ボクと魔王がお祭りで



 






 村人からは「廃屋」と呼ばれているほど古い大きな屋敷。いつもは村を静かに見守るようにひっそりと丘の上に建っているが、今日は違った。
 窓と窓の間の壁には、不気味なデザインの紙飾りと蔓を組んで作られたランタンが紐に結ばれていくつも吊るされ、普段は地味な色合いの洋館の壁が、おどろおどろしくも華やかに飾られている。玄関の前や脇には、中身をくり抜かれた代わりに蝋燭の火を入れたオバケカボチャが、妖しげな光を目と口から漏らしながら笑っている。無造作にいくつも並んでいるその笑顔はどこかの影魔王に似せて切り取られたようで、不気味に見えるもののなんだか憎めない。しかしその笑顔のカボチャたちが玄関前にたくさん飾られていると、まるでみんなして自分を見つめて言葉を喋り出しそうな錯覚に陥り、カボチャたちそれぞれに魂があるようにさえも見えた。この場所で、この屋敷に後々にやってくる子供たちを出迎えるのが、彼らの役割である。こうして「廃屋」はルカとその家族たちによって飾られたわけだが、元々の建物の外観が古い絵本に出てきそうなほど不気味で古臭いというのに、さらにそれを引き立たせるような飾り付けをされると、まるで本当に吸血鬼が主のオバケ屋敷にでもなってしまったかのようだった。

 しかしながら、自分の家によく似た建物に住んでいる吸血鬼の魔王は実際にいたのである。それもあながち間違いでもないのかもしれない・・・・と思いながら、このオバケ屋敷に住む少年ルカは、並べられたカボチャの最後の一個の中に火を灯した。

 今日は村の祭りである。毎年恒例オバケたちの大活躍する日であり、そのオバケに仮装した村の子供たちが大暴れする日でもあった。夜の村を回ってお菓子を貰い、くれなかった場合は悪戯をするという、オバケが生息する世界故の一風変わった祭りだ。

 この日はオバケたちが活発になり力を持つ日で、村の中にまで現れては村人の魂を盗むと言われている。それらから身を守るために村人たちは仮装をして、オバケたちの仲間として振舞うのだ。子供はオバケらしく悪戯をしたりお菓子をねだったりすることで、オバケも人間も同じ仲間であることをオバケにアピールする。大人は村の中をおどろおどろしく彩ることで、この場所がオバケの世界なのだとアピールする。そうすることで、村の中に現れたオバケたちも安心して、悪さをしないのだという。
 が、今ではそんな昔話も重要ではなく、ほとんどただの行事と化していた。ある時期から人間を襲わない友好的なオバケも現れるようになり、人間の村人たちもオバケに以前ほど強い警戒意識を持たなくなっている。言い伝えなんて関係無く、村祭りではオバケとも友好的な関係を築いて仲良くしよう、という考えが広まっているのが現状だった。
 世界も人の考え方も、時間が経てば変わるものなのだ。「分類」が無くなったからだとはいえ、その目まぐるしく変わっていく時間の中の世界に、ルカは驚きさえも感じていた。

 

 

 自分の仕事が一通り終わって家の中に入ると、すぐにキッチンから良い匂いが漂ってきた。
 その匂いに惹かれてルカがキッチンに行くと、ルカの母とマルレインが料理している最中だった。テーブルには、くり抜いたカボチャの中身が入った鍋が置かれている。他にはミルクに鶏や豚のお肉に卵、パン粉小麦粉片栗粉、色とりどりの野菜に果物、砂糖と塩とお酒とスパイスと他になんだかよくわからないたくさんの調味料のビンやら、一足先に焼きあがったお菓子やら。

 

 「あ・・・・。ルカ、終わったの?」

 

 立っているルカに気付いたマルレインが振り返り、笑顔で駆け寄ってきた。以前は誰もが認めるほど異常に影が薄かったルカだが、最近はわりとそんなこともなくなり、普通の存在感で暮らしていけている。目の前の少女は特に、ルカの気配に気付くのが早かった。
 ストレートロングヘアの髪と、亜麻色の薄いワンピースが動きに合わせて揺れる。鮮やかな紅い瞳が印象的で可憐な少女だが、その風貌はどこか存在を強く主張しない控えめさがあり、どこかルカと似たような空気を纏っているようだった。喋り方も妹のアニー、以前の旅の仲間だったロザリーやリンダとは違い、これといって特徴の無い口調である。彼女によく似たもう一人の「彼女」とは、何もかもが正反対だった。

 マルレインは親の元を離れて暮らしている。母親はいないし、父親は彼女の存在に気付かないまま広い世界へと旅立った。そのため、ある時期からルカの家で暮らしているのである。ルカの母は娘が増えたと言って嬉しがっているし、父はやっと息子にも嫁ができたとか言って満足していたし、妹は念願の姉ができたと言って喜んでいたので、家族全員一致で何事も無くルカの家の娘になった。特に母はマルレインのことを本当の娘のように可愛がっており、マルレインも本当の母のように思っているようだ。
 今も母に教えてもらいながら料理を手伝っていたらしい。祭り用のお菓子や食べ物でも作っているのだろう。

 

 「今ね、パンプキンパイを焼いてるの。あとスープも作るのよ。あとで村のみんなで食べるんだって。楽しみね!」

 

 マルレインは確か、このような村のお祭りの参加はこれで2回目になる。前回の祭りはこの村の一年で一番の大きな村祭りであったため大忙しだったが、今度は村の子供が主役なのである。マルレインもきっと楽しめるに違いない。実際ルカ自身も、毎年楽しみにしている祭りだった。甘いお菓子や料理が、いつも以上にたくさん食べられるのだ。そのことにときめかない男の子がいるだろうか。
 しかし、そのためにはオバケの仮装をしなければならないのだが。

 

 「そろそろ夕暮れ時だね・・・・。ルカは仮装、何のオバケにするの?わたし、・・・・まだ、考えてないんだけど・・・・。」

 「いや、それは・・・・」

 「それはもうおかーさんがねー、ちゃーんと用意してるのよ?」

 

