ボクと魔王と夜のカゲ









 長い夜が明け、白い光と靄が村を包み込み始める。
 店内のカウンターの前。まどろんでいた一人の金髪の男が、ふと俯かせていた顔を上げた。
 長い鷲鼻が特徴的な、細めの顔立ちをしている。

 

 「やっと朝か・・・・。」

 

 今日の始まりを告げる朝日が窓から差し込むのを見て、男はだるそうに椅子から腰を上げた。
 座ったままでいたせいで強張った体をほぐすように、彼はうんと伸びをする。その顔はひどくやつれていて、目の下にはクマができていた。誰が見ても、彼がこの一晩の間に一睡もしていないことが一目でわかる表情だ。
 眠っていないせいで疲れている身体を叱咤するように、男はぱちんと頬を叩いた。
 ―――だらけている場合ではないのだ。自分が昨晩眠れていようがいまいが関係なく、仕事はちゃんとしなければならない。でなければ村人たちが困ってしまうかもしれないし、商うおかげで自分もご飯を食べていけているのだから。
 とりあえず、男はこの重い気分を転換するために外の空気を吸うことにした。
 今日も一日が始まる。

 

 

 

 男が扉を開ければ、目の前にはいつもの村の家並みとそれを囲む果てのない雲海が広がっている。朝日が照らしているその白い絨毯は、儚くも広大で美しい光景だ。しかしこれもこの村の住人である彼にとってはすっかり見慣れた風景で、特別感動するようなものではなかった。
 高い崖の上にあるハイランドには、いつも空の向こうから澄み切った風が吹いてくる。その風がどこから吹いてくるのか男は知らなかったが、毎日が無事に暮らせていれれば彼はそれでかまわず、深く考えることはしなかった。そもそも彼はこの村の外にさえ出たことがない。この村が高すぎる崖の上にあろうが、周りが雲海に囲まれていようが、彼にとってはそれが当たり前のことなのである。他の村と比べたことがないので、普通に考えれば一風変わっているように見えるその不思議な村の姿に、彼が疑問を抱くはずがなかった。

 雲の海の水平線から、真っ白に輝く太陽が顔を出している。時刻はまだ早朝。普通の村人ならば目覚めていない時間帯だが、眠らなかった男には関係のないことだった。
 空を仰いで深呼吸すると、体のだるさも少しは消えてゆく気がする。

 寝不足の脳さえ除けば、今日も爽やかな朝だ。

 

 「あらぁ、おはようございます。」

 

 背後の頭上から、それほど年老いていない女性の声がした。
 声の主はもう予想がついている。ただでさえ少なすぎるこの村の住人の中で、こんな早い時間に普通に外をうろつこうとする女性はひとりしかいない。他の女性は「夜」に怯え家に引き篭もり、外に姿を現すのもあまりないのだが、彼女だけは「夜」に対し全くの無警戒なのだ。夜が明けたばかりのこの時間に外にいても不思議ではない。
 男が振り返れば、予想通りの赤眼の婦人が崖の上から柵越しに彼を見ていた。青いエプロンが村全体に吹く風によってはためいている。
 男の住む家のすぐ横は岩壁になっており、その崖上には一軒の民家がある。この村の中では最も高い場所に建てられていて、その家に住むのが彼女と彼女の一家だった。

 

 「ご主人てば、起きるのがずいぶんと早いのね。ああ、あたしも人のこと言えないけど。眠気覚ましの気分転換かしら?」

 「あー・・・・まあ、そんな感じか。いや、全然寝てないけどね。」

 「そうなの?って、あたしも同じなのよねー。寝れてないわけじゃないけど、頻繁に目が覚めるの。早起きは三文の得って言うし、早朝に目が覚めるのは健康的で良いんだけどね・・・・夜中に目が覚めるのはちょっとね・・・・。」

 「眠れるだけマシってもんだよ。僕なんてここんとこずっと一睡もしてない日が続いてて・・・・。おかげで体はだるいし気分も鬱々するし、もう参っちゃうよ。」

 

