昔、ある川べりに、おおきな岩ガメが、ナワバリを作って住んでいました。

1匹の子ガメといっしょに。

ナワバリの中はコワい動物もいません。平穏そのものでした。

 

ところがある日のこと。ふと気がついたら、子ガメがいなくなっていました。

岩ガメはあわてて探しまわりましたが、どこにもいません。

いないハズはないのに。

ナワバリをあちこちウロつくうち、岩ガメはあるものを見つけました。

それは、ただの石コロでした。

 

いなくなった子ガメは、ナワバリのギリギリのところで、ずっと寝ていたのでした。

しばらくして、子ガメが目をさまして岩ガメのところに行くと、岩ガメはなにやら石コロに向かって、我が子と呼びかけているではありませんか。

しかたがないので、子ガメは誰にも見えないナワバリのはじっこから、様子を見ていることにしました。

ナワバリの外のことを、子ガメは知りませんでしたし、それに、こわかったのです。

 

岩ガメと石コロが一緒に暮らし始めてしばらくたったある日、ナワバリにお客の赤ガメがやってきました。

岩ガメは赤ガメに、石コロを我が子として紹介しました。

面食らった赤ガメは、思い切って岩ガメに言いました。

 

―――ウチの子ですってあなた、それはどう見てもただの石コロじゃないですか。

 

岩ガメも同じように面食らいましたが、やがて、笑って言いました。

 

―――おいおい、赤ガメさん。この子を石コロだなんて、いったい何を言うんですか。

―――この子を見てください赤ガメさん。この子はずっとここで話を聞いていても、私の子ではないなんて、まったく言わないじゃないですか。

 

それを聞いた赤ガメも、石コロも、何も言うことができませんでした。

赤ガメがだまっていると、岩ガメは続けたのです。

 

―――だいたい、仮に私がそれを認めると、まるで私がバカみたいじゃないですか!

 

赤ガメはどう言ったものか、迷いました。

 

―――いや、だからね。あなたは、

 

―――いや、だから岩ガメさん、あなたは、

 

 

“あなたは、”

 

 

 

その最後の一行を、男は万年筆で乱暴に塗り潰した。紙面を何度も、何度も、何度も強く書き殴った。インクが尽きてなくなるまで。そして彼は怒りのままに筆を投げ捨てた。
 黒いインクが滲みとなって広がり、そこに書かれたものはただの黒い塊となった。もはや何を意味しているのかも、わからなくなった。








     ボクと魔王と岩ガメのはなし




 







 
 その姿はまるで巨大な岩ガメの如く。
 その姿は世界を守る鉄壁の番人のようで、世界の破壊という恐怖から最後まで抗おうとする愚者のようでもある。
 その姿はあまりにも巨大で、滑稽で、愚かで、ひどく哀しい。

 

「ここは・・・・娘の国だ!娘のための世界だ!娘が楽しむための舞台なのだ!」

 

 愛する娘のためを思っていたその心は、いつの日か彼自身を蝕んだ。
 その巨大なヨロイ、強靭なカベで守っていたものは、娘の幸せを願う自分自身の幸せだった。
 少女に向けられたのは父親としての愛を上回るほどの愛情。それが少女自身どころか、自分自身の自由さえも縛っていたことに気付くことはなかった。
 その狂った愛は「分類」の力となり、この「世界」さえも縛りつける。
 それは、少女のための偽りの自由を生み出すため。

 

「娘の安息の場を、たかが小道具のお前たちにこわされてたまるかああぁぁっ!」

「だまって聞いてれば勝手なことを・・・・。」

 

 その力ゆえに、世界に「勇者」「魔王」「村人」「オバケ」などという分類が成され、この世界の人間、生き物すべてが彼に支配された。しかし住人たちは気付くことはなく、その必要もなかった。戒めは、この世界に自分が存在するための要でもあったから。
 しかし少女は、その戒めから抜け出した。自分自身の「存在」を犠牲にして。
 娘は姿を消した。娘は、いなくなった。
 「いないハズはないのに」。

 そうして父親は、そこらの石コロ―――少女そっくりの人形を、自分の娘として見るようになる。

それは自分自身の過ちを自分自身から隠し、騙すためか。
 それとも、ただ孤独に耐えきれなかったからか。
 何にしろその人形は、ひとつの物語の中で、この世界の分類のはみ出し者と出会ってしまう。
 それは世界のカベの傷を生み出す要因になってしまった。

 その傷はもはや、世界の中心の奥深くまで達している。
 目の前にいる、分類の力が効かない異分子の少年。
 かつて世界のカベを変質させようと試みた男のクサビである大勇者が倒した、大魔王ゴーマの転生である魔王。
 そして2人に関わったことにより分類の力からはみ出し、ともにこの世界の果てまでやってきてしまった者たち。

 

『この力で、最後の力で全員、この世から消してくれるわ!そして舞台は作り直す!』

 
 その姿は巨大な岩ガメの如く。
 その姿は世界を守る鉄壁の番人のようで、世界の破壊という恐怖から最後まで抗おうとする愚者のようでもある。
 その姿はあまりにも巨大で、滑稽で、愚かで、ひどく哀しい。
 その姿こそが、娘を待ち続け狂った男の成れの果て。

 

 世界図書館。この箱庭の全ての営みの源。
 その奥深く、娘を待ち続ける男はいた。
 それと対峙するのは、世界のはみ出し者の集団。
 娘の父親―――ベーロンの、愛娘マルレインを愛する思いは、小さな世界を呑みこんでしまった。
 しかしそれは今、イレギュラーな者たちの手によって、崩壊の危機にある。
 世界の傷の中心である、少年ルカと魔王スタンによって。

 

『この世界の形は・・・・「カベ」だけはこわさせはせんぞ!』

 

その空間は、図書館の最奥の一室であるはずだが、まるで次元の異なる異空間のように奇妙な光景であった。自在に動き回るブロックに、まるで宙に浮いているようにも感じられる地面。奈落の底から照らしてくる妖しげな光は、この空間の輪郭を幻想的に浮かび上がらせており、このような状況でさえなければ見惚れていたはずだ。しかし目の前にいるのは、そのような美しさとはかけ離れた厳ついオバケの姿だった。
 今までずっと人間の姿をしていたベーロンが、見上げるほど巨大な姿に変わってしまったのだ。その姿が、ルカは何かに似ていると思っていた。

 

「うっわー・・・・ずいぶん太ったわね。なんかスタンよりも魔王っぽいわ・・・・。まあ、これくらい勝てる相手だけどね。」

「フン、キサマ・・・・何を寝ぼけたことを。余はともかく、キサマら人間どもはヤツの手でひねる潰されるんじゃないか?」

「それはこっちのセリフよ、角無し老け顔魔王。」

 

 ベーロンの巨大な姿を見上げたロザリーは、それでも余裕を失わない調子で感心したような、しかし呆れ果てたような感想を漏らした。
 そんな彼女や他の人間全てをバカにするように、スタンが高笑いを上げる。

 

「ククク、今の余の魔力は強大無比!キサマのような骨だけのヘロヘロ勇者は自分の身を案じるがいい!子分、お前もだ。気をしっかり持て!なんていったって余の魔力は今、この身に溢れんばかりだ・・・・フハハハハ!」

「・・・・2人とも分類から外れた。真の力もお互い得ている。・・・・だが、奴は世界を創った者だ。油断は禁物だぞ。」

 

調子に乗っているスタンに、魔術師であり元魔王でもあるエプロスが真剣な様子で忠告した。この言葉に、笑っていたスタンもロザリーも黙り、ルカとともに目の前の敵を睨みつける。
 影の薄い少年ルカの背後にいる、全ての魔力を取り戻した悪の大魔王、スタン。一度真の姿を得たものの、今は影の姿に戻りルカの影に再び宿っている。もしルカがスタンにその理由を尋ねたなら、ルカの体力を削って協力技を使いたいだの、誰かと戦うなら実体のない影の姿の方が攻撃が当たらないので便利だの、そもそも自分で戦う気はさらさらないだのそっけない理由を口にするに違いないが、本心は実はもっと別のところにあることを彼が明かすことは決してないだろう。その身を巨大化させたその姿は、目の前のベーロンの大岩のような巨体にも負けていない。
 そしてルカの隣には、大勇者としての真の力を手に入れた、女勇者ロザリー。相変わらずピンク色の日傘を差してはいるが、勇者としての威厳、決意がその瞳から感じられる。そして彼女の身の内に秘める勇者の力が聖なる光となって、肌を内側から照らしていた。周囲の薄暗さにかき消されることなく、光り輝いている。

