「あー、ダメだ・・・やっぱりダメだ・・・」

 

 窓の外が星と月の明かりのみになり、真っ黒な闇に染められてすでに数時間経つ。
 草木も眠る丑三つ時。夜の虫の音はせず、風もない無音の静かな夜だった。
 もう生きている者は全て眠っているべき時間だが、男はその通則に従えずに起きたままでいた。
 一度は寝床に入って目を瞑ったのだが、目が冴えて仕方がないのだ。神経過敏状態がずっと続いたままで、脳内で羊を数えても無駄だった。2000匹まで数えたところで、闇に対しものすごい恐怖感が湧いてきた。
 暗闇の中にいることで、夜の見えない何かへの恐怖が蘇ってしまうのだ。目が冴えたままじっとしていると、まるで熱を出した夜のように闇に吸い込まれそうになる。そして気付けば、窓の外には星明りと共に奇妙で異常な雰囲気が漂っていた。そして、何者かのカゲが村の中を蠢いているような気配。―――何かを吸う音、吸われる音。
 耐えられなくなった彼は、店内の電灯を点けて店のカウンターの前で眠くなるまで待っていたのだった。電灯を点けていれば、もし店内に何かが入ってきたとしても、すぐに正体がわかるだろう。正体がわかってしまえば、問題も解決できるかもしれない。そう考えると、少しは恐怖も和らぐような気がした。
 夜の闇から抵抗するかのように店の前に吊り下げられたランプにも明かりを点したが、逆に村の中の不気味さを彩ってしまっている。

 できれば早く眠りたいため、温かいブラックコーヒーを淹れたカップを片手に、男はひたすら目を瞑りながら店内で過ごしていたのだった。

 

 「体は疲れてるのに・・・・やっぱり眠れん。なぜだ・・・・なぜだなぜだ・・・・」

 

 眠りたい、眠りたい、眠りたい、眠りたい、眠りたい、

 眠れない、眠れない、眠れない、眠れない、眠れない、

 

 眠りたいのに眠れないのはかなり辛い。一秒一秒が長く感じ、寝よう寝ようと思えば思うほどプレッシャーで眠れなくなるのだ。そうして気分も鬱々としてくる。
 彼の目の下には黒いクマが目立っていて一見眠そうだが、目はぱっちりと覚めたままだ。
 カップのコーヒーをすすっても、脳が興奮した状態が保ったままである。カップに淹れられたコーヒーの真っ黒な色が、夜の色を表しているかのようで気味が悪く感じた。

 

 「・・・・ミルクでも入れる・・・・かな。」

 

 台所へ行って冷蔵庫からコーヒー用ミルクを取り出し、ブラックコーヒーに注ぎ込んだ。
 せめてもの気休めだ。
 しかし、そのミルクがコーヒーに混ざって黒が薄い茶色になっていく様はまるで、夜の世界に光が差し込んでゆくかのように見えて彼に安らぎをもたらした。

 

 ―――タッタッタッ

 

 コーヒーを虚ろな目で眺めていると、店の外の村の中を誰かが走っている音がした。
 一瞬男は身構えたが、よく聞いてみるとその足音はしっかりとしていて、生き物の足が鳴らしていることがわかる。何より、聞いていても嫌な感じがせず、こんな夜に自分以外の誰かが起きていることに少なからず安心した。実体のないものではない、確実に足を持って動いている者の音。
 ガチャン、と店の扉が開いた。

 

 「・・・・こんばんは。」

 「あー・・・・いらっしゃい。」

 

 扉を開けたのは、今日やってきた村の外の少年であるルカだった。
 彼は少し警戒するように店内を見回し、起きている男が一人いる以外何も問題ないことがわかると店内に入ってきた。
 外には他にも複数の誰かの気配がする。彼の連れの者たちも起きているのだろうか。

 

 「もしかして、眠れないんですか?」

 「あー・・・・やっぱわかるのね。まぁ、お客がいるのが、せめても、か。・・・・なんにしましょ?・・・・あぁー・・・・」

 

 虚脱したような男の声が、逆に不気味さを煽るかのようだった。しかし当の本人は体のだるさのせいで気にする余裕はないようだ。それに対しルカは眠れないわけではないようで、どちらかというと起きたばかりの少し眠そうな目をしている。
 ルカは男を心配するように見上げたあと、店の中にあるバスケットを指さした。
 中にはミラクルな木の実たちが詰まっている。

