「あら?なんか勢ぞろいしてるわね。」

 

 大きなカボチャたちに囲まれた家の中からぞろぞろと出てきたメンバーを見て、たまたま通りかかったらしいロザリーがきょとんとしていた。
 雑貨屋の後も各家々を転々と回り、やっと今、長老の家を訪ねてきたところである。気前のよい長老からもいろいろともらうことができて、おかげで収穫は大漁、カゴの中はすっかり重くなり、ルカもスタンも大満足。そろそろ祭りの不思議で独特な雰囲気をのんびり楽しむことにしようと、みんなでリンダがいるはずの村役場へと向かうつもりだった。
 しかし、その前に偶然ながらロザリーと再会できてよかった。みんな祭りに来ているので、ここまで来たらロザリーもきっと来ているに違いないとルカも予感していたのだ。そして予感は見事に当たっていたようである。
 マルレインがいち早く気付き、ウサギの耳を揺らしながらロザリーに駆け寄る。

 

 「こんばんは。ロザリーもお祭りを見に来たの?」

 「あらー、マルレインちゃんたら可愛いじゃない!今日のあたしはテネル村役場からの依頼の仕事で、村とその周辺を見回ってるのよ。夜だから子供が思わぬ怪我をしているかもしれないし、祭りに遊びに来たオバケが悪さをしていたら大変だしね。」

 「ふん、祭りのときまで仕事とはご苦労なことだ。勇者でいるのも大変だな。ククク。」

 

 スタンは出遇って早々に悪態をつき、ロザリーのこめかみにピキッと血管が浮かぶ。それに気付いたルカは慌ててロザリーを宥めようとした。勇者と魔王。この二人のこの仲の悪さは、分類が消えた今も健在である。もうこれは二人の性格上仕方がないことなのかもしれない。
 そもそもスタンは、旅から帰ってきて以来もうずいぶん経つというのに、未だに彼女の影を治そうとしないのだ。ロザリーがスタンとルカを見つけて以来、彼女は度々彼らの前に現れてはスタンに詰め寄ってなにがなんでも治させようと試みているのだが、その度にスタンはルカの影の中に逃げてしまう(おかげでルカにとってはいい迷惑である)。影の姿では、ロザリーがどんなに攻撃しようと彼にダメージを与えることはできない。つまり彼が実体でいるときに倒さないといけないのだが、どんなに不意打ちを狙ってもスタンは見つかるや否や影の姿に戻ってしまうのである。おかげで今日もロザリーは例のピンクの日傘を差す羽目になっていた。そろそろルカを殺さなければ二度と元に戻れないのではないかと彼女は本気で思い始めたようだが、ここまで我慢してきて結局殺人を犯すのはどうかとなんとか思いとどまったらしく、現在のところは実行されてはいない。いつか彼をなんとしてでも倒し、意地でもこの蛍光ピンクの影を戻させようと自分自身を鍛える毎日らしい。彼女にとってのラストボスは、やはりこの大魔王スタンなのだろう。
 ロザリーは今日もペラペラのスタンを見て、悔しそうにぎりりと歯を噛んでいた。影スタンの憎らしくも憎めないその顔が、逆に彼女の苛立ちを増長させている。もしかしたらスタンは彼女と出会うのも想定して、ルカの影になったのかもしれない。魔王ならせめて正々堂々と戦って欲しいのだが、スタン曰く「卑怯なのも魔王だからだ」と言って聞かない。これほどまでに勇者とのラスボス戦を回避し続ける魔王も、魔王としていかがなものか。

 

 「うるっさいわね・・・・いいじゃない、あたしが好きでやってるんだから。それにしても・・・・オオカミにウサギにウサギにウシに仮面男、ねぇ。なんというか結構不気味な集団ね・・・・それを一番引き立ててるのは多分あんたよ、そこのウサギオヤジ博士。見るからに怪しすぎだわ!」

 「そんなひどい。これでも頑張って作ったんだけどなあ。」

 「せめてウサギはやめときなさい。あんたオバケのチョイスが間違ってるわよ。・・・・・・・・あーあ、それにしても・・・・ついでにスタンも仮装すればよかったのに。あーもったいないわ、もったいない!せっかくのお祭りなんだもの、オバケの長のあんただって楽しまなきゃ損するわよ。ねぇ?」

 

 言っている言葉に比べてそれほど落ち込んだ様子もないキスリングから、目の前のスタンに目を移してにやりと笑うロザリー。そう言う彼女のほうは、何の仮装もしていなかった。いつもの白い羽織と鎧にピンクの日傘、腰のレイピアも装備したままだ。村の見回りをしているのだから当然だが、こんな仮装祭りの中では少し味気無い。

 

 「そんなこと言って、どーせ大方仮装して歩く余を襲うつもりだったのだろう?見かけ倒しネコ被り女の考えなぞすでに見抜けておるわ。それよりもキサマ、仮装はどーした?そんな無防備な状態では、昔話のように魂を盗られるかもしれんぞ。ククク!」

 「もちろんしてないわよ、もしオバケと戦う時があったら邪魔になるもの。それにあたし大人だし、大体あんたに影を盗られてるからもう何を盗られても怖くないわ!別に、オバケに襲いかかられたら斬ればいいだけの話でしょ?」

 「おおお、たくましいッス姐さん!」

 

 さらっと祭りの必要性をくつがえすようなことを言ってのけたロザリーに、ビッグブルが拍手して褒め称えた。
 しかし・・・・今、言ってはいけない言葉を彼女は言ってしまった。スタンとルカは珍しく、ともに悪戯な笑みを浮かべる。

 

 「ロザリーさんって、大人なんだね?」

 「え、あったりまえでしょう。何ルカ君、今まであたしを子供と同じように見てたの!?ちょっとそれはひど・・・・いや、あたしがそれくらいに若く見えるってこと?なら別におねーさん許しても・・・・」

 「・・・・・・・・クックック。キサマ、覚悟はできておるだろうな。」

 「はぁ?」

 

 スタンが低く笑う。それを背にしたルカも、どことなくオーラが黒い気がする。・・・・彼は元からこんな人間だっただろうか。
 理解できず眉間にしわを寄せるロザリーに、ルカは手を差し出した。

 