 男はうんざりした様子でため息をついた。
 崖上の婦人を見上げると、彼女も明るい口調とは裏腹に、やはり少し疲れ気味の様子だった。顔色が悪く血の気がないように見える。
 最近ハイランドでは、血の巡りが悪く寝つけない者や体がやつれて元気がない者など、貧血に似た症状が出てきている村人が増えている。男も体調を壊し、しばらく不眠症に悩まされている。
 理由は全くわかっていないが、何故か大半の村人は「夜」―――村全体が闇に包まれているその時間に対し、恐怖するようになった。夜が明けた頃には大抵、この貧血の症状が悪化している。夜に何事かが起きているのは誰もが承知済みなのだ。しかしその夜の記憶も全くないため、わけもわからず夜に現れる何かに怯えて暮らす毎日である。
 そのせいで村全体が暗く重い空気に包まれている。もし外からの客人が訪れたりしたら歓迎しにくい状況であることには間違いないだろう。

 

 「ま、嘆いてもどうしようもないし、仕方ないんじゃない。この村に医者なんていないしねぇ・・・・。いっそ開き直っちゃうとかどう?自分はこのままこの村で一睡もすることなく生きる運命なんだーとか。」

 「そんな無茶な・・・・。僕はとにかくぐっすり安眠したいんだから、あんまり適当なこと言わないでほしいんだが・・・・」

 

 無警戒な婦人の何の解決にもならない助言に、男はがっくりと項垂れた。
 正直言って、夜が明けた今はかなり眠い。この調子のままベッドに倒れて眠るのもありだが、そうすると経営している店を休むことになるのでそれはできない。それに昼寝をすると、夜にもっと目が冴えてしまって寝るに寝られなくなる悪循環に陥る可能性がある。
 ぐったりした様子の男に見かねて、婦人は真面目に彼を眠らせる方法を考えた。そしてふと、彼女はひらめいた。

 

 「あ。確か、寝る前にホットコーヒーを飲むとよく眠れるって聞いたわよ?体が温まって安眠できるとかなんとか。」

 「へぇー・・・・それは初耳だなぁ。今夜はコーヒーでも淹れてみるかな。」

 

 本来はコーヒーを飲むと安眠ではなく脳の覚醒に効果がある。・・・・・・・・のだが、彼らは全く気づいていない。ハイランドは「世界」から隔離された村であるため、その村に住む彼らは正しい情報にまったくもって疎かった。そのせいで、悲しいことに今夜も眠れなくなることが確実に決まってしまった。
 婦人は空の果ての朝の太陽を見て、頬に手を当てながら現在の時間をなんとなくはかった。

 

 「さてと、早いけどうちの家族が起きる前にもう朝ご飯作っちゃおうかしら・・・・あなたの店に木の実いろいろ置いてたよね。今日は木の実をたっぷり煮込んだごちゃまぜスープにしようかな。いくつか買いたいんだけど、いい?」

 「あーどうぞどうぞ。どうせ誰も買わないから商品だけはもー腐るほどあるし。」

 

 婦人の言葉を聞き、男は自分の店の中へ戻ろうとした。とりあえず、彼女の注文に応えるため商品を持ってくるようだ。
 崖上に立っていた婦人も、彼を追うように石段を下りてくる。

 

 「あなたが売ってる木の実は質が良くて栄養満点だって話だから、食べれば少しは体調も良くなるかもしれないもの。ご主人も試しに口にしてみたら?もしかしたら寝不足治るかもね。」

 「売り物を自分で使っちゃう売主がどこにいるんだよ・・・・僕はあくまでも雑貨屋の主人だし、僕は売り物を売り物として扱わないと。ということで無理だね。」

 

 雑貨屋『ショップ・フローターズハウス』を経営している彼は、「店の主人」の分類に囚われていた。そのため、どんなに利用する人が少なくとも彼は休まず店を営業している。彼の店には木の実だけでなく、かなり価値も値段も高い武器や防具も色々と揃っていた。この住人が少ない、外からの旅人もほとんどやってこないこの村でそんな強力なアイテムを売り続けているのも、結局は道具屋としての分類に従っているためだった。(彼にしてみれば、なんとなく売りに出したまま買ってくれる人を待っているようである。)
 そしてこれは他の村人も同じだった。例えば宿屋の主人は誰も泊まらない宿をハイランドで営業し続けている。儲かる儲からない関係なく、「宿屋の主人」の分類に従って宿屋を営んでいるのだ。
 しかしそれらに村人たちは気づくことはない。全て自分たちが生活していく上で、当たり前にやるべきことだと思っているからだ。
 たくさんあるのにもったいないわね・・・・と婦人が呟く声を背に男は薄暗い店の中に入り、店内のミラクル木の実が大量に入ったバスケットから数個取り出し、紙袋に詰めた。
 そして目の前の婦人にそれを手渡し、代わりに代金を貰う。