 湯気の立つ鍋の中をお玉杓子でかき混ぜていた母が、振り向きざまに言った。マルレインは目を丸くする。
 ルカの母が仮装の衣装を作るのは毎年恒例のことなのだが、この家に居候し始めて1年も経っていないマルレインはそのことを知らなかったようだ。ルカの母はというと料理はもちろん裁縫もお手の物で、衣装や装飾、料理などを作るのを彼女自身も毎年楽しみにしている。今年もルカが知らないうちに作っていたようだ。

 

 「ルカのもマルちゃんのもそれぞれ自室のベッドの上に置いておいたから、今着ていらっしゃいな。アニーはリクエストがあったからいいけど、2人とも何も言わないんだもの。今回はおかーさんが勝手に作っちゃったけど、それでいーい?」

 「あ・・・・ありがとうございます・・・・」

 

 マルレインが頬をほんのり赤く染めて、控えめにお礼を言った。なんだか嬉しそうで、少しばかり恥ずかしがっているようにも見える。母親に衣服を作ってもらうというのは、マルレインにとって初めての経験なのだろうか。
 この田舎の村では子供が年頃になるまでに、母に服を縫ってもらうという経験を何度もすることも珍しくない。しかし最近の町では洒落たブティックも増え、ルカもアニーも村人たちもほとんどの服を洋服屋に手紙注文し、村役場配達で買うことが多くなった。母や祖母の手製の服は近頃あまり着なくなったので、仮装とはいえ母の手作りを着るのは久々だ。テネル村の長老の娘から貰った手編みの帽子や、いつか宿のベッドの脇に置かれていたマルレインが編んだものと思しき服は時々着るけれど。

 

 「気に入ってくれるといいんだけどねー。でも、きっと似合うわ!ほーら、早く着て着て。みんなヘンな格好するんだし、別に恥ずかしがらなくてもいーのよー。」

 「は、はい・・・・」

 

 母は顔を赤くするマルレインの背中を押し、ルカにも自室へ向かうように促した。
 アニーももう自室で仮装しているところだろう。また後でキッチンに集まって、格好を見せ合うのがいいかもしれない。
 ルカはそのことをマルレインに言って、お互いそれぞれの部屋へと分かれた。

 

 

 

 

 

 数分後。仮装が完了したルカは、キッチンに戻ってきた。
 そこには先ほどから料理していた母とルカと同じく仮装したアニー、影ではない実体の姿をした魔王スタンがいた。スタンが自分の影から出て来ないとどうも不思議に思っていたが、どうやらいつの間にか外に出ていたようだ。
 普段のスタンは居心地が良いらしいルカの影にとり憑いており、お世辞にも魔王とは言えないペラペラな姿をしている。しかしそれは仮の姿で、目の前に居るような黒服の男の姿が彼の実体である。威厳ある漆黒の闇の礼服を着て、影の時の目や口と同じ色をした髪を持ち、見かけは「言われてみれば魔王」らしい印象を受ける。・・・・少なくとも、見かけだけは。

 

 「コラ小娘!そのパイは余のものだ、こっちによこせ!」

 「やだー、スタンって欲張りだねー。これはあたしが全部食べるんだから、独り占めしちゃダメだよー?」

 「キサマも人のこと言えないだろーがっ!それ全部食ったらお前太るぞ?いいのか、太るぞ?」

 「あー、華の乙女に太るって言ったなー、このこの!へへーん、あたしのカンペキなスタイルの前では、パイのひとつやふたつなんて無力に過ぎないんだよ。かんけーいなーいもーん!」

 

 先ほど焼きあがったらしいテーブルの上のパンプキンパイを巡って、スタンとアニーが口論していた。2人とも、夜に掻き集めて回るお菓子たちに備え、あえて腹を空かせているのだろう。しかしその目の前のつやつやと黄金色に輝くパイを見たら、我慢に限界を迎えるのも仕方がないかもしれない。だが、ルカよりも年下の少女と喧嘩するスタンは格好が悪かった。
 大体そのパンプキンパイは村の住人みんなで食べるものだから、勝手に独占して食べさせるわけにはいかないのだ。しかし母はそれを止めることなく、楽しそうに料理を続けている。このマイペースを貫く人々を、誰か止めてほしい。止められるのが自分だけなのだということは、もはや重々承知しているが。
 ルカが2人の前までやって来ると、やっとスタンが口を止めた。

 

 「おお子分か、ちょうどよいところに来たな。お前、この妹を何とか・・・・・・・・ってなんだ子分、その耳は?」

 

 スタンが呆気にとられてルカをまじまじと見た。
 ルカの頭には灰色をした犬のような生き物の、鋭く尖がった耳がふたつ。肩を包むケープは毛皮のようにふっさりとしていて、やはりそれとその下の衣服も暖かい灰色だった。ズボンのベルト部分には長いしっぽが付いており、両手には大きな爪がついた手袋が嵌められている。
 変なものを見るような疑わしい視線で見つめてくるスタンに、ルカは慌てて言葉を補う。

 

 「ち、違うよスタン。これはおかーさんが用意した仮装で・・・・別に変な趣味じゃないしっ。」

 「うっわー、なんかおにーちゃん、ちょー似合う!前回のオバケも良かったけど、今回もけっこーイイ線いってるよー。さっすがおかーさん、見る目がわかってるじゃん!」

 

 アニーがケタケタと笑ってルカを指差した。ルカは恥ずかしさと妹に対する立腹に顔を赤くして、思わず爪のついた手を口元に当てて俯く。その仕草が妙にその姿とマッチしていて、アニーの笑いを更に煽っているのには気付いていない。
 料理していた母がルカを見て、笑顔で振り向いて言った。

 

 「あらおにーちゃん。似合ってるわね、おかーさん安心したわー。ルカは去年よりも少したくましくなったから、今年はカッコよく孤高のオオカミさんで決めてみたんだけど・・・・・・・・とっても可愛いわー!」

 「へー、これ、オオカミのオバケなんだー。んー、でもなんか強そうなのか弱そうなのかよくわかんないねー。てゆーか弱そう。去年のカエルよりはなんか地味じゃない?」

 