 「 Trick or treat ? 」

 「お菓子をくれなければ・・・・・・・・どうなるか、わかっておるだろうな?」

 

 その言葉を聞いたロザリーが、ピーンと体を強張らせた。そして冷や汗をかいて硬直する。
 ルカとスタンの言葉にビッグブルとマルレインも反応し、なるほど、と手を打って頷いた。そして2人もルカと並び、スタンやルカとは違う無邪気な笑顔で彼らに加勢する。

 

 「わたしも欲しいな・・・・。ロザリー、Trick or treat?」

 「やーオレにもちょーだいッス!Trick or treatッス!」

 「う・・・・!」

 

 笑ってつめ寄ってくる子供4人とは正反対に、ロザリーは後ずさった。

 

 「クックック、どうした。まーさか、何も持ってない・・・・というわけではなかろう?」

 「も、持ってるわけないでしょっ!?あたしだって見回りしてるだけなんだから・・・・な、なによその顔はっ!」

 「私も欲しいなぁー。ってことでトリトリだよ!」

 「博士は大人でしょーがぁっ!!だからあたし持ってないって・・・・ていうかあんたたち、その手の中のそれはなによ?」

 

 ロザリーの言葉を聞いたスタンは最高に嬉しそうな顔で、手の中に小さな青白い光の玉を作り出した。ルカはとても残念そうにしながらもしかし手には絵の具を持ち準備万端で、マルレインは大人しい彼女が持つ本当にしてもよいものかという良心が3割・しかし元来彼女が持つ好奇心に満ちた期待感が7割の笑顔で手に筆を持ち、ビッグブルは何も持っていないが何かをする気満々で、しっぽをふりふりと揺らしていた。鈴がチリチリとなる。
 後ろから冗談を言ったキスリングは満面の笑みで、エプロスも顔を隠してはいるものの、気の毒そうに苦笑している様子がよくわかる佇まいで、それを眺めている。しかし2人とも、助ける気は全く無いらしい。
 ロザリーはさらに後ずさる。しかし、今日のルカたちはオバケなのである。

 

 「残念だけど・・・・でもお菓子くれなかったらイタズラをするのが礼儀なんだって。おかーさんが言ってた。」

 「仕方ない。ではとりあえず冷凍でもするか。」

 「でも、ここに絵の具と筆があるんだけど・・・・。こっちじゃないと、ロザリーが後で困るんじゃない?」

 「何を言う小娘、甘いわ甘すぎるぞ。このラッパ型ケツ勇者を心から困らせることが最大の礼儀なんだろーが。」

 「仕方ないッスね。ならお尻だけ炎で燃やして、あとで消火するのはどうッスか?」

 「おお、それはよいではないか!それで村を歩かせればまさに勇者のタレ尻さらしに恥さらしだな、フハハハハ!」

 「それじゃあ、ロザリーさんが女として終わっちゃうよ・・・・。」

 「お嫁に行けなくなっちゃうね・・・・。」

 

 悪戯について計画を練る4人の会話を聞き、ロザリーが怒りと恥ずかしさで顔が真っ赤になった。
 よくあるお笑い物語のように自分の尻に火がつき、散々慌てた後に他人から水をかけてもらうか池などに飛び込んで、そして消火したら服が燃え尽きてお尻が丸見え。・・・・そんなイメージと自分自身を重ね合わせる。
 ダメだ。勇者としてそんなことがあってはいけない。絶対いけない。ピンクの影でも充分恥ずかしい思いをしているのに、これ以上笑い者にされてたまるか。

 

 「っ!ジョーダンじゃないわよっ!!」

 

 それから何とかして逃げるために、ロザリーは村の門の方へ走り出そうとする。
 しかし、指示を出したスタンと出されたルカにより、素早く回り込まれてしまった。

 

 「ククク、どこに行こうと言うのだ洗濯板凸凹女。キサマが何をしようと、この祭りのオキテからは逃れられんぞ?」

 「えーと、ロザリーさんごめんなさい。」

 「くっ・・・・あたしはあなたをそんな子に育てた覚えはないわよ、ルカ君っ!大体お尻だけ焦がすって、それはイタズラじゃなくて立派なセクハラよ、セ・ク・ハ・ラ!もしやったら勇者協同組合に訴えるわよ!?」

 

 びしっと正論を言ったロザリー。説得力のある反論にキスリングが感心したように声を上げた。
 ルカも納得したようだったが、しかしだからといって悪戯を決行しないわけにはいかない。ふと考えた後、無表情で再び絵の具と筆を手にした。

 

 「あ、そっか。・・・・じゃあ、無難にペイントにします。顔と服とお尻に。」

 「描くとしたら顔には仮面のオバケ、服にはイノシシ、お尻には泥男の顔がいいなあー。特にお尻にあのとぼけたような顔があるのはきっととっても可愛らしいだろうね!ついでに仮装もできてさらに素敵じゃないか。」

 「お尻にペイントもじゅうぶん立派なセクハラよこのどスケベども!」

 「いやいや、そんなものよりも凍らせたほうが圧倒的に早いぞ。ふふん、凍らせるのは別にセクハラではなかろう?ちなみにこれを『攻撃』とは呼ばせんぞ。これが魔王である余なりのイタズラなのだからな。ククク!」

 「なんであんたはそんなに冷凍にこだわんのよ。・・・・・・・・とにかく、どっちも断るわっ!」

 

 そう言ってルカとキスリングのペイント、スタンの冷凍を拒んだロザリーは周囲を見回し、何を考えたのか・・・・蚊帳の外で他人事のように佇んでいたエプロスのところへ走っていった。そのまま彼の腕を片手でむんずと掴むなり、村役場へ続く階段の前まで力ずくで引っ張り出した。そしてロザリーを狙う4人に対してぐいと押し出す。
 突然のことにエプロスはもちろん驚いたが、ロザリーには関係のないことである。彼に異論を述べさせる前に、ロザリーが叫ぶ。

 

 「な、何をす・・・・」

 「ビッグブル!今すぐ正直に答えなさい、あんたエプロスさんからなんかもらった?」

 「へ?いや、そういえば・・・・あー、ねだり忘れてたッス。」

 「やっぱりね。よし。じゃーエプロスさんあとはよろしくお願いするわ!」

 「・・・・!?」

 