 

 「どーもありがと。ご主人もちゃんとご飯食べるのよ!あと夜には気をつけてね、こんな時期だから。」

 「いや、そのセリフはそっくりそのままアンタに返すよ・・・・。」

 

 彼女を除く村の女たちが全く外出しないのは、男より女の方が貧血の症状が酷いという理由もある。つまり、女の方が「夜」に現れる何かに狙われやすいということだ。しかし彼女はどんな人物に対しても警戒心が足りなそうで、なんとなく不安になってしまう。彼女の家族も最近他の村人と同じくテンションが低く気が沈んでいるようだし、どうも頼りない。

 

 「あたしはちゃんと戸締りして寝てるわよ。それに比べあなた、夜中まで店を開けてるでしょ?いつ誰が入ってきてもおかしくないじゃない!」

 「・・・・待て、アンタなんで僕が夜中も店開いてること知ってるんだい?」

 「いやあね、夜散歩に出たときにあなたの店が開いてるのを見たのよー。」

 「一番気をつけるべきなのはアンタじゃないか。」

 

 男は呆れるようにツッコんだが、婦人はかまうことなく紙袋を腕に抱えて店を出て行く。
 そして外から店内の男の方を見遣って言った。
 開いた扉から外の風と光が店内に流れ込んでくる。

 

 「だって、結局家の中にいても外にいても状況はおんなじなのよ。こんな小さすぎる村の中じゃ、逃げ場なんてどこにもないもの。どっちにしろ途中から記憶がなくなって、そのまま朝に頭痛で叩き起こされるのは決まってることよ。見えない夜の恐怖に怯えるくらいなら、開き直ってしまったほうがラクだわ。まあ、夜はさっさと寝るに越したことはないわね。」

 「・・・・まあ、そんな簡単に眠れれば苦労はしないけどね。」

 「それが問題なのよねぇ〜。ま、ご主人も気をつけてね。さてと、ご飯作らなくちゃ・・・・」

 「ああ、どうもありがとうございました。」

 

 そのまま婦人は石段を上がり、崖上の自宅に戻っていった。

 

 それを見送った男は店内を見回し、自分も早めの朝食を摂ろうと考える。寝不足のせいで食欲は無いが、食べないせいで体調を崩したらそれこそ大変だろう。
 とりあえず、傍にあった細長いパンのバスケットの中から一本、一番古いものを取り出した。このハイランドでは食べ物を作る土地が全くと言ってよいほどないため、月に一度「吊り橋の向こう」から一月分の食料や商品が届く仕組みになっている。村のはずれにたまに現れる吊り橋の先がどうなっているのかは、村人の誰もが知らない。しかし誰もその先に行こうとは考えなかった。その先に行ったところで、同じ風景が同じ風景が続くであろうことはなんとなく察していたし、それなりに平穏に暮らしているのだから、吊り橋の向こうがどうなっていようと、自分たちには関係がないと思っていた。まるで餌を与えられている動物のような暮らしだが、村人たちにとってはこれが普通の生活の仕方だった。誰が食料を届けてくれているのかは誰も知らない。
 村はずれにはもうひとつ、「歯車タワー」と接続しているというウワサの石柱のワープポイントがある。この石柱は普段は起動しておらず、村の飾りのようなものとなってしまっている。ある村人の家に居候していた勇者が歯車タワーの内部を見たと聞くが、彼によると乾燥した砂漠の真中にあるその大きな塔には植物がたくさん生えていたそうで、まるで砂漠の中のオアシスのような場所だったという。歯車タワーはその名の通り内部にはたくさんの歯車が回っている大きな塔であるらしく、一体何のためにそこにあって、どうしてこの村と繋がっているのかまではわからない。またワープしたその先がいったいどこなのか、やはり村人の誰もが知ろうともしなかった。
 それが世界の「内」と「外」を繋ぐ要の柱であり、その塔こそが吊り橋の向こう―――世界の「核」へと続く道の境界そのものなのだということを、誰も気づくことはない。


