宿屋の次の狙いは、いつもルカとマルレインがおつかいに行っているパン屋さんだった。
 パン屋の夫婦はルカやアニーが幼かった頃から、彼らのことを親身になって気遣ってくれた。影が薄く元気が無かったルカも、パンをもらいに行く度におかみから何度もお説教されてきた。それが彼女なりの優しさの証拠であることはもちろんわかっていたが、やはりその度に気弱なルカは気が滅入っていた。ルカが多くの経験を通して心身ともに成長した今もそれは変わらないのだが、叱られるより褒められる機会が多くなった最近になって、彼女の厳しくも優しい説教が懐かしくなったりする。
 ・・・・人は変わる。時間が経てば、それに比例するように人はいつの間にか成長していき、ある人は老いていく。まだまだ子供である自分が人生について悟るには早すぎるのかもしれないが、最近はそういった時間の流れ、物事の変化を意識する機会が多くなった。その原因はこの世界から「分類」がなくなったせいなのか、それとも「分類」があろうとなかろうと、大人になっていくということは得てしてそういうものなのか。ともかく変化はいつの間にかルカにとって馴染みある感覚となってしまっていた。それでも今でも唯一変わらないのは、パン屋の主人とおかみさんが2人で焼くパンの焼きたての味だ。
 テネル村唯一のパン屋の自慢のパンはとてもおいしく、村の人々の誰もにとっての我が家の朝ご飯となっている。どこの店にもない、パン屋独自開発の大きな石窯がそのおいしさの秘密だ。ルカはどの家のお菓子よりも、このお店からもらえるお菓子を一番楽しみにしていた。おかみがどんな子供にも優しいことと、その素敵な石窯があることが最大の理由である。石窯があれば様々な種類のおいしいお菓子が作れるだろうし、子供に優しいおかみならば子供が喜ぶようなものを作ってくれるに違いない。
 去年は確か、美しい色をしたパウンドケーキと、果物とクリームをたっぷりはさんだ立派なサンドイッチだった。今年は何だろうと、ルカは少し気分を明るくしてパン屋に向かっていた。その隣をマルレイン、その背後をスタン、その後ろをキスリングがついてくる。
 ・・・・って、あれ。

 

 「おい、待ていそこのオヤジ!なんでついてきておるのだ?宿におるのではなかったのか!」

 「いやあ、子供にお菓子を渡すのはその家の主人の役目であって、一応客である私がやるべきではないと思ってね。オバケちゃんクッキーは彼に子供に渡すようにと言って預けたので、私は晴れて自由の身となったわけだよ。」

 「だからと言ってついて来なくてもいいだろーが、このこのこの!」

 「うーんでーもねー、せっかくのオバケちゃんのお祭りだというのに一人で見て回るのもどうかと思ってね。ふふふー、せっかくだからともに楽しもうじゃないか、ルカ君!ほら、人数は多いほうが楽しいだろう?」

 

 確かにその仮装の格好のまま彼が一人で村を歩いたら、一歩間違えれば変質者に見えなくもない。ウサギ耳をつけた髪の毛ボンバーの白衣のヒゲオヤジ(歯を見せて笑いっぱなし)が子供に混じってうろつく様子はあまりにも不気味すぎる。しかも一匹のオバケが漂っているかのような不気味さではなく、一人の変質者が徘徊しているかのような不気味さである。そういえば母にも変質者には気をつけろ、と言われたが、仲間が変質者である場合はどうすればいいのか。
 危険臭をまとう彼を一人で歩かせるよりは、集団で行動させた方が誤解は招きにくいだろう。・・・・だからと言って彼と一緒に歩きたいというわけではないのだが、しかし人数が多いほうが楽しめる、という考えにはルカも賛成できた。彼はこれでも大人なので、お菓子を一緒になってねだることはないのだろう。スタンとは違って。

 しかし、スタンはそっぽを向いていた。

 

 「ふん、別に余は面白くないぞ。お前は反応しなくてもよいことにいちいち反応しそうだからな。ついてくるつもりなら、寄り道せず真っ直ぐ歩けよ。」

 「おおっ!あの赤と黄のストライプの袖に黄緑の服、そして大きなボタン・・・・あの仮装はもしかして、スノーマンかな?でも確かそのオバケは雪原の方にしかいなかったはず・・・・は、そ、そうか!私の図鑑を読んでくれたのだね!?そうなのだね!いやー嬉しいなあ!」

 「ええい全く、早速ごちゃごちゃ言いおって・・・・!・・・・おいコラ、さっさと歩けっ!」

 

 スタンが苛立ったようにキスリングに対して腕を振り回したが、誰よりもマイペースを貫く彼のことである。スタンが何を言っても無駄だろう。こうなることはもちろん予想していたが、やはりキスリングはあちこちの子供によるオバケの仮装に目を奪われており、しかもそれを一々メモしているからまた歩みが遅い。来年は彼がオバケ用の仮装衣装でも作って販売し始めるのではないかさえ思ったが、ルカの予想では、来年はオバケではなくゾンビや悪魔などの童話に出てくるお化けの仮装が人気になると見ているのだ。妹のアニーがその流行の最先端。もし本当にそうだったら、オバケ好きのキスリングにとってはショックなことだろう。
 とにかく歩みがとてつもなく遅い彼だが、まあ放っておいても勝手に無理矢理ついてくるに違いないので、さっさと先に行くことにする。