 

 「・・・・あれを2つください。・・・・袋には入れなくていいんで。」

 「え。・・・・なんで?こんな夜中に・・・・」

 「・・・・・・・・・。」

 

 言いながら男はコーヒーを置いて代わりに木の実を手にし、ルカに手渡した。
 ルカは無言のまま、それを腰につけたポーチにしまい、男に代金を払う。
 何故こんな夜中に木の実を買ったのか、なぜわざわざ起きたのか。何か理由があるのだろうか。
 それでも、今の時期に夜中に外を出歩くのは危険だ。
 窓を見ると、暗闇に染まった硝子に店の電気の明るい色が映っている。

 

 「・・・・とにかく・・・・君、早く宿屋に戻って寝たほうがいいよー・・・・。見ただろ、外の異様な雰囲気を・・・・。」

 「・・・・できればボクもそうしたいんですけどねぇ。」

 「できればホントは日が暮れる前に帰った方がよかったんだろうが・・・・あぁー・・・・もうどうしようもない。宿屋で布団をかぶって寝るのが一番安全だ・・・・。でないともしかしたら、ひどい目に遭うかもしれない・・・・」

 「何を言うか、雑貨屋の主よ。この村の者をひどい目に遭わせるのは余の役割だと決まっておるのだ。勘違いするな!」

 「あー・・・・そうなの・・・・・・・・・・・・へ?」

 

 明らかにルカの声ではない、前に聞いたことのあるような第三者の声がした。それに気づき耳を疑った男が窓から振り向くと、ルカの影が異形を成して呼吸している。真っ黒な闇に、闇夜の月を思わせる目と口があった。
 全てを忘れて男はぎょっとして見つめていたが、彼らは驚いている相手を気にしている様子はない。ルカもその変な影も、そこに存在するのが当たり前のような態度でいる。それが妙にシュールだった。
 一瞬寝不足による見間違いかと思ったのだが、どうやら違うらしい。
 ・・・・村の外では、こういう変なものは当たり前の存在となっているのだろうか。そういえばこの村にはいないが、オバケと呼ばれる人間に悪さをする生き物がこの世界には存在していたことを思い出す。すっかり忘れていた。
 もしかしたらこの目の前の黒い影がこの村全体を夜の恐怖に陥れているのかとも考えたが、にしてはその影に対する恐怖感を感じることがなく、むしろどこか親しみやすさがあってそれは間違いだと思えた。ハイランドの夜に現れるカゲは、こんなやさしいものではないはずだ。

 

 「ふん。準備ができたなら行くぞ、子分。余の許可無くして、この村を絶望で支配している者を探し出すのだ。ここには何かあるぞ・・・・絶対にな。しめてかかれよ。」

 

 その言葉にルカは無言で頷く。
 例の影は黒い光を発してふっと消え、瞬きする間に本来のあるべき形に戻っていた。
 一瞬の出来事に、男はぽかんとした。そんな様子の男に気付くことなく、ルカは店の外に出ようとする。
 しかしその前に、背後で驚いたまま硬直している男に振り返り、一言述べた。

 

 「あの・・・・眠れないんだったら、ホットコーヒーじゃなくてホットミルクを飲むといいと思うんですけど。」

 「え。」

 

 男は思わず手元にある、幾分か減ったコーヒーを見る。
 そして次に顔を上げたときには、すでにルカは店の外へ出て行ってしまっていた。
 ・・・・一体なんだったのだろう。

 夜に対する恐怖は、男の頭の中からすっぽりと抜けて消え失せていた。

 

 

 

 それから数分後。彼の手のカップには、まっしろなホットミルクが入れられていた。
 最初は湯気が立つほど温かかったのだが、すでに半分以上飲んだことでぬるくなっている。
 カップを片手に男はカウンター内の椅子に座って少しうとうととしている。ルカが男に教えたことは本当だったようで、効果も覿面だった。すっかり疲れていたせいか、牛乳を飲んで体が温まると自然に眠気もやってきた。羊を数えることやコーヒーを飲むことよりも、安眠に効果的な方法があったことに彼は静かに感動する。どうやら、外の人は結構物知りらしい。それとも、この箱庭のような小さな村で暮らしている自分たちが、外の世界から遅れているだけなのだろうか。
 明日、コーヒーのことを教えてくれた婦人に間違いを指摘しておこう―――眠りの淵で、うっすらそんなことを考えていた。