 届けられるパンは長期保存できるように硬く焼かれていて、常に風が吹いていて湿気の無いこの土地ではなかなか腐りにくい。しかし流石にあまり時間が経つと売り物としては使えなくなるので、古いものから食べていくことにしていた。
 男はパンを片手に、店内にある閉じられた扉の向こうにある私室のキッチンへと向かった。

 

 

 

 

 

 すっかり日が昇り他の村人たちの世間話(内容は暗い)をする声が店内まで聞こえてくる頃、数時間前に朝食を終えた男は店内の整理と掃除をしていた。
 店内には雑貨屋らしく、武器や防具の他に売り物の木の実や豆や野菜、棚に収納された薬やミルクの瓶、他にも使えなさそうで使えそうな本や服やその他ガラクタがたくさんある。ちなみにどれも値段は高めである。この村ではお金を使う機会が全くと言っていいほどないので、値段が高くても誰も文句を言わない。むしろ、物の値段の基準が彼ら自身もいまいちわかっていなかったりする。
 片手にはたきを持ち、ぱたぱたと棚の上の埃を払う。望遠鏡や天球儀のような骨董品には特に埃がかぶりやすい。この村の夜は四方八方全てて星空に囲まれるため、以前はよくこういうものを使って星を見ながら時間を過ごしたものだったが、最近はめっきり使うことがなくなった。今の時期に夜に外で星なんて見ていたらそれこそ危険だろう。何が危険なのかはわからないが、とにかく危ないのだ。

 落とした埃を箒で一箇所に集め、まとめて回収して捨てる。
 店の中が先程よりもすっきりした。それを見て、自分自身の寝不足脳も少しすっきりした気がする。

 

 「暇になったな・・・・。」

 

 商品を元の定位置に置きなおして、男はため息をついた。
 やることがなくなってしまえば、あとやるべきことはいつもの店の番だけだった。しかし午前中は客がほとんど来ないため、ただじっと番をしていると夜の恐怖と憂鬱を思い出す。そのせいで、何かしていないと気が落ち着かない。せめて日中くらいは夜が来ることから気を紛らわせたいものである。

 

 「・・・・また墓参りに行くかね。」

 

 墓参り―――最近毎日、気晴らしに散歩に出る理由がこれだった。村の外れには墓地がある。その墓地に行って、そのついでに村を一周するつもりだった。むしろ、墓参りの方がついでなのかもしれない。自分の商人としての性なのか、真面目な性格のせいか、理由もなく村の外をぶらつくのはなんとなく落ち着かなかった。
 そうと決まれば、男は紙に外出のメモを書いてカウンターに置いた。

 

 店の外に出る。
 外では相変わらず、空の果てから風が吹き続けている。早朝から数時間経ったこともあって目も頭もすっかり冴えたが、不眠気味の体のだるさは未だに顕在だ。吹きつける風がこのだるさをなんとか吹き飛ばしてくれないだろうか、と考えてみるが全く意味もないことだった。
 男と同じように気分転換しているのだろう、他の村人も外に出てきていた。体調不良なのは男だけではなく、この村に住む者みんな同じなのだ。
 店の前の広場で上の空になっていた村人が、店から出てきた男に気付いた。

 

 「おや、こんにちはご主人。散歩かね?」

 「そんなところだよ。何か買うものがあれば後にしてくれ。」

 「わかったが・・・そこの階段下にいる、空を仰いでるヤツをなんとかしてくれないか?アイツ、昨夜もあそこに居座って過ごしてただろ・・・・。ヤツの顔を見たかい?表情はどこか恍惚としてるクセに、顔色は真っ青で痩せ衰えてるときた。今にハイランドの最初の犠牲者になるんじゃないかと心配だよオレは・・・・。別に、オレが神経質なだけかもしれないけど。」

 「・・・・アイツは変わり者な上に頑固者だからな、僕に止められるものならすでに止めてるさ。もしヤツが突っ立ったまま風邪引いたとしても、夜の『何か』に何かされてぶっ倒れたとしても、もう自業自得だろうよ。」