 ベーロンは、この世界の人間たちの「分類」を操る力を持っている。それでも彼らがこの場でベーロンと対峙できているのは、ルカが存在するからだ。ここにいるルカの存在、彼の行動は、強固な分類をも砕いてしまう。先ほどもベーロンによって、力を取り戻したスタンとロザリーが戦い合い、危うくお互いを殺してしまうところだった。しかしそれも、ルカの行動によって止められた。
 そう、「勇者」と「魔王」は、この冒険世界の柱となる重要な存在だった。その分類によって、2人は戦い合う運命にあった。普段から口ケンカばかりしていた彼らは、本当は最初から、そのように定められていた関係だったのだ。しかしルカの手でその運命は破壊され、今、2人は手を組んでペーロンと睨み合っている。

 

『・・・・全てお前たちがいけないのだ。分類に抗うことなく、設定通りに暮らしていれば、ここで消えることも、その必要もなかったものを。』

 

 その巨大な目を細め、この世界の邪魔者を憎々しげに、愚かな行動を起こした者を蔑むようにベーロンが言った。
 何も考えず、疑問を持たず、逆らうことなく。全て、自分の言うとおりにしていればよかったのに。
 ただの役者はただの役者らしく、人形は人形らしく。
 ベーロンの人形だった王女マルレインは、彼の娘としての役割を捨てて彼のもとから離れ、彼に破壊された。彼女と同じ道を辿るのかと、問いかけているようだった。
 しかしその言葉にも仲間たちは動じない。

 

「あー、私は学者だからね。そんな誰かに決め付けられた考えよりも、自分の考えを優先するのだよ。あなたのように、何でもかんでも『分類』して決め付けるのはあまり好かない考え方なんだなぁ、これが。そりゃー扉は『扉』として開けた方が美しいとは思うがね。つまり私は、人間として学者としてホモ=サピエンスとして、考えの自由を束縛されるのはちょっと嫌なんだ。それに設定どおりに暮らしていく、といってもあんな王女様が壊される場面を見ちゃってしかもあなたからこの世界の話を聞かされちゃったら、全ての疑問を追及せざるを得ないさ。ルカ君がいることで今私たちがここに成り立っているのだからね。もうおおいに分類から外れた私たちを、今から分類通りに束縛することなどできないよ。」

 

オバケ学者のキスリングが、手を広げて、まるで彼にこの意見を受け入れてもらえることを願うかのように言った。もともとオバケを専門としている学者である彼だが、すでに彼の目は、オバケだけではなく「世界」全てを見ている。相変わらず話は長いが、自分の考えを信じて貫くその志は、過去も今も変わらない。年長者として、学者としての彼の考えで、集団内の秩序など一切なく意見も主張も混濁したメンバーをこれまで幾度もまとめてきた、支配者に対する彼なりの意見だ。
 そして、キスリングに続いて元魔王のビッグブルとリンダも睨みをきかせて言葉を紡ぐ。ベーロンに対して、全く遠慮のない敵意を向けながら。

 

「テメーのなんか見下すような目はムカつくッス・・・・ムカつくんだよオラ!欲望のままにぶっ倒してやるぜオラ!」

「あたしだって、こーいう自分勝手な人イヤですっ!スタン様よりも一段上にいるんだぜー的なその態度が一番腹立つですっ!」

「いや、元・巨牛魔王はともかく・・・・君はなんか怒る論点がズレてないか?」

 

エプロスが静かにリンダにつっこんだ。しかし、リンダの口は止まらない。

 

「それにスタン様よりも悪そうだし、全然若くないし、体が大きすぎるしブサイクだし、何より女の子に優しくないし!」

「・・・・あのー。別に誰もリンダちゃんの好みの話なんてしてないっスけど・・・・。」

「それより余よりコイツの方が邪悪とは一体どういう見解だ。」

「スタン様もエプロス様もリンダにはとっても優しいのに、あなたはか弱い女の子を吊るし上げて首しめて!ほんっとうに女の子の扱い方がわかってないんだから!女の子はセンサイなんですよ!?・・・・だからきっと奥さんにも娘さんにも逃げられるのよ!・・・・・・・・・・・・あたしよく知らないけど!」

『・・・・!』

「だから、余は優しくないって。」

「あのなんかルカさんがさっき持ってたぼいすれこーだーとかいう、言葉を記録できるとかいうものも、あなたが娘さんの旅の道程を知るために用意した、って言っていましたけど。ふーん、それ使って王女様の声聞いてニヤニヤするつもりだったんでしょ。いちいち娘さんの行動を観察とかヘンタイですか。そーなんですか?スタン様を召使いにした王女様もアレですけど、あなたも十分アレですねー。このストーカー。どスケベ。娘コン。キモチワルいです。」

『・・・・なっ・・・・なんだと・・・・』

 

 恐るべし、元・アイドル魔王リンダ。
 王女マルレインに対してもそうだったが、世界の創造主ベーロンに対しても一切ためらいがない。相手が誰であれ怖気つくことなく堂々と、もはや言いすぎかと思われるほどに容赦なく言い放った。・・・・しかし、内容は依然として論点から外れている。
 その女の子としての圧倒的な態度と言葉に、さすがのロザリーやスタン、ルカもリンダの方を向いて唖然としている。エプロスとビッグブルも少し引いていた。スタンに至っては少しも嬉しくない褒め言葉の数々に閉口している。今までのシリアスな雰囲気が、彼女によって一気に女の修羅場と変わった・・・・気がした。ロザリーは「なんの話してんのよ」というつっこみを入れたい視線を彼女に送っているが、つっこんだところでリンダは聞かないだろう。
 リンダのあまりに失礼な言葉は、見事にベーロンの神経に障ったようだ。彼は怒りでわなわなと震え、巨大な目が真っ赤に光った。それを見たルカは嫌な予感がした。

 

『キサマのような下等魔族に、何がわかるっ!私はひたすら、マルレインのことを想って、なんでもしてきたのだ・・・・こうして美しい世界を作って、マルレインが喜ぶように・・・・ボイスレコーダーも、マルレインを守るためのものだ。そう、あの子は守られている!それを好きに言い・・・・。・・・・だが、あの人形は、あの子ではない。あの子に・・・・マルレインにもなりえぬ人形など、意味がない!』

「・・・・なんですって!?あの子に意味がなかったわけないじゃない!」

 

 ロザリーがきっと睨み返す。彼女が人形であったと知ったあの日、受け入れられない出来事を目の前にして感情的になれなかったルカに代わり、残酷な真実に対して真っ直ぐに怒ってくれたのは、まさしく彼女だった。
 彼の言葉に今も感情的になって怒るロザリーを横から抑えるように、キスリングは落ち着いて言う。

 

「あなたは間違っているよ、ベーロン。彼女には確かに人間としての感情があったし、あなたがあの人形をあなたの娘と「分類」していたのなら、あのとき彼女は確かに、あなたの娘さんであったはずだ。あなたが娘さんを守ると言うならば、彼女もまた守るべきだった。あなたがしたことは、いなくなった娘さんの気持ちも、娘さんの代わりとなった娘さんの気持ちも、踏みにじっているのではないかな。・・・・あなたは彼女の父親なんだ。なぜそのことに気がつかないのだね?」

「そーよ、気がつかないなんてあなた、バカなんじゃないですか!」

『・・・・!黙れ!』

 

キスリングの説得にノリで便乗して発せられたリンダの一言に一瞬、ベーロンの顔色が変わったように見えた。ついに怒りに耐えかねたベーロンが、丸太のような腕を持ち上げ、7人がいる地面に叩きつけようと振り下ろす。

 

「うっ・・・・わわっ!?」

「きゃっ!つぶされちゃう!」

 

攻撃を避けようとするが、攻撃の範囲が広く避けきれそうにない。それをロザリーは瞬間的に感じ取り、舌打ちをしつつ素早く魔力を構築し詠唱した。

 

「っ―――プラガドール!