 

 そしてあと一歩で、長い間待ち望んでいた眠りにつけるところまできたのだが。

 

 

 「―――きゃああああぁぁぁぁぁっ!」

 

 村のどこかから響いてきた不気味な声が、店にかすかに届いた。
 静か過ぎる店内に居れば、聞きたくなくとも聞かざるを得ない恐ろしい悲鳴。
 せっかく眠りかけていたというのに、それによって男の鼻提灯がぱちんと割れる。再び男は覚醒するハメになった。
 あと少しで完全に眠れると思ったのに・・・・と怒りの混じった視線で村の外を見た。
 窓の外は変わらず、妙な静けさに包まれている。しかし先ほどの悲鳴は空耳ではなかった。

 

 「・・・・あー・・・・もー、おとなしく眠ることさえ許されないのか僕は?」

 

 冗談を半分真面目に口にしつつ、男は目をこすって手に持っていたカップをカウンターに置いた。
 今の声は、誰か女性によって発せられたものだ。誰のものかはわからない。もしかしたらこの村に住む女性のものかもしれないし、もしかしかたら村の外から来た集団のうちの誰かのものかもしれない。どちらにしろ、まるで魂をすすられるかのような絶叫であったことには変わりはない。この平和そうな村にあまりに不相応な出来事だった。
 ―――いや、今までだって何度もあったことだ。

 

 「・・・・どうしようかな・・・・。」

 

 このまま何も聞かなかったことにして、ホットミルクによって生まれた眠気に従って寝床に入ろうか。今の状態ならば、確実に朝までぐっすり眠れるだろう。そして全て忘れてしまうのも良いかもしれない。今までもそういう風にして夜から怯え、目を瞑り耳を塞いで朝を待ったことならあった。
 しかし、もしあの悲鳴が外からの客人によるものだったならば・・・・無視できるだろうか。
 こんな夜に村人からの警告を無視して外に出た彼らの自業自得かもしれない。しかし、せっかくこの村に訪れてくれた彼らを、ひどい目に合わせたまま放置するというのはこの村に住む者としてどうだろう。ひどい目に合わせている夜に現れる何かと、同罪になるのではないか。
 ・・・・助けるべき、だろうか。

 

 「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

 男は店の出入り口の扉にふらふらと歩み寄り、音を立てないようにそっと開けた。
 扉の隙間から店内の光が漏れ、目の前の地面に光の筋を残す。その光とは違う自然の光が、ハイランドを暗く照らしている。夜空は、夜の闇と大きな月と星が支配していた。
 風はない。
 何者かの気配も、今は感じなかった。どこかに行ってしまったのだろうか。
 そして、先ほどまで外をうろついていた客人たちもいない。

 

 「・・・・やっぱ、食われたのか・・・・?・・・・・・・・―――!」

 

 嫌な想像が頭を掠めたところで、視線がとある影を捉えた。
 村人だ。日中、夜を待ちながら空を仰いでいたあの男が、無警戒な婦人の家の近くで倒れている。
 それを見たとき、一瞬で今まで自分たちがされてきたことが何なのか、わかったような気がした。

 

 男は店を飛び出した。
 そして石段を駆け上がって倒れている村人に近寄る。

 

 「おい!大丈夫かい?」

 

 村人は顔を真っ青にして、白目を剥いて失神していた。しかし表情はどこか恍惚としていて、男は首をかしげた。
 手足はピクピクと痙攣し、首筋が赤く染まっているが・・・・傷は何故か治っている。誰かが治してくれたのか、それともこのような目に遭わせた者が意図的に治したのか。まさか・・・・繰り返しこのような目に遭わせるために?
 傍らの石壁は、何かによって赤黒く濡れていた。「何か」と言うまでもなく、その正体はわかっている。このシミの源は、間違いなく目の前に倒れている村人だろう。
 壁に付いたものはまだ固まっていない。つまり、犯人はすぐ近くにいる―――ということだ。
 心臓が凍りつくような恐怖が、じわじわと湧き出てきた。
 さっき店にやってきた少年のお連れさんも言っていた。「ここには絶対に何かがある」と。外からやってきた人もそう言うくらいだから、この村には外から見ても異常な何かがいるということになる。

 

 

 ―――ドン!!