 「うーん・・・・やっぱそうかね。正直言ってオレも困ってんだよな・・・・夜に現れる『何か』に。やっぱ引っ越すべきなのかなあ?」

 「そこまでする必要はないだろ。だいたい僕らがどれだけ長く、この村に住んでると思ってるんだい。夜がおかしくなったのもつい最近の話だ、そうだろう?いずれ、また暮らしやすくなるさ。・・・・それに、逃げたら大変なことになるって、あんただって知ってるだろ?」

 「・・・・ま、それもそうだな。」

 

 少し世間話した後、男は村人と別れた。この村の中での、数少ない話し相手である。
 もともとこの村の住人の数は少ない方で、村と言うよりも集落と言った方が正しい気がする。他の村から誰か移り住んで来ないかと期待したこともあったが、家を建てるスペースがもはやないのでおそらく難しいだろう。大体、何故このような土地の面積もギリギリの住みづらい高所に自分たちが暮らしているのかもよくわからない。しかし辺鄙な山間で営まれる暮らしの理由なんて、おおかたこんなものだろう。先祖代々続くこの村での馴染みある営みを、今さら放棄する気にはなれないだけだ。土地がないこと以外は居心地のよい環境で景色も美しい場所なので、わざわざ村を捨てて引っ越そうとは思わない。

 

 「―――夜もいつかはきっと、以前のように怯える必要がなくなるだろ・・・・。」

 

 男を含め、誰もが自分の住む故郷の村から離れたくないのである。
 この考えは自分自身の意志なのか、それとも分類によるものなのかはわからない。
 彼が言う「以前の村」の記憶さえ、誰かによって作られた存在しないものかも知れないのに。

 

 

 

 男の経営する店の脇にある石段を下りていくと、村の最高点となっている断崖の裏側に出る。この村自体土地の高低もかなり激しく、最も低い場所と最も高い場所の差が非常に大きい。そのため村中に石段が作られており、村を歩く者は階段を何度も上り下りするため結構運動になるのだ。また吊り橋や歩きづらい細い道(片側には石壁、もう片側には奈落というスリル満点な状況)もあるがそれらにも慣れてしまい、ハイランドに住む者は皆バランス感覚に優れ、どんな高所だろうと平気になってしまっている。
 この男もその一人で、普通の人間なら足がすくむような手すりのない木橋も、難なく渡ってしまった。

 木橋を渡った先には、ひっそりと寂れた墓地があった。誰かの身内のものや先祖のものなど、多数の墓が並べられている。また、誰が立てたのかはわからないが誰も入っていない墓もある。
 墓なんてその中に誰かが入っていようがいまいが、生きて暮らす村人たちには特に関係ない。そこに立っていることに意味がある。例え誰も入っていなくても、自分の先祖が入っていると思い込んでいる人は、きっとその墓に手を組むのだろう。
 また、「夜を支配する力に抗った愚か者」が埋められた墓もある。この墓が何を意味しているのかはわからないが、「夜」という単語にこの村の人間は反応する。村人たちは、夜の力に抗う―――つまり、夜現れる「何か」から逃げ出したり戦ったりすると大変な目に遭う、という考えをこの墓一つによって植え付けられてしまっている。そのこともあり、このハイランドの村人―――「材料」としての分類から、逆らうことができないでいた。
 しかしそのことを、当の村人たちやこの男が知るわけもなく。


 墓地の一番奥には、特別大きな石碑が立てられた墓のようなものがある。墓地の中では特に目立つように、わざわざ石段を作ってできた場所に柵で囲まれるように立てられたもので、字が掠れて読めなくなっているほどに古いものだった。
 立てられた石碑は、6本の放射線を象り先端が短剣符のようになっていて、この世界の宗教的象徴を表す模様であることがわかる。
 男はこの石碑が、死者が埋められた墓ではなく神霊を祀っている祭壇のようなもののように思えていた。そう思い始めた後、気が向けばこの場所にやってきては何かに対し祈っていたのだった。祈ることで、救いのない毎日が少しでも救われるような気がするのだ。しょせんはただの気休めかもしれないが。

 

 「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

 今日も石碑の前に立ち、目を閉じる。今夜こそよく眠れますように、と、他人からすれば特に重要でもなさそうで彼にとってはかなり重要な問題の解決を静かに祈った。

 男の周囲に生き物の気配は無い。鳥の声はおろか、虫の音ひとつさえ聞こえなかった。ただあるのは、男の耳を掠める風の音のみである。
 軽く黙祷した後、男は目を開けて村の中心の方を振り向いた。
 高すぎるほどの絶壁の上に建つ家々に、それを囲む限りなく広い空。仰いでも、飛んでゆく渡り鳥の影なんて見えることはない。本来鳥が止まるべき木々は枯れ果てている。
 逃げ場というものは無い。自分たちに羽根はないから、飛んで何処かへ行くことも出来ない。
 自分たちはこれからも、この住みにくいようで住みやすいこの村で暮らすのだろう。この狭く小さい村で、一生を過ごして死んでゆく。そしてこの墓場に遺体が埋められるのだろう。
 ハイランドに生きる者の定めだ。それを変えることはない。変えることができない、彼らの運命だった。

 

 「・・・・別に、変えようとは思ってないさ。」

 

 男は、眠れないことを除けば、この暮らしに充分満足していた。恐ろしい夜の時間だって、いつか元に戻ると思っている。例えこれから自分が死ぬまでに元に戻らなくとも、「いつか元に戻る」という考えがあればいつまでも待っていられるのだ。終わりを知らないからこそ、いつか来るその終わりを信じていることができる。もしこの恐怖に「終わり」が無いことを知れば、男は定めから逃げるために行動していたかもしれない。

 

 「居場所さえあれば、それだけでもう満ち足りてるよ・・・・。」

 

 無意識に、男は独り言ちる。
 彼は常に、無意識に自分の存在できる居場所を探していた。彼だけではなく、この世界に住む者皆に共通して言えることでもある。それは本質的な住む場所としてでも、自分自身の存在意義としてでも、人間関係の中でも、すべての意味で居場所を探しているのだ。
 もし居場所が無くなってしまえば、自分自身も消えてしまう。その上では「分類」というものは便利だった。他人によって定められた分類から外れさえしなければ、自分がその場所に存在しているということは保障される。自分の仕事上の役目をつくり、友達をつくり、とわざわざ居場所を作ろうと躍起にならなくても、分類さえあればその場所に存在することができるのだから。

 

 

 男は目の前の村を見上げながら、石碑のある場所から下りて墓地を横切った。
 そして再び木橋を渡って村の中心部に戻り、自分の経営する雑貨屋がある道とは反対の方向へ足を向けた。
 石段をさらに下りてゆく。隣の石壁と真上にある民家によって陽が遮られ、丁度陰になっている。その薄暗い陰から再び陽の当たるところに出るまで歩いていくと、再び手すりのない木橋を渡ることになる。
 木橋を渡った先には、村外れの物見の塔があった。石造りの小さな塔だが、螺旋状の階段を上って頂からハイランドを見渡すと、村の最高点からの風景とはまた違った村の顔が見えるのだ。それは正に絶景と言える眺めである。
 村の住人は普段この塔にあまり見向きしない。しかしふとたまに訪れてみると、ありのままのこの村が美しく見えて、心がどこかほっと安らぎ、この村が平和であることを確認できるのだった。

 

 「・・・・ん?」

 

 しかし今回、男は塔を上らなかった。塔を上ろうとしたときに視界の隅に変わった影が見え、つい足を止める。

 

 「ありゃ、外からの人か・・・・?ずいぶん珍しいなぁ。」

 

 村の西にあるストーンサークルの前に、この村には今までに訪れたことのないほどの人数の人が集まっているのが見える。
 遠くから見てもわかる、村の中では見かけない風変わりな格好をした人間たちだった。一人の金髪の男とその男以外の集団が向き合うように話していて、何故か全員何者かと争ったように傷だらけになっているように見える。
 間違いないく、村の外から来た人間だろう。
 よりによってこんな時期に来るのもどうかと思うが、何か理由があるに違いない。
 もちろん彼らのその容姿も気になるし、村の中が一気に賑やかになるだろうことも嬉しかった。しかし男は、そんなことよりももっと別のことを考えていた。

 

 「・・・・久々に商売に精を出せそうだな!」

 

 散歩の途中だったが、男はすぐさま道を引き返した。そして全力疾走で村の中央部に戻り、自宅へと帰ってゆく。
 これから雑貨屋の店番をするつもりである。
 あれだけ暗かった気分も、今は少し明るくなった気がした。