 状況が飲み込めず珍しく戸惑うエプロスの肩を笑顔でポンと叩き、ロザリーは日傘を差したまま猛ダッシュで闇に染まった村役場への階段を駆け上がっていった。ロザリーを目で追ってルカは階段の上を見上げると、おそらくランプやオバケカボチャの灯によってほのかに明るく光っている村役場や教会が見えた。広場の方からは祭りの音楽に合わせる・・・・のではなく対抗するように少女の楽しげな歌声が聴こえてきていて、それがリンダの声であることがわかる。村の中心となる場所だからか、広場は少し賑わっているようだ。
 しかし今この場はそんなことを気にするような状況ではないようで、スタンはロザリーによって時間稼ぎにされたエプロスに気を取られていた。ビッグブルも忘れていたお菓子を今もらおうと考えたらしく、エプロスに詰め寄る。マルレインはもはやそこまでして菓子を手に入れる気はないらしく、キスリングと様子を見ていた。

 

 「ロザリー君は何をしに行ったのだろうね?そっちは村の奥だから、スタン君によるイタズラからは逃げられないと思うのだがね。予想としては教会の中へ身を隠したか、または村役場にセクハラ発言を訴えたか・・・・」

 「・・・・そんなことより、エプロスは大丈夫なの?」

 「ああ、大丈夫だよ。彼はロザリー君と違って準備は常に万端だから。多分。」

 

 マルレインの心配に、キスリングはわかり切っているように涼しく即答した。
 ロザリーに関してのんきに推測しているキスリングと、エプロスのことで心配するマルレインの前では、ルカとスタンとビッグブルによる一方的なたかりが行われようとしていた。エプロスはロザリーの行動に多少戸惑った様子を見せていたが、しかし腰に手を当てて冷静に対処している。

 

 「余も忘れておったが、そういえばキサマにも言っていなかったな・・・・。Trick or treat!余に菓子を貢げ!でなければ、このあとあの逐電潰走とんずら勇者のように痛い目にあうぞ?」

 Trick or treat!もちろん何かくれるッスよね?」

 「と・・・・Trick or treat・・・・。・・・・エプロスさん、・・・・ごめんなさいボク普通の人だからおいしい誘惑には勝てません。」

 

 いろいろな意味で目を輝かせて迫ってくる3人を見て、エプロスはどうするか考えるように自身の顎を持ち、やがて細いため息を吐いた。エプロスは今は何も持っていないが、それを解決できる力は持っている。
 仕方ない、と呟いてエプロスは片手の平を夜空に向けて、肩の横の高さにまで持ってくる。

 

 ―――ぽとぽとぽとっ。

 

 何をするのかと目を瞬かせた瞬間、どこからか突然カラフルなキャンディの包みが、いくつもその手の平に落ちてきた。・・・・一瞬何が起こったのかわからず、ルカは唖然としてそれらの大きなキャンディと何の変哲も無い夜の空を交互に見ていた。しかし、スタンはその状況を驚くことなく普通に受け止めている。ビッグブルも同じ反応だった。どうやら彼らはこのようなことには慣れているか、このようなことでは驚かないようである。
 ・・・・まさに手品だ。奇術師の魔法だ。きっと彼はどこか知っている場所にあったキャンディを、得意の不思議な技で持ってきたのだろう。しかしその様はまるで、きらめく星屑が夜空から零れてきたかのように見えて、ルカは目を奪われた。

 

 「このようなものが欲しかったのだろう。これで満足か?」

 「ふん、キサマにはこんなもん障害でもなんでもなかったか。つまらん。まあよいわ、目当てのものは手に入ったしな。キサマは見逃してやることにしよう、感謝しろよ。」

 「おおう、やったぜ!どうもサンキューッスダンナ!」

 

 エプロスに手渡され、ビックブルは嬉しそうにキャンディを自身の持つ桶の中に入れた。そんな彼の鈴付きの長いしっぽがまたチリチリと大きく揺れる。
 エプロスにビッグブル、そしてスタン。リンダを除いた人外の3人組が、ルカの目の前で平和(なのかは分からないが)に納まって話をしている。いつものことだが彼らはそれぞれ自分のペースで・・・・ビッグブルは今日の祭りの収穫を眺めてうっとりとしているし、エプロスは何事もなかったかのように涼しい顔をしている。スタンなんかはありがたみゼロのつまらなそうな顔で、さっさと口にキャンディを放り込んでしまった。すぐにルカの耳に、バリボリという硬いものが割れる音が聞こえてくる。食べ方が間違っていないか。
 スタンは魔王。つまりオバケたちの王様だ。元魔王である他の2人だって、オバケに似たようなものかもしれない。オバケの側に属する彼らがこのように祭りの中に入り込み、ともに楽しんでいるというのなら、あるいはこの祭りのあり方に則しているようにも思われる。今まではオバケを恐れた人間たちによる祭りだったが、今になってオバケも人間もその境界なく徘徊する、本当の意味でのオバケの祭りとなったような気がした。

 この祭りはオバケと子供の祭り。ということは、この祭りはオバケが「オバケ」と分類されて、世界を徘徊するようになってから・・・・つまり、この世界が箱庭世界として作られたときからきっとあるのだろう。それは定義者の分類によって作られた設定上の祭りなのか、それとも分類の中で生きる村人たちが、勝手に作り出した祭りなのか。
 分類が消えた今も祭りは存在している。まだ世界が箱庭だった去年も、自分も人々も、今日と同じように楽しんでいた。そして箱庭ではなくなった今年も、このように楽しんでいる。
 例え誰かに作られたものだとしても、その土地に染み込んだ歴史は永遠に消えない。分類が破壊されてもその分類だった頃の記憶が消えないのと同じように、本当にあった事実、今存在するものは永遠に存在し続ける。それが作られたものだとしても、だ。「この世界は箱庭だった」ということさえ、この土地の中に語られぬ歴史として刻まれ続け、ずっとここにある。
 きっとこれからも変わらず、この祭りは行われ続けるだろう。祭りの概念は変わっていくかもしれないけど。
 そしてオバケも、これからも存在し続けるだろう。オバケに対する概念やオバケ自身の思考は変わっていくかもしれないけど。
 以前と変わらずに変わり始めるこの世界が、どこか愛おしく感じた。