 

 「うひっ!!」

 

 男が逃げ出そうとしたところで、大きな爆発音がどこからか響き渡って男は思わず肩を跳ね上げた。
 大の男が素っ頓狂な声を上げてしまったが、それを気にする間もなく打撃音が聞こえてくる。
 男は狼狽し、目を瞬いた。

 

 「・・・・何事!?」

 

 音源を捜すため男は慌てて石段を下り、音がしてくる方を見やった。
 男の視線の先には、紫の屋根の大きく不気味な館が建っていた。

 

 「あんな屋敷・・・・今までこの村にあったか・・・・?」

 

 今までこの村で暮らしていたが、こんな建物が建っていたことは記憶に無い。全く見慣れない館だった。
 ちゃんと崖の上にあり、しっかり吊り橋で村の中心部と繋がれていた。まるで最初からそこに存在していたかのように、違和感無くその場所に建っている。
 この爆発や打撃などのやかましい音は、その館の中から発せられているようだ。誰かの話す声も聞こえる。

 

 男は、恐る恐る吊り橋を渡り、館に近づいてゆく。実体はちゃんとあるようで、透けて落ちるなんていうことはなかった。
 こっそりと、壁の小さな窓から内部を覗く。
 内部は只ならぬ緊迫した雰囲気だった。古臭い大階段のある広間の中央で、大きな円形の窓から入ってくる月明かりと蝋燭の火に、8人ほどの人影が照らされている。どうやら1人と7人に分かれてお互いに争い合っているらしい。こうして考えて見ると1人を仲間外れにしているように見えるが、その1人は複数のコウモリのオバケを従えていて、強力な魔法で相手の集団を攻撃していた。それに7人の人影もそれぞれ武器を持って対抗している。仲間外れにしているのではなく、1人の人物を7人の集団が打ち倒そうとしているようである。
 その7人の集団のうちの一人は、真っ黒な体を巨大化させてそびえていた。

 

 「あれは・・・・」

 

 すぐに、先ほど店にやってきた少年とその影のことを思い出す。その変な黒い影の足元には、あの少年ルカがその姿に似合わない剣を構えていた。他にも、昼に店で会った少女リンダやもう一人の日傘の女性もいる。外からやってきたあの集団が、何故こんなところで戦っているのだろう?
 戦っている相手は、歯が牙のように鋭くなっているひょろりと痩せた男だった。燕尾服を着ていて、ワイングラスを片手に紳士のような姿をしている。一見すれば気取っていてなんだか弱そうだが、その彼から発するオーラは感じたことのあるものだった。この奇妙で不気味な夜の村の空気を具現化したような人間が、ルカたちの戦っている相手だ。
 まるで吸血鬼のようにキザな動きで、彼は魔力を放出する。

 

 「―――イエロドドン

 「うわぁっ!!」「ふぎゃっ!!」

 

 轟音が再び鳴り響く。巨大な電撃がルカに落とされ、ルカは黒い影とともに吹っ飛んで床に叩きつけられた。思わず男が目を見開いたが、頭を抱えつつもすぐに身を起こしたルカに少し安心する。
 黒い影が怒ったように手を振り回し、敵である相手と足元のルカに叫ぶ。

 

 「かーっ、糸屑ごとき雑魚が強力な技を使いおって・・・・余に勝るものではないが、実にけしからんわ!子分、キサマもあのような者の攻撃ぐらい避けろっ!なさけない!」

 「いや、でも・・・・無理なものは無理で・・・・っ、強いし・・・・」

 「そう、これは避けられないものは避けられないという分類なのだ。これ、『絶対』攻撃だしな。―――サンドレッド

 「わ、ちょっ・・・・連続で使うの反則・・・・!なんだその屁理屈!?」

 「きゃーん2人とも危なーい!はいっ―――バリアル!