 

 

 

 

 

 

 お昼時に店の扉を開けたのは、いつもの村人ではなかった。
 ごめんください、という声と共に現れたのは、先ほど男が物見の塔から見た、外からやってきた人間だった。

 

 「お客か。いらっしゃい。」

 

 そう言ってお客である彼らをよく見てみる。どこか地味な風貌の緑の瞳の少年と、その彼とは対照的な派手な桃色のエプロンドレスを着た可愛らしい少女だった。どうやらあの外から来た人間たちの集団のうちの2人らしい。体中にあった傷はいつの間にか治っていた。一瞬不思議に思えたが、そういえば回復の魔法があることを思い出した。こんな戦いとは縁のない村では魔法など使う機会が全くないため、存在自体忘れてしまっていたのだった。
 この村には子供と言えるほど元気で若い者がいないので、男はつい珍しいものを見るようにまじまじと眺めてしまう。そして「若いっていいなあ・・・・」などとしみじみと感じた。
 そんな男の視線に彼らは気づくことなく、店内に飾られたものや商品を見て回っている。

 

 「ねールカさーん、あたしの仕事道具かカワイイ服買ってくれませんかぁ?もーボロボロで使いづらくて・・・・いい加減新しいのが欲しいんですけどー。」

 「え、別にいいけど・・・・。砂漠や墓穴でお金は結構貯まってるし。何がいいの?」

 

 少年の名前はルカというらしい。少女の笑顔に圧倒されるように、苦笑して答えた。一見すると彼は、どうも女の子によく振り回されるタイプに見える。その地味な顔立ちと控えめな笑みから見て、あながち間違いでもないだろう。
 ルカの言葉に少女は嬉しそうに笑って(どこか腹黒さが垣間見えないこともない)、店をぐるりと見回した後、カウンター内に立つ男の方に駆け寄ってきた。

 

 「すみませーん!売り物の一覧見せてくださーいっ!」

 

 この村の人間と比べ、なんと明るい表情と雰囲気であることか。村の外の人間はみんなこんなに元気なのだろうか。
 彼らがいるだけで、いつもの夜に怯えて暮らす気だるい日常が変わってゆく気がする。
 しかし、外の世界の彼らが来たことで何かが変わるはずがない。現実はそんなに甘くないのだ、期待するだけ無駄だろう。今夜も不眠と夜に現れる恐怖に悩まされることは変わらない。それを想像して、憂鬱になった。
 目の前の少女にメニューを渡す。

 

 「どうぞ。・・・・昼はせいぜい、商売に精だして気をまぎらすとするさ。」

 「・・・・?昼はって、夜になにかあるんですか・・・・?」

 

 自嘲的に言った言葉に、店内をうろついていた少年ルカが意外にも反応して尋ねてきた。
 慌てて口をつぐむ。せっかくこの村に来てくれた客人だというのに、嫌な気持ちにさせてしまうわけにはいかない。

 

 「い、いや、何でもないよ。ただ・・・・」

 「あーっ、このマイクステキね!あのーこの『愛のマイク』、リンダに売ってくれない?」

 「ああいいけど・・・・・・・・・・・・ってハイ!?」

 

 言いかけたときに唐突に少女―――リンダに注文されたのは、この店のガラクタ商品となっていたマイクだった。歌を歌うためのアイテムだが、どうも使う機会が無く使う者もいないため店の奥に封印されているものである。
 そういえば、目の前の彼女も何故か傷だらけになったマイクを手にしている。

 

 「え、え、何に使うんでしょそんなガラクタ・・・・?」

 「えーガラクタなの?ならやめようかなー。」

 「いやいや、アイテムとしてはかなり質のいい物だけどね。でも使い道なんてあるんですかね?」

 

 メニューを見て首を捻らせる彼女に、男は慌てて否定した。
 棚の奥底に放置しておくにはもったいないアイテムを買ってくれるのならば、是非買ってほしいところだった。旅人に買ってもらってこの場所ではないどこかで使用してもらえるのならば、マイクにとっても本望だろう。
 とりあえず使い道を訊くと、リンダは怒ったようにマイクをかまえた。

 

 「あたしアイドルだもの、歌を歌うために使うに決まってるでしょ。なんなら聞いてみる?あたしの歌♪」

 「あ・ん・た・は・や・め・な・さ・い!!って言ってるでしょーがっ!」

 

 歌いだそうとするリンダに、店の出入り口の扉から突然、にょきっと顔を覗かせた女性が止めた。
 いつのまに、という目でルカが後ずさっているのが見える。
 女性は扉を勢いよく開き、その手の日傘を閉じることを忘れたまま店内にドカドカと進入してきた。そしてリンダに詰め寄るが、当の彼女はニコニコしたまま動じていない。見た目によらず、案外肝が据わっているようだ。
 それにしても今日は珍しい日だ。こんなにたくさんお客がやってくるとは。

 

 「あんたねぇ・・・・マドリルの次はハイランドの村人まで洗脳するつもり!?あんたが歌うのは戦闘中だけでいいのっ。村の中で歌うの禁止!」

 「えーでも、聞いている人が勝手にリンダに惚れちゃうだけじゃなーい。あたしに罪はありませんよぉ。」

 

 彼女らは何か凄い・・・・というかおっかないことを言っているが、男にはさっぱり意味がわからなかった。
 ちなみにルカは会話に加わらず、傍で2人の会話を眺めている。

 

 「あるわよある。大ありよ。」

 「あーあたしの綺麗な歌声と魔の魅力は確かに罪ですねぇー。」

 「そっちじゃなーいっ!!」

 「ふむ。お前のその悪に対する心掛けは余が褒めてつかわそう。」

 「きゃー、褒められちゃった!嬉しー♪」

 「余計なこと言うなスットコドッコイ魔王っ!あーもう、リンダも喜ぶんじゃないわよ!」

 

 はたから見れば、もはやただのコントにしか見えない。女性が必死にツッコミを入れているのが逆に微笑ましく見える。
 しかし、途中で第三者の声が混じった気がするが気のせいだろうか。辺りを見回してみてもそれらしき人物は見当たらないのだが。
 男が考えている間に、女性がリンダの腕を掴みずるずると店の外に引っ張って行く。

 

 「ほら、リンダ行くわよ。あんたが村の中をうろついてると、何をしでかすかわかったもんじゃないもの!宿屋にいなさい宿屋に!」

 「えー。」

 「あの、ちょっと・・・・」

 

 ルカが慌てて2人を呼び止めるが、その直後に店の扉はバタンと閉められてしまった。
 リンダはあの女性に強制連行されてしまったようである。そしてルカはすっかり忘れ去られてしまっている。彼は地味なうえに、影も薄いようだ。ぽつんとルカは取り残されてしまった。
 きっといつものことなのだろう、ルカは特に気にした様子も無く男を見て言った。

 

 「あ・・・・すみません。その『愛のマイク』とそれから『続・オバケの生態』の本、売ってください。」

 「・・・・お客さんも大変だね。98,000スーケルと130,000スーケルだけど、いいですかい?」

 

 その言葉にルカは冷や汗をかきながらお金を払い、代わりにマイクと本を重そうに抱えて店を出て行った。
 何に使うのかはやっぱりさっぱりわからなかった。

 

 先ほどとは打って変わって、熱が引いたかのように店内が静かになる。
 今日はずいぶんと騒がしい客が来たと思う。まるで嵐のようにやってきては去ってしまった。
 しかし男は、このような台風のような日常の変化を待っていたのだ。いつもと同じ毎日ではなく、騒がしくも楽しいと思える時間を密かに待っていた。それに外から来た彼らが何か出来るとは思えないが、外の世界から彼らが来たということは、まだこの村が少しでも変われることを示している気がする。
 彼らが村を去ったとき、台風が通り過ぎた後のように生活の中の何かが変わってくれればよいのだが。やはりこれは期待しすぎだろうか。
 彼らがこの世界を救う勇者ではないことぐらい、わかっているというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 陽は傾き、空は夕暮れとなる。

 

 血のように真っ赤な夕日が村を包み込み、それはとても美しい。

 

 爽やかな朝の風とは違い、夕方の風はどこか寂しさを感じさせた。

 

 夕焼けはやがて、夜の闇を呼ぶ呼び水となる。

 

 空に一番星が浮かんだ。













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