 なんだか随分な言い草だな、と思う。―――特にそこの妹。そんなルカの心情など露知らず、アニーはルカのしっぽやら耳やらを面白いもののように触っている。正直鬱陶しいのでやめてほしい。
 衣装に対するアニーの素朴な疑問に、母は頬に手を当て、首を傾げて微笑む。その視線はスタンのほうを向いていた。

 

 「んー、でもねー、だってねー。今年はスタンちゃんもいるじゃない。スタンちゃんがいれば、別にルカの仮装が凝ってなくても充分オバケに見えちゃうでしょ?それでもいいかなーって。」

 「なっなんだと!?このアマっ、余はオバケでも仮装衣装でも何でもないぞ!」

 「うーん。でもスタンちゃん、今日のお祭りもルカと一緒に見るんでしょー?それとも、そのままの姿で見に行く?なら、まだ他にトラさんとヤギさんの耳を作ってあるけど、どっちが似合うかしら・・・・。」

 

 悪意の欠片も無い疑問の表情で、どこからか取り出した黄色い耳が飾られたカチューシャふたつを手に、母はスタンとそれらを見比べる。スタンの赤みが掛かった金髪に可愛らしい黄色い耳を付けた、体格だけはたくましい姿。それを想像したルカは、あまりのおかしさに吹き出した。
 ふたつの耳を持つ母を見たスタンはたじたじになって後ずさり、魔王としてのプライドに関わる危険性を感じたのか、慌ててルカの背後に回った。そして光を発し、逃げるようににルカの影の中に戻る。そしてルカの影から、いつものペラペラな影の姿で現れた。

 

 「い、いや・・・・余は普段通りここで良いぞ。子分よ、今日も今日とて余の足となれ!きびきびチャカチャカさっさと動くのだぞ、それから手に入れた菓子は後で余へ貢げ!わかったな?」

 「えー、なんで・・・・。もう自分で歩けるんだから、スタンも仮装してお菓子を貰えばいいのに・・・・」

 「バカかお前は。何故大魔王たる余がこんな下級魔族の格好をせねばならんのだ!余は魔王だぞ、魔王!存在自体がすでに悪なのだ。つまり、余は仮装なぞせずとも恐れられるべき姿をしておるのだ!・・・・が、ここの村人どもはどうもそれがわかっておらんらしい。この邪悪で凶悪で極悪である余の姿を認められんとは、全く。ヤツらの目玉は飾りに過ぎん。」

 

 しかし実際、村人どころかオバケたちやその他大勢の人間から見ても、スタンの姿は邪悪にも凶悪にも極悪にも見えないのが事実だった。影の姿でいたらルカの手品の産物として扱われていたし、真の姿で村の中を歩いていても、リンダやエプロスと同じように普通の人間としてしか見られていなかったのだから。

 

 「そういうことでだ、キサマは余に代わって貢物を回収しろ。大体この祭りでの仮装というものは、下級魔族どもを恐れるがゆえにするのだろう?余は魔王だから、そんななさけないマネなぞしないぞ。というか、魔族どもは皆余の配下だからな。仮装をしようがしまいが、余には関係ないことだ。」

 「・・・・・・・・にしては、オバケたちの間でのスタンの認知度が低い気がするんだけど・・・・。」

 「だ―――っ!うるさいうるさーいっ!余の子分は余の命令だけを聞いておればよいのだ!それ以上口答えしたら舌引っこ抜くぞコラ!」

 

 傷ついたスタンが、ルカの頭をペチペチと叩いた。母が「仲が良いわねー」とその様子を微笑ましく眺めている。
 魔族といったらオバケだけではなく、元魔王のビッグブルやリンダ、エプロスやその他の元・ニセ魔王も当てはまるわけだが、その中では誰一人としてスタンに服従している者はいなかった。それどころかスタンの存在を知っている者さえも少なかった。もとよりオバケたちだって、分類を破壊する前はスタンにもまったく遠慮なく襲いかかってきていたのだ。そして今、スタンを魔王として認める者は、ルカや旅の同行者たち以外ではほとんどいない。彼の野望である世界征服達成は、どうやら果てしなく遠いようである。
 そしてもうひとつ。昔とは違って今の祭りの仮装は、オバケから身を守るよりも、村人たちが祭りを楽しむためのものでしかない。なのでせっかくだからスタンも仮装して楽しめばいいのに、とルカは思う。仮装しても実体スタンの姿じゃお菓子は貰えないだろうし、さすがにスタンもオバケの耳付きカチューシャは付けたくないだろうけど。

 

 

 「あの・・・・」

 

 そのとき、ふと声が聞こえ、ルカはスタンとともに振り返った。
 いつの間にか、キッチンの入り口付近にマルレインが立っていた。ルカ以上に顔を赤くして、指を組んでモジモジしている。
 まず目に留まったのは、頭の上に付けられたルカと同じようなオバケの耳。先端が桃色と空色と薄紫色の3色の縞が織られている、細長い耳だった。そしてマルレインが着ているワンピースも、上半身がその3色の縞模様になっている。その模様と全体的に薄いクリーム色の耳とワンピースは、どう見てもウィルクの森に住んでいる軽やかなウサギのオバケだった。
 母とアニーが歓声を上げる。

 

 「わーっ、かっわいーじゃん!マルレインってウサギ耳、すっごい似合うんだねー。」

 「そ、そう・・・・?」

 「ふむふむ、馬子にも衣装というところだな。子分よりは似合っておるぞ。」

 

 アニーとスタンに褒められ、マルレインは照れながらも嬉しそうだ。
 確かに、ルカから見てもその衣装はとても可愛い。・・・・しかし、自分のイヌならぬオオカミ耳とマルレインのウサギ耳。なんだかお祭りの目的とは別の趣旨を狙っているかのような組み合わせに、ルカは母の思惑の存在を疑わざるを得なかった。

 

 「まー、やっぱり可愛いわ!マルちゃんは赤い目がウサギさんみたいだったから、衣装もウサギさんにしたのよー。ルカにマルちゃん、どーしてもお揃いでケモノ耳を付けさせたかったのよねー。うーん、今年は本当に作りがいがあったわ!ルカにアニーにマルちゃんの衣装、それからおとーさんとおかーさんとおじーちゃんとおばーちゃんの分のケモノ耳もちゃんと作ったし。せっかくだから、スタンちゃんの分のも作ろうと思ってたんだけどねー。」