 

 「なんだかいい匂い、しない?」

 

 マルレインがくんくんと嗅ぐ。ウサギのような仕草だったので、一瞬その姿と相まって可愛らしく見えた。一瞬でもそのような考えが浮かんだ自分に、ルカは少し恥ずかしくなる。
 その匂いは甘い焼き菓子の香りで、どうやら今向かっているパン屋の方から漂ってくるようだ。「ベーカリー」の文字が刻まれた看板はいつもよりも華やかにオバケの絵が描かれていて、窓の縁や店の前の壺の上には、例によって小さなカボチャのオブジェが乗せられている。
 ルカとマルレインは店の前に立ち、どんな魔法よりも強い子供の呪文を唱えた。

 

 「「Trick or treat?」」

 「お菓子をくれなければ火だるまの上に八つ裂きにするぞコラ!」

 

 スタンが言った後、中から勝手に開くと思っていた扉の奥から、「どーぞ入ってらっしゃーい」という声が聞こえた。スタンのセリフに動揺の欠片も無い。
 もしかして、今は忙しかったのだろうか。しかし声色を聞いてもそのような様子のようには感じなかったため、ルカとマルレインは顔を見合わせ、扉を開けて中に入った。後ろから「待って待って!」と慌てて追いかけるキスリングの声が聞こえる。
 中に入ると、甘い匂いは一層強くなった。ルカたちの他にも子供が数人いて、お菓子をもらっていた。それがアニーたちだったことに気付くのは、彼女がこちらに振り返ったときだった。

 

 「あ、おにーちゃん!見てよこれー、おばさんがくれたんだよ。ちょーおいしそうでしょ?あたしこれ大好きなんだよねー。」

 

 そう言われて見せられたのは、ベースボールに使われるボールぐらいの大きさの、球体型をしたクッキーのような硬い焼き菓子だった。表面には色とりどりの木の実が練り込まれており、まるでモミの木に飾る綺麗な球の飾りを連想させる。粉砂糖がまぶされているそれは、見た目もお洒落で食べてももちろんおいしい、最近パン屋で新作として発売されたお菓子だった。

 

「カラーボールだ!」

「ほら、ルカ。ちゃんとあんたたちの分もあるよ、遠慮なく持っていきな!」

 

 カウンターの上に3人分、どどんと置かれた様々な焼き菓子の山。どれもこれも、そこの大きな石窯で焼かれたものだろう。そのこんがり焼かれた狐色は、思わず恍惚のため息が出た。そのお菓子たちこんなにもがおいしそうなのは、パン菓子作りの腕前によるものだけではなく、この村の子供たちに対するおかみの愛情も詰まっているおかげでもあるのだろう。
 マルレインは目をきらきらと輝かせて、大切なものを扱うようにそっとカゴの中へとそれらを収める。スタンも上機嫌で笑い出し、おかみを褒めた。

 

 「フハハハハ!余のためにこれほどの貢物を用意しておくとは、良い心掛けだ!うむうむ、余が褒めて遣わすぞ。クックック、魔王である余の支配下たる村の者にも、やっと余に対する畏敬の念が生まれてきたということか。」

 「別にそれは全然どうでもいいんだけどね、これがあたしの仕事だから。こーでもしないと、お腹を空かせた小悪魔ちゃんたちはお家に帰ってくれないんだよ。」

 

 あはは、と冗談交じりで言うおかみに、いつの間にか追いついて中に入っていたキスリングがなにか納得している。

 

 「なるほど、つまりそのお菓子たちには魔除けの意味もあるということかな?私はてっきり『魂を盗む』という行為になぞらえて『お菓子を盗む』というものに変化したのかと思っていたが・・・・子供がオバケを演じるためだけではなく、本物のオバケにもあげることで満足させて上手く村から追い出した、という起源説も考えられると。」

 「魔除けだとぅ!?このババァ、まさかこの大魔王たる余にエサをやっているつもりなのか!許せん、やっぱり火だるまに八つ裂きにしてくれるわ!」

 「悪戯をするつもりなんなら、あんたにあげたその菓子は返してもらおうかい!」

 「う。・・・・・・・・い、いや、やっぱりやめておこう。ちっ、ありがたく思え。」

 

 キスリングの考察に怒り出したと思ったスタンが、おかみの一喝によりすぐに鎮火した。スタンだって魔王としてのプライドはもちろんあるが、せっかくこれほどおいしそうなお菓子を大量に手に入れることができたというのに、それらを再び手放すというのはやはりもったいないと判断したのだろう。別にスタンほどの魔力があれば悪戯(と言う名の放火)をした上でお菓子も持ち帰ることもできるだろうが、おかみの気迫の前では何も考えることができなかったようである。
 子供のようにわかりやすいスタンの態度の一変に、おかみはカラカラと爆笑した。このおかみの前では誰であろうと、みんな子供に戻ってしまう。彼女もスタンを村のかわいい子供のひとりとして扱っているようだ。そしておかみさんの渾身の自信作の山を前に、魔王スタンもすっかりオバケの子供になってしまうしかなかった。 

 

 ルカが笑いを噛み殺しながら店を出ると、ばったりジュリアと遭遇した。

 