 

 巨大な爆発音が館内に響く瞬間、リンダが赤い光を発生させルカと全員を包み、魔法攻撃を跳ね返した。
 口調はともかく、彼らは昼間会ったときとは違いかなり気合いが入っている。今まで追い求めていたものが、まるで今目の前にあるかのような目で敵を見て戦っているのだ。敵となっている相手の男とはどのような関係なのだろうか。

 

 「うむむ。」

 

 その様子を屋敷の外から見ていた男は、中に入るか否か迷って右往左往していた。
 このまま彼らに戦わせていいのだろうか。この戦闘を止めるべきだろうか。男は暴力反対の平和主義者なのだ。
 彼らが相手にしている男はおそらく、この村の夜を支配し、あの倒れている村人にひどい目に遭わせた元凶だろう。彼らがその元凶をなんとかしてくれれば、この村も平和になるのかもしれない。しかし、それではあまりにも無責任なのではないか。ハイランド内で起こっている問題を、彼らに任せてしまって良いのだろうか。

 

 「でも・・・・今僕が入ったところで何かできるのか・・・・?」

 

 見る限り、彼らはかなり戦闘慣れをしているようだ。それに比べ自分は、ただのしがない雑貨屋の商人である。戦闘とは縁のない村の住人なのだ、戦う術など身につけているはずがない。ならばここは現実的だが、彼らに任せたほうが得策なのかもしれない。
 それに、彼らの意志で戦っているのならば、男に止める権利など無いのだ。
 ならば自分は自宅に戻って彼らの無事を祈りながら、眠って不眠を治すのが一番良いのだろう。

 

 「・・・・寝るか、な。」

 

 帰り際、再び窓から中を覗くと、リンダが日傘を差した女性と同時に男をゲシゲシと叩いていた。男は両手で頭を押さえながらものすごく痛そうにしている。
 リンダの手には、今日店でルカが買っていった愛のマイク。「愛」という単語のわりに、随分と過激な攻撃方法と威力だ。
 昼間彼女が言っていた使い方と、なんだか違うような気がするのだが。

 

 「マイクって、ああいう使い方もできるんだ・・・・。」

 

 やっぱり外の世界の人は物知りだな・・・・と、男は深く感心したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久しぶりに熟睡したその翌日は、気分も清々しい朝だった。夜の恐ろしい雰囲気は消え、窓から今までにないほどきらきらと輝いているように見える朝日が差し込み、今までとは違う爽やかな空気が村を包み込む。
 今日もハイランドには風が吹いている。
 男はいつも通り店の掃除や商品の準備をして、いつも通り雑貨屋を開店した。
 目の下のクマは、もう消えていた。
 扉が開く音とともに、やせた若者が入ってきた。彼もこの村の住人で、男と同じく目の下にクマがあったはずだが、彼も消えている。彼自身は自称健康で規則正しい生活を送っている夜なんかはグースカピーだったらしいが、痩せ衰えたその顔で不健康であることは誰の目から見ても明らかだった。しかし今は少しは元気が戻ったようだ。そんな彼はまったく変わらず元気なつもりだが。

 

 「おはようご主人!今日も気持ちのいい朝だね。ご主人もずいぶんゴキゲンそうだが、なんかあったの?」

 「ああ、まあね。昨夜は久々によく眠れてさ。ほら、何にしましょ?」

 「朝ご飯買いに来たんだ。パンを2本くれるかい。」

 

 男はその言葉に応え、紙袋にパンを入れる。
 その間に若者がカウンターに代金を出して、そして男にさり気なく話をかけた。

 

 「昨夜といえば・・・・夜中になんか隣の家がチャンチャンバラバラとうるさかったって私の家族が言ってんだが、なんか知ってる?私はいつも通り寝てたせいでよく知らないんだけどさ。というか隣に家があったことに私はびっくりなんだけど・・・・いつから建ってたんだろう?」

 

 その問いかけの内容は、つまりゆうべの外から来た人たちとあの元凶の男の乱闘のことを言っているのだろう。
 一瞬言おうかどうか迷った。が、言わないことにした。
 自分の家の隣にまさかこの村の夜の恐怖の元凶が住んでいて、しかも外の人がそこで戦っていたなんて聞いたらちょっとしたパニックになるかもしれない。それに話すのが面倒だ。
 昨日倒れていた村人の首筋やその近くの壁が赤く染まっていたことと、その前に寝床に居たときに聞いた何かを吸うような音。そして今まで自分たちが眠れなかったり、体が疲れてだるかったりしたその症状。それらが表しているのはつまり・・・・そういうことなのだろう。自分たちの身に今まで何が起きていたのか、ようやくわかった気がして身震いする。
 それも彼には言わないほうが良い。眠っている自分たちの身にどんなことが起きていたかなんて知ったら、正に恐怖ものだろう。知らなくてもよいことはわざわざ教える必要もない。