 「だから、余はいらんと言っておるだろーが。」

 

 冷静に断るスタン。
 しかしこの母は、何故今年はこんなにもケモノ耳の飾りにこだわっているのだろう。そういえばアニーの頭にも、黒い猫のような耳が付いたつばの広いトンガリ帽子が乗っている。
 そういえば、アニーの衣装は真っ黒なミニスカートのワンピースに黒い帽子、手には家の古い箒という今まで着てきた仮装とは違った雰囲気の格好をしていた。そのような姿のオバケなど、この世界に存在しただろうか?ケモノ耳のついでに訊こうかと思ったが、それは母の一言に流されてしまった。

 

 「んー、じゃー4人とも、そろそろこのテーブルの上のお菓子を全部、玄関に持っていってくれるー?今年もおじーちゃんとおばーちゃんが、ここに来る子供たちにお菓子を配ってくれるみたいだから。で、運んだらそのまま遊びに行っちゃっていいわよ。ランタンとお菓子入れるカゴも忘れないでね。」

 

 母はダイニングテーブルの上にいくつか置かれている、手作りのお菓子がたくさん乗せられたトレーを見やって言った。
 そしてそのすぐ傍には、小さな蝋燭ランタンが3つ、大きなボールが入るくらいの大きさのカゴが4つ。その灯りを手に掲げ、その入れ物にお菓子を入れて集めて回るのだ。そしてもうひとつ、悪戯用の絵の具と筆のセットも一応用意されていた。ほとんどの大人の村人は皆お菓子を用意しているため、これはあまり使う機会が無いが。
 それらを見たアニーとマルレインの顔がぱっと明るくなった。しかしマルレインはすぐに、心配するように母を見る。

 

 「・・・・えっと、お母さんは?お料理、手伝いましょうか・・・・?」

 「あらー、マルレインは優しいわねー。おかーさんはだいじょーぶよー。そんなことよりも、いい?今日はみんなが主役なんだから、大人の人からとにかくたくさんお菓子をもらってくるのよー!お菓子がもらえなかったらちゃんとイタズラすること!それが礼儀ってもんよー。あ、おかーさんは料理が出来上がったら村の方に持ってくから。あと、お祭りっていってもやっぱり夜だから、夜道の足元と変質者と本物のオバケには気をつけてねー?」

 

 母の注意に、はーい。と適当に言ってお菓子のトレーを持ち上げるアニー。トレーとランタンとカゴを手に、こくんと頷くルカとマルレイン。
 スタンは返事の代わりに、ルカの影の中へと一旦引っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あのさ・・・・なんで、ケモノ耳?」

 

 火を灯したランタンを手にぶら下げたオオカミの姿のルカが、前を歩くアニーに訊ねた。
 日が暮れたウィルクの森の薄暗い道を、祭り用のランタンの灯火が明るく照らしている。夜の世界を支配するひどく大きな満月は、まだ昇り始めたばかりで夜道を照らすには至らなかった。しかし、じきに祭りのテネル村を煌々と照らし始めることだろう。
 ルカの質問に、アニーが振り向いて呆れたように答える。

 

 「おにーちゃんてば、知らないのー?女の子の可愛さを強調して男の子のハートをゲットするには、頭にケモノ耳をつけるのがいいんだってー。今学校で流行ってるんだよー。そのことおかーさんに話したら、マルレインなら絶対似合うからお祭りで付けさせたいって言い出してさー。んで、マルレインが付けるんだったらおにーちゃんにも付けよう、おにーちゃんにも付けるんだったらもう家族みんなそれにしちゃえーってなって。もー、おかーさんたら単純なんだからーっ。」

 「・・・・そのケモノ耳の話って、どこから広まったんだ・・・・?」

 「え?えーと確か、『萌えどころ100選』とかいう本だったっけ。最近マドリルで発売されたヤツで、マドリルやトリステじゃすごい売れてるんだってー。でもおしゃれの本のはずなのに、女の子よりも男の方が買う人多いみたいなんだけど。なんでだろーね?」

 

 それを聞いたルカは、すぐにいつかのマドリルでの惨事を思い出した。まさか、また某アイドルが洗脳歌を歌ったんじゃないだろうな・・・・?とルカは一瞬不安になる。しかし、そのような話は風の便りでも聞いていないため、多分都市を巡るただの流行だろう。世の中には変な本を書く人もいるもんだ、と自分が出会ってきた様々な変人をついでに思い出しながら、ルカは感心した。
 ルカの少し後ろを歩くマルレインはというと、ルカの母に作ってもらった頭の上のウサギ耳を、そっと摘んでいた。布の中には綿が詰まっているらしく、硬いとも軟らかいともつかない感触である。ウサギワンピースと同じく、手作りの温もりを感じる手触りだった。・・・・もしかしたら母は、自分とルカの関係を気遣って、この可愛い耳飾りを作ってくれたのだろうか。彼に可愛いと思って見てもらえるなら、それだけで心が躍る。それにおんなじケモノ耳仲間だ。そう考えると、マルレインは嬉しさで胸が一杯になる。思わず顔が綻び、そのせいで不思議そうに自分を見ているルカにも気付いていない。

 3人で道を歩いていくと、夜の虫の気配に混じって、テネル村の村人たちのざわめく気配も強くなってきた。毎年このお祭りのときにしか流されない、不思議なリズムの鈴のような音楽が風にのって聞こえてくる。
 夜のテネル村の門はいつも閂で閉められているが、今日はテネル村近辺の森の中に住む村人も村の中に入って来られるよう、また近辺の家にも子供が訪ねて行けるよう、そして村以外の者も祭りに参加できるように、門の閂が開放されているのだ。閂を開放しているとはいえ、昼間と同じくオバケが村の中に入ってこられないのは変わらない。しかしこの日はオバケが活性化すると言われている日であるため、本物のオバケが子供たちの中に混じっていてもおかしくはないだろう。大体、分類は解かれたのである。捨てられた町トリステにいたオバケと同じような友好的なオバケも増えている今、本物のオバケが村に遊びに来ていても、今じゃそれほど珍しくもないことなのかもしれない。