 「お、あれはいつぞやの小娘ではないか。あの人間の心の中の悪の塊をまるで具現化したような・・・・」

 

 スタンの言葉はさすがに言いすぎだろうと思うが、実際彼女には散々頭を抱えらせられた記憶があるので否定はできなかった。スタンが喜ぶような腹黒い性格をしている彼女だが、しかしその性格も殊更に演じているわけではないところが、また難しい少女なのである。
 他の子供より聡明な上に大人びた雰囲気を持っている彼女だが、やはり村の子供らしく祭りには参加しているようだ。今日のジュリアはいつもの雪のように真っ白なワンピースではなく、その真逆の真っ黒なローブを着ていた。両腕を包んでいる袖は黒い羽根によって鳥の羽翼のように覆われており、色素の薄い金の前髪の両脇を、紫色をした大きな目玉のような模様の玉で留めている。真っ黒な衣装とそのワンポイントの紫が彼女の大人っぽさを更に引き立てていて、普段の白い彼女とは違った印象を受けた。
 彼女は白も似合うが、黒もとてもよく似合う。・・・・もしかしたら、彼女自身の本性がこの色と同じなのかもしれない。

 

 「あ、ルカ君。・・・・とマルレインさん。こんばんは、良い夜ね。パン屋のおばさんからお菓子、もらってきたの?」

 「うん。ジュリアもこれから?」

 「ええ、そうよ。・・・・で。この人は誰なの?」

 

 大人びた口調で物事を淡々と言うジュリアは、どうやらまだ少しルカのことを引きずっているらしく、ルカの女の子の友達(ガールフレンドとも言える)であるマルレインのことはあまり良い目では見ていないらしい。そのせいかマルレインは何となく居心地悪そうにしていたが、何故居心地が悪いのか彼女自身はわかっていなかった。しかし、ジュリアの方はもうずっと以前に諦めがついていて、新しい道を歩むために彼女は今、新しい恋人候補者を探している最中である。
 すっかりジュリアの好みのタイプから外れてしまったルカの背後にいる変な影、それと姿だけは見かけた気がするがよく知らない男を見て、ジュリアはルカに訊ねてきた。どうやらキスリングのことを訊いているらしい。ルカは答えることに少し気が引けたが、それでも一応答えようと思い口を開きかける。が、実際に口を開いたのはキスリングだった。

 

 「どーもどーもお嬢さん、オバケといえばこの私、安居楽業・移山倒海・神色自若の45歳グッテン・キスリングだよ。ところで、君のその仮装はルーミル平原に生息しているカラスのオバケかい?目玉を模したその髪留めがとてもチャーミングだね!」

 「・・・・どうも・・・・。・・・・・・・・・・・・こういうお付き合いをしてるのね、ルカ君って。ふーん、ずいぶんと変な趣味になっちゃったのね。」

 「い、いや・・・・あの、なんのことだか・・・・」

 

 明らかに引いている様子で、間違った方向に勘違いするジュリア。スタンに影を乗っ取られたルカの時といい、マルレイン王女の時といい、思い込みの素質が彼女にはあるのだろうか。しかしさすがに変人として見られたくはなかったので、ルカは慌てて友人としてお付き合いしているキスリングに関してフォローする言葉を探した。正直、かなり気まずい。マルレインは何か言いたそうだったが何も言えず、スタンは何か言いたかったようだが何も言わず、ウサギ耳のキスリングのみがぺらぺらと喋っているのでどうしようもなかった。

 しかし、その気まずい空気は唐突にぶち破られる。

 突然、ジュリアの背後の道を高速で何かが通り過ぎた。周囲のお祭りムードな空気を切り裂く突風が吹き、ルカたちは驚いて目を瞑った。そのおかげでキスリングも口を止めざるを得なかった。そしてすぐに何が起こったかを知るため、目を開いてジュリアの背後を見る。ジュリアも振り返る。
 道はもやもやと砂煙が舞い上がっており、何者かが勢いよく通り過ぎたことがよくわかった。なんだかデジャヴを感じる光景だ。唖然としてその様子を見つめていると、先ほど消えていった方向からその張本人が戻ってきた。しかもルカたちに近づいてくる。
 いつもの勝負服と色違いのものを着た、ビッグブルだった。

 

 「なんか見覚えがあるヤツがいたと思えば・・・・なんだ、スタンのアニキじゃないッスか!お嬢と先生とルカも。奇遇ッスね!」

 

 そういえば彼は、本気で走っているときとテンションが最高潮に高いときはいつも、風のように速いのだった。その筋肉質で重そうな体の一体どこから、そのようなスピードが出てくるのだろう。その図体を支えているにしては細すぎるような足が、彼の俊足を生み出しているのだろうか。牛のオバケであるくせに足が速いなんて、なんだか矛盾している。

 

 「やあビッグブル君、相変わらずだね!でも、小さな子供がたくさんいる村の中を全速力で走るのはどうかと思うよ?少年少女に思いがけず体当たりしてどこか草むらへ勢いよく飛ばしてしまわないように気をつけたまえ。」

 「ウッス、心がけるッス先生!」

 

 キスリングの珍しく冷静な注意に、ビッグブルは妙なハイテンションで熱く応答した。
 彼のテンションがいつにも増して高い理由は、すでに分かっている。ビッグブルの今日の服の色合いは、紫と赤の縞々。布ですっぽりとカバーされたツノは、黒と赤の縞々。暗黒色の組み合わせに変えられたそれらの服は、彼が魔王だった頃に従えていたウシのオバケと同じだった。彼の長いしっぽの先端にはアクセサリーなのか小さな鈴が付けられており、彼が揺らす度にチリチリと鳴っている。しかしそのしっぽが示す通り、彼は元からオバケであり魔族のひとりであるので、それほど仮装なんてしなくても問題はあまり無さそうなのだが。ツノとウシ耳としっぽだけで充分人間離れはしているのだ、しっぽさえ揺らさなければ、仮装している人間にも見える。
 そしてそんな彼が片手で抱えているのは、様々なお菓子が詰められた木の桶。スタンは呆れた。

 

 「キサマ・・・・ちゃっかり食い物を集めておって・・・・しかも余よりもたくさん。大体キサマ、歳はいくつだ?」

 「そんなん覚えてないッスよー、でも甘い物ならオレ大得意ッスから!」

 「そういう問題じゃないっつの。どこまで単細胞なのだ、その上どこまで食い意地が張っとるのだ・・・・。」

 「いやーまあそれは置いといて・・・・それにしてもアニキたちも祭り、参加してたんスねぇ。・・・・っとあれ、そこの女の子は?お嬢のお友達ッスか?」

 「え・・・・あの、その・・・・ええと。」

 

 ちなみにお嬢、というのはマルレインに対する呼び名である。

 女の子が相手だからといっても、ジュリアとマルレインが友人関係であるわけがなかった。以前に恋心を寄せていたことがあるルカの幼馴染のジュリアと今現在そのルカの家にともに住んでいるマルレインが仲良くなることができたら、それはもはや奇跡としか言いようがない青春三角形が今ここにある。しかし何も知らないビッグブルに尋ねられたところで、本人の手前では中々はっきり言えず、マルレインはしどろもどろになった。いつかの「特別」だった頃の自分ならはっきりと自分の意思を伝えられたのだろうが、残念ながらこれが偽りの無い自分自身なのだ・・・・と加えてマルレインは少し悔しくなる。
 ジュリアは登場したビッグブルやキスリングの個性が強すぎる振る舞いにすっかりついていけないようで、ため息をついてメンバーの中を横切った。パン屋にお菓子をもらいに行くつもりらしい。
 しかしその前に立ち止まり、後ろ向きのままで言葉を告げた。なんだかジュリアに華麗に振られた日を思い出すが、今は隣にはマルレインやその他諸々の人間がいる。

 

 「あなたって、意外にお友達がいるのね。」

 「まあ、実際はみんな勝手についてきただけなんだけど・・・・。」

 「・・・・あーあ、そうやってどんどん私から離れていくんだから。昔は、ただの幼馴染だったのに・・・・。・・・・でもいーわ。私だって負けないから。いつかあなたがその子に出会ったみたいに、私だって見つけてみせるから!そうやって、私もあなたから離れてやるもの。」

 

 挑戦状を送り付けてきたかのような宣戦布告らしき宣言に、ルカは目を丸くする。

 

 「つーん!」

 「あ、ジュリア・・・・!」

 

 ジュリアはルカにお構いなく、マルレインが呼び止める声も聞かずにパン屋の中へさっさと入っていってしまった。入る前に例の合言葉を忘れてないかとルカはつっこみたくなったが、すでに立ち去ってしまった以上つっこめない。

 ルカは離れていくジュリアの後ろ姿を、いなくなったその背中をまだ眺めていた。昔は一緒に肩を並べて歩いていたこともある、可憐な幼馴染のことをぼんやりと考えた。
 ・・・・仕方がないことなのだ。以前の自分は確かにジュリアの好みの性格だったのだろう。しかし時間が経つと、それだって変わってしまう。変わってしまった。スタンに付き合わされて旅に出てしまい、様々な変人と出会ったのも、その中の流れだった。この祭りの歴史が色褪せ、概念が変わっていくのと同じだ。オバケや人々の中で決められた分類の定義も然り。

 永遠に同じでいることなんてできない。幸せも崩れ逝けば不幸も崩れ逝くし、永遠なのだと思っていたものだって、いつかは歪みが生じ壊れてしまう。何が起こるかわからないのがこの世界だ。常に変化していく世界。それを喜ぶべきものとして見るか、悲しむべきものとして見るかかは人それぞれだろうが、しかし少なくともこれから先にジュリアにとっての理想の王子様が現れるかもしれない、という可能性は存在する。それを信じて、ジュリアは宣言したのだのだろう。・・・・何かに近づいていく分、離れてしまうものもあるけれど。

 

 「あれ、あの子どうしちゃったんスか?なんかイヤなことでもあったんスかねぇ。」

 「うーんこれが青春というか、諸行無常だね。私は時間の経過によるその影響と物事や人間の心情が変化する確立の関係性についてグラフ化しようと試みたことがあるのだが、何分研究するには少々時間がかかりすぎるんだよなあ。1ヶ月ですぐ恋人を変える者もいれば、10年経っても変わらない友情もありうるというのが最大の欠点でね・・・・。つまり、そういう変わる情報を事前に未来予知できれば難などないのだろうけど。」

