娘はルカに話をせがんだ。彼女の知らない世界について聞かせてほしい、異国のお話を教えてほしいと懇願した。
 しかしながらその日は知らせもなくルカの方から訪ねてしまったこともあり、娘のほうも客を迎える準備ができていなかったため、長居はせず早々に立ち去ることになった。日を改めてぜひまた来てほしい、ということだった。
 あとで長老に会ったときに彼女・・・・長老の孫娘の具合を尋ねてみると、どうやら久しぶりに人と話せたことが嬉しくて興奮してしまったらしく、そのために身体にはげしい負担がかかってしまったらしい。ルカと話した翌日には母親と病院に行って、点滴を打ってこなければならなくなってしまったそうだ。
 それでも、彼女はとても喜んでいたと聞いて、ルカは嬉しかった。きっと彼女はもっとたくさん話をしたいと思っているのだろう。なのでスタンとのニセ魔王退治の旅がいろいろとひと段落して村に帰還した後、今度はあらかじめ連絡をしたのち、もう一度訪問することにした。そのように手紙を書いて、送った。
 そして今度こそ、ボトルメールの送り手である彼女とゆっくり話す時間をつくることにしたのである。


 次にルカが長老の家、その2階の部屋を訪れたときには、娘は起き上がっていて、ベッドに腰かけていた。
 彼女が着ている服は寝巻ではなく、誰かに会うためにキチンとおめかしをしたような、シンプルだが可愛らしいブラウス姿だった。その上から上掛けを羽織っている。以前会った時より元気そうに見えるが、やはり体は寒いのかもしれない。

 

「あの、こんにちは。」

「わ・・・・本当に、またいらしてくださったんですね。うれしい・・・・!」

 

孫娘は本当に心から喜んでいる様子で、両手で胸を押さえてこぼれんばかりの笑顔を浮かべた。

 

「ずっと、お待ちしていました。待ちきれなくって・・・・ふふふ。」

「起き上がっていて大丈夫なの?」

「はい、おかげさまで。最近はずっと、調子がいいんです。きっと、あなたがお手紙を送ってくださったからですね。」

 

彼女は笑ってそう言い、立ち上がって階下にいるらしい母親を扉を開けて呼んだ。以前は彼女の母親がちょうど買い物に出かけていて、おもてなしができないと残念そうに口にしていた。しかし今日はちゃんと家にいるように頼んでいたらしい。
 娘のはずんだ呼び声に、すぐに母親がお茶の入ったポットとたくさんのお菓子をお盆に載せて持ってきた。その母親の女性は、ルカにとってはすでに馴染みの顔である。長老の家では彼の娘である彼女がいろいろな家事や客のおもてなしを担当していて、忙しい村祭りのときでもよく活躍している人なのだ。料理上手な自分の母親とも仲が良い。

 

「あらあら、ルカ君。今日は本当に、ありがとうね。この子、あのときはルカ君が手紙を拾った人だって知って、すごく喜んでいたのよ。だって、いつでも遊びに来れるじゃない?」

「そうですね・・・・。」

「・・・・この子とよろしくね、ルカ君。この子、病気がちで全然外に出られないから、友達もつくれないの。学校に行くことも、町へ出かけることもできないのよね。疲れるとすぐ、熱が出ちゃうものだから。・・・・ルカ君はこないだまでずっと、旅に出ていたのだものね。いろいろ旅のお話を聞かせてもらったら?」

「うん!」

 

 娘はうれしそうに頷いた。
 母親はお茶のセットを机に置き、ルカが座るための腰かけ椅子をベッドのそばに置いてから、気を利かせて部屋を出ていった。
 彼女はルカに椅子に座るようにすすめ、首をかしげながらルカの頭を見て、微笑んだ。

 

「えへへ。・・・・その帽子。使ってくださっているんですね。」

「あ・・・・うん。あたたかいしすごく使いやすくて、気に入ってるよ。あのときはありがとう。」

 

ルカは照れながら、頭にかぶった手編みの帽子をなでた。彼女が一生懸命編んだということがよくわかるその帽子はしっかりとした作りで、長い旅の最中でも綻びが生じることもなく丈夫だった。それどころか、これをかぶっている日はオバケと戦っていても、相手の攻撃を防ぎ損ねたりするような失敗が起きにくく、ときにはラッキーな一撃を与えることもできた。・・・・・・・・・・・・ような気がする。
 孫娘は嬉しそうににっこりと笑った。そしてふと思い立ったように、ベッド沿いの大きな窓を開けた。ふわりと懐かしいにおいがする風が入り、降り注ぐ午後の穏やかな陽ざしが彼女とルカをあたためた。
 それで、と彼女は振り向いて、ルカに期待に満ちた明るい瞳を向けた。陽に照らされた彼女の頬は、以前に比べて生気が満ち、健康的に少し肉づいたように見える。

 

「あなたの旅の思い出を聞かせていただけますか、ルカさん。村の外の世界には、どんな風景が広がっているのですか。どんな方が暮らしているのですか?あなたの旅に、おもしろい人との出会いは・・・・たのしい冒険は、ありましたか?」

「えーっと、うん。いろいろあったよ。そうだなぁ、まず・・・・」

 

 

 

「・・・・・・・・クックックック。それを物語る前に、まず余のことを知ってもらう必要があるのではないのか、子分?」

 

 和んだ空気の中に、突如邪悪な低い声が混じった。そしてひょいっという気の抜けた音とともに、スタンが影から姿を現した。
 突然彼の足元から現れた謎の黒い影に、娘は驚いて声を上げた。

 

「きゃっ!?」

「うわ・・・・ってスタン!今出てこなくていいじゃん!」

「うるさい!ええいさっきからなんなのだキサマらは、えらくほのぼのとしおって!聞いててハラが立つわ!余がさわやかにぶち壊していいよな?」

「いや、別に呼んでないし!・・・・・・・・お願いだからどっか行って。しっしっ。」

「ああん?なんなのだキサマ、主人に向かってそのしつけのなってない子どもを扱う仕事で忙しい母親みたいな態度は!だいたい、余はキサマの影なのだぞ!」

「いやいやいやいや、もう一人で歩けるでしょ。ほら、そこらへんで散歩でもしてきてよ。この子にも迷惑だって。」

「いやだぞ。余は今タイクツだからな。」

 

目の前でへんてこな言い合いを始めるルカとスタンの様子を、娘はぽかんと呆気に取られて眺めていた。おそらく彼女には初めての、未知の生物との遭遇なのだろう。彼女は口を開けたまま、じっとスタンのにょろにょろとよく動くふしぎな影の姿を見つめた。

 

「あの、この子は一体なんなのでしょう?かわいいですね。」

「『子』っ!?『かわいい』だと!?
 ・・・・・・・・・・・・おーい目が節穴でできた小娘、余を小動物かマスコットかなにかと間違えるな。聞いて驚け、余は世界征服を絶賛計画中の大魔王スタン様だ。いいか、こいつ、ルカのご主人サマなのだ。そしてこいつは偉大なる魔王の忠実な子分なのだ!・・・・どうだ、少しはビビるがいい!」

「ええっ・・・・すごい!魔王なんですか?本当に?」

 

 魔王と聞いて、なぜか娘は目を輝かせた。思ってもみなかった反応にスタンは拍子抜けしたらしく、「おろっ?」と目を丸くした。
 スタンが民衆や魔族に対し自己紹介をした場合、大抵は相手に笑われたり呆れたりと信じてもらえず、悔し涙を流す日もあったものの、次第に彼自身そんな扱いにも慣れ始めてしまっていたようだった。魔王だと信じてもらえないことがあまりにも一般的な反応になってしまい、信じてもらえることがかえって信じられなくなってしまったらしい。
 素直に魔王として認めてもらえたのはいいとして、期待していた恐怖の反応ではなく憧れのまなざしを向けられるというのは、彼にとってどう返せばよいのかわからない展開だったらしく、スタンはしどろもどろになった。これが自分より下の下級魔族から向けられていたならば、彼はさぞ喜んだことだろう。しかし相手は人間の女の子である。

 

「えー、まあ、そうだ。余は魔王だ、うむ。」

「わあ、本当にいたんだ!・・・・昔勇者によって倒された魔王の伝説は、小さい頃からおじいちゃんから何度もうかがっていて、わたし、いつかお会いしてみたいと思っていたんです。すてき・・・・。世界って、本当に広いんですね。・・・・・・・・あの、ぶしつけなお願いなのですが・・・・わたしと握手をしていただけますか?」

「あ?あー、うむ。もちろんだ。」

 

スタンのぺらぺらな手と彼女の手が握手をしている間に、ルカは考えた。あの長老にしてこの孫娘。

 

「本だって、何度も読み返したんです。世界の半分を滅ぼした魔王ゴーマと勇者ホプキンスが戦って、世界に平和をもたらしたお話。おじいちゃんがわたしにこの国の歴史や世界のあらゆる物語を教えてくれるものですから、わたしも昔話を読むのが好きになってしまって。」

「・・・・えっと、その。いちおう・・・・・・・・このスタンが、その魔王ゴーマの生まれ変わりなんだけど・・・・。」

「えっ!?そうなんですか?まあ、そんな・・・・本当ですか?なんてことでしょう、お会いできて光栄です!ああ、今日は驚くことばっかりです。・・・・・・・・あの、またぶしつけなお願いになるのですが・・・・この本にサインを書いていただけませんか?魔王ゴーマの生まれ変わりの方にお会いできるなんて、こんなめったなことはありませんもの・・・・。ペンならここにあります。」

「あ?あー、うむ。もちろんだ。」

 

スタンがぺらぺらな手で彼女の本に“魔王スタン参上”というサインを書いている間に、ルカは考えた。おそらくあの長老は、伝説の恐怖の大魔王に対し、このような羨望の眼差しを向けさせたくて彼女に語ったわけではないのだと思う。

 

「・・・・ふむ、小娘。お前は余のすごさを、よくよくわかっておるようだな。・・・・・・・・むう。なんだか悪くない気分だぞ。」

「・・・・よかったねー。」

「ふふふ、でも、驚きました。魔王って、もっと残忍でとっても恐ろしいものだと思っていましたが・・・・思ったより、おやさしい方なんですね。おじいちゃんが言っていたこととまるきり違います。やっぱり、いろいろなことって実際に出会ってみないと、わからないものなんですね。」

「・・・・・・・・おいコラ。前言撤回だ。キサマっ、余はどう見ても残忍で恐ろしい魔王だろうが!やっぱりこの節穴女が!やさしいとか言われても嬉しくもなんともないわ!魔王を褒めるときはもっと言葉を選べ、気の利いた怖がり方をしろ!」

「・・・・ふ、ふふふ、あはははっ!・・・・ああ、おかしい。スタンさんはおもしろいですね。こんなに笑ったのはひさしぶりです。このように怒られるのもわたし、うれしいです。今まで生きてきた中で、今日が一番楽しいかも。・・・・ありがとう、おふたりとも。」

「あーもう、調子狂うわ!そんな喜ばれたら、余はなにをどーすればいいかわからんだろーが!くそっ、調子に乗りおって。ったく・・・・。」

 

 スタンはいつもの悪口が通じない相手に、すっかり困り果ててしまったらしい。渋い顔で、楽しそうに笑う娘を眺めるしかできなかった。
 孫娘は微笑みながら、眩しそうに目を細めて2人の姿を見つめた。

 

「・・・・それにしても、このようなおとぎ話のようにすてきな出会いって、本当にあるのですね。おじいちゃんに言われて手紙のビンを流したときは、本当に誰かが拾ってくれるのか、半信半疑だったんです。できたら楽しい人に届くといいなって、思っていたけれど・・・・・・・・本当にそんな人に届いてくれるなんて。ルカさんも、スタンさんも、とっても楽しい方ですもの。」

「そ、そう思う?」

「はい。・・・・きっとわたしの知らない広い世界には、おふたりのような楽しい人がたくさん、いるのでしょうね。わたしが会ったことのない、たくさんのすてきな人が・・・・。」

「けっ、だーれが「ステキなひと」だ。余はキサマが勝手に想像しとるような、背中に翼が生えとるよーなキラキラしたアホではないわ。」

 

 不機嫌な顔をしたスタンはそっけなく呟いた。・・・・そう言うわりにはその声色はまんざらでもなさそうだが。
 スタンの呟きにもあまり気に留めた様子もなく、少女はくすくすと笑った。そしてその希望に満ちた明るい瞳で、おもむろに開かれた窓の外に目を向けた。
 外は今日はよく晴れている。窓の外には、涼やかなそよ風に葉っぱが揺れる眩しい緑の森が見える。太陽のやさしい光が室内に裾を広げるようにして入り込み、森からやってきた小鳥たちが窓のそばの枝の上でさえずっていて、穏やかな日和である。こんな日は楽しいお出かけ日和だ。この部屋の窓は商店が並ぶ道とは反対側に面しているが、騒がしい村人たちが路上で世間話をするにぎやかな声が、ときおり風にのってそっと響いてくる。
 ・・・・彼女が今日、外に出られたなら、よかったのにな。ルカはそう思う。しかし彼女は、こんな天気を見ても何も言わない。おもてなしのお菓子を乗せた盆には、紅茶のカップの隣に薬湯が置かれている。
 それでも彼女は、自分が病気であるという事実を一切気にしていないかのように、心を躍らせたリズムで夢を語る。

 

「・・・・わたし、もっと広い世界について、知りたいんです。たしかに、生まれたときから身体はちょっと弱いけど・・・・それでも、いろいろなところに行ってみたい。たくさん歩きたい・・・・いろいろな人と出会いたい。ルカさんやスタンさんと今日、お会いできたように。この世界は、どこまで広がっているんでしょうね。わたしたちは、どこまで歩いて行けるのか・・・・それがとても、気になるんです。」

「・・・・・・・・そうだね。ボクも、気になる。」

 

 ルカは頷いた。彼女は、何も知らない。そして自分も何も知らない。だけど、お互い、これからいろいろ知ることができるならいい。
 せめて自分がこれまで見てきたもの、出会ってきた者を、彼女にも教えてあげたいと思った。
 ・・・・「あの世界」は本当はとても狭かったけど、それでもたくさんの風景が存在した。
 そしてそれらの風景はとても美しかった。たとえ閉ざされた世界だったとしても、この世界はとても広いのだと心から思えたのだ。

 

「・・・・あのさ。ええと・・・・ルーミルの平原は知ってる?湖のそばのリシェロの港町は?」

「いえ・・・・人がたくさん住んでいるというマドリルの町にも、わたしは行ったことはありませんから。」

「あのね、マドリルはすごく賑やかで、なんだかヘンな人もたくさんいるんだ。街なのに1階と2階があって、階層によって全然景色が違うんだよ。歯車があちこちで回っていて、ほんの少し下水臭くて騒がしいんだけど、おもしろい店もたくさんあって。オバケが働いてる会社があったり、歯車がやたら好きな人が集まってたりとかして。でも、リシェロはマドリルとは違って静かだよ。湖の上に家が建ってて、桟橋の下を覗くと、魚が泳いでいるのが見えるんだ。新鮮な魚や果物を売ってる市場もあるし、おいしい魚の料理が食べられるし、小さな船の上でのんびりもできる。遺跡や灯台もあるんだよ。あと、ルーミル平原はすごく広いよ。サーカスのテント村とか、フシギなかたちをした岬があって、遠くから見るとおもしろいんだ。」

「すてき・・・・。」

「・・・・それで、平原にあるトンネルの向こうには、雪国があるんだ。ボクもあんなにたくさんの雪なんて、びっくりしたけど・・・・一面真っ白で、すごく寒いけど、とてもきれいなんだよ。その先には大きな門があって、マドリルにも負けないくらい大きな町がある。公園とか、映画館とか、レストランとか、いろいろな店があって・・・・きっと、これからもっとにぎやかになるんだと思う。その町を越えたら、砂漠が広がってるんだ。砂漠もボクは初めて見たけど、暑くて大変だったよ。体中砂まみれになっちゃうし、オバケは強いし・・・・」

「すごい。大変だったんですね・・・・。でも・・・・雪景色や砂漠があるなんて、わたし、見てみたいです。」

「うん・・・・で、砂漠の向こうには、ぽつんとひとつ、大きな塔があるんだ。いつからあるのかわからないけど、その塔から、とっても高いところにある村に着くんだ。見晴らしが良くてキレイなんだけど、ちょっと怖かった。それで・・・・その先には・・・・」

 

そこでルカは口をつぐんだ。そして、ちょっと笑った。

 

「・・・・その先には、大きな図書館があったよ。」

「図書館・・・・ですか?」

「うん。本当に広くて、本がものすごくたくさんあって、まるで迷路みたいな図書館。」

「・・・・すてきですね。ぜひわたしもその図書館に行って、そこに収められた本を読んでみたいです。きっと、いろいろな物語がそこにはあって、おもしろい場所なんでしょうね。」

「・・・・・・・・・・・・うん。おもしろかったよ。」

 

 ふとスタンを見ると、彼は何も言わずにどこか呆れたような表情でそっぽを向いていた。
 しかし自分がおもしろかった、と思ったのは本当のことだ。ニセ魔王退治の旅はもちろんのこと、あの図書館で起きた出来事も、そこまでの道のりも、ルカにとっては今や心に残る思い出となった。
 あの小さくも長かった旅のささやかな終わり、“とんでもない物語”の密かな結末を、ずっと忘れたりはしない。・・・・きっと、これから先も。
 今このように彼女に対して語っているように、何年かした後も、自分が大人になってしまってからも、あの旅の思い出をふいに懐かしく思い出すのかもしれない。
 あの物語の長い歴史を刻み続けた図書館は、もうなくなってしまったけど。

 

「・・・・でも、ボクが見たものがこの世界の全てではないんだと思う。きっとあれは、ほんの一部なんだ。ボクが見た風景の向こうに、見知らぬ土地、新しい風景があって、きっとあんな簡単に歩いて回れるほどに、狭いところじゃない。ここではない別の町、他の国が、ボクたちが住んでいる国の外にはあるんだと思う。・・・・・・・・この世界は、ボクが考えているよりずっと広いんだって、ボクは思うんだ。最近になってやっと、そのことに気づいたよ。知っているつもりになってたけど・・・・結局ボクは、なにも見えていなかったから。」

「・・・・そうですね。きっと、あらゆる場所へ自由に歩けるようになったのだとしても・・・・全部を見ることはできないのだと思います。だから、ほんの少しでも、触れることができたらいい。大きなもの、たくさんの物語は望みませんから、手を伸ばせるうちのものだけでもいいから、わたしは・・・・」

 

 夢見る少女は、どこか切なげな遠い目をした。
 しかしすぐに、思い出したようにルカの方を見た。

 

「・・・・そうだ。ルカさん、「世界暗号協会」をご存知ですよね?」

「へっ?」

「わたしのおじいちゃんが嬉しそうに言っていましたよ、ルカさんは暗号を解くのに見込みがある人なんだって。・・・・ああ、わたしも世界暗号協会に入会しているんです。わたしはまだ、実際に暗号を見つけにいくことはできてはいないのですが・・・・」

 

そういえば、と彼女の祖父である村の長老が、この世の闇に紛れて密かに活動している(らしい)秘密結社・世界暗号協会のドンであったことをルカはあらためて思い出す。
 暗号を解くのに見込みがある・・・・って、実際は長老が勝手に暗号を押しつけてきただけなのだが。そして暗号を解いたら半ば強制的に入会することになった。その上一度入ったら抜けられないなんていう冗談までくっついてきた。しかし、旅行く先々で手に入れた暗号を自分もまた律儀に解き続けてきてしまったがために、自分はすