昔、ある川べりに、おおきな岩ガメが、ナワバリを作って住んでいました。 1匹の子ガメといっしょに。 ナワバリの中はコワい動物もいません。平穏そのものでした。 ところがある日のこと。ふと気がついたら、子ガメがいなくなっていました。 岩ガメはあわてて探しまわりましたが、どこにもいません。 いないハズはないのに。 ナワバリをあちこちウロつくうち、岩ガメはあるものを見つけました。 それは、ただの石コロでした。 いなくなった子ガメは、ナワバリのギリギリのところで、ずっと寝ていたのでした。 しばらくして、子ガメが目をさまして岩ガメのところに行くと、岩ガメはなにやら石コロに向かって、我が子と呼びかけているではありませんか。 しかたがないので、子ガメは誰にも見えないナワバリのはじっこから、様子を見ていることにしました。 ナワバリの外のことを、子ガメは知りませんでしたし、それに、こわかったのです。 岩ガメと石コロが一緒に暮らし始めてしばらくたったある日、ナワバリにお客の赤ガメがやってきました。 岩ガメは赤ガメに、石コロを我が子として紹介しました。 面食らった赤ガメは、思い切って岩ガメに言いました。 ―――ウチの子ですってあなた、それはどう見てもただの石コロじゃないですか。 岩ガメも同じように面食らいましたが、やがて、笑って言いました。 ―――おいおい、赤ガメさん。この子を石コロだなんて、いったい何を言うんですか。 ―――この子を見てください赤ガメさん。この子はずっとここで話を聞いていても、私の子ではないなんて、まったく言わないじゃないですか。 それを聞いた赤ガメも、石コロも、何も言うことができませんでした。 赤ガメがだまっていると、岩ガメは続けたのです。 ―――だいたい、仮に私がそれを認めると、まるで私がバカみたいじゃないですか! 赤ガメはどう言ったものか、迷いました。 ―――いや、だからね。あなたは、 ―――いや、だから岩ガメさん、あなたは、 “あなたは、” その最後の一行を、男は万年筆で乱暴に塗り潰した。紙面を何度も、何度も、何度も強く書き殴った。インクが尽きてなくなるまで。そして彼は怒りのままに筆を投げ捨てた。 |
ボクと魔王と岩ガメのはなし
「ここは・・・・娘の国だ!娘のための世界だ!娘が楽しむための舞台なのだ!」
「娘の安息の場を、たかが小道具のお前たちにこわされてたまるかああぁぁっ!」 「だまって聞いてれば勝手なことを・・・・。」
『この力で、最後の力で全員、この世から消してくれるわ!そして舞台は作り直す!』
『この世界の形は・・・・「カベ」だけはこわさせはせんぞ!』 その空間は、図書館の最奥の一室であるはずだが、まるで次元の異なる異空間のように奇妙な光景であった。自在に動き回るブロックに、まるで宙に浮いているようにも感じられる地面。奈落の底から照らしてくる妖しげな光は、この空間の輪郭を幻想的に浮かび上がらせており、このような状況でさえなければ見惚れていたはずだ。しかし目の前にいるのは、そのような美しさとはかけ離れた厳ついオバケの姿だった。 「うっわー・・・・ずいぶん太ったわね。なんかスタンよりも魔王っぽいわ・・・・。まあ、これくらい勝てる相手だけどね。」 「フン、キサマ・・・・何を寝ぼけたことを。余はともかく、キサマら人間どもはヤツの手でひねる潰されるんじゃないか?」 「それはこっちのセリフよ、角無し老け顔魔王。」
「ククク、今の余の魔力は強大無比!キサマのような骨だけのヘロヘロ勇者は自分の身を案じるがいい!子分、お前もだ。気をしっかり持て!なんていったって余の魔力は今、この身に溢れんばかりだ・・・・フハハハハ!」 「・・・・2人とも分類から外れた。真の力もお互い得ている。・・・・だが、奴は世界を創った者だ。油断は禁物だぞ。」 調子に乗っているスタンに、魔術師であり元魔王でもあるエプロスが真剣な様子で忠告した。この言葉に、笑っていたスタンもロザリーも黙り、ルカとともに目の前の敵を睨みつける。 『・・・・全てお前たちがいけないのだ。分類に抗うことなく、設定通りに暮らしていれば、ここで消えることも、その必要もなかったものを。』
「あー、私は学者だからね。そんな誰かに決め付けられた考えよりも、自分の考えを優先するのだよ。あなたのように、何でもかんでも『分類』して決め付けるのはあまり好かない考え方なんだなぁ、これが。そりゃー扉は『扉』として開けた方が美しいとは思うがね。つまり私は、人間として学者としてホモ=サピエンスとして、考えの自由を束縛されるのはちょっと嫌なんだ。それに設定どおりに暮らしていく、といってもあんな王女様が壊される場面を見ちゃってしかもあなたからこの世界の話を聞かされちゃったら、全ての疑問を追及せざるを得ないさ。ルカ君がいることで今私たちがここに成り立っているのだからね。もうおおいに分類から外れた私たちを、今から分類通りに束縛することなどできないよ。」 オバケ学者のキスリングが、手を広げて、まるで彼にこの意見を受け入れてもらえることを願うかのように言った。もともとオバケを専門としている学者である彼だが、すでに彼の目は、オバケだけではなく「世界」全てを見ている。相変わらず話は長いが、自分の考えを信じて貫くその志は、過去も今も変わらない。年長者として、学者としての彼の考えで、集団内の秩序など一切なく意見も主張も混濁したメンバーをこれまで幾度もまとめてきた、支配者に対する彼なりの意見だ。 「テメーのなんか見下すような目はムカつくッス・・・・ムカつくんだよオラ!欲望のままにぶっ倒してやるぜオラ!」 「あたしだって、こーいう自分勝手な人イヤですっ!スタン様よりも一段上にいるんだぜー的なその態度が一番腹立つですっ!」 「いや、元・巨牛魔王はともかく・・・・君はなんか怒る論点がズレてないか?」 エプロスが静かにリンダにつっこんだ。しかし、リンダの口は止まらない。 「それにスタン様よりも悪そうだし、全然若くないし、体が大きすぎるしブサイクだし、何より女の子に優しくないし!」 「・・・・あのー。別に誰もリンダちゃんの好みの話なんてしてないっスけど・・・・。」 「それより余よりコイツの方が邪悪とは一体どういう見解だ。」 「スタン様もエプロス様もリンダにはとっても優しいのに、あなたはか弱い女の子を吊るし上げて首しめて!ほんっとうに女の子の扱い方がわかってないんだから!女の子はセンサイなんですよ!?・・・・だからきっと奥さんにも娘さんにも逃げられるのよ!・・・・・・・・・・・・あたしよく知らないけど!」 『・・・・!』 「だから、余は優しくないって。」 「あのなんかルカさんがさっき持ってたぼいすれこーだーとかいう、言葉を記録できるとかいうものも、あなたが娘さんの旅の道程を知るために用意した、って言っていましたけど。ふーん、それ使って王女様の声聞いてニヤニヤするつもりだったんでしょ。いちいち娘さんの行動を観察とかヘンタイですか。そーなんですか?スタン様を召使いにした王女様もアレですけど、あなたも十分アレですねー。このストーカー。どスケベ。娘コン。キモチワルいです。」 『・・・・なっ・・・・なんだと・・・・』
『キサマのような下等魔族に、何がわかるっ!私はひたすら、マルレインのことを想って、なんでもしてきたのだ・・・・こうして美しい世界を作って、マルレインが喜ぶように・・・・ボイスレコーダーも、マルレインを守るためのものだ。そう、あの子は守られている!それを好きに言い・・・・。・・・・だが、あの人形は、あの子ではない。あの子に・・・・マルレインにもなりえぬ人形など、意味がない!』 「・・・・なんですって!?あの子に意味がなかったわけないじゃない!」
「あなたは間違っているよ、ベーロン。彼女には確かに人間としての感情があったし、あなたがあの人形をあなたの娘と「分類」していたのなら、あのとき彼女は確かに、あなたの娘さんであったはずだ。あなたが娘さんを守ると言うならば、彼女もまた守るべきだった。あなたがしたことは、いなくなった娘さんの気持ちも、娘さんの代わりとなった娘さんの気持ちも、踏みにじっているのではないかな。・・・・あなたは彼女の父親なんだ。なぜそのことに気がつかないのだね?」 「そーよ、気がつかないなんてあなた、バカなんじゃないですか!」 『・・・・!黙れ!』 キスリングの説得にノリで便乗して発せられたリンダの一言に一瞬、ベーロンの顔色が変わったように見えた。ついに怒りに耐えかねたベーロンが、丸太のような腕を持ち上げ、7人がいる地面に叩きつけようと振り下ろす。 「うっ・・・・わわっ!?」 「きゃっ!つぶされちゃう!」 攻撃を避けようとするが、攻撃の範囲が広く避けきれそうにない。それをロザリーは瞬間的に感じ取り、舌打ちをしつつ素早く魔力を構築し詠唱した。 「っ―――プラガドール!」
「学者はいいが・・・・。元・アイドル魔王、君は少し言葉を抑えた方がいい。」 「えー、いくらエプロス様のお願いでもムリですっ!だってほんとあたし今イライラしてますし、もー言いたいこといっぱいありますしー。」 「・・・・本当、アンタって見た目の割に口悪いわよね。以前のあの健気さはどこ行ったのかしら。」 「ひょろひょろでもやはり立派な魔王だなキサマは。今は迷惑だが。」 とばっちりを食らったと言わんばかりに、ロザリーとスタンはそろって非常に迷惑そうな視線をリンダに投げかけた。背中を打ったルカも無感情に無言で。後方から帰還したビッグブルも何とも言えない様子の表情で無言で。そのような彼らの横で、キスリングだけは涼しげだ。 『ただの外野でしかないお前たちが、娘の何を知っている?キサマらも、しょせん人形なのだ。マルレインのために生き、マルレインのために死ぬ。物語の役者として何も知らずに、マルレインが遊ぶ物語の中で永遠を過ごすはずだった者どもよ。ただ少しあの人形と行動をともにしただけで、私たちの全てを知った気になるな!』 「全てを知った気になっているのはアンタでしょーが!そりゃ、確かにあたしもまだ、全部理解しているわけじゃないわよ。あの子のことも、アンタのことも、この世界のこともさ。・・・・でも、これだけはわかる。たぶん、今のままじゃダメなのよ、アンタたち親子は。そしてあたしたちもね。」
『うるさい!この分類こそが、マルレインを守るのだ!全て分類によって世界は成り立っている、ここは安全な世界だ。世界は、このままでかまわない。・・・・このままでなければならない!分類は絶対だ。私が作り上げたこの世界で、あの子が幸せに生き続けるためには、どうしても必要なのだ!お前たちをこの世から消して、この世界の分類を修正する。マルレインが過ごす安楽な世界は・・・・決して、崩れてはならないのだ!』 ベーロンの言葉は、まるで正気を失っているようにルカには聞こえた。娘マルレインのために作り上げた理想郷、それが彼の愛情の形であり、彼が娘をどれほど大切に思っているのかは手に取るようにわかる。きっと彼は決して悪を演じているつもりなどないのだろう。娘の安息のために正しいと信じている方法を、ただとり続けているだけであり、それに逆らう人間の存在は安息を脅かす邪魔者でしかないのだ。この世界の秩序と平和、そして娘の幸福を壊す「悪」。それが彼から見た、自分たちの立場だろう。 『消えろ。・・・・この世界から!お前たち全員!消えてしまえぇぇええっ!』 「・・・・あ、アンタね・・・・。」 怒り狂う岩ガメの姿に、ロザリーは緊張感を覚えると同時に呆れのようなものを感じた様子だった。これではこちらの言葉など通じそうもない。それは他の面々も同じことを考えたようで、恐怖というよりは冷や汗をかいて、どうしたものかと彼を見上げている。聞きわけの悪い子・・・・ではなく親だ。 「・・・・はぁー。・・・・子分、行くぞ。余はもう、あの破壊的思想男のくだらん妄想に付き合うのに我慢ならん。悪の魔王として思い切りぶち壊してくれるわ。」 「・・・・うん。」 「・・・・本気でやるわよ、ルカ君。あっちもめちゃくちゃ本気みたいだし。あの極悪非道っぷり、勇者として許すわけにはいかないもの。正直どこかのペラペラ魔王よりもあたしは許せないわ!」 「なんだとー、って今はそんな空気ではないが・・・・今すごく腹が立ったぞ。余としては。」
「リンダもすごーく腹が立ってまーす!ぶちのめしちゃっていいですかぁ?」 「うん、彼には少し頭を冷やしてもらったほうがいいかもしれないね。さすがにこのまま消されたくはないしなぁー。」 「運命づけられた分類は崩壊した。もう我々を、分類通りに操ることなどできないはずだ。倒すしかないようだな。」 「ええっと・・・・それってじゃーつまりコレ、決戦ってヤツだな!?よっしゃよっしゃー、おおう、やるぜええ!オラオラオラァ!」 キスリングとエプロスの言葉に、ビッグブルが嬉しそうに片方の拳をぐるぐると振り回して準備運動を始めた。まるでこれから殴り込みに向かうような意気込みだ。しかし実際、ベーロンに挑発されたとはいえ・・・・この世界図書館には自分たちから殴り込みに来たようなものだから、あながち間違ってはいない。この部屋の扉の開け方もすでに理不尽の名がつく非常識ぶりで殴り込みじみていたのだから(実際にそれを実行したのは魔王の執事だが)。 「クックック・・・・見ておれ、愚かな人間よ。余を相手にしたことを後悔させてやろう!」
―――ポラックや大勇者ホプキンス。彼らの活躍でこの世界はだんだん変質を見せ始め・・・・そして君たちが、今ここにいるわけだ。 ベーロンから与えられた「役割」を放棄して、今、ここに分類から外れた人間が集まった。皆、性格も意志も目的もなにもかもバラバラでまとまりがないが、現在眼前に見据えている目標だけは共通していた。あるいはまとまりがないからこそ、全て決まり切った分類を打ち砕くに最もふさわしいメンバーなのかもしれない。 ―――君たちがこの世界の「分類」をこわすなら、それもまた世の流れさ。
『抗うか!?・・・・娘の世界は壊させん!―――バミラクル!』
「わっ・・・・」 「なんだぁ!?」
「うっわー、めんどくさ!このオヤジ、どこでこんなの覚えたのかしら。」 「世界を支配するほどの力を持っていたんだし、これも当たり前じゃないかね?・・・・といっても、以前にルカ君の家の前で会ったときよりは、魔力が弱まっているみたいだね。一体どうしたのやら。」 「最強の魔王を作る過程で、今は力を使い切ってしまっているのだろう。・・・・もう、分類がほとんど解けている我々を元の形に戻すことなど、難しいのかもしれんな。だから・・・・元に戻すよりは、我々の存在自体を消した方が簡単だということなのだろう。」 「えー、ねえねえ。あれ、何したんですかー?ばみばみってなんですかー?」 「なんでアンタがあたしにそれを聞くのよ・・・・。補助系の魔法なんだから、アンタの領分でしょ。自分の胸の中に聞きなさいよ。アンタちゃんと勉強してないの?」 「してません!あたしは毎日歌の練習で忙しいんです!だいたい、アイドルはなんでも屋の魔法使いなんかじゃないんですよ。アイドルが本業なら、バトルは副業なんですよ!わかってるんですか?」 「わかるかっ!アイドルうんぬん以前に元魔王としてどうなのよ。アンタ、この戦いが終わったら勉強しなさい!稼いだお金で魔法の専門学校行け!」 「ああっすまねえ、オレもわかんねえぜ!オレ、自分の知っていること以外のいろいろはもーサッパリなんで。・・・・・・・・で、先生。あれどういうことッスか?」 「んー、つまり、よーするに。一言で述べるなら、魔法でヒキコモリましたってとこかな。魔力のカベはカラダのカベであり、第三者の侵入を拒むという点でメンタル面のカベでもある。つまり彼は我々の意見を快く受け入れる気はさらさらないというワケで、彼と我々が腹を割って打ち解けることは格段に難しくなったことを意味し、従ってこの自身と他者と隔てるカベという問題の解決を心理学的側面に沿ってカウンセリング療法に当てはめて考えるなら・・・・」 「一言じゃねええええっ!」 「別に、ちょっとカラが硬くなっただけではないか。気にせずぽかぽか叩けばよいだろうが。」 騒がしいメンバーが口々にやはりまとまりなく言い合う中(先ほどの決戦への意気込みは早速失われつつある)、スタンは鼻をほじるような余裕の態度で、軽く言ってのける。盾が硬くなった彼を叩くのはあんたじゃなくてボクたちなんですけど、という非難を込めてルカは沈黙の背中でスタンにつっこむが、当然のように彼が察するはずがない。 「ええい、こうなりゃー、次はオレたちの番だ!いくぜえー!―――プラストール!」 「はーい!じゃっ、あたしも本日ラストのライブ、いっきまーす♪お待ちかねのみなさん、リンダの新曲、聞いてくださいっ!」 リンダがお気に入りのマイクを高く、高く宙に投げた。それが落ちてきたのをキャッチしたのを合図に、透き通ったメロディーが彼女の喉から奏でられ始める。彼女が歌い出すと、まるで歌を彩るにぎやかな楽器の演奏まで聞こえてくるような気がするから不思議だ。いやもしかすると、本当に音楽まで聞こえているのかもしれないと思うことがこれまでもたびたびあった。魔力で演出を作り出しているかもしれないとかなんとか、どこかに音声を流す機械を隠しているのかもしれないとかどこか。 「よーし、ブルはタイキ。ルカ君はオーバードライブ準備よろしく。そのあとはいつものアレで、ブルは右、ルカ君は左!あたしは正面から行くわ!」 「は、はい!」 「おうッス!」 「じゃー、私とエプロス君は後ろからサポートかな。バックアップは任せたまえ。手持ちの回復が切れたら、ちゃんと当たるように投げるからエンリョなく言ってねー。」 「投げなくてもフツーにちょうだいよ。」 キスリングがにやにやと笑う姿を、ロザリーはいぶかしげに睨んだ。 「・・・・まさかハカセ、あのベーロンのこともオバケとして見ているんじゃないでしょうね?まさかとは思うけど、アイツを研究対象にしたいとかマッドなこと考えてないわよね・・・・。」 「あー、まさか。今はそんなことはしないよ。ちゃんと君たちを守るさ。だいたい、彼はれっきとした人間だよ。スタン君も前に言っていたじゃないか、人間の分際でーとかどうとか。確かにベーロンの今のカラダの構造がどうなっているのかは知りたいけど。ぱっと見オバケと同じなように見えるがね。」 「よかった。ここまできて働きたくないでござるとか言われたらどうしようかと思ったわ。」 「おやおや失礼な。これまで私が一言でもそんなことを言ったかい?」 「口に出さなくても実行してたでしょうがっ!オバケちゃん観察とかなんとか!忘れたとは言わせるか!」 もしこの場によくできたハリセンがあったら、自らの過去の所業をとぼけるキスリングの白髪混じりの頭は、彼女に勢いよくはたかれていたところだろう。しかし実際に彼らの頭をはたこうとしたのは第三者だった。 「・・・・!くるぞ!」 「え!?」 「あ、話しこみすぎちゃったね。」 エプロスが向かってくる巨大な影に気がつき、咄嗟に注意を促した。驚いてばっと振り返るロザリーと、それでも飄々とした調子を崩さずにキスリングは前方を見上げた。丸太のような腕が、彼ら目掛けて振り下ろされるところだった。 『キサマらっ!』 エプロスは素早く瞬間移動を駆使してベーロンの背後に回ったが、そのような常人離れをした芸当はとてもできないロザリーとキスリングは、そろって彼の拳を受けて後方に吹っ飛ばされた。「ナイスハリセンー!」とキスリングが地面に叩きつけられながら笑うのが耳に届いてきた。我が身のことのくせにのんきすぎる。 「ロザリーさん!大丈夫ですか!?」 「これくらいなんともないわよ。それよりあなたの方は準備整った?なら、行くわよっ!ブル、ルカ君!」
「せいっ!」 「オーラァァ、オラオラオラーッ!」 ロザリーは彼女を襲おうと両腕を振り上げたところを掻い潜り、レイピアでベーロンの腹を何度か突き、そのまま回転しつつなぎ払った。 「うおおおおい、気持ちいーぜーっ!どうだベーロン!このオレ様に大魔王世界ベルトを渡す気になったかぁ!?」 「んだと、キサマ!それは余のもんだったんじゃないのかコラァ!?」 「おおっ、すまねえぜアニキ!アニキは大魔王世界チャンピオンなら、オレはオバケ世界チャンピオンってことだぁ!」 「・・・・・・・・どちらも同じではないのか?」 魔王=オバケの王=オバケの中で最も強い=オバケ世界チャンピオンという図式の矛盾を、現在攻撃中であるためつっこみたくてもつっこめないというもどかしげな表情でレイピアを振り回すロザリーのために、エプロスが静かにつっこんであげたようだった。