 「先生!おっしゃっている意味がオレにはよくわからないッス!」

 

 キスリングは自身の研究話の内容からして、この状況の意味を一応飲み込めているようだった。しかしビッグブルはどうも理解ができていないようで、消えてしまったジュリアに対し首を傾げている。ジュリアが立ち去った理由には、彼らのハイテンションでマイペースな会話の空気の中に居場所が見つけられなかったせいもあるのだが、彼らは気付いていはいないようである。
 スタンは以前のジュリアの性格を知っている分、過去と今の彼女の違いに気付いていた。

 

 「なんだあの小娘、ずいぶんと丸くなったではないか。ふん、つまらん。キサマら3人で三角関係などというドロドロな付き合いでも始めればよいものを。」

 「・・・・スタンって、そういう黒々とした恋話とかが好きなの?」

 「そんな恋愛ものはどうでもよいわ。余は、人間の心の底に潜む闇を垣間見るのが面白い、と言っておるのだ。ククク、腹の中の本性が現れるさま・・・・あの自分勝手さ、少しは見ごたえがあったのだがな。」

 

 分類が外れた後のあの村の大祭の日にジュリアはすでに、ルカに彼女自身の新たな意志を打ち明けていた。まだ完全に開き直ってはいないが、彼女自身も変わっていっているのだ。ルカも変われば、ジュリアだって変わっている。
 しかしマルレインは何となく彼女に申し訳無いことをしてしまったような気分になり、そのまま立ち尽くしていた。
 そのとき、ルカに手を引かれる。どうやら彼なりに気遣ってくれているらしい。軽く微笑まれたので、マルレインも弱々しく微笑み返した。
 そうだ、自分には自分の居場所がある。だからジュリアもきっと、自分の居場所を見つけることができるだろう。そのためにジュリアは変わったのだから。だから自分も、自信と意志を持ってこのルカの隣にいるべきなのだ。マルレインもそのために変わったのだから。

 

 「あー、そういえば!」

 

 思い出したようにビッグブルが片手を挙げる。

 

 「さっきっスけど、村役場の方でリンダちゃんを見かけたッスよ。なんか広場で歌をお披露目しながら、チョコレート配ってたッス!ほらー、オレももらったんスよ!」

 「リンダ君が?なんでまた急に。こんなド田舎のオバケちゃん祭りに彼女が参加するとはあんまり思えないけどなあ・・・・。まだ都会の方が彼女にとっては良いだろうに。」

 「あの、仮にもルカの故郷なんだけど。ド田舎でも、いちおう。・・・・それよりもリンダが歌ってるって、なんだかお祭りの目的が変わってない?」

 

 マルレインはフォローしたつもりのようだが、あまりフォローにもなっていない。
 笑顔でハート型の小さなチョコレートを桶から取り出して見せたビッグブル。村役場前でチョコレートを配りながら歌うなんて、一見何かの宣伝をしているようにしか見えなさそうだ。これが彼女の祭りの参加の仕方なのだろうか。確かに歌は祭りを盛り上げるだろうが、この不気味で怪しい雰囲気は崩れやしないか。しかしリンダの姿と歌は、村祭りに遊びにやって来たオバケたちをおそらく魅了させる。オバケたちのコンサート、と言えば少しはおどろおどろしくもユーモラスに聞こえる。そんな彼女もいつも通りその自信たっぷりな歌を、オバケと子供たちに聞かせるつもりなのだろう。・・・・が、子共にとっては歌よりもお菓子の方が重要だろうと思う。
 とりあえずリンダには後で会うとして、まずは家々を回る方に専念することにした。リンダには悪いが、村の最奥の村役場は順序的に最後に訪れることになるだろう。

 

 「・・・・じゃあ、リンダ君がこの村にいるということは、つまり・・・・。」

 

 キスリングが推測するように呟いた。

 

 

 

 

 

 

 村人の憩いの場になっている酒場、グビグビ亭。酒場と言うと未成年の立ち入りにはマイナスなイメージがあるようが、このグビグビ亭はそんなことはなかった。お酒を売らないというだけであり、未成年の子供の立ち入りも許可している。金さえ払えば甘いジュースだって出してくれるくらいだ。この村には酒飲み荒くれオヤジのような難しい人間はあまりいないため、酒飲み同士の揉め事にも警戒しなくても良いのだ。
 扉を押し開け、それと同時にルカとマルレインとビッグブルとスタンが叫んだ。例によってスタンのみ言葉の意味が殺伐としている。

 

 「「「Trick or treat!」」」

 「お菓子をくれなければなぶり殺すぞ!」

 

 その声に、カウンターの奥に居たグビグビ亭のおかみが「はいはーい」と軽く返事をして、カウンターの下をごそごそと漁り出した。
 やはり、人数は多いほうが楽しい。ムードメーカーかつトラブルメーカー(人とよく衝突する意味で)であるビッグブル一人が増えるだけで、こんなにも気分が乗ってくるものなのか。ルカもマルレインもどちらかと言えば内向的な性格だが、彼を含めたことで先ほどよりも大きな声で決まり文句が言えたようだ。

 

 「おいおい、物騒なこと言うねぇ影魔王君よう。魔力全部戻ったくせに今日もまたペラペラか、たまには魔王らしくしゃんとしろって。」

 「ああん?自分の体をどうしようが余の勝手だろうが・・・・・・・・って、なんだキサマか。」

 