 ケモノ耳・・・・といえば。もうひとつ、ずっとルカが気になっていたものがあった。

 

 「・・・・そういえば、お前の仮装って一体何のオバケなんだ?おかーさんになんかリクエストしたって聞いたけど・・・・。」

 

 ルカはアニーに再び質問した。アニーの黒いネコ耳付きトンガリ帽子と、同じく真っ黒なミニワンピース、そしてその手の箒のことである。
 このお祭りの仮装といえば、ほとんどの子供が自分の好きなオバケの格好をすることが多い。この世界に実在する、動植物に似た本物のオバケの姿を真似るのが定番だ。オバケの仲間だと見せかけるのがこの祭りの本来の目的であるため、それが当たり前のことだと村人の頭に植え付けられているのだろう。
 しかしアニーは、その常識を思い切りひっくり返すかのような考えを持っていた。

 

 「えー、これ、そこらのオバケじゃないよー?ウィッチだよー、ウィッチ。童話によく出てくるあの魔女!だってもー正直、普通のオバケの衣装には飽きちゃったしー。今年はねー、みんなとは違う斬新かつキュートな仮装で攻めて、お菓子だけじゃなくて男の子のハートもゲットするんだもーん!」

 「魔女、ねえ・・・・。」

 

 確かに魔女はホラーチックでオバケといえばオバケなのだろうが、まさか仮装のアイデアを童話の中から引っ張り出してくるとは思ってもいなかった。自分の美貌と人気のためなら何でも利用するアニーは、やはりさすがだ。
 鼻歌を歌って箒をくるくると振り回すアニーは、我が妹ながら村の中ではなかなかの美少女だ。それは一日一回肩を並べて歩くボーイフレンドの顔が変わってしまうほどで、本人も美少女でいることを楽しんでいるようだった。もしそんな彼女のオバケではないお化けの仮装が祭りの中で人気ならば、来年からは普通のオバケの他にも様々な仮装をした子供なども現れそうである。アニーが流行の最先端で、ウィッチだけでなくゾンビ、スケルトン、フランケンシュタイン、デビル、エンジェル、フェアリーなどと童話の中のオバケたちが流行ることと予測した。今年がケモノ耳なら、来年はもう何でもアリかもしれない。
 この村の三大美少女にランクインしているのは、大人びて清楚な印象を受ける(中身は腹黒だが)ジュリア、活発でスタイルも良い上に社交的な(中身は計画的だが)アニー。そして最近は、大人しいが人当たりが柔らかいマルレインも陰で密かに人気が上がっているようである。少し地味でおとなしくて自分からはあまり語らないものの、誰に対しても平等に嬉しそうに楽しげに接する、妖精の慈愛のような優しさを持つ彼女は、まるで大きな国の民を愛する小さな王女様のようだと言われ評判らしい。マルレインもテネルに段々と馴染んできているようで、ルカも嬉しかった。
 そんなルカ自身だって変な影であるスタンとセットで面白がられ、長い旅をした少年として村の中ではそれなりに話題になっているのだが、彼は気付いてはいない。

 歩いているうちに、テネル村の門の近くまでやって来た。
 道の先で仮装した子供が数人、村の門を開けて駆けて行く姿が見える。珍しく夜に起きているテネルは、全体的にほんのりと暖かいオレンジ色に発光しているようだった。門の前の両脇には、ルカの家の前にも飾られてあったようなオバケカボチャたちが並べられており、村人が作りだした顔でにやにやと笑っている。門の奥の祭りの光や並べられたオバケカボチャたちのせいで、馴染み深い「テネル」と書かれた看板も、今日はまるで異世界へと誘っているかのように見える。
 今日は、オバケと子供が村を支配する日。

 

 

 ルカは目の前のテネル村のゲートを押し開けた。

 

 「・・・・すごい。」

 

 マルレインがぽかんとして村の中を見渡した。
 村の中はやはりおどろおどろしくも華やかで、すっかりオバケの世界となっていた。店の前に灯されたオイルランプや蝋燭の火が暗くなった村の中を怪しく照らし出しており、道の端のあちらこちらにもオバケカボチャが置かれている。カボチャは大きさも形も様々で、細長いものが整列しているところもあれば、とんでもなく大きいカボチャの上に小さなカボチャが乗っている、まるで親子のようなものもあった。どれもこれも暗闇の村を照らす役割と、怪しげな世界を作り出す役割をちゃんとしっかり果たしている。普段は使われずに放置されている荷車の上にもたくさんのカボチャが積まれていて、家々の窓や壁にもオバケやクモの巣などの可愛らしくも不気味なデザインの飾りが施されており、なにもかも子供たちの心についた火を一気に燃え上がらせるには充分だった。
 村の中ではユニークなデザインのオバケに仮装した子供たちが、楽しそうに徘徊していた。ゴーストの真似をして白い布を被っていたり、サイのように頭や鼻の上に模様の描かれたツノを付けていたりと、仮装はどれもユーモラスで人によって個性が出ていた。よく観察してみると、今年はケモノ耳を付けている女子が昨年以上に多く、アニーの言っていた話はどうやら確かなようである。
 ある家の扉に向かって呼びかけている子もいる。もらったお菓子を見せ合っている子もいる。みんなアニーが通う学校の生徒で、小さな村なのでほとんどの子供がルカの顔見知りである。この社会の「子供」の基準では、成人前の若者ならば皆子供扱いされるため、ルカと同い年や年上の子も平等にお菓子がもらえるのだ。マルレインもそうだし、ジュリアもおそらく参加していることだろう。
 本物のオバケがふよふよと移動している姿も見受けられるが、お互い怯えている様子は全く無く、オバケと人間の共存空間がそこに存在していた。

 

 「おーっ、アニーちゃーん!」

 

 村に入ってきたルカたち3人・・・・というよりもアニーに気付いた男子たちが、道の向こうから走ってきた。
 アニーも男子たちに気付き、大きく手を振る。

 