 

 「・・・よくわからないな。まあ君も不幸だったけど、まだ幸せかもしれないよ。」

 「あーそれ、さっきも似たようなこと言われたよー。外から来た人に同じように聞いたら、同じようなこと言われたわ。どういう意味なの?それ。」

 

 若者が首をかしげながら、パンの入った紙袋を受け取って店から出ようとした。
 そのとき、店の扉が再び開いた。入ってきたのは村人・・・・ではなく、外からの人だ。

 変な影を連れた少年。ルカがこの店に来るのは3度目である。どうやらゆうべの争い事は無事に片付いたようだ。
 すれ違うように若者とルカが扉をくぐる。

 

 「おや、またお客。いらっしゃい。」

 「・・・・木の実、おいしかったです。・・・・ありがとうございます。」

 

 ルカは瞼を重そうにしながらも、男に感謝を述べた。
 おいしかった―――つまり、ゆうべ使ったのだろう。男の店に置いてある木の実は栄養満点で質が良い上に、体力の回復の促進力も他の木の実より強いのだ。
 ゆうべのことについて、男は尋ねることはしなかった。そりゃあ、あの吸血男やルカたちの本当の正体や争い事の真実は知りたい気もするが、商人である自分が知るべきでないこともあるように思えるのだ。それを訊いたせいで、ルカたちに変な気遣いをさせるわけにはいかないだろう。
 しかしその考え方が、自覚無く自身を縛ってしまっているのではあるが。

 

 「いや、こちらこそありがとさん。君が教えてくれたおかげでよく眠れてね。」

 「眠れないときにホットミルクを飲むのはそれなりに常識ですよ。」

 「あー、そうなんすか。僕、この村から出たことないからわかんないんだよな・・・・人も来ないしね。」

 「・・・・・・・・・・・・。」

 

 ルカは無言で男を見た。そしてほんの一瞬目を伏せるが、すぐに元の調子に戻ってアイテムの注文をする。

 

 「導きのジュエルください。5個で。」

 「はいはいっと。もう旅立たれますんで?もったいないなあ・・・・もう少しいらっしゃればいいのに。まあ、何もないところだから面白くもなんともないんだけどね。」

 「いえ・・・・そういうわけではないですけど・・・・。何か必要になったらまた戻ってきますし・・・・。それにボク、この村は高い崖の上でちょっと怖いけど、キレイなところで好きです。」

 「そうか・・・・外からの人にはそう見えるんだな。なるほど、気づかなかったよ。」

 

 男はルカの言葉に納得しながら、棚の一番下の段にある袋からキラリと輝く宝石をひとつずつ取り出した。
 ルカの言う言葉や行動が、決まった定義を少しずつ溶かしてゆく。ひとつひとつ、彼らが通った場所は彼らによって分類が変化しつつある。ルカの言葉ひとつでも、この世界の支配者が定めた分類も、彼らの中で定めている分類も、簡単に変わってしまうのだ。コーヒーよりもミルクの方が安眠作用があることを聞いたときも、男の中のミルクに対する分類が少し変化していた。そして今、ルカの村に対する感想も少し男の分類に影響をもたらしている。
 塵のように積み重なった小さな分類の変化は、いずれ分類を壊すほどの大きな変化になるのだ。
 その結果、男は今まで考えたこともないようなことを口にしていた。

 

 「崖の上が怖いってことは・・・・もしかして、村の外はずっと地続きなのかい?」

 「はい。」

 「ふーん・・・・いいね、それも。あーあ、村の外の人って僕らが知らないこともいろいろ知ってるんだな・・・・僕もいつか商人やめて、村の外に出て旅してみたいよ。案外面白いのかもね。」

 「・・・・きっと、できますよ。」

 

 一言だけ、ルカは答えた。
 男は取り出した5個の導きのジュエルを紙袋に入れて、ルカに手渡す。そしていつも通り、ルカは代金を払おうとする。
 ―――が、男はそれを受け取らなかった。

 

 「ああ・・・・いや、いらないよ。」

 「え、はぁ?」

 「商人である僕ができるほんの小さな・・・・小さすぎるお礼だけどね。サービスしまっせ。」

 