 聞き覚えのある中年男の声にスタンとルカが横を見ると、酒場の奥のテーブルにブロックサーカス団長のブロックが座っていた。同じテーブルの席にはエプロスもいる。テーブルの上には彼の武器でもあるトランプが広げられており、ちょうどゲームをしている最中であることが分かる。ブロックの傍には色の付いたお酒の瓶と小さなグラスが置いてあり、彼の方は少し飲んでいるようだった。
 キスリングは予想が当たって少しばかり清々しい笑顔で、エプロスに声をかけた。

 

 「あーやっぱりいたのだね。リンダ君が来ているというからエプロス君もきっと来ているとは思っていたのだが。」

 「できれば1セットで扱わないで欲しいな。・・・・まあ、仕方はないが。私が行くと言ったら彼女もついて来てしまったのだ。深い意味は無いのだぞ?」

 

 苦笑しながらエプロスは答えた。その声色からはすでに、以前のような冷ややかな棘は全く感じられなくなっており、人間の中にすっかり馴染み溶け込んでしまったようである。
 彼が話している少女リンダは1にエプロス2にスタンを恋慕しており、最初は歌のコーチでもある魔王スタンを慕って旅についてきていたが、最終的にエプロスの後を追ってサーカスに入団したようだ。そして今もビッグブルと並ぶほどのトラブルメーカーな歌姫として、サーカスで働いている。エプロスはそんな彼女に付き纏われて苦労もしているようだが、満更でもない様子である。
 エプロスがいるところにリンダあり。その法則に従って考えるなら、キスリングの予想も外れるはずが無いのだ。

 

 「よう、ルカのボウズにマルレイン嬢。ウシさんオッさんも楽しんでるみたいで何よりだ。ま、オレは別に祭り自体には興味ねーし、今日もただ酒飲みに来ただけだけどな。」

 「ブロック・・・・・・・・言ってることと着ているものが矛盾してるわよ?」

 「その服って平原で動き回ってたカカシのッスよね?」

 「シルクハットが麦藁帽になってるのは致命的だね!」

 

 マルレインとビッグブルとキスリングの的確なつっこみに、ブロックは少しひるんで口を噤んだ。彼のころころと丸く太った図体は、水玉模様の派手な服ではなく、色とりどりの傷んだ布の切れ端を繋げ合わせたようなある種派手な服を着ている。頭の上のチャームポイントであるシルクハットの代わりに麦藁帽を被り、南の島にでも行くような格好にも見えた。しかしつぎはぎだらけの服というところが、少しホラーチックで良い味を出している。何の仮装もしていないエプロスよりはやる気が滲み出ているようだった。
 しかしブロックも照れながらも、負けじと反論する。素直じゃない男だ。

 

 「うるせーなぁ、これは上から水が降ってきてびしょ濡れになったんで、仕方なくそこらのカカシのを借りたんだってよ。」

 「ウソをつくならもっとマシなウソをつくんだな。余の方が数十倍上手いぞ。」

 「まあまあ、それはもうどーでもいいだろー?ほれお前ら、オレに何か言うことでもあるんじゃねーのか?」

 「え?・・・・・・・・・・・・Trick or treat?」

 

 ルカは一瞬考えて、そして呟くように問う。するとブロックが懐から何かを取り出し、ルカの手の平の上にぶっきらぼうに置いた。
 ・・・・小銭500スーケルだった。

 

 「ほい、これTreatな。お前にはちょっぴり感謝もしてるからな、オレもこれくらいはやるぜ。」

 「え、ちょ、ちょっと待って・・・・ 現 金 で す か ? 」

 「いらねーなら返せ。」

 「嫌ですよ。・・・・・・・・えっと、どうもありがとうございます・・・・。」

 

 ルカは手の中の5枚の硬貨を少し見つめた後、一度握り直してポーチの中に入れる。しかし、できればお菓子か何かが欲しかった。祭りの雰囲気的にお金はないだろう、お金は。・・・・あと500スーケルは安いので、欲を言うならもっと欲しかった。しかしマルレインに「よかったね」と褒められて、なんとなくそれで満足する。
 分類にも囚われず影が薄くても気にしないブロックらしいといえばらしいのだが・・・・マイペースというよりもいい加減で、世の中のルールに程よく従わないところがさすがだとルカは思った。彼をよく知っているらしいエプロスは、もう分かり切ったことであるように表情を動かさず、頬杖を付いたまま何も知らない顔をして目を閉じている。
 すぐ背後からルカとブロックを見ていたスタンは、当たり前のように怒り出した。ビッグブルも羨ましそうにこちらを見ている。

 

 「あーっ、キサマ!子分だけにやるな、余にもよこせ!余の方がこいつよりも上なのだぞ!?」

 「オレも欲しいッス!ルカだけずるいッス!」

 「あーはいはい、わかったわかったからよ。うるせーから落ち着けって。でもってアレを言え、これでも祭りだからな。」

 「「―――Trick or treat!」」

 

 テンポよく声を揃えて言った二人に、ブロックの懐からピンと硬貨が投げられた。
 ビッグブルはその太い腕で難なくキャッチし、スタンはそのペラペラの手の指の先で器用に掴んだ。そして硬貨を見る。

 

 「ってコラァァアっ!50スーケルだけかこのっ!」

 「こんなの不公平ッスよ〜っ!この扱いの違いは一体何なんスかっ!?ゼロが一個足りないッスよ!」

 「木の実が5個買えるんだからいーじゃねーかよぉ。人から貰ったもんに文句は言うんじゃねえ!おい、そこのマルレイン嬢。あんたにも一応やるからよ、こっちに来いや。」

 「え?あ、はい・・・・」

 

 ぎゃーぎゃーと騒ぎ続ける2人を軽く無視して、ブロックはルカの背後でじっとしていたマルレインのことも呼んだ。
 そして例の言葉を言わせると、ブロックは先ほどスタンとブルに渡したものより少しだけ価値のある硬貨を手渡す。マルレインがもらったのは、ルカがもらったものの中の一枚である100スーケル硬貨だった。お小遣いがもらえるのはやはり嬉しいので、マルレインは喜んで頂くことにした。
 しかし、それにスタンが黙っておくはずがない。

 

 「なんだキサマ、余よりも小娘に与えたものの方が額が高いではないか!?何を基準にしとるのだ、何を!」

 「悪かったな、オレは気まぐれなんだよ。」

 「こんっのナマイキなクソオヤジがー!クールぶっても別に全然カッコよくなぞないわ!今度キサマのそのぶよぶよに太った肉を剥いで煮て焼いて炒めて蒸して余がバリバリと食ってやるからな、覚えておけっ!」

 

 スタンが腕を振り回して怒鳴り散らしても、ブロックは酒を飲みながら「そりゃー楽しみだ、オレも痩せたいんだよなー」と自分に対し皮肉っていた。その軽い態度にスタンの怒りパラメーターが上昇しつつあるのがルカにはわかったが、ちょうどよくグビグビ亭のおかみがお菓子を持ってきたので大騒ぎになるのを免れる。おかみがブロックに対し、「あんまり子供をからかうんじゃないよ!」と注意したことで再びスタンが怒りかけたが。
 とりあえず子供たち4人は、ほのかに大人の香りがするマフィンをそれぞれおかみからもらい、ルカはスタンの分も受け取ってもうひとつのカゴに入れた。そして大人にも優しいグビグビ亭のおかみは、キスリングにも果実酒を入れて作ったマーマレードを贈り、彼もおかみに感謝を述べていた。

 

 「マフィンの方にもラム酒が少し入ってるから、もし口に合わなかったら親にでも食べてもらいな。あーそうだルカ!あんた後であんたんとこのオヤジさん見かけたら、こっちに来いって言っておいてくれないかい?せっかく今日の祭りのログデナシどものために『テネ・露』を用意しておいたんだから、来なきゃまた損するよってさ。」

 「は、はあ・・・・。」

 

 彼女の言う『テネ・露』とは、「テネルの夜露」の略である。とても高くておいしいお酒らしく、以前とても悲しいことがあって家の中に閉じ篭っていた父のために、彼女はこれをボトルキープしてあげていたことがあった。が、結局父は暫く飲みに行かず、その代わりにおかみが全部飲んでしまったのだった。その後やっと立ち直ってその事実を知ったときの父の呆然とした顔は、ルカは今もはっきりと覚えている。
 やはりこの酒場の常連であるブロックもその酒のことを知っているようで、その名前を聞いた途端態度を一変させた。

 

 「おーっ、気前がいいじゃねーかおかみさんよぉ!もちろんオレもお邪魔するからな、別にいいだろ?」

 「いいけどね。でもこれからあたしはここで宴会の準備があるんだよ、まだここに居座る気なら手伝ってもらおうかい。」

 「・・・・まあ、親しき仲にも礼儀ありって言うしなあ・・・・。んじゃ、そこのガキども!邪魔になるからもう出て行け。ほれ、エプロスもそれさっさと片付けてこっから出ろ、それとリンダ嬢をちょっと迎えにいってくれや。」

 「元はと言えば、トランプはお前がやろうと言い出したのだがな・・・・。」

 

 エプロスはため息をついて椅子から立ち上がり、それと同時に彼の特技である物体浮遊能力でテーブルの上のトランプを宙に浮かし、束にして纏めた。そしてそれを懐にしまうと、ブロックに押し出されるようにして酒場を出て行くルカたちの後を追う。

 

 「あれ、エプロスさんも来るんですか?」

 「どうせ君たちも、後で村役場の方には寄るだろう?ならば私もご一緒させていただくことにするよ。私はまだ、祭りの中を見て回ってはいないのでね。」

 「おうおう、別にいいッスよ!・・・・それにしても人数が増えると、オレたちまるで、村を脅かすオバケ集団みたいッスね〜。」

 「けっ、余が率いる軍団なのだから当たり前だろう?余は魔王であり、お前たちは余の配下。本当は恐れられるべきなのだが、・・・・この村の者はどうも肝が据わりすぎておるようだな。魔王を前にしてその態度とは・・・・全くおこがましいことだ。」

 