 「あ、ハット君にジャン君にデニス君だ!ねーおにーちゃん、あたしはこっちで勝手に家回ってくるからさー。おにーちゃんたちも自由に回ってきていいよー。じゃー、またあとでねー!」

 

 そう一方的に告げた後、アニーは男子たちの方へと走って行ってしまった。
 そして道の先でアニーが男子に囲まれながら、お喋りをし始める。どうやらネコ耳魔女の仮装が男子たちに受けられているようで、「かっわいー!」と褒められていた。その中には恍惚として見つめている男子もいる。毎日のようにデートをしている彼女のことだ、今日の祭りもデート気分で男子と回るつもりなのだろう。やはり我が妹ながら、なんと恐るべき魔の魅力と人気ぶりだろうか。魔女の仮装も伊達ではなく、本当に魔女くさい。母に鍛えられただけあるな、とルカは感服しつつもどこか複雑な心境だった。
 しかしそれよりも・・・・と、ルカはキョロキョロと村を見回す隣のマルレインを見る。

 

 「・・・・じゃあ、ボクたちも行こうか?お菓子をもらいに。」

 「え?あ、うん・・・・そうね!」

 

 とりあえず、すぐ傍の肉屋から挑戦してみよう、とルカは指差した。マルレインも頷く。
 歩いて肉屋の扉の前に近づき、その前に立つ。肉屋の前にもカボチャが置かれているが、顔の代わりに「肉」と彫られていて、少しおかしかった。2世代の間水難以外無敵の完全無休を誇る彼のことだから、今日も休まず肉屋を営業しているに違いない。
 とりあえず去年と同じように、トントンとノックをする。
 すると、中から待ち構えていたように肉屋の主人がにょきっと顔を覗かせた。

 

 「やあ、らっしゃい!合言葉は?」

 「へ?合言葉?あ。え、えーと・・・・。と、『Trick or treat(お菓子をくれなきゃイタズラするよ)』?」

 「とりっく、おあ・・・とりーと?」

 

 ルカとマルレインが少し動揺したように言うと、主人はにっと笑って顔を引っ込めた。
 そしてすぐに、ドアの隙間からリボンで結ばれた数本の干し肉の束が二人分差し出される。受け取ってみると、ほんのり蜂蜜の香りがした。どうやら蜂蜜に漬けた肉を干したもののようである。干し肉はよく保存食として扱われるが、子供の間ではおやつとしても食べられているのだ。去年くれたものと同じだった。
 あとこれも、と言われてもうひとつ受け取ったのは、紙に包まれた柔らかい塊。紙を捲ってみると、中は赤い生肉だった。

 

 「今日は祭りだから、子供だけ無料でお肉をプレゼントだ。家に帰ったら晩ご飯におかーさんに焼いてもらいな。どーだい、今年は気前がいいだろー?」

 「そ、そうだね・・・。」

 

 ルカは苦笑してそれらをカゴの中へ入れた。干し肉はともかく、肉の塊はお菓子ではない気がするのだが・・・。晩ご飯がカボチャ尽くしにならずに済んだのはありがたいけど。オバケに供物として捧げられる血の滴る赤い人の肉・・・・と言ってしまえばホラーの聞こえもよいが、これはただのブタ肉だし、自分たちの仮装ではワガママな猛獣にあげるエサのようにしか見えない。
 マルレインは渡された干し肉を見て、嬉しそうに目を輝かせている。目の前でくるくると回し、蜂蜜の良い香りに目を細めた。お菓子と言うには地味な上に甘さの足りない蜂蜜漬けの干し肉とお菓子でも何でもないお肉をもらったら、普通の子供なら文句のひとつくらい言うところだろうが、どうやらマルレインは純粋に喜んでいるようだ。

 

 「わぁ・・・・ありがとうございます!」

 「おうおう、いーんだぜ嬢ちゃん、お祭りだからな。ウサギだからってな、ニンジンばかり食べていたらさすがに飽きるだろ?ははは!」

 

 軽く冗談を言いつつ、笑いながら主人は手を振って扉を閉めた。

 ルカは少しがっかりした顔で、マルレインはまだ嬉しそうな顔で肉屋を離れる。
 カゴの中に重みが加わり、最初の収穫を得たことを感じる。肉だけど。
 蝋燭ランタンの光に照らし出されたマルレインは微笑んで、ルカに言った。

 

 「そっか・・・・こういう風にもらっていくのね。・・・・ふふ、面白いね、ルカ!」

 「さっきは先に聞かれちゃったけど・・・・ほんとはこっちが脅すみたいに言うはずなんだよね。今度は宿屋でやるけど、まあそのときに再チャレンジってことで。」

 「こらっ!」

 

 ルカの言葉を遮るように突然、スタンが影から飛び出してきた。
 夜の月のような色をした目と口に、漆黒の異型の体。よくよく見れば、この祭りの雰囲気にぴったりな姿をしている。スタンは何故かぷりぷりと怒りながら、ルカが持っているもうひとつの空のカゴを指差した。母がくれた、スタンの分のカゴである。
 ルカはやっとそれの存在と意味を思い出した。

 

 「このバカバカバカ子分っ!余への貢物の回収を忘れておるではないか!?早速命令を無視するとは、いい度胸だな!ええ!?」

 「あ・・・・ごめんスタン。すっかり忘れてた・・・・というか、それだったら自分で歩けばいいじゃん・・・・。」

 「だーかーら、この村の人間どもに余の姿が怖いという常識は通用せんのだ!」

 「まあ、当たり前だよね・・・・。・・・・だったら、その影の姿のままで外に出ていれば?」

 「面倒臭い。子分、お前が余の代わりに受け取れ。」

 「・・・・でもスタンも一緒に脅す言葉言わないと、3人分のお菓子なんかもらえないと思うけど。」

 

 う、とスタンがたじろぐ。
 そこにマルレインも言葉を加えてきた。

 

 「スタンは魔王だから・・・・仮装した子たちや本物のオバケよりも、もっともっと脅し文句が上手なんじゃない?」

 「う、う、ぐ・・・・。そりゃー言われるまでもないが・・・・」

 「「せっかくだから見本見せて。」」

 