 

 ベーロンの腕が振り下ろされる瞬間、全員の体がほのかに赤く光を帯びた。
 そしてベーロンの太い腕が強く叩きつけられるが、光はゴムのクッションのように彼らを包み、衝撃を和らげる。しかし攻撃を受けた反動に耐え切れず、ルカとリンダが倒れ込み背中を打った。ルカが起き上がると、ビッグブルが後方に向かって器用にも頭から後転で転がっていく姿が見えた。・・・・無事だろうか。
 体勢を立て直したエプロスが、リンダに苦い表情で注意した。

 

「学者はいいが・・・・。元・アイドル魔王、君は少し言葉を抑えた方がいい。」

「えー、いくらエプロス様のお願いでもムリですっ!だってほんとあたし今イライラしてますし、もー言いたいこといっぱいありますしー。」

「・・・・本当、アンタって見た目の割に口悪いわよね。以前のあの健気さはどこ行ったのかしら。」

「ひょろひょろでもやはり立派な魔王だなキサマは。今は迷惑だが。」

 

とばっちりを食らったと言わんばかりに、ロザリーとスタンはそろって非常に迷惑そうな視線をリンダに投げかけた。背中を打ったルカも無感情に無言で。後方から帰還したビッグブルも何とも言えない様子の表情で無言で。そのような彼らの横で、キスリングだけは涼しげだ。
 言葉を抑えるといっても、ここで自分自身の意見を言わないわけにはいかないのだ。ルカたちは自分自身の存在を分類の束縛から解放し、それぞれの目的―――たとえばスタンは世界の真の支配者になることを目的にして、ロザリーは勇者として悪を倒すことを目的とする。他の仲間も同様に各々目的を持っている―――を達成するためにベーロンに会いにきたのだ。もうひとつの理由として、一々腹立たしいことを言うベーロンを、気の済むまで殴りたいのもあるが。
 攻撃を防がれた感触にベーロンも気付いたようで、彼らに怒りと蔑みの視線を向けた。

 

『ただの外野でしかないお前たちが、娘の何を知っている?キサマらも、しょせん人形なのだ。マルレインのために生き、マルレインのために死ぬ。物語の役者として何も知らずに、マルレインが遊ぶ物語の中で永遠を過ごすはずだった者どもよ。ただ少しあの人形と行動をともにしただけで、私たちの全てを知った気になるな!』

「全てを知った気になっているのはアンタでしょーが!そりゃ、確かにあたしもまだ、全部理解しているわけじゃないわよ。あの子のことも、アンタのことも、この世界のこともさ。・・・・でも、これだけはわかる。たぶん、今のままじゃダメなのよ、アンタたち親子は。そしてあたしたちもね。」

 

 最初は魔王が勝手に生み出されていたり、勇者である自分が守るべき人々が勝手なルールによって支配されていた真実に憤慨したことが、ロザリーにとってのベーロンに立ち向かう目的だった。世界中の人間が支配され操作されていた偽物の王国。自由を奪われたその在り方が正義を重んじる彼女には許せなかった。今も、彼女は彼の仕業をすっきりしない悪として見なしている。
 しかしそれ以上に、分類を解かなければならない必要があることを、理解していないながらも察していた。

 

『うるさい!この分類こそが、マルレインを守るのだ!全て分類によって世界は成り立っている、ここは安全な世界だ。世界は、このままでかまわない。・・・・このままでなければならない!分類は絶対だ。私が作り上げたこの世界で、あの子が幸せに生き続けるためには、どうしても必要なのだ!お前たちをこの世から消して、この世界の分類を修正する。マルレインが過ごす安楽な世界は・・・・決して、崩れてはならないのだ!』

 

ベーロンの言葉は、まるで正気を失っているようにルカには聞こえた。娘マルレインのために作り上げた理想郷、それが彼の愛情の形であり、彼が娘をどれほど大切に思っているのかは手に取るようにわかる。きっと彼は決して悪を演じているつもりなどないのだろう。娘の安息のために正しいと信じている方法を、ただとり続けているだけであり、それに逆らう人間の存在は安息を脅かす邪魔者でしかないのだ。この世界の秩序と平和、そして娘の幸福を壊す「悪」。それが彼から見た、自分たちの立場だろう。
 だがこの親と子の歪な関係は、美しくもどこか奇妙な世界の在り方は、見えないところで理不尽なひずみを生んでいる。それをルカは知っている。そしてロザリーたちもまた、自分自身や世界の在り方に異議を唱えたいと思っているほどに、理不尽さと不満を感じているのは事実。
 それでも彼は譲らない。娘がいないという絶望の淵に立たされ、彼はつくりあげた世界の形を保つことで、彼自身の希望を保っているのだろう。娘を守るという目的を、彼は「カベ」を守るという方法で全うしたいのだ。

 

『消えろ。・・・・この世界から!お前たち全員!消えてしまえぇぇええっ!』

「・・・・あ、アンタね・・・・。」

 

怒り狂う岩ガメの姿に、ロザリーは緊張感を覚えると同時に呆れのようなものを感じた様子だった。これではこちらの言葉など通じそうもない。それは他の面々も同じことを考えたようで、恐怖というよりは冷や汗をかいて、どうしたものかと彼を見上げている。聞きわけの悪い子・・・・ではなく親だ。
 しかし彼の怒りは尋常ではない。彼は本気なのだ。油断をすれば本当に、自分たちは壊されてしまうだろう。世界から消されてしまう。そもそも敵の陣地にここまで深く侵入しておいて、そんな目に遭わない理由はないので今恐怖したところで今さらだが。
 この空間の中にいる者たち全てを圧倒する大声に、ルカたちは咄嗟に身構える。
 ロザリーは腰の鞘から引き抜いたレイピアを構えた。ベーロンに向けられたのは、白銀に輝く細めの刃の切先。ルカも持っていた剣を握る手に、さらに力を込める。
 スタンはうんざりとした様子でため息をついた。

 

「・・・・はぁー。・・・・子分、行くぞ。余はもう、あの破壊的思想男のくだらん妄想に付き合うのに我慢ならん。悪の魔王として思い切りぶち壊してくれるわ。」

「・・・・うん。」

「・・・・本気でやるわよ、ルカ君。あっちもめちゃくちゃ本気みたいだし。あの極悪非道っぷり、勇者として許すわけにはいかないもの。正直どこかのペラペラ魔王よりもあたしは許せないわ!」

「なんだとー、って今はそんな空気ではないが・・・・今すごく腹が立ったぞ。余としては。」

 

 魔王としてのプライドをさりげなく傷つけられたスタンが、ロザリーにひっそりと意見するが彼女はもちろん聞いてはいない。そしてリンダも、スタンの言うものとは違う意味の同じ台詞をベーロンに向けて言った。
 スタンのいじけた顔は総スカンである。

 

「リンダもすごーく腹が立ってまーす!ぶちのめしちゃっていいですかぁ?」

「うん、彼には少し頭を冷やしてもらったほうがいいかもしれないね。さすがにこのまま消されたくはないしなぁー。」

「運命づけられた分類は崩壊した。もう我々を、分類通りに操ることなどできないはずだ。倒すしかないようだな。」

「ええっと・・・・それってじゃーつまりコレ、決戦ってヤツだな!?よっしゃよっしゃー、おおう、やるぜええ!オラオラオラァ!」

 

キスリングとエプロスの言葉に、ビッグブルが嬉しそうに片方の拳をぐるぐると振り回して準備運動を始めた。まるでこれから殴り込みに向かうような意気込みだ。しかし実際、ベーロンに挑発されたとはいえ・・・・この世界図書館には自分たちから殴り込みに来たようなものだから、あながち間違ってはいない。この部屋の扉の開け方もすでに理不尽の名がつく非常識ぶりで殴り込みじみていたのだから(実際にそれを実行したのは魔王の執事だが)。
 ビッグブルのまさにノリノリなノリに、一瞬落ち込んだスタンもすぐに普段の調子を取り戻し、にやりと笑って正面に向き直った。
 スタンの足下にいる、影の宿り主のルカとともに。

 

「クックック・・・・見ておれ、愚かな人間よ。余を相手にしたことを後悔させてやろう!」

 

 7人は目の前にそびえ立つ巨大な、強固なる世界のカベ―――ベーロンを見据えた。
 世界を救う、などという美しいものではない。これはそれぞれの意志で、それぞれのワガママで、それぞれの存在意義をかけた戦いだ。「不当な世界支配を展開していた巨大な悪に対する正義の戦い」と呼び、勇者として世界を救うつもりでいるロザリー以外は、悪を制裁するという意識はおそらく抱いていないだろう。つまり、どちらかというと個人的な感情からくる個人的な問題に関する個人的な戦いなのである。・・・・たぶん。これはいわゆる支配者ベーロンに対するクーデターとか、ストライキに近いものだとルカは考えている。

 

―――ポラックや大勇者ホプキンス。彼らの活躍でこの世界はだんだん変質を見せ始め・・・・そして君たちが、今ここにいるわけだ。

 

ベーロンから与えられた「役割」を放棄して、今、ここに分類から外れた人間が集まった。皆、性格も意志も目的もなにもかもバラバラでまとまりがないが、現在眼前に見据えている目標だけは共通していた。あるいはまとまりがないからこそ、全て決まり切った分類を打ち砕くに最もふさわしいメンバーなのかもしれない。
 全員の瞳には、揺るぎない決意がこもった光が宿っている。・・・・考えてみれば、この個性がありすぎる面々がこのように結束するのも、これが初めてかもしれない。この部屋に入る直前まで、誰一人としてマイペースを崩さなかったのだ。ラストダンジョンの最奥で扉の開け方についてわざわざ議論し始める彼らの、一体どこがまとまっていると言えるのか。

 

―――君たちがこの世界の「分類」をこわすなら、それもまた世の流れさ。

 

 この世界のカベに、風穴をあける。閉ざされた認識の箱を、内側から開く。それは定められた枠、自らを覆う堅い殻にひびを入れて破るということ。カベに遮られて見えないものを、見えるようにするということ。
 カベに遮られたその先に、自分が望む自分、自分が望むものがある気がした。
 ルカ自身も、何も考えずにここまで来たわけではなかった。今ここで支配者に立ち向かう理由を、彼もまた持っていた。この大きなカベ・ベーロンを倒さない限り、この図書館から出ることはできない。もう戻れないし、戻る気もない。

 

 覚悟を決めて、ルカはスタンとともに、ベーロンに向かって走り出す。彼らを見た他のメンバーも続き、一斉に駆け出した。
 お互いが、自身の存在意義を賭けている。自分が何のために生きるのか、自分自身で考えた意味を貫くために。
 それはベーロンも同じである。

 

『抗うか!?・・・・娘の世界は壊させん!―――バミラクル!

 

 ベーロンは大きく腕を振り上げ、全身を勢いよく回転させた。そして彼の周囲を旋風と光の渦が取り巻き、彼は近づく者を拒むかのように魔力を放出した。それによって一同は、彼に挑む足を止めざるを得なかった。
 彼は、娘と娘の世界を守るために、この場所に存在している。

 

「わっ・・・・」

「なんだぁ!?」

 

 ベーロンを中心にして放出された魔力によって、瞬く間に彼を囲むように赤い光のカベが地から垂直に湧き出た。その光は彼の巨大な体を守るように包みこんで消える。
 物理攻撃による衝撃を大幅に軽減させるための、強力な魔法だ。その魔力は彼自身を鉄壁と化させる。
 げ、とロザリーとキスリングとエプロスが表情を変えた。この魔法を使われると、面倒くさいことになるのを知識が豊富な彼らは知っていた。ちなみにリンダとビッグブルのツノ魔王コンビは、この魔法と今の状況の意味をいまひとつ理解していない様子である。

 

「うっわー、めんどくさ!このオヤジ、どこでこんなの覚えたのかしら。」

「世界を支配するほどの力を持っていたんだし、これも当たり前じゃないかね?・・・・といっても、以前にルカ君の家の前で会ったときよりは、魔力が弱まっているみたいだね。一体どうしたのやら。」

「最強の魔王を作る過程で、今は力を使い切ってしまっているのだろう。・・・・もう、分類がほとんど解けている我々を元の形に戻すことなど、難しいのかもしれんな。だから・・・・元に戻すよりは、我々の存在自体を消した方が簡単だということなのだろう。」

「えー、ねえねえ。あれ、何したんですかー?ばみばみってなんですかー?」

「なんでアンタがあたしにそれを聞くのよ・・・・。補助系の魔法なんだから、アンタの領分でしょ。自分の胸の中に聞きなさいよ。アンタちゃんと勉強してないの?」

「してません!あたしは毎日歌の練習で忙しいんです!だいたい、アイドルはなんでも屋の魔法使いなんかじゃないんですよ。アイドルが本業なら、バトルは副業なんですよ!わかってるんですか?」

「わかるかっ!アイドルうんぬん以前に元魔王としてどうなのよ。アンタ、この戦いが終わったら勉強しなさい!稼いだお金で魔法の専門学校行け!」

「ああっすまねえ、オレもわかんねえぜ!オレ、自分の知っていること以外のいろいろはもーサッパリなんで。・・・・・・・・で、先生。あれどういうことッスか?」

「んー、つまり、よーするに。一言で述べるなら、魔法でヒキコモリましたってとこかな。魔力のカベはカラダのカベであり、第三者の侵入を拒むという点でメンタル面のカベでもある。つまり彼は我々の意見を快く受け入れる気はさらさらないというワケで、彼と我々が腹を割って打ち解けることは格段に難しくなったことを意味し、従ってこの自身と他者と隔てるカベという問題の解決を心理学的側面に沿ってカウンセリング療法に当てはめて考えるなら・・・・」

「一言じゃねええええっ!」

「別に、ちょっとカラが硬くなっただけではないか。気にせずぽかぽか叩けばよいだろうが。」

 

騒がしいメンバーが口々にやはりまとまりなく言い合う中(先ほどの決戦への意気込みは早速失われつつある)、スタンは鼻をほじるような余裕の態度で、軽く言ってのける。盾が硬くなった彼を叩くのはあんたじゃなくてボクたちなんですけど、という非難を込めてルカは沈黙の背中でスタンにつっこむが、当然のように彼が察するはずがない。
 仕方がない。彼の防御に太刀打ちするには、彼の魔力を無効化するか、こちらの攻撃力を上げる必要がある。キスリングの難解な解説をかわして、とりあえず合点がいったらしいビッグブルが先に進み出た。

 

「ええい、こうなりゃー、次はオレたちの番だ!いくぜえー!―――プラストール!

「はーい!じゃっ、あたしも本日ラストのライブ、いっきまーす♪お待ちかねのみなさん、リンダの新曲、聞いてくださいっ!」

 

リンダがお気に入りのマイクを高く、高く宙に投げた。それが落ちてきたのをキャッチしたのを合図に、透き通ったメロディーが彼女の喉から奏でられ始める。彼女が歌い出すと、まるで歌を彩るにぎやかな楽器の演奏まで聞こえてくるような気がするから不思議だ。いやもしかすると、本当に音楽まで聞こえているのかもしれないと思うことがこれまでもたびたびあった。魔力で演出を作り出しているかもしれないとかなんとか、どこかに音声を流す機械を隠しているのかもしれないとかどこか。
 その歌は、普段彼女が歌っている花のような愛らしさを醸した(歌詞以外)歌とは一風異なる曲調だった。まるで彼女の今の精神を表しているようで、最大の敵を前に、大詰めを迎えた自らの挑戦心を奮い立たせるつもりであるかのような、テンポが早めの元気で力強い歌だった。自らの不完全な生き方を全肯定して、生き急ぐ少女の歌。―――いつもの魔王の歌ではなかった。どうやら彼女は、支配者ベーロンとの戦いに対して彼女なりに真剣であるらしい。いつの間に、このような歌をつくっていたのだろう。

 ビッグブルの魔力による攻撃力強化、リンダの歌によるアクション補助(という名目の場の盛り上げ)を受けて、ロザリーが素早く指示を出す。

 

「よーし、ブルはタイキ。ルカ君はオーバードライブ準備よろしく。そのあとはいつものアレで、ブルは右、ルカ君は左!あたしは正面から行くわ!」

「は、はい!」

「おうッス!」

「じゃー、私とエプロス君は後ろからサポートかな。バックアップは任せたまえ。手持ちの回復が切れたら、ちゃんと当たるように投げるからエンリョなく言ってねー。」

「投げなくてもフツーにちょうだいよ。」

 

キスリングがにやにやと笑う姿を、ロザリーはいぶかしげに睨んだ。

 

「・・・・まさかハカセ、あのベーロンのこともオバケとして見ているんじゃないでしょうね?まさかとは思うけど、アイツを研究対象にしたいとかマッドなこと考えてないわよね・・・・。」

「あー、まさか。今はそんなことはしないよ。ちゃんと君たちを守るさ。だいたい、彼はれっきとした人間だよ。スタン君も前に言っていたじゃないか、人間の分際でーとかどうとか。確かにベーロンの今のカラダの構造がどうなっているのかは知りたいけど。ぱっと見オバケと同じなように見えるがね。」

「よかった。ここまできて働きたくないでござるとか言われたらどうしようかと思ったわ。」

「おやおや失礼な。これまで私が一言でもそんなことを言ったかい?」

「口に出さなくても実行してたでしょうがっ!オバケちゃん観察とかなんとか!忘れたとは言わせるか!」

 

もしこの場によくできたハリセンがあったら、自らの過去の所業をとぼけるキスリングの白髪混じりの頭は、彼女に勢いよくはたかれていたところだろう。しかし実際に彼らの頭をはたこうとしたのは第三者だった。

 

「・・・・!くるぞ!」

「え!?」

「あ、話しこみすぎちゃったね。」

 

エプロスが向かってくる巨大な影に気がつき、咄嗟に注意を促した。驚いてばっと振り返るロザリーと、それでも飄々とした調子を崩さずにキスリングは前方を見上げた。丸太のような腕が、彼ら目掛けて振り下ろされるところだった。

 

『キサマらっ!』

 

エプロスは素早く瞬間移動を駆使してベーロンの背後に回ったが、そのような常人離れをした芸当はとてもできないロザリーとキスリングは、そろって彼の拳を受けて後方に吹っ飛ばされた。「ナイスハリセンー!」とキスリングが地面に叩きつけられながら笑うのが耳に届いてきた。我が身のことのくせにのんきすぎる。
 彼らを見てあせったルカは慌てて念じて剣を振りかざす。淡い紫色の光が彼の足下から溢れて輝き、ルカ自身の身体を軽くする。それは彼自身が旅立つ前から身につけていた、彼の得意技だった。実は若い頃は剣を振り回して世界を駆け巡っていたらしい祖父からオーバードライブのやり方、同じく旅をして修行していたらしい父からオバケに対する陽動作戦を教わっていたのである。ちなみに祖父から冒険家の血を継いでいるらしい母からは物の売り方と敵からの金の盗り方を教わった(それぞれの人間の性格がとてもよくわかる気がする)。

 

「ロザリーさん!大丈夫ですか!?」

「これくらいなんともないわよ。それよりあなたの方は準備整った?なら、行くわよっ!ブル、ルカ君!」

 

 彼女が使ったプラガドールの防御もあるせいだろう、打ちつけられても大した痛みではなかったようで、ロザリーは即座に飛び起きてレイピアを右手に構え直し、ビッグブルとルカがベーロンを双方から囲んでいるのを確認して、彼らに向かって頷いた。
 ロザリーが駆け出したのを追うように、ビッグブルとルカもベーロンの元へ走る。そして3人は一斉に飛びかかった。
 ドウジ攻撃はこのパーティーの計画戦術である。団結力があるからこそなせる戦法だ。・・・・・・・・と言うと格好がつくが、実は団結力やら何やらはあまり関係は無く、同時に叩く方が楽だというだけである。
 勇者たちは一人ずつ戦うのがどうも好きなようだが、実際は一人ずつよりも断然こちらの方が効率が良い。特にこのメンバーは大方の人間がマイペースすぎるため、好き勝手に戦うせいで戦闘が混戦しがちである。その上指示を与えても各々それほど真面目に聞いてはくれないので、せめて敵が一人の場合は息を合わせようという話になっている。ちなみにこれはロザリーが提案したことだった。ルカは人をまとめるのが得意ではなく、スタンはそもそも戦闘に参加する気が一切ないため、戦闘経験に富みリーダーシップに優れたロザリーがたいてい戦うときの計画を立ててくれていた。彼女は頼りになるお姉さんだ。

 

「せいっ!」

「オーラァァ、オラオラオラーッ!」

 

ロザリーは彼女を襲おうと両腕を振り上げたところを掻い潜り、レイピアでベーロンの腹を何度か突き、そのまま回転しつつなぎ払った。
 彼女に続いてビッグブルはかけ声とともに、ベーロンの脇腹に向かって暴れ牛が走るがごとく突進し、跳び上がって渾身のドロップキックをめり込ませた。よろめいたベーロンの身体に、長期間ため込んで熟成させたうっぷんを晴らすように拳を乱れ打ったあと、隙を入れずに一歩後退して左手でアッパーを食らわせる。そのままの勢いで体を空中に浮かせ、驚くくらいの高さまで跳んで頭上に踵を落とした。そして着地した瞬間に体を勢いづけて捻り、気持ちのよい回し蹴りを放った。

 

「うおおおおい、気持ちいーぜーっ!どうだベーロン!このオレ様に大魔王世界ベルトを渡す気になったかぁ!?」

「んだと、キサマ!それは余のもんだったんじゃないのかコラァ!?」

「おおっ、すまねえぜアニキ!アニキは大魔王世界チャンピオンなら、オレはオバケ世界チャンピオンってことだぁ!」

「・・・・・・・・どちらも同じではないのか?」

 

魔王=オバケの王=オバケの中で最も強い=オバケ世界チャンピオンという図式の矛盾を、現在攻撃中であるためつっこみたくてもつっこめないというもどかしげな表情でレイピアを振り回すロザリーのために、エプロスが静かにつっこんであげたようだった。それに対しビッグブルは、「魔王を抜いたオバケの中で」とさらに補った。・・・・どうしても彼は一番になりたいらしい。
 これまでもリンダやエプロス、吸血魔王といった強敵と出会い続けてはきたものの、本日のビッグブルはスタンたちと戦ったとき以来に楽しそうである。こんな大きな獲物と戦うのは、スタン率いる魔王軍(仮)に袋叩きにされたことと同じくらいに珍しい出来事なのかもしれない。彼は平凡で平和な毎日より、強敵と出会い戦いを追い求める日々が好きなのだろう。戦力としてはありがたいことではあったが、彼は根からの筋肉マニアで戦闘オタクだ。そんな彼にとっては、大きな目標となりうる恐ろしい大魔王が存在する世の中か、もしくは魔王だらけである世界のほうがあるいは嬉しいのかもしれない。
 だがしかし、勝負好きには辛いことであるのだろうが、ルカはやはり毎日が平和であるほうがいいと思っていた。自分が町から消えた一件以来、魔王やオバケといった悪の存在に怯える「物語」はもう聞き飽きてしまった。・・・・先ほどのベーロンの操作でいよいよ発覚した事実として正真正銘本物の魔王である(らしい)スタンに関しては、彼には悪いが、それでもやはり彼は魔王に見えない。彼の話す世界征服を夢見る物語は、彼の切り絵のような外見に子供のような口調とは不釣り合いすぎて、いつだって笑ってしまうのだ。スタンの真の姿を確認しても、どうしても普段のまぬけなカゲの姿こそが彼の本来の姿であるように思われてならない。

 そのような雑念を巡らせつつ(もともとルカは普段無口であるぶん脳内の雑念が多い方だ)、ルカもベーロンの攻撃が当たらない位置を考えて、彼の背面に跳び上がり剣で斬りつける。
 しかし彼の背を覆う棘の生えた甲羅のような表面は、鈍い金属音とともに剣の刃をはじいてしまい、あわててルカは地面に着地した。どうやらこの変身した彼の体にダメージを与えて破壊するためには、正面に回って甲羅で覆われていない腹や顔を狙ってみるしかなさそうだ。しかしそれを実行した場合ベーロンの視界に入ってしまい、ロザリーのようにあの腕の攻撃をうまく掻い潜らなければならない。
 正面のロザリーに加勢するため、ルカはベーロンの巨体を半周してロザリーの近傍まで回り込み、再度高く跳び上がって力を振り絞って斬りつけようとする。

 しかし、今度はバミラクルの赤い光に剣が弾き返された。その反動でルカは地面に緊急着地し、思わずロザリーを見ると、彼女も眉間にしわを寄せた不満げな表情である。やはり彼女もバミラクルの魔力のカベに難儀しているようだ。

 

『ふざけるな!このカベを、お前たちが越えることはできんぞ!・・・・越えさせるか!』

「ちっ・・・・」

 

そこにベーロンの太い腕が飛んでくる。ルカと苛立ってついに舌打ちしたロザリーが咄嗟にしゃがむと、頭の髪の毛スレスレのところをベーロンの大木のような腕が通り過ぎた。もし数秒遅れていたら、その腕によって空中へ飛ばされていただろう。ルカは緊張で顔を引き攣らせたが、ベーロンの真下にいる今、立ち止まる暇はない。ルカは立ち上がる勢いでそのまま回転前進し、身をかがめつつ大きすぎるベーロンの巨体を支える足に斬り込んだ。うまく当たれば、彼の体勢を崩せるかもしれない。
 しかしルカが足元で斬りつけてきた感触に気づいたらしく、ベーロンは突然両足をバネのように縮めて反動をつけ、その体を空中に跳躍させた。驚いたルカとビッグブルが、全身で降ってくる岩ガメを見上げる。

 

「うおお、タイヒッスよ!タイヒッスよ!」

「あわわわっ!?」

「あーっ、もう!ルカ君、早く逃げなさい!」

 

ブロックが組み立てられてでできたニセモノの大地が揺れたかと思われるほど、響くような地鳴りを立ててベーロンが両足と両腕を地面に叩きつけた。ルカは走って着地点から離れたつもりだったが、衝撃に転んで倒れた。ビッグブルもまたもや頭から転がっている。

 

『・・・・踏みつぶしてくれるわ!』

「あーあー、だめですよ踏んだりしちゃ。中身出ちゃうから。ぶちゃっと。―――イエロドーン。っとね。」

『!?』

 

別の方向から気の抜けるような詠唱が聞こえたと思うと、その声の調子とは正反対に、激しい轟音とともに青白い稲光が幾重にもわたってベーロンの頭上に落とされた。強力な雷撃に彼がもがく間に、ルカとビッグブルは体勢を立て直して距離をとった。どうやらキスリングの援助が入ったようだ。
 ロザリーがレイピアで突こうとして筋肉を痛めたらしい腕をだるそうに振りつつ、切実な愚痴をこぼした。

 

「・・・・ホントにめんどさいわね、あのかったいバリア。誰かなんとかできないの?」

「元・アイドル魔王よ。君の力なら、たやすいはずだぞ。」

「きゃーっ、エプロス様があたしにオ・ネ・ガ・イなんて!待ってて・・・・リンダ、とっておきがありますから!エプロス様のためにがんばって勉強して、練習したんです!紫のバラのヒト、きっと見ていてくださいね!」

「いや、べつにお願いというわけではないのだが・・・・・・・・聞いていないな。」

「なんであたしがたずねたときと言うことがまるきり違うのよ。紫のバラって何よ。誰の話よ。」

 

ロザリーの恨めしげな視線は可憐かつ華麗に無視して、リンダは歌いながらマイクを掲げて高く跳び、バレリーナのように身軽に一回転してから、この広い空間全体に向かって呼びかけた。

 

「愛をください。――― バ リ セ ッ ト ♪

 

どこからか希望に満ちた淡い輝きが空間を照らし、ベーロンを囲んでいた赤い魔力のカベが、ルカたちを包んでいた赤い魔力のベールが、ついでにルカの身体から帯びていた紫の光が、霧のようにことごとく消え失せた。
 一瞬、この場の全員が何が起きたか理解するまで、敵味方双方とも静けさに包まれた。

 

・・・・・・・・・・・・。

 

『ふん、この小娘・・・・小賢しい真似を・・・・。』

 

「ってアンタ、あたしたちがかけた技まで全部消すなぁぁぁぁっ!」

「ナニやっとんだキサマ、アホがぁぁぁぁ!」

「えー。だって、あのヒトのばみばみを解きたかったんですよね?あたしができるのなんて、これしかないしー。やったあとで文句言わないでくださいよ。」

「ひどいッス、リンダちゃん・・・・。オレのせっかくの二番手がぁ・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

スタンとロザリーの凸凹コンビによる息のそろった怒髪天つっこみが炸裂された横で、彼女に頼んだ張本人であるエプロスは、難しい顔をして額を抑えたまま何も言わなかった。ビッグブルは愛らしいリンダによる所業であるために怒るにも怒れず、泣きそうな顔をするだけだった。ドジっ子(あるいは小悪魔)アイドルリンダのさわやかな失敗に、ルカ自身は早々に彼女への期待を諦めた。
 キスリングはそれでも冷静に、メンバーに向かって呼びかける。

 

「とにかく、今がチャンスじゃないかな君たち?またバリアを張られる前に、こちらから攻めなければ。じゃないと明日肩こりになっちゃうよ。」

「肩こりですめばいいのだがな。・・・・だが、学者の言う通りだな。これでお互い身体強化なし、ステータスは優劣なしの五分五分だ。もし魔力に余裕があるならば、もう一度術をかければいい話だ。」

「そ、そうね。いくわよ、みんな!」

 

エプロスも頷く。すぐに気を取り直し、ロザリーは再びルカとビッグブルにドウジ攻撃の合図を出した。

 

「やあ、やぶれた魔力のカベはカラダのカベであり、カラダのカベはココロのカベでもあるよね。・・・・ベーロン。どうかな、こちらの話も、少しは聞いてもらえる気になったかな?」

『・・・・・・・・黙れ!』

 

キスリングに向かって怒鳴ったベーロンが、再び魔力を放出する気配に気づいたルカは、それをさせるよりも早く飛びかかった。今度こそと思い彼の腹に向かって剣を思い切り振ると、鈍い声が頭上から響いた。その傷口から赤い雫は出なかった。そこには鉄の塊を傷つけたような、変形した深い傷が刻まれていた。そして斬りつけたときの摩擦のせいか、はたまたベーロンの体の中身が黒いのか、傷は黒く変色していた。
 そのおかげで、斬りつける瞬間の罪悪感は少し和らぐ。ベーロンを黙らせるほどのダメージを与えないといけないことは承知しているのだが、自分でそれを実行するのはなかなか勇気が要るのだ。相手が煙になってくれるオバケならともかく。しかし、今しがた斬りつけた彼の体は、人間ではなくオバケのそれに近かった。

 この巨大な体はおそらく、ベーロン自身の本体の体ではないのだろう。ベーロンの魔力故に作られた鎧であり、意志の強さの象徴した殻。もちろんその殻を傷つけられれば本人に痛みこそ伝わっているようだが、その体自体はきっとニセモノの人形だ。彼の岩のように頑なな意志と魔力が彼自身に分類を掛け、「オバケ」として意思を与えられた動植物と同じように、変形させているのかもしれない。しかしながら、ベーロンの体の変形についてなど、ルカたちの知ったことではなかった。どんな人間よりもオバケに詳しいキスリングにも知り得ないことだろう。
 何故なら、彼には分類が無い。透明な少年と同じように、何にも縛られることのない存在。分類すら必要としない、絶対的な世界の絶対的な支配者なのだ。彼について、枠に当て嵌めて知ることはできない。
 何にも縛られることのないはずの彼を、それでも狂わせてまで縛り続けているものは、他でもない、彼自身の娘に対する愛情だ。その愛情が彼の分類のカベを操る力となり、この世界、ひいては彼自身を、カベの向こうにある現実に対する恐怖から、殻のように姿を変えて守っているのだとすれば。
 この殻を破壊しなければ、きっとベーロンはこの小さな世界に閉じこもったままだろう。
 そして、自分たちも。それに付き合って、ずっと閉じ込められたままだ。

 

「あああもう、どこの子離れできない親よーっ!ほんと、あたしたちは全然関係ないでしょーがっ!?」

「ヒトを巻き込むんじゃねえええー!おとなしくオレに牛の穴を建設させろーっ!」

「あはは、この親バカーなんてねっ!」

「・・・・ってちょっと待ってアンタも来るの?」

 

ロザリーがドウジの合図を出したのはルカとビッグブルのはずだったが、“フリーダム☆リンダちゃん”を貫くリンダも何故か追ってベーロンに向かって駆けてきた。3名も人物が攻撃を繰り出すことがわかり、敵周辺の人口密度の上昇を気にしたルカは一旦ベーロンから離れることにした。
 胸の内を口から叫びながら、ロザリーがレイピアを片手にベーロンに突進してくる。太陽の色をした髪が、その勢いで鮮やかに靡く。さらに長い尻尾を引っ張って一体何に怒っているのかビッグブル、彼らを追うようにリンダも軽やかに走っている。彼女はこんな状況にも関わらず笑っており、楽しそうだ。
 その3人を見て、少なからず不安を覚えたルカ。思わず眉がハの字になった。

 

「たぁぁぁぁぁぁぁーっ!」

 

突撃を妨害しようとするベーロンの攻撃を日傘でかわし、彼の腕を掻い潜ってレイピアを素早く突いた。バリアが解かれたことで、彼女のレイピアは今度はなんとかベーロンの身体を傷つけることができた。ここからが本番と、ロザリーは気合を入れて連撃を繰り出す。
 勇者らしく光を放つロザリーの姿は魔王に立ち向かう勇者のように勇ましく、その白い羽織を蝶のように舞わせて、蜂のようにレイピアを刺すその戦いぶりは、まるで白馬に乗る騎士のようだ。しかしあいにく敵となるべき魔王は今勇者側(スタンは魔王側と言うが)にいるし、騎士といっても守るべきお姫様はいない。
 それでも、彼女は戦うことを誓った。今の彼女にとって戦うべき相手は、世界征服を企む魔王ではないのだ。

 

『ぐっ・・・・ロザリー!たとえ、お前がどれほどの勇者としての力を持っていたとしても、しょせん私の分類には逆らえんぞ・・・・。勇者は勇者として、魔王とだけ戦えばいい!』

「なに、どういうことよ。・・・・そんなの、あたしが決めることでしょうがっ!もちろん魔王は・・・・スタンは、あたしが倒すわ。いつか必ずね。でもその前にアンタも倒すわよっ!アンタは今ここでね!」

『こしゃくな!』

「これあたしん中の決定事項なんだから!」

 

ロザリーを殴ろうとする腕をレイピアで斬り払い、自分の腕を休めるため一度彼女は後退する。後退したロザリーと入れ替わるようにリンダとビッグブルがベーロンの足元まで疾走していった。

 

「てめーの都合なんか、知らねえ。今のオレの用はただひとつ、てめーを好きなだけ殴ることだーっ!目指せ50ヒット、世界新記録100ヒット!ココロがスッキリするまで!ハイパー健康的にっ!」

 

巨牛魔王の名を持つビッグブルではあるものの、変身したベーロンの全身は彼の何倍もの大きさがある。しかし彼は恐れという言葉の意味を知らないかのように、ためらいなくベーロンに飛びかかった。
 ビッグブルは相手がどれほど手強い強敵であったとしても、全てを彼の成長を促すカベとして、そして楽しみの対象として見なしてしまう。彼にとってはどのような困難も、楽しいものなのだ。常に自分の望むまま、欲望のままに、彼の元気が尽きるまで突進し続ける彼を、誰にも止めることはできない。
 やはりこの戦いの状況を楽しんでいるのか、彼はなにかの劇の台詞の受け売りのような口上を、正義か悪なのかどちらともとれない調子で、もったいらしく言う。

 

「ひざまずけ。命乞いをしろ。・・・・てめーはオレを怒らせたんだよっ!」

『それはこちらのセリフだ!』

「お前もかブラザー!」

 

「誰がキサマのブラザーだ」とベーロンがつっこみを入れるべきところではあるが、熱すぎる男のペースに乗るわけにはいかないのか、さすがに口にはしなかった。
 ビッグブルに続いてリンダも攻撃を仕掛ける。リンダの小さく可憐な姿とベーロンの大きく不恰好な姿は、いっそ月とスッポンと呼ぶことができるほどに外見に著しい差がある。図体の大きさとその力はベーロンのほうが格段に強いだろう。しかし本気になっているリンダは、小さくか弱くとも彼に負けず劣らない。
 リンダは歌のサビ部分をその場を盛り上げるように気持ちよく歌いながら、軽やかに踊るようにして、その細い足をぐるりと回転させた。そして同時に愛用のマイクを空中に放り投げる。

 

『たかが魔族の小娘が・・・・さっきはずいぶんなことを言ってくれたものだな・・・・。』

「あーらそうですか、傷ついてくれたなら何よりですぅ。あたしだってねえ、そろそろイライラ度が85%超えそうなんです!アンタみたいな人・・・・だいっキライよ!」

 

 リンダの足がマイクを思い切り蹴り上げた。ダンスのようにリズミカルなその一連の動作は、彼女の攻撃だ。
 いつもより力と気合をこめて蹴られたマイクは円を描きながら、直線上にベーロンに向かって飛んでいく。そしてベーロンの顔面にクリティカルヒットした。

 

『うがああっ!?』

 

「うっわー痛そうー。」

 

ラッキーヒット、会心の一撃だった。植木鉢が頭上に落ちたような鈍い音がしてベーロンが仰け反ったのを見て、後方のキスリングが同情の一言をこぼした。思わずルカも、「おぉ」と感嘆の声を上げる。蹴りで真っ直ぐに飛んでしかも命中するなんて、彼女にサッカーをさせたならその辺の男子よりも上手であるに違いない。リンダはもちろん同情のひとかけらも抱いた様子もなく、スポーツをした後のように爽やかな汗をかいて、満足げにふっと笑っている。それに比べてベーロンはというと、顔面を押さえて怒りを露にしている。
 彼女のマイクはリンダ自身が持つ補助の魔力を纏っているのか、たいして重くはないものではあるはずなのだが、体に当てられると岩を投げられたかのように痛い(ルカはこれまで何度か彼女の攻撃に巻き込まれたことがあった)。それがもはやマイクとしての機能を超えてしまっているのはルカも知っていた。渾身の蹴り技にとんでもなく硬いマイク、そして彼女自身の85%の苛立ち。全てがその攻撃力に影響を与えているので、さぞ痛かったことだろう。
 ベーロンは体力こそあり体も頑丈だが、その代償として動きが鈍くなっている。そして図体が大きすぎて、ルカたちの攻撃を避けることができない。そのような相手には、身軽なルカたちの攻撃は好都合だった。

 イライラ度85%が少しは降下したのか、天使(に似た悪魔)の如くにっこり微笑んだリンダは、落下してきたマイクをキャッチして後ろにさがった。しかし正反対にイライラ度が急上昇した様子のベーロンが、自らを傷つけるビッグブルとリンダをまとめて叩き伏せ、加えて鬱陶しげにその腕でなぎ払った。

 

『そろってやかましいヤツらめ!・・・・お前たちはこの舞台から、降りるがいい!』

「え、わっ・・・・きゃーっ!?」

「うおーちょちょちょ待て待て待てやめぶはーっ!」

 

「リンダ、ブル!ちょっと、大丈夫!?」

 

ドミノ倒しのようになぎ飛ばされる彼らに、ともに攻撃していたロザリーが目を見張る。自分たちが立つこの不思議な舞台の柵もない縁を越えた外は、底を見ることもできない奈落になっている。落ちたらおそらく戻ってくることはできない、そもそもこの高所から落ちれば無事ではすまないはずだ。ルカも驚き、落ちそうになる彼らを追おうとした。
 しかしその一瞬後、彼らは透明なクッションに抱きとめられたかのように、何もない空間に留まった。そして2人の身体はそのままはね返り、足のつく地面に落とされた。
 なぜか奈落に落ちることのなかった彼らを、次は直接手で落とすつもりなのか、ベーロンが彼らに詰め寄り腕を振り上げる。しかし今度は幾枚ものトランプのカードが飛んできて、彼の視界を遮り顔面を切り裂く。
 ベーロンがカードを振り払う間に、リンダとビッグブルの傍にエプロスが浮遊して駆けつける。