それに対しビッグブルは、「魔王を抜いたオバケの中で」とさらに補った。・・・・どうしても彼は一番になりたいらしい。 『ふざけるな!このカベを、お前たちが越えることはできんぞ!・・・・越えさせるか!』 「ちっ・・・・」 そこにベーロンの太い腕が飛んでくる。ルカと苛立ってついに舌打ちしたロザリーが咄嗟にしゃがむと、頭の髪の毛スレスレのところをベーロンの大木のような腕が通り過ぎた。もし数秒遅れていたら、その腕によって空中へ飛ばされていただろう。ルカは緊張で顔を引き攣らせたが、ベーロンの真下にいる今、立ち止まる暇はない。ルカは立ち上がる勢いでそのまま回転前進し、身をかがめつつ大きすぎるベーロンの巨体を支える足に斬り込んだ。うまく当たれば、彼の体勢を崩せるかもしれない。 「うおお、タイヒッスよ!タイヒッスよ!」 「あわわわっ!?」 「あーっ、もう!ルカ君、早く逃げなさい!」 ブロックが組み立てられてでできたニセモノの大地が揺れたかと思われるほど、響くような地鳴りを立ててベーロンが両足と両腕を地面に叩きつけた。ルカは走って着地点から離れたつもりだったが、衝撃に転んで倒れた。ビッグブルもまたもや頭から転がっている。 『・・・・踏みつぶしてくれるわ!』 「あーあー、だめですよ踏んだりしちゃ。中身出ちゃうから。ぶちゃっと。―――イエロドーン。っとね。」 『!?』 別の方向から気の抜けるような詠唱が聞こえたと思うと、その声の調子とは正反対に、激しい轟音とともに青白い稲光が幾重にもわたってベーロンの頭上に落とされた。強力な雷撃に彼がもがく間に、ルカとビッグブルは体勢を立て直して距離をとった。どうやらキスリングの援助が入ったようだ。 「・・・・ホントにめんどさいわね、あのかったいバリア。誰かなんとかできないの?」 「元・アイドル魔王よ。君の力なら、たやすいはずだぞ。」 「きゃーっ、エプロス様があたしにオ・ネ・ガ・イなんて!待ってて・・・・リンダ、とっておきがありますから!エプロス様のためにがんばって勉強して、練習したんです!紫のバラのヒト、きっと見ていてくださいね!」 「いや、べつにお願いというわけではないのだが・・・・・・・・聞いていないな。」 「なんであたしがたずねたときと言うことがまるきり違うのよ。紫のバラって何よ。誰の話よ。」 ロザリーの恨めしげな視線は可憐かつ華麗に無視して、リンダは歌いながらマイクを掲げて高く跳び、バレリーナのように身軽に一回転してから、この広い空間全体に向かって呼びかけた。 「愛をください。――― バ リ セ ッ ト ♪」 どこからか希望に満ちた淡い輝きが空間を照らし、ベーロンを囲んでいた赤い魔力のカベが、ルカたちを包んでいた赤い魔力のベールが、ついでにルカの身体から帯びていた紫の光が、霧のようにことごとく消え失せた。 ・・・・・・・・・・・・。 『ふん、この小娘・・・・小賢しい真似を・・・・。』 「ってアンタ、あたしたちがかけた技まで全部消すなぁぁぁぁっ!」 「ナニやっとんだキサマ、アホがぁぁぁぁ!」 「えー。だって、あのヒトのばみばみを解きたかったんですよね?あたしができるのなんて、これしかないしー。やったあとで文句言わないでくださいよ。」 「ひどいッス、リンダちゃん・・・・。オレのせっかくの二番手がぁ・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・。」 スタンとロザリーの凸凹コンビによる息のそろった怒髪天つっこみが炸裂された横で、彼女に頼んだ張本人であるエプロスは、難しい顔をして額を抑えたまま何も言わなかった。ビッグブルは愛らしいリンダによる所業であるために怒るにも怒れず、泣きそうな顔をするだけだった。ドジっ子(あるいは小悪魔)アイドルリンダのさわやかな失敗に、ルカ自身は早々に彼女への期待を諦めた。 「とにかく、今がチャンスじゃないかな君たち?またバリアを張られる前に、こちらから攻めなければ。じゃないと明日肩こりになっちゃうよ。」 「肩こりですめばいいのだがな。