 ルカとマルレインが口を揃えて提案した。そしてスタンに対し、目の前の宿屋の扉を指差す。きっとその先では、宿屋の主人が首を長くして待っているはずだ。多分。
 二人に説得されたが、スタンは面倒臭そうにしばらく渋っていた。・・・・が、だんだんと吹っ切れてきたのか、やがて悪者のような歪んだ笑みを浮かべ始める。そして突然、大きく笑い出した。

 

 「・・・・。クックック・・・・フハハハハ!いいだろう。余が直々に菓子とやらを奪い取ってやろうではないか!正直、先ほどのキサマらの声はこけおどしにも足りん。ほれ子分、その家の前に立つのだ。余がこの凍てついた声で、人間どもを恐れおののかせて見せよう!」

 

 はあそうですか、とルカはスタンの指示に従い、マルレインと共に宿屋の扉の前に立った。「宿屋」と書かれた小さな看板が吊るされているランプには灯りが点されており、斜め上から扉を照らしている。宿屋の中からは複数の人間の気配がするので、おそらくお祭りのために村を訪れた観光客でも泊まっているのだろうが、スタンにとってはそんなものは関係がなかった。
 ルカとマルレインとスタンは同時に、大きく息を吸った。
 そして言う。

 

 「「Trick or tre...「宿を火だるまにされたくなかったら菓子をよこせ。」

 

 スタンの一言に、一瞬宿屋の中が静かになった・・・・気がした。それとも自分の錯覚だろうか。
 それはさすがにまずいんじゃないか、とも思った。これでは脅迫である。が、言葉の意味としては間違っていないのであえて訂正はしない。そんなセリフだろうと動揺しないのがこの村なのである。

 

 

 だが、暫くの間。

 

 間。

 

 間。

 

 間。

 

 間。

 

 

 

 

 ―――バンッ!

 

 「やあやあやあ世界のオバケ学者グッテン・キスリング準備完了、ただ今オバケの祭りに参上したよ!!」

 「うわあああ!!」

 

 中々開かない扉にルカがもう一度言おうかと思っていたところ、突然目と鼻の先の扉が勢いよく開かれ、ルカは驚いて後ろに飛び退いた。
 しかし見知った顔と声に、顔を上げる。扉を開けたのはオバケについては知らないことはないという、マドリルでは少し有名な学者キスリングだった。
 ルカとスタンとマルレインは驚いたまま硬直して、扉を開け放ったぼさぼさ頭の仁王立ちを見上げた。・・・・分類が解けても相変わらずオバケが大好きな彼は、オバケが中心のこの祭りに当然のごとく参加する気のようだった。

 彼は仮装していた。子供と並んでお菓子はもらえないが、大人が仮装することに問題はない。しかしその彼が仮装しているオバケはウサギで、マルレインと被っていた。ウサギはウサギでも彼はいやし系ウサギのつもりでいるらしく、ピンクを基調としたウサギ耳を頭につけており、そのシワシワのシャツも雪原のウサギを意識した可愛らしい色合いのしましま模様だった。その上から、彼のチャームポイントであるよれよれの白衣と青いネクタイが付けられている。しかしそれでもウサギ耳変態オヤジという、不可解で派手で異質な人間に見えることには変わりがない。ウサギ耳を付けたのが中年男と少女だったら、後者の方が断然勝っているのが事実だった。彼には悪いが。

 

 「・・・・キスリングさん?」

 「あれ?ルカ君にスタン君にマルレイン君じゃないかー、久しぶりだね!最近は私もオバケ本の執筆やらその他機械の発明やらでマドリルで大忙しだったからね、あーそうそう、この祭りでのオバケに仮装する子供たちのためにオバケ図鑑を販売したんだがちゃんと見てくれたかい?私が出会ってきた愛しきオバケちゃんの細密な情報を全て載せた上に全ページフルカラーだよ!挿絵はもちろん全部私が描いたものだけどね、ハハハ!」

 

 10秒で自身が書いた本を宣伝するキスリング。彼が書いたそのオバケ図鑑とやらは、後々色々な店に出回ることになるのだろうか。今までキスリング自身が使ってきた武器のように。
 しかし最近はオバケだけではなく様々な分野の研究に手を伸ばしているらしく、マドリル研究所では世界中の情報を集めながら文明開化に向けて大活躍しているようだ。また哲学は元から彼の得意分野だったこともあり、ここのところその方面でも結構名が知れてきていると父が言っていた。父とは相変わらず話が盛り上がる仲で、今も時々会って話しているらしい。閉じられた部屋の中での会話を聞いてしまった息子のルカとしては、彼らが変な気を起こさないことを今も切実に願っている。
 スタンがルカの背後で腕を組み、キスリングを睨んだ。彼の言う情報はスタンにとってもどうでもいいことらしく、予想外の人物の嬉しくない登場にやはり不満なようだ。

 

 「なんだエセ学者、余はキサマなど呼んでおらんわ!用があるのはこの宿の主だ、さっさとひっこめ。」

 「おや、そうかい?いやー真に残念だね。御宿の主人は今、諸々の事情があるとかで出てこられないらしいから、せっかくだからこの場限り、私が代わって君たちにプレゼントしようと思っていたのだが。」

 「なんだと?」

 

 諸々の事情、というのはおそらく宿屋の仕事のことだろう。テネルの祭りにはテネル以外の町からも楽しみにやってくる者がいるため、今日は珍しく宿が大繁盛しているのだろう。キスリングも宿泊客の一人なのだろう。このような田舎の村にわざわざ泊まりに来る者など、普段は一人でもいる方が奇跡であるくらいなのだ。毎日暇を持て余す宿屋の主人にとって、今日のような日は貴重な稼ぎ時だ。
 キスリングが言う「この場限り」というのはつまり、この後すぐに主人と交代するということだろうか。ルカたちが菓子をせがみに来たちょうどその時にキスリングが現れるなんて、なんというグッドタイミングだ。むしろ本当に偶然なのかも怪しい。
 そして、キスリングからのプレゼント、と聞いてもそれほど期待ができないのは何故だろう。ルカとマルレインは複雑な表情で顔を見合わせ、スタンがうんざりした様子で彼に訊く。

 

 「キサマの考えなどとうに知り得てはおるが・・・・まあいいだろう。それで、余に貢ぐものとはなんだ?ほれ、さっさとよこせ。」

 「うんうん、わかってるじゃないかスタン君。とりあえず例のお菓子はこれね、ご主人から渡してくれと頼まれたものだけどね。あとそれから、私からもこれを。」

 

 ポン、と肉球付き手袋(ウサギに肉球ってあっただろうか)がはめられた手で彼から渡されたのは、キャラメルやガムやビスケットなどの子ども向けのちょっとした小さな駄菓子がぎゅっとつめ込まれている様子が透けて見える、透明な小袋。そしてそれとは別に、くすんだ茶色の小さな紙袋も一袋渡される。
 ルカが中を覗くと、様々な色と形のクッキーが大量に入っていた。キスリングからのプレゼントとはこれのことらしい。一袋で3人分らしく、紙袋の質もクッキーの香りも思っていたより良いものだった。

 

 「おろっ?・・・・何かと思えば、キサマにしては意外とマトモではないか。てっきり菓子などではなく、キチガイじみた本とか渡されると思ってたが。」

 「失礼な。まあもちろんそれも考慮したがね、やっぱりお菓子!と決まっているものはお菓子にするのが礼儀かなーと思ってね。私だって学者の端くれ、たくさんの人にオバケの愛らしさを知ってほしいという気持ちもある。しかし、その考えを人に押し付けてはいけないということもちゃーんとわかっているのだよ!」

 「オバケの本をもらったところで子供は喜ばないしね。」

 

 ルカの鋭い言葉に、笑顔で話すキスリングの眉がわずかにぴくりと動いた気がした。
 しかし残念ながら、お菓子とよくわからないマニアックな学術書のどちらかがもらえるとしたら、考えるまでもなくお菓子がもらえた方が子供は嬉しい。食べられるもののほうが、子供にとってはお得なのだ。それに「お菓子がもらえる」という期待がもらう前から植え付けられていれば、その分もらった物がお菓子ではなかった時の落胆は大きい。
 そうして本をもらった子供たちの中の、オバケというものへの印象が今よりさらにマイナスになってしまえば、キスリングにとっての本当の目的である「オバケの愛らしさを知ってもらう」が達成できないだろう。あるいは今よりももっとどうでもいい存在になってしまうかもしれない。その点を考慮した上で、キスリングはクッキーにしたのだろう。
 しかしキスリングの考えはルカが思っていたよりも上手だった。彼は彼なりに彼の中の彼らしさを、言葉や本以外でも表現してみせていた。

 

 「しかしだね。よく見たまえ、そのクッキーを。それ私が焼いたのだがね、ひとつひとつがオバケちゃんの姿をしているのだよ!しかもきっちり全種類分、真心込めて作ったのさ!どうかな?私の自信作なんだけど。」

 

 キスリングはおもむろに紙袋の中に手を入れ、クッキーのひとつを取り出して見せた。
 一見すれば普通の三日月の形のクッキーに見えたが、よく見ればどうやらいつか世界図書館で出会った死せる月のオバケの形であるらしく、目と口の模様が刻まれている。

 

 「あ・・・・結構かわいい。」

 

 感嘆したマルレインが、もっとよく見てみようと紙袋の中を覗いた。中のクッキーは確かにどれも違う形をしており、ニワトリやネズミなどの馴染み深いオバケのものもあれば、一つ目のミイラやゴーレムなどのこの地域周辺では全く見かけないようなオバケもある。ニセ魔王退治の旅に同行した中で出会ったオバケをクッキーにしたのだろう。つまり本などではなくてもオバケ型クッキーで、子供たちのオバケへの関心を惹くつもりだろうか。
 クリームやチョコレート、苺の汁、珈琲や茶葉などあらゆるものを混ぜて色づけしたり、干した木の実や果物の粒でちょこんと目や模様を飾ってあったりするそのハイセンスなクッキーは、キスリングの手作りだとは思えない作りだった。確かに彼は趣味がわざわざ足の爪切りなどと言ってしまったり、科学者にも見える外見もあってどこか手先が器用なイメージがあるが、まさか料理の腕がこれほどだとは。意外な真実・・・・と思いきや、そういえば彼はたまに旅の仲間にもちょっとした手料理を振る舞ったこともあったような、とルカは思い出した。以前は一人でオバケ調査の旅をしていたらしいので自然と身についてしまった技術なのだろうか、あるいは料理だろうと何だろうと一通り学んで身につけて楽しむ性なのか。

 

 「ふふふ、村の子供たちの分を全て焼いたのだがね。その中には当たりとして元・下水道魔王君や元・水泡魔王君などのニセ魔王カレースパイス入りクッキーが7個、大当たりとしてスタン君のタバスコ入りクッキーが1個混じっているのだよ。生地の上からそれはもう真っ黒に塗ってあるから、残念ながら見た感じでは気づけんがね。・・・・さてさて。当たるのは誰かな?ぐふふふ、まあ当たっても何も良いことなんて無いのだがね。」

 「ほう・・・・変人脳細胞しか入っていない学者にしてはなかなかやるではないか。チョコレートではなくスパイスの粉で染め、人間どもを騙すつもりだな?しかも余の形のものにタバスコを入れるとは、これぞ魔王の恐怖を具現化したというものよ。余を口にして悶絶する姿が目に浮かぶわ・・・・クククク!」

 「うわあ、悪質・・・・。」

 

 2人は黒いオーラを背に、不気味に俯いて低く笑い合った。その様子をマルレインは横目で見て、呆れたように肩をすくめた。
 子供じゃないんだから・・・・と子供より子供らしい大人2人(魔王スタンを大人のひとりにカウントしてよいものかははたして謎だが)に挟まれたルカはため息をつく。悪戯好きな人たちだ。
 実はルカも、それは非常に面白い案だとは思った。しかしできれば食べたくはないので、当たらないことを密かに祈る。
 ・・・・もしスタンの形をしたクッキーが中に入っていたとしても、別に何も言わずに誰かに食べさせればよいわけであるが。

 













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