 

「大丈夫か?立て、ヤツから離れるぞ。」

「くうっ・・・・助かったぜダンナ!」

「きゃー、エプロス様、大好きっ!ねっおねがい、あたしをダッコして逃げてー!」

「それは困る。」

 

『ふん、幻影魔王、お前か。

 ・・・・・・・・。
 ・・・・お前はなぜ、魔王の役割を放棄した。魔王候補を育てる村にこの者を侵入させぬために、私がお前を歯車タワーに配置したはずだ。世界の内と外を分ける境界を、容易に破らせぬ砦として。・・・・お前の実力ならば、あの場所で、こいつら全員を倒すこともできたはずだぞ。それなのに・・・・。・・・・この裏切り者め!』

 

ベーロンは忌々しげにエプロスを睨んだ。リンダとビッグブルを彼から遠ざけたエプロスは、トランプを自らの周囲に引き寄せ、冷ややかな理性を灯した深い真紅の眼差しで、静かに自分に「魔王」の役割を与えた支配者を見据える。
 ルカがエプロスに出会った当初から、彼は世界の裏事情に通じた様子であり、ベーロンのことやこの世界における物語の成り行き、あらゆる「予定」さえも知っていた。トリステでの彼とブロックとの会話を思い出す。やはり彼は、ベーロンとは顔見知りであるようだ。

 

『キサマ・・・・私に隠れて、こいつらに近づいていたのだな。そもそもなぜこいつらが最強の魔王候補がいるハイランドの場所を探り当て、辿り着けたのか謎だったが・・・・・・・・世界の舞台裏の存在を気づかせ、こいつらを導いたのも、お前だったのか。』

「ああ。ルカと魔王たちには、なんとしてでもこの世界図書館に辿り着いてもらいたかったからな。」

『なぜだ。なぜ、そのようなことをした。いつから動いていた?サーカス魔王がしたことも、ずいぶんと予定から外れてはいたが・・・・・・・・ここまで修正が不可能になるほどに、被害を甚大にするとは。お前まで逆らうとは思わなかったよ。もっと、賢いヤツだと思っていたのだがな・・・・。』

「・・・・悪いな。定められた「分類」の枠の中では、私が知りたいことを知ることはできないと、あるとき悟ったよ。だから魔王たちには、私を負かしてもらわねばならなかった。「幻影魔王」という私にかけられた分類を、打ち破ってほしかったのだ。」

 

なんだかやたらと謎めいていてサマになっている会話に、背後のスタンが怒りで震えている。・・・・彼には絶対に展開できそうにない会話だ。

 ―――エプロスは一体いつから、自分が分類という枷に囚われていることを知っていたのだろう。それとも最初から裏方の役者として、ベーロンから与えられる役目を淡々とこなすために存在してきたのだろうか。少なくとも彼が、世界の裏事情について理解し、そのルールを受け入れる程度の時間を経ていることは確かだ。
 これまでも経歴を少しも明かそうとしなかったこの謎の男の素性、内心をルカは考えた。自分が自由ではない・・・・自分が自分ではないという自覚を抱きながら生き続けるというのは、どういう気持ちだったのだろう。自分の望む望まないに関わらず予定を与えられて、魔王として、あるいは別の役割を機械的に配役され、シナリオ通りに彼はずっと動いてきたのだ。
 何も知ることなく、吸血魔王のエサとされていたハイランドの無知な村人に、エプロスが「不幸にして幸福」だと口にしていた。しかし、彼の言葉は的を得ていた。少なくとも今まで分類表のことは知っていても、ただの戸籍や住民票程度にしか認識しておらず、まさか支配者によって踊らされているという自覚も一切なく裏事情も知らずに生きてきた自分やスタン、ロザリーといった世界の内の住人は、まさしく「不幸にして幸福」だったのかもしれないのだ。自由になれないもどかしさもなければ、束縛される苦しみもまた無かったのだから。
 彼の持つ達観しているような落ち着き、超然とした気配は、おそらく束縛された自らと世界の姿をずっと俯瞰し続けてきたゆえのものなのではないか・・・・。

 

「これは、私の予定だ。そしてお前が私に課した予定は、私のものではない。私は、私が知らないものを知りたい。それが私の目的だ。それはもう、この狭く小さい、全てが定められた世界の中にはない。その中で唯一、この世界の決まりにとらわれないルカの存在がただ興味深かった。・・・・分類のない世界とは、彼のように簡単な言葉で表すことができない存在で、満ちているのかもしれんな・・・・。」

 

最後は呟くように言って、エプロスは目を伏せ、期待とも、諦観ともとれる薄い笑みを浮かべた。

 

「私一人の力では、お前の分類に抗うことはできなかった。だが、ここまで分類のキズが広がったなら・・・・あるいは、可能性があると思ったよ。そしてルカが持っている・・・・ベーロン、お前にもその正体がわからない、不思議な力があればな。」

 

『ぐっ・・・・・・・・いや、まだだ。まだ・・・・』

 

ベーロンは呻くように言うと、拳を振り上げ宙に浮くエプロスを地に叩き落とそうとした。しかし彼は道化師ような仮面を被ると、その分類名が表す幻影をつくり、幾つも自らの分身を増やすようにして彼の連撃を避ける。そこに隙を見たロザリーがすぐさま走り寄り、ベーロンの意表を突く形で斬りかかった。
 ビッグブルが彼女に加勢するため、雄叫びをあげながら突進していった。その彼らの力を補うため、リンダは魔力のこもった歌声を届ける。キスリングの合図に、ベーロンのもとにいたメンバーが後退したところで、再び彼の頭上に雷鳴とともに眩いいかずちが落とされる。怒ったベーロンは彼らをなぎ倒そうとする。

 ルカも剣を握りしめ、走って彼らのもとに向かう。
 ロザリーも、ビッグブルも、リンダも、エプロスも、キスリングも、そして背後で大きく伸びているスタンも、各々がここに目的、理由を持ってやってきて―――ベーロンと、この世界の「カベ」と戦っている。

 

―――当然、これはお前の戦いでもあるのだぞ。

 

不意に、ルカはこの部屋に入る前に、エプロスが自分に言ってくれた言葉を思い出した。

 

―――仲間に遠慮することなく、お前はお前の理由で進め。

 

 その言葉を聞いたとき、ルカは自分が「理由」を持ってやってきたということを、実はあまり意識していなかったことに気づかされたのだ。彼の言葉で初めて、ルカは自分がここにいる理由、意味を考えるきっかけを得たのだった。
 ベーロンと対峙し、暴走したスタンとロザリーをボイスレコーダーで止め、今彼らとともに剣を振るう自分が、どうしてここにいるのか。

 

―――あなたにくっついて、もっと見せてもらうわ。あなたの中になにがあるのかをね。

 

 トリステの町で、ロザリーが自分に語った話を思い出す。
 勇者の名と正義の味方の意味が一緒になってしまい、「勇者でいること」を優先していた自分に気がつき、深く考え込んでいた彼女がいた。彼女が考えていた勇者の在り方・・・・彼女の望む「彼女自身」を、自分はボイスレコーダーを使って、守ることができただろうか?
 エプロスが言う自分が持つ力とは、ロザリーが言う自分の中にあるものとは、何なのか。ルカにとっては意味がわからないしその上少し照れくさくて、あまり強く意識して考えてこなかったこと。しかし彼らは、地味で平凡で無口で存在さえあやふやで透明な自分の中にも、中身が、大事なものがあるのだと教えてくれたのだ。
 それはいったい、なんなのだろう?
 もし自分の中にあるものがあるとしたら、それは理由だ。
 自分がここにきた理由。ベーロンに会おうと思った理由。魔王スタンとともに、この世界図書館まで旅をしてきた理由・・・・。

 
ルカはいつもの無表情で、ベーロンの厳めしい姿を見上げた。世界のすべてに影響を及ぼす支配者。そして外の世界と中の世界を隔てるカベ。そして・・・・あの子の父親。
 ルカはベーロンに、怒りと同時に罪悪感も持っている。なぜなら、彼も彼なりに必死だからだ。彼のしてきたことは確かに人の心を無視した、自分中心のものだった。しかし、そのことよりも彼の悲しい狂気が、頭に残っていた。













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