・・・・だが、学者の言う通りだな。これでお互い身体強化なし、ステータスは優劣なしの五分五分だ。もし魔力に余裕があるならば、もう一度術をかければいい話だ。」 「そ、そうね。いくわよ、みんな!」 エプロスも頷く。すぐに気を取り直し、ロザリーは再びルカとビッグブルにドウジ攻撃の合図を出した。 「やあ、やぶれた魔力のカベはカラダのカベであり、カラダのカベはココロのカベでもあるよね。・・・・ベーロン。どうかな、こちらの話も、少しは聞いてもらえる気になったかな?」 『・・・・・・・・黙れ!』 キスリングに向かって怒鳴ったベーロンが、再び魔力を放出する気配に気づいたルカは、それをさせるよりも早く飛びかかった。今度こそと思い彼の腹に向かって剣を思い切り振ると、鈍い声が頭上から響いた。その傷口から赤い雫は出なかった。そこには鉄の塊を傷つけたような、変形した深い傷が刻まれていた。そして斬りつけたときの摩擦のせいか、はたまたベーロンの体の中身が黒いのか、傷は黒く変色していた。 「あああもう、どこの子離れできない親よーっ!ほんと、あたしたちは全然関係ないでしょーがっ!?」 「ヒトを巻き込むんじゃねえええー!おとなしくオレに牛の穴を建設させろーっ!」 「あはは、この親バカーなんてねっ!」 「・・・・ってちょっと待ってアンタも来るの?」 ロザリーがドウジの合図を出したのはルカとビッグブルのはずだったが、“フリーダム☆リンダちゃん”を貫くリンダも何故か追ってベーロンに向かって駆けてきた。3名も人物が攻撃を繰り出すことがわかり、敵周辺の人口密度の上昇を気にしたルカは一旦ベーロンから離れることにした。 「たぁぁぁぁぁぁぁーっ!」 突撃を妨害しようとするベーロンの攻撃を日傘でかわし、彼の腕を掻い潜ってレイピアを素早く突いた。バリアが解かれたことで、彼女のレイピアは今度はなんとかベーロンの身体を傷つけることができた。ここからが本番と、ロザリーは気合を入れて連撃を繰り出す。 『ぐっ・・・・ロザリー!たとえ、お前がどれほどの勇者としての力を持っていたとしても、しょせん私の分類には逆らえんぞ・・・・。勇者は勇者として、魔王とだけ戦えばいい!』 「なに、どういうことよ。・・・・そんなの、あたしが決めることでしょうがっ!もちろん魔王は・・・・スタンは、あたしが倒すわ。いつか必ずね。でもその前にアンタも倒すわよっ!アンタは今ここでね!」 『こしゃくな!』 「これあたしん中の決定事項なんだから!」 ロザリーを殴ろうとする腕をレイピアで斬り払い、自分の腕を休めるため一度彼女は後退する。後退したロザリーと入れ替わるようにリンダとビッグブルがベーロンの足元まで疾走していった。 「てめーの都合なんか、知らねえ。今のオレの用はただひとつ、てめーを好きなだけ殴ることだーっ!目指せ50ヒット、世界新記録100ヒット!ココロがスッキリするまで!ハイパー健康的にっ!」 巨牛魔王の名を持つビッグブルではあるものの、変身したベーロンの全身は彼の何倍もの大きさがある。しかし彼は恐れという言葉の意味を知らないかのように、ためらいなくベーロンに飛びかかった。 「ひざまずけ。命乞いをしろ。・・・・てめーはオレを怒らせたんだよっ!」 『それはこちらのセリフだ!』 「お前もかブラザー!」 「誰がキサマのブラザーだ」とベーロンがつっこみを入れるべきところではあるが、熱すぎる男のペースに乗るわけにはいかないのか、さすがに口にはしなかった。 『たかが魔族の小娘が・・・・さっきはずいぶんなことを言ってくれたものだな・・・・。』 「あーらそうですか、傷ついてくれたなら何よりですぅ。あたしだってねえ、そろそろイライラ度が85%超えそうなんです!アンタみたいな人・・・・だいっキライよ!」