 そんな会話をしながら、ルカ・マルレイン・キスリング・ビッグブル・エプロスの5人(+αでスタン)は、酒場の外へ出た。
 エプロスは祭りの流れに従い、いつも彼が所持している黄みを帯びた緑色の仮面で顔を隠す。彼にとってのほんの少しの仮装のつもりらしい。一見彼は仮装をするような柄ではなさそうに見えるが、そもそも普段の服装も顔の化粧も、まるで彼自身そのものが非日常の一部であるかのように派手なのだ。不思議な奇術を操る彼は、加えていつだって仮面を被り、自らの正体を絶対に明かすことがない仮面紳士なのである。そのようにわりと普段から仮装しているようなものなので、今さら仮面をつけたところで怪しさも違和感もなく、また一切仮装のような真似をしなくたって、祭りの風景にすっかり溶け込んでいた。仮面をつけた彼の姿はミステリアスな秘密主義者という雰囲気で、人智を越えた奇跡を呼ぶ奇術師にふさわしい。オバケの仮装をする祭りの趣旨からははずれてはいるが。

 

 「それで、どうするんだ?まだ村を回るのだろう。」

 

 なにげなくエプロスが訊く。別に考えることでもないのだが、キスリングは目に見える範囲にある左右の店を見て唸った。

 

 「うーんそうだなぁ・・・・ここで分かれるとしたら選択肢はふたつ、左の鍛冶屋か右の雑貨屋か。でも鋭敏な観察に基づく洞察力高い考察が4割勘が6割の私の判断によればね、次は雑貨屋がいいんじゃないかなあ。雑貨屋といえば種類雑多な品物を扱う店、だからこそそれなりに満足できるものが手に入ると思うよ!」

 「もともと村中の家全部を回るつもりなんだから、そんな手間のある理屈なんていらないと思うんだけど・・・・。とりあえず、行ってみる?ルカ。」

 「どっちに?」

 「えーと、・・・・・・・・雑貨屋、かな・・・・。」

 

 キスリングの判断の理由の説明を根本的に否定したマルレインは、彼にウサギのように悲しそうな目で見つめられながらルカに促した。ルカは頷き、その他のメンバーももちろん賛成したので、道具屋に狙いを定めることにする。鍛冶屋は後で行くことにした。
 花壇には花が植えられていて、他の店よりもいささか洒落た雰囲気を持つ雑貨屋『あざぁわん』(ルカは長年この村に住んでいるが、未だにこの名前の意味が理解できていない)の前に移動する。そして中にいるだろう主人、またはご隠居かおばあさんに聞こえるくらいの大きな声で叫ぶ。

 

 「「「Trick or treat!」」」

 「お菓子をくれなければキサマらがアイスクリームになるぞ!」

 

 スタンの一言に、一瞬その場の人間の頭上に疑問符が浮かんだ。
 後方からキスリングと眺めていたエプロスが、意味が分からないといった様子で訊いてくる。

 

 「なんだ?・・・・その、アイスクリームになるというのは。」

 「ふん、余の冴え渡る言語技術の前にはキサマらの低レベルな知能では理解が及ばんか。つまりだ、その身をカチカチに凍らせて、その中身をえぐりアイスを作るようにかき混ぜて・・・・きっといった〜いぞー。さっむいぞー。クックッ、真っ赤な血みどろアイスというのも、なかなかうまそうだしな。そうなりたくなければ菓子を渡せ、という意味だ。わかったか?」

 

 人の肉の中に詰まったいろいろなものをグリグリして、苺シャーベットのように赤々としたそれを後でおいしくモグモグする。ルカはついそんなグロテスクな惨状を想像してしまい、リンダを思い出すよりも気分が悪くなってしまった。慌てて首を振ってその想像を振り払う。隣ではマルレインまで同じように想像してしまったらしく、「うっ」と言って口をおさえて顔を顰めた。これではスタンの思惑通りだ。

 

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、うん。スタン君の味覚も非常に気になるのだが、それより脅すというのなら、もっと具体的に言った方が効果があると私は思うのだがね。」

 「あー?具体的ではないか。」

 

 キスリングはがっくりと首を垂れた。そしてポリポリと頭を掻く。
 アイスクリームは確かに「具体」的なのだが。

 

 「いやいや、遠回しすぎるのだよ。『アイスクリーム』という単語じゃ『甘くておいしい』といった印象が最初に思い付くから、人を怖がらせる脅迫には適してはいないんじゃないかなぁ。人を怖がらせるにはもっとこう、残忍で直接的な表現を使った方がピンと来るんじゃないかい?」

 「・・・・言われてみればそうだな。うっかりしておったわ、余としたことが。ならば針で串刺しがよいか、それとも無難に冷凍氷漬けか・・・・」

 「上から吊るして火であぶるのもいいッスね!」

 

 ・・・・考えているのが脅し文句なのかおいしい料理の調理方法なのかわからなくなってきたが、とりあえずここで議論すべき内容ではないのはわかる。そして一般人であるキスリングがその中に混じっているのもどうかと思う。これが魔王スタンによる教育(調教)のせいだったらどうしようかと、ルカは不安になった。博士の適切なアドバイスは、きっとただの学者としての性によるものだろう。そう思いたい。

 

 「それよりも、君たちの前に立っている者に気づいてあげたらどうだ?」

 

 エプロスの極めて冷静な一言に、ルカたちは振り向いた。
 扉を開けたまま、様々な果実を抱えて立ち尽くしている雑貨屋のご主人がいた。

 












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