 

 

 

 

 

 

 エプロスからキャンディをもらったルカとビッグブルとスタン、そしてマルレイン。さらにその4人の後ろをついていくキスリングとエプロス。合わせて6人は逃げたロザリーとまだ会っていないリンダを追って、村役場前広場への階段を上っていった。
 夜の闇はすっかり濃くなり、灯りが少ない階段の道はランタンで照らさなければ段差でつまずいてしまいそうである。このメンバーの中で唯一の少女であるマルレインの手を引きながら、ルカは気をつけて階段を上った。村役場までの階段は長い道のりではなく、子ども・大人問わず楽しげに騒いでいる和やかなざわめきが、もはや間近にまで聞こえてくる。その中で聞き覚えのある怒声も耳に届き、同じ場所にロザリーがいることがわかった。リンダの歌声は先ほどから聞こえてこなくなっている。ロザリーの怒声の相手は彼女だろうか。

 

 「ククク。あの豚足女め。さーて、どういう屈辱を受けさせてやろうかな・・・・?」

 

 スタンは暗闇の中でも見える顔で低く笑っており、どうやらこの先にいるだろう無防備な状態でいる勇者を追いつめることを想像しているようだ。ビッグブルは先ほどまでは彼と同じくイタズラをする気満々だったようだが、エプロスからキャンディをもらったことで、今はすっかり落ち着いてしまったようだった。それはルカも同じで、ロザリーに仕返しをしようという気はなんとなく失せてしまい、今彼女に対して躍起になっているのはスタンのみだった。
 階段を上り切ろうとするところまで来て、ようやく村役場と教会が建つ広場を見渡せた。
 役場前広場は、いくつものオレンジ色の旗をたなびかせた綱が幾重にも夜空を横切っており、陽も沈んだのに真昼のようにただの行政機関でしかない事務的な建物も、今は華やかになっている。口や目からあたたかな光を溢れさせて笑うオバケカボチャの大群で広場はすっかり囲まれており、その数たるやこれまで見てきた中でも最も多く、まるでその空間だけ陽が沈まぬまま黄昏時がずっと続いているかのように明るい。黄と橙の灯に包まれるように風景がぼんやりと浮かび上がるその中で、仕事をよくサボっている男やその反対にマジメに仕事をする男、もう分類表のことをいつの間にか忘れてしまっている有能そうな女性、あのトラ耳を付けた父の姿があった。他には歌にすっかり聞き惚れていた様子のオバケたちが数匹、そして中央にはリンダとロザリーの姿があった。

 

 「あーっ、スタン様にエプロス様!迎えに来てくれたのー?」

 

 ルカの背後のスタンとエプロスに、リンダが無邪気な小悪魔のように可憐な笑顔で手を振る。今日の彼女の服装は蘇芳と小豆の色を基調とした比較的シックな短いドレスに、頭の角の横には尖った耳、そして極めつけは背中にドレスと同じ色合いの悪魔のような翼が付けられている。どうやら彼女の仮装はコウモリのオバケのようだ。さすがはアイドル、オバケの選択と服のセンスは抜群だ(ウサギの彼とは違って)。思わぬ可愛らしさに、ルカは思わずぽかんと見惚れる。しかし即座に過去の経験が脳裏をよぎり、マルレインがまた怒りだすのではないかと焦ったルカは、こっそりマルレインの目を窺った。
 ・・・・驚いたことに、マルレインもリンダに見惚れていた。しかしその瞳には羨望の眼差しも含まれていた。

 

 「・・・・・・・・。いいな・・・・」

 「来たわね、スタン!」

 

 ちいさく呟いたマルレインとその隣にいたルカは、突然の大声にびっくりと肩を震わせた。目の前で、リンダの斜め後ろにロザリーが背を向けて立っている。
 リンダの反応でスタンとルカがやってきたことを知り、勢いよく振り向いたロザリーは、そのまま大きく振りかぶって・・・・
 ―――投げた。

 

 Trickかtreatかって聞かれたら・・・・Treatの方がいいに決まってんでしょうがっ!」

 「は!?」

 

 何か物体がスタン目がけて真っ直ぐに飛んできて、

 

 ―――ゴンッ。

 

 ルカの額に命中した。

 

 「でっ!!・・・・な、なんだよもう!」

 「余の子分に何をする、この暴投卑劣女!余に当たらんことを知った上での愚行か!?」

 「る、ルカ、だいじょうぶ?・・・・って、そのチョコレート・・・・。」

 

 何が起こったのか把握できず、ルカは額を押さえて呻いた。スタンが投手のロザリーにプンスカと怒り出す。マルレインが焦ってルカの顔を覗き込み、しかしその拍子に地面に落ちたものを見つけた。
 ルカの顔から落ちたものは、チョコレートだった。今ロザリーが投げたものがこれだったようである。どうやら、スタンにイタズラをされたくないがためにたった今緊急で用意したお菓子のようだ。・・・・あの短時間でよく用意したなあ、と思う。これで彼女は、彼らの恐ろしいイタズラから逃げ切ることに成功したのだ。スタンが悔しそうに舌打ちした。
 横からキスリングが面白そうなものを見るように覗いてくる。

 

 「おや?ふふふ・・・・そのチョコ、ハート型だね。それをスタン君に投げたということは、つまりそういうことでいいのかね?」

 「ちっがぁぁあーうっ!!」

 

 噂好きのお節介焼きおばさんのように口元に手を当ててにやにやと笑うキスリングの眉間に、再び投げられたハートのチョコレートが命中。ロザリーには投擲の才能でもあるのだろうか。
 「その場が切羽詰まった状況の場合感情によって攻撃力と技術力が左右することもあるのだよ」と犠牲になった当人のキスリングがいつか言っていた。そしてこれを火事場の馬鹿力というのだと。

 

 

 

 

 

 ロザリーが投げたチョコレートは、もともとはリンダが配っていたものらしい。自らの緊急事態に力を見せた彼女はリンダからチョコレートを人数分強奪し、お菓子の代わりとして使ったのだということだった。つまり先ほどビッグブルから見せてもらったチョコレートと同じものだったのだ。彼女が短時間で用意できたのも、それが可愛らしいハート型だったのも頷ける。
 リンダのチョコレートのおかげでなんとかイタズラされるのを免れたロザリーは、ほっと一息をついて仲間たちの輪に加わった。スタンは相変わらず「卑怯だ」とか「あれは他人のものだ」と言って認めないが、そんな文句にもロザリーは当然耳を貸さない。彼女はチョコレートを投げたことで何かすっきりしたらしく、眉間を押さえるルカとキスリングを横目に爽やかに汗を拭っていた。
 そんなひと悶着があったもののやっとリンダとも再会でき、お菓子集めもひと段落し、ようやく誰もがその場に落ち着いた。とりとめもない話を始めようとしたところで、ルカの父がルカたちに駆け寄ってきた。普段と同じ普通のワイシャツ姿にトラの耳を装備した様子は、妙に不自然だった。

 

 「おー、わが息子じゃないか!どうしたんだい、今日はお友達と一緒に祭を見て回っているのかい?いやー、成長したねえわが息子よ!昔はアニーと一緒に回ってたというのに・・・・うっうっ。おとーさん感激しちゃったよ!」

 「いや、そんな泣かなくても・・・・」

 「あーそういえば今、マドリルで名が知られてるアイドルの女の子が、このテネルに来ているんだよ!誰かって?それはねー、んふふふー。ルカの後ろにいるお友達だったんだよ実は!やー、私知らなかったなー!」

 

 秘密の種明かしをするようにリンダを指して言ってみせる。彼女は以前ルカの家に訪れたことがあるので、ルカの父とも顔見知りではあったが、彼女がマドリルでは(いろいろな意味で)有名なアイドルであることはどうやら初耳だったらしい。しかしそもそも彼女のアイドル指導はルカが行ったという事実を父はまだ知らない。
 興奮している父と知らないふりをしているルカに視線を送られて、リンダは天使(に似た悪魔)のごとくにっこりと微笑んだ。父が鼻の下を伸ばしている。・・・・この可愛らしい少女が元魔王だなんて、一体誰が予想できるだろうか。

 とりあえずルカたちは、せっかくこれだけ仲間が集まってしまったからということで、世間話でもしながら教会のそばで休憩をとることにした。少し休んだ後は、ブロックとグビグビ亭のおかみが今している宴会の準備を手伝う予定である。別に森の方角の民家を訪ねてきてもよいのだが、残念ながらもうカゴにはお菓子が入らない。集めに向かったところで意味がないだろうと、この村の中心部で過ごすことにした。それにもうじき、ルカの母が腕をふるったカボチャ料理を村まで運んでくるはずだ。それも食べたいので、皆でのんびり料理の到着を待つことにした。
 とはいったものの彼らは相変わらず自由気ままな人たちで、リンダはまた広場の中央で歌い始めているし、キスリングはリンダの歌を聴きに来たオバケたちと話をしている。エプロスとロザリーは教会の壁に寄りかかりながらその光景を眺め、マルレインは周囲のカボチャたちに触れて回っていた。ビッグブルはうんと伸びをしたり体操をしたりで暇そうにしていて、ルカは憎めない顔のカボチャの横でしゃがみ込んでいた。
 夜の闇はさらに色濃くなり、それに比例して自分の腹も空いてくる。ルカはカゴの中から、パン屋のおかみからもらったカラーボールを取り出して齧った。程よい硬さと甘酸っぱさ、そして口に広がる香ばしさ。
 そんなルカの前で、ビッグブルが誰に対してでもなく適当に口を開く。

 

 「オレッスね、マドレーヌとマーマレードとマフィンとマカロンとマシュマロの区別が苦手なんスよねー。だって全部最初に『マ』がつくじゃないッスか!特にマドレーヌとマーマレードはダメッス、言ってるとよくマドレードになっちゃったりするんスよ。」

 「わ、わかるような、わからないような・・・・。」

 

 ビッグブルのささやかな悩みに、マルレインは曖昧な返事をして考えてみた。マドレーヌはあの焼き菓子で、マーマレードはオレンジのジャムで、マカロンは小さくて丸いあのきれいなお菓子で、マシュマロは白くてやわらかいお菓子で、・・・・あれ。マフィンってどんなものだっただろう。マルレインはこんらんしている。

 

 「いやー、それはないでしょ絶対。そもそも一緒くたに考えようとするからダメなんじゃないの?せめて好きな食べ物くらい覚えときなさいよ。」

 「それは大丈夫ッス!オレ、焼きマシュマロ大好きッスから!」

 「あ、そう。」

 

 ロザリーが呆れたようにつっこんだが、かえってビッグブルに元気よく答えられてしまったので逆にもっと呆れた。マシュマロ以外は覚える気がないのか。
 ロザリーはため息をついて、ビッグブルを見た。彼のツノは、今日はカバーがかけられて違う色をしている。それを見て思い出したように、ロザリーはルカの影の中に入っているスタンに声をかけた。

 

 「今日は仮装するのを楽しむ日でしょう、スタン。あんただって、今日はせっかくだからツノのひとつやふたつ、つけてくればよかったんじゃないの?あんた、前に憧れてたでしょ?それくらいならあんたの言う下級魔族の域には入らないし。今日だけはニセモノをつけても別に恥ずかしくないのにね、あはは!」

 

 ピクリ、とルカの影が動いた。一瞬何かを考えるような間の後、スタンが影から飛び出してくる。

 

 「ブァーカかキサマは。そんなことをすれば、魔王としてのプライドが傷つくわ。そりゃー余もツノが欲しい、が・・・・・・・・って、何を言わせるのだキサマはっ!!大体だな、キサマは余が実体を現せばラッキー♪とか言わんばかりに襲いかかってくるだろう!そんなヤツの前にみすみす実体で現れるわけにはいかんだろーが!」

 「あーらあんた、あたしに負ける気がしてんの?」

 「違うわっ!子分を利用した方がイロイロとお得だからだ、これ以上の理由があるか!」

 

 魔王がお得な選択をするというのは、また奇妙な話である。卵の安売りに駆けつけるようなおばさんじゃあるまいし。ルカは後ろで言い合う2人を背中に感じつつ、心の中でそれにつっこみを入れておいた。
 しかし、実体のスタンならばきっとツノの飾りはさぞ似合ったことだろう。今思うと確かにもったいないかもしれない、とルカは思った。一瞬だけ。。
 しかしながらスタンによれば、ツノの仮装さえも魔王のプライドに関わることらしい。恐ろしい姿をしているはずの自分をさらに恐ろしくしようと他の物の力を借りる、ということが許せないのかもしれない。別にそのような意味を込めず、ただのアクセサリーとしてつけてしまえばそれでよいことではないのだろうか。

 

 「それにだな、余は自分の肉体を誇りに思っておるのだ。これを変えるなぞ・・・・特に仮装という他の生き物に変わる、なんてそんなことをしたら自分を捨てるようなもんだろーが。」

 「それは違うな。」

 「あぁ?」

 

 スタンの言葉に、聞いていたエプロスがはっきりと否定した。むっとした表情でスタンは彼を見る。
 そんな視線には構わず、エプロスは仮面を顔から外した。真っ白な顔と深紅の眼が姿を現す。そして彼はそれを掲げ、眺めながら言った。

 

 「姿を変えて人を偽るこの祭り。仮面とは、自身と他人の分類を曖昧にする。・・・・自分とは別の分類になる、他人が見ている分類から逆らい欺く。それもなかなか楽しめるものなのだぞ?」

 「・・・・なーんか今日はエプロスさんがいつになく楽しそうに見えてたけど。もしかしてその理由のせい?」

 「そんなところだな。」

 

 くすくすと笑うエプロスに、ふーん、とロザリーは相槌を打つ。だがスタンは思わぬ否定に機嫌を損ねたらしく、どうでもよさそうにしている。
 しかし、ルカはエプロスの言葉が理解できた。
 自分とは違う者の衣装を着て、自分とは違う者になりすまして村中を回る。衣装を変えただけでもなんだか気分は高揚して、オバケの物真似である合い言葉を口にし、お菓子をもらうと自分が本当に悪戯好きのオバケになった心地がする。それはいつもの気弱であまり好きではない部分の自分も、今日だけは自分の中にはいないようで、普段はできないことでも何でもできる気がしてくるのだ。
 だからルカはこのオバケのお祭りが好きだった。明日は諸聖人の日で、この世界では珍しい教会のある村ならではの、村に住んでいる信者のための日なのである(実際は「協会」がある世界ならではの、世界に住む「世界暗号協会会員」のための日なのだが)。その日の前日にオバケの活動が活性化すると言われる日がちょうど重なったため、この日にお祭りが行われるようになったらしい。
 オバケが元気になるだけではなく、子供たちも元気になるのがこの日である。オバケと子供は似たような・・・・もしかしたら同じものなのかもしれない。仮装は分類を曖昧にする。そのエネルギーが常に第三者的に物事を見るエプロスにも伝わってきて、彼もそれに影響されて同じように楽しめたのだろう。

 マルレインも、楽しかっただろうか。今までこのように身近に世界に触れたことがなかった彼女も、ちゃんと楽しんでくれたのだろうか。オバケのウサギという仮面を被って、自分以外の誰かを楽しんでくれただろうか。
 ルカは、カボチャを触りながら見て回っている彼女を見ていた。そしてふと、いつかもう一人の彼女が同じような動作で、真っ白な雪に触っている姿と重なった。あれは確か、ポスポス雪原に初めて訪れたときだった気がする。
 あのとき雪に触れていた彼女がとても楽しんでいたのだから、今カボチャに触れている彼女も楽しんでくれているに違いない。そういう考えが思い浮かび、ルカは少し安心した。

 

 

 「あれ、なんか誰かが走ってきますよ?」

 

 踊っていたリンダが歌を止めて、村役場前の長い階段を見下ろして言った。
 キスリングもそこに寄って行き、「リンダ君に会いに来た子供じゃないかな?」と首を傾げる。
 その姿は確かに、白い布を被っている子供だった。布に描かれた顔からして、いたずらゴーストの格好をしているのだろう。その子供は階段を上ってくるにつれて姿がはっきりと見えてきて、どうやらその中が背の低い少女であることがわかる。
 少女はいつか、スタンの能力に惚れてルカに告白した、ウワサ好きの娘だった。この村では一番情報の入手が早いと評判で、マドリルに住んでいる幼い少女ウワサちゃんとも友達らしい。お互い、その存在を人のウワサで知ったのだろう。
 そんな彼女が、一気に村役場の階段を駆け上がってくる。白い布の裾を踏ん付けて転びそうになっても、なんとか走ってきていた。

 

 「ちょっと、ルカくーんっ!」

 「え?」

 

 突然名前を呼ばれ、ルカは慌てて立ち上がって声が聞こえた方向を見た。
 娘は階段を上り切り、小さな体で息切れをしている。しかしその顔は、何故かすごく嬉しそうだった。

 

 「一体何があったのだね?どうも尋常ではない様子だが・・・・」

 「あんたみたいなじーさんはどーでもいいの!とにかくルカ君はどこよ、ルカ君は?あっ、いたっ!」

 

 娘は一気に言って辺りを見回し、すぐにルカの姿を見つけて駆け寄っていった。毒舌な彼女の言葉に、キスリングは少し落ち込んでしまったようである。しかし娘はそれを無視して、ルカに言った。

 

 「な、なに?」

 「あなた、一応戦えるんでしょ?だったら村の入り口に現れたオバケをなんとかしてよ!なんかすっごく大変なんだから!」

 「オバケですってっ!?」

 

 ロザリーが急に顔色を変えて、腰のレイピアに手をかけた。落ち込んでいたキスリングも、すぐにそれを忘れて嬉しそうに顔を上げる。
 他の面々も表情を変え、父やビッグブル、リンダにマルレインも詳しい話を娘のもとに聞こうと集まってきた。それに娘は得意気に笑って、布の下から人差し指を立てて説明し始める。

 

 「ふふふ、よく聞いてね?今、村の入り口のところにね、ルカ君・・・・あなたのおかーさんが村人たちにふるまうご馳走を運んできているの。」

 「おかーさんが!?」「そ、それは大変だ!今すぐにでもっ・・・・」

 「ちょっと待つッスよ!あんたじゃ危ないッス!オレがさっそくしとめてきてやるぜオラ!」

 

 慌てて走り出そうとするルカの父の服をビッグブルが掴んで止め、そして代わりに走り出そうとするビッグブルのしっぽをウワサ好き娘が掴んで止めた。
 思わぬ抵抗と痛みにビッグブルが文句を言おうと振り返ると、恐ろしい形相で睨んでくる娘の姿。ぎょっとして彼はたじろいだ。

 

 「ちょっと待ってよ。あたしの話をちゃんと聞きなさい!!」

 「は、はいッス・・・・申し訳ないッス。」

 「まったく、近頃のオトナは黙って人の話も聞けないんだから。・・・・まあいいわ、今は文句言ってる場合じゃないし。それでね、ルカ君のおかーさんが料理を運んできたところに、ここらへんでは見かけないオバケがどこからかともなくやってきて・・・・―――そしてね。その料理を食べ始めちゃったのよ!」

 「・・・・・・・・・・・・へ。」

 「・・・・はぁ?」

 

 勢いよく言った娘の言葉に、てっきりオバケが人を襲ったのかと思っていた面々は、ぽかんと口を開けて拍子抜けする。・・・・料理を食べただって?
 そんな彼らの顔に、彼女はてっきり彼らが驚いていると思ったらしく満面の笑みになった。リンダの「何よ、案外普通の話じゃない」という文句は聞こえていないようである。
 そして彼女は笑顔になった後即座に再度作ったような険しい表情になり、ルカに頼む。

 

 「お願い、あいつを止めて!このままじゃ、村人たちのためのご馳走は全て食べ尽くされてしまう・・・・ああ、あたしだってルカ君のおかーさんのおいしい料理が食べたいのに・・・・っ!お願いルカ君、すぐにあいつを倒して!もう時間は無いわ、急いで!」

 「・・・・おい待て小娘。そいつの特徴を教えろ。」

 

 ルカの背後にいるスタンが、何か思案しているような表情で冷静に娘に訊ねた。
 娘は憧れの彼にキラキラと瞳を輝かせた視線で見上げ、待ってましたと言わんばかりに答えた。

 

 「いいわよ!そいつは人が着るのと同じ燕尾服を身に纏っていてね、そして頭には大きなツノっぽいものがあるの。で、手がとても長くて!その恐ろしい手で突然パンプキンパイを貪り始めてね・・・・」

 

 ・・・・彼女の言葉通りに想像したオバケのシルエットは、見覚えがある。
 ロザリーが「まさか・・・・」と苦い顔をして呟いていた。マルレインはパイが食べられている、ということに顔色を変える。あれは自分も楽しみにしていたものだ。
 予想を確定させる証言を得ようと、さらにルカが問いただす。かなり重要な質問である。

 

 「・・・・あのさ。そのオバケがどういう風に登場したのか、見た?」

 「あーそうそう!それが一番面白いの・・・・じゃなかったとんでもないのよ!突然肉屋の屋根の上からジャンプして宙返りして道の真ん中に着地して現れたの!それでルカ君のおかーさんが喜ぶような幻惑の呪文を並べ立てて、それで・・・・」

 

 

 ―――ジェームスだ!

 

 この場に居るルカ、スタン、ロザリー、キスリングにははっきりとわかった。今までの経験からすると、そいつはどう考えても魔王スタンに仕える悪の最強執事である。そんな面白すぎる登場シーンができるオバケらしき者といったら、ジェームスしかありえない。絶対ありえない。
 メンバーの中では彼の性格を特によく知っている4人だからこそ、それを確信できた。しかもルカの母の料理が大好きで、なおかつルカの天然母を喜ばせるような女好き特有の台詞を発する、大きな手とツノを持つ燕尾服のオバケなのだ。証言も彼の特徴と一致している。
 これは確かにまずい。彼ならば本当に全ての料理を、喜んで食べ尽くすかもしれない。それだけは止めなければ。この世界で一番不可解で予測不可能な執事、それがジェームスなのである。彼の意味のわからない暴走を前に、母のおいしい料理の山がどれくらい持ちこたえられるだろう。その前に母はジェームスを止めてくれないのだろうか。
 しかしそう考えていたら突然、スタンが高く笑い出した。

 

 「ククク、フハハハハッ!そうか、なるほど・・・・やるではないかジェームス。人間どもの料理を食べてしまうとは、なんと悪そうなことを・・・・ちょっとだけ見直したぞ。」

 

 スタンから出てきた名前に、執事のことをあまり知らないエプロスが問う。

 

 「ジェームス?それは確か、世界図書館で扉を破壊したあの執事のことか?」

 「そうよ、あの役に立つようで全然全く少しも役に立たないスタンの無能腰巾着よ!・・・・早く止めさせないと・・・・あたしたちの分まで無くなっちゃうじゃない!?それだけは勘弁だわ!あーっもう・・・・ちょっと行って、ジェームスを止めてくる!」

 「なんだとぅっ!?」

 「あ、待って待って!オバケを倒すならあたしも見るー!この事件も思いっきりウワサで広めてやるんだから!」

 

 エプロスに答えるや否や、ロザリーは腰のレイピアを引き抜いて階段を駆け下りて行った。日傘のピンク色の点が、風のように闇の中へと消えていく。そしてその後を、ウワサ好きの娘も慌てて追いかけていった。
 スタンは彼女らを止めようとしたが、その前にキスリングが目の前に立ち塞がってしまい、言おうとした言葉を詰まらせてしまう。

 

 「ふふふ、ジェームス君の満腹度と愛情が込められた料理のおいしさの比例関係とジェームス君のオバケ魔族としての生態。この私グッテン・キスリングが、スミズミまで観察しながら計算して今後の研究の参照にさせていただくためにメモに取らせてもらおうじゃないか!よーし、がんばっちゃうよー!」

 「私もおかーさんの料理が食べたいし、それにジェームスの食べっぷりも是非見たいなあー。よーし、パパもがんばっちゃうぞー!」

 

 まるで忍者がくないを扱うときのように、キスリングは片手の指と指の間に鉛筆を4本挟み、無駄にカッコ良く目の前で構えた。そしてもう片手でどこから取り出したのか分厚い本を抱え、彼も跳ぶように階段を下りていってしまう。その姿は45歳らしからぬ、さながら軽やかなウサギばりの動きである(彼の仮装はいやし系ウサギだが)。むしろキスリングは自身の運動能力について調べるべきだと思う。
 跳んでいくキスリングを追い、ルカの父も拳を握りながら笑顔で走って行ってしまった。そういえば彼も、ウワサ好きの娘と同じように大騒ぎが大好きなのだった。相変わらず子供っぽい父親である。
 そんな2人を見て、これから何か面白いことが起きることを予測したエプロスは、ふっと微笑んで宙に浮かび上がった。

 

 「では、私も見にいってみるか。これから始まる魔王の執事と勇者のタイトルマッチもなかなか楽しめそうだからな。それに、私もそろそろ何かを口にしたい気分でね・・・・ではまた後で会おう、ルカ。」

 

 ルカとスタンを見下ろしてそう言ったエプロスは、あっという間に宙を飛んで村へと降りて行ってしまう。そしてすぐに村の方から、ロザリーの「ずるいわよ!」というエプロスに対する怒りの声が聞こえてきた。

 

 「あーん、あたしも置いてかないでくださいよぉーっ!エプロス様のイジワル〜!」

 「ちょっとあんたら、抜け駆けするなッスずるいッス!仕方ねぇ、オレがその犯人と大食い対決してやるぜオラオラオラーッ!!」

 

 飛んで行ってしまったエプロスを追って、リンダも泣きながら(ウソだろうが)走り出す。そしてそのリンダの後をすぐに、別の目的を持ったビッグブルが何かに燃え始めたように駆け出した。そして二人とも村役場前の階段下へと下りて行き、村の入り口の方へと夜の闇とカボチャの灯りに紛れて消えて行ってしまった。
 ジェームスのもとへと全員が走っていってしまい、広場に残ったのはルカ、スタン、マルレインのみになってしまった。そしてスタンは瞬く間にいなくなった人々に対し、怒りを露にしてぶんぶんと腕を振り回している。

 

 「おいコラ、待てキサマらっ!悪の計画の邪魔をするなコラっ!・・・・・・・・だ―――っくそっ!行ってしまったではないか、この子分め子分め子分め!キサマもぼけっと突っ立っておらずさっさと走れっ!追えっ!あいつらを止めろっ!それでも余の子分か!?」

 「でもスタン・・・・ジェームスにパイを食べさせるつもりなの?スタンもさっき食べたがってなかったっけ、おかーさんのパンプキンパイ。なら、ジェームスの方を止めたほうがいいんじゃない?」

 

 ルカの言葉に、スタンはあの輝かんばかりの黄金狐色のパンプキンパイを脳裏に浮かべたようで、少し言葉を失った。そういえば、自分は確か非常に腹を空かせていたのである。それもついでに思い出してしまったようだった。
 しかし今、それはジェームスによって食われつつある。
 ・・・・・・・・。

 

 「・・・・ジェーム、スゥゥゥウウウウッッ!!何としてでも止めてやるわっ!子分、手遅れになる前に余のためにご馳走を死守するのだ!よし、行くぞ。とにかく余は腹減ったのだからな!」

 

 ついに切れたスタンがぶるぶると振るえる。そして体を勢いよく翻し、早く行かせるためにルカを急かした。・・・・ルカの計画通りである。ルカは悪いことに手を染める気は毛頭無いのだ。なんとか村人たちの料理を全て食べさせてしまおうというスタンの考えを打ち砕くことができた。
 ルカは適当に返事をして、傍にいるマルレインを呼ぶ。

 

 「はいはい、わかったってば。・・・・じゃあボクたちも行こうか、マルレイン?」

 「うん・・・・料理が今どうなってるのかわからないけど・・・・もしかしたら、もうロザリーが止めてくれてるかもしれないものね。」

 

 早く行けば、料理はまだ間に合うかもしれない。パンプキンパイは諦めるしかないだろうが、スープや他のカボチャ料理はきっと無事だろう。たぶん。とりあえずあの執事は捕まえて、天井から吊るすべきだ。
 もし料理がまだ無事だったら、グビグビ亭に運んでパーティーを始めよう。テネルの夜露が大人たちを包み込み、お菓子の山が子供たちを幸福に埋める。子供、大人、オバケ、人間。今年は分類など関係なく、みんなが楽しめる大きなお祭りとして、みんなで幸せなフィナーレを飾ろう。
 すっかりお腹も空いたし、すっかり夜も更けてきた。

 

 「あ・・・・ルカ、見て!ほら、空!」

 

 ジェームスのところへ行こうと階段を下りようとしたマルレインの驚いたような声に、何事かと思ったルカは彼女の傍に駆け寄っていく。
 3人で高台にあるこの広場からテネルを見渡すと、無数の星が輝き瞬くその夜空に、この世界のひどく大きな月が浮かんでいた。それはちょうど、もうひとつの高台にあるルカが住む家をシルエットのように黒く浮かび上がらせ、まるで影絵のおとぎ話に出てくるお城のよう。その月や星の光はテネル村も薄明るく照らし、祭りのオバケランプの暖かい橙色の灯火の明かりと銀色の薄絹のような淡い光が織り成す、霞のように優しい輝きはまるで、暗闇の森の中の村を包むように守っているようだった。
 急がないと料理が無くなってしまうのはわかっていたが、ルカとマルレインはスタンの声が暫し聞こえないフリをして、この夜だけの暖かくも奇怪で妖しげなその光景に見入っていた。今までこの村に住んでいたが、夜にこの場所から村と森を見渡す機会はあまり無かった。しかし、もし見渡す機会が今まであったのだとしても、ルカ一人だと何も感じなかっただろう。3人でいるおかげでこの感動を共有できるから、いつも見ている月も今日は特別に美しく見える。
 キャンディを砕いたように、キラキラと煌く星たち。蜂蜜を零したような色合いの大きな月。今日はお菓子の甘い香りも相まって、全てが子供の生み出す無垢で奇妙な心の世界に見えた。悪戯好きな存在の手によって、世界を今夜だけ変えてしまったように。自分さえもオバケと同じ思考に変えられてしまったように。

 

 「・・・・きれい・・・・」

 

 今夜は特別な、ハロウィンの夜。
 誰の心からも分類が消えてしまうその日。何が起こるかわからないその夜。

 

 高台に月光に照らされて立っていたのは、仮面を被った無邪気なお化けたちの姿だった。

 














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