーやロバート、ニセ魔王たち、ミスマドリルたち、勇者たち、村人たち、トリステにいる人たちだって。
―――「分類」から外れてみるなんざ、やってみりゃ簡単なもんだったぜ。
ブロックは笑って、軽くそう言ってのけていた。きっとこの世界の誰もが迷い、それでも成し遂げようとしていたことを、彼は実行してみせたのだ。ベーロンに、彼は支配されなかった。自らの存在が見えなくなってもためらわなかったし、魔王という与えられた役割を放棄してまで、彼自身の本当の在り方を貫いた。彼は分類の力が届かない場所で、誰も知らない世界のすみっこで、ひとつの答えを見つけ出したのだ。
ボクも、探している。自分の存在とは何なのか、何を望んでいるのか、どのような人間になりたいのか、自分とは一体、誰なのか。・・・・答えはまだ見つからない。それでも、ここに立っている。彼らを支配し、支配できない自分を打ち消そうとしている定義者を、それでも見据えると決めた。
父親が否定してしまったあの子の存在、自分が知っている彼女の在り方を、肯定したい。
定義者が否定しようとしているみんなの存在、自分が知っている彼らの在り方を、肯定したい。
彼らの主張を、この不思議な世界の人々の音色を、ボクは近くでずっと聴いてきた。
だからボクはここにいるんだろう。・・・・たぶん、きっと。
ルカの耳がずっと聴いてきた親しげで懐かしい音が、今だって聴こえる。
彼女もまた愛した音。小さな箱の中、ちいさな箱庭の旋律。
鳴り響くオルゴールの、きれいな音色―――
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