『うがああっ!?』 「うっわー痛そうー。」 ラッキーヒット、会心の一撃だった。植木鉢が頭上に落ちたような鈍い音がしてベーロンが仰け反ったのを見て、後方のキスリングが同情の一言をこぼした。思わずルカも、「おぉ」と感嘆の声を上げる。蹴りで真っ直ぐに飛んでしかも命中するなんて、彼女にサッカーをさせたならその辺の男子よりも上手であるに違いない。リンダはもちろん同情のひとかけらも抱いた様子もなく、スポーツをした後のように爽やかな汗をかいて、満足げにふっと笑っている。それに比べてベーロンはというと、顔面を押さえて怒りを露にしている。 『そろってやかましいヤツらめ!・・・・お前たちはこの舞台から、降りるがいい!』 「え、わっ・・・・きゃーっ!?」 「うおーちょちょちょ待て待て待てやめぶはーっ!」 「リンダ、ブル!ちょっと、大丈夫!?」 ドミノ倒しのようになぎ飛ばされる彼らに、ともに攻撃していたロザリーが目を見張る。自分たちが立つこの不思議な舞台の柵もない縁を越えた外は、底を見ることもできない奈落になっている。落ちたらおそらく戻ってくることはできない、そもそもこの高所から落ちれば無事ではすまないはずだ。ルカも驚き、落ちそうになる彼らを追おうとした。 「大丈夫か?立て、ヤツから離れるぞ。」 「くうっ・・・・助かったぜダンナ!」 「きゃー、エプロス様、大好きっ!ねっおねがい、あたしをダッコして逃げてー!」 「それは困る。」 『ふん、幻影魔王、お前か。 ベーロンは忌々しげにエプロスを睨んだ。リンダとビッグブルを彼から遠ざけたエプロスは、トランプを自らの周囲に引き寄せ、冷ややかな理性を灯した深い真紅の眼差しで、静かに自分に「魔王」の役割を与えた支配者を見据える。 『キサマ・・・・私に隠れて、こいつらに近づいていたのだな。そもそもなぜこいつらが最強の魔王候補がいるハイランドの場所を探り当て、辿り着けたのか謎だったが・・・・・・・・世界の舞台裏の存在を気づかせ、こいつらを導いたのも、お前だったのか。』 「ああ。ルカと魔王たちには、なんとしてでもこの世界図書館に辿り着いてもらいたかったからな。」 『なぜだ。なぜ、そのようなことをした。いつから動いていた?サーカス魔王がしたことも、ずいぶんと予定から外れてはいたが・・・・・・・・ここまで修正が不可能になるほどに、被害を甚大にするとは。お前まで逆らうとは思わなかったよ。もっと、賢いヤツだと思っていたのだがな・・・・。』 「・・・・悪いな。定められた「分類」の枠の中では、私が知りたいことを知ることはできないと、あるとき悟ったよ。だから魔王たちには、私を負かしてもらわねばならなかった。「幻影魔王」という私にかけられた分類を、打ち破ってほしかったのだ。」 なんだかやたらと謎めいていてサマになっている会話に、背後のスタンが怒りで震えている。・・・・彼には絶対に展開できそうにない会話だ。 「これは、私の予定だ。そしてお前が私に課した予定は、私のものではない。私は、私が知らないものを知りたい。それが私の目的だ。それはもう、この狭く小さい、全てが定められた世界の中にはない。その中で唯一、この世界の決まりにとらわれないルカの存在がただ興味深かった。・・・・分類のない世界とは、彼のように簡単な言葉で表すことができない存在で、満ちているのかもしれんな・・・・。」 最後は呟くように言って、エプロスは目を伏せ、期待とも、諦観ともとれる薄い笑みを浮かべた。 「私一人の力では、お前の分類に抗うことはできなかった。だが、ここまで分類のキズが広がったなら・・・・あるいは、可能性があると思ったよ。そしてルカが持っている・・・・ベーロン、お前にもその正体がわからない、不思議な力があればな。」 『ぐっ・・・・・・・・いや、まだだ。まだ・・・・』 ベーロンは呻くように言うと、拳を振り上げ宙に浮くエプロスを地に叩き落とそうとした。しかし彼は道化師ような仮面を被ると、その分類名が表す幻影をつくり、幾つも自らの分身を増やすようにして彼の連撃を避ける。そこに隙を見たロザリーがすぐさま走り寄り、ベーロンの意表を突く形で斬りかかった。 ―――当然、これはお前の戦いでもあるのだぞ。 不意に、ルカはこの部屋に入る前に、エプロスが自分に言ってくれた言葉を思い出した。 ―――仲間に遠慮することなく、お前はお前の理由で進め。
―――あなたにくっついて、もっと見せてもらうわ。あなたの中になにがあるのかをね。
|