 お礼?とルカはきょとんとして瞬きをした。そのまま無言で男を見つめるが、男は何も言わない。
 とりあえず男の言葉に甘えて、ルカは紙袋を持って店を出て行った。

 さっきのサービスは、夜の恐怖の元凶を倒してくれたルカたちに対する、男なりの感謝の気持ちだ。彼らは彼らの意志で理由があってあの吸血男に立ち向かったのだろう。しかし男は、そのことに対し感謝せずにはいられなかった。そのまま彼らの戦いを誰にも知られることなく、この村を立ち去ってしまうと思うともったいなく感じた。せめてこの村の人間を代表して、彼らにほんの少しのお礼がしたかったのだ。

 そしてそのことを、雑貨屋の主人があの夜の出来事を見て知っていることを、ハイランドの村人たちもルカたちも知るよしもない。

 

 その日を境に、男は不眠に悩まされることなく眠るようになる。
 いつかきっとこの村から出て、商人ではなく旅人になることを夢に見て。

 

 

 

 

 

 

 「お金、払わなくて本当に良かったのかな・・・・」

 

 ジュエルの入った袋を手に持って村を歩くルカが、ぽつりと呟いた。
 普通ならありえなかったことである。商人というものはアイテムと引き換えに、それと同等のお金を受け取ることを重要視するというのに。等価交換は商人の仕事の上でのシステムであり、ある意味それが商人の義務でもあった。ルカは実際はそこまで深く考えてはいないが、その義務はこの世界の、分類によって決められたルールなのだ。
 しかしそれがルカによって、あのサービスの時だけ変化した。ルカたちの存在は、この世界の分類を少しずつ崩している。
 彼の呟きに、ひょい、と彼の影から魔王スタンが現れた。

 

 「得だと思うことは遠慮することなくとことん利用するがいいぞ、子分。それが悪というものだ。」

 「え、それって悪って言うのか・・・・?」

 「そんなことよりもキサマ、導きのジュエルを5個も買うとは、すでに道に迷う気マンマンではないか!?余は1秒でも早くあのベーロンのベロを抜いてやりたいというのに・・・・」

 

 導きのジュエルは、道に迷ったときにダンジョンの入り口の前に瞬間移動できる魔法の宝石だ。それをルカが買ったこととベーロンのことに対し、スタンは立腹しているらしい。しかし彼の言葉にルカはそっぽを向いていた。

 

 「だってこれだけ持ってれば、もし万が一何かあっても大丈夫だし。・・・・それに道に迷っても余は知らんって言ったのはスタンだよ?だから文句は受け付けないからね。」

 「う・・・・。ぐぐ、子分のくせにナマイキな!―――〜〜くそっ、こんなにイライラするのもベーロンのやつのせいだ!吸血魔王を倒せば余も元の姿に戻れたというのに・・・・あやつめ!わざわざ余の魔力を目減りするとは・・・・一体何を企んでおるのだ?」

 「・・・・・・・・・・・・。」

 

 ルカとスタンは同時に、腕組をして目を瞑り考える。2人とも全く同じ動作なのがどこか微笑ましい。
 2人が思い出しているのは、ゆうべのベーロンの声だ。
 彼の企みは何か、彼の言う「おもしろい見世物」とは何なのか。しかしわからないことを考えても結論はわからないままで、全く無駄なことだった。答えは結局、企んでいる本人しか知らないのだ。ルカとスタンにわかるわけがなかった。
 2人にできることといえば、「世界図書館」にいるベーロンと会って、スタンの最後の魔力を返してもらうことのみだった。
 しかしそれだけではなく、スタンもルカもベーロンと戦って彼を敗北させる気でいる。いい加減2人とも彼に対して頭にきているのだ。そしてその考えは、他の仲間たちも同じらしい。

 決して離れられないこの2人が離れるその時、一体何が待ち受けているのか。

 

 「全ての答えは、世界図書館の中・・・・か。」

 「考える必要もあるまい!そこで待っているものが何であったととしても、ヤツを捻り潰すことだけは変わらぬわ。」

 

 ハイランドに流れる淀みのない澄んだ風が、ルカの短い髪を揺らす。
 村に吹き込んだ新しい風が淀んだ空気を吹き飛ばしたかのように、村の雰囲気は変わった。
 あと向かうべき目的地は―――ひとつだけ。

 

 「・・・・・・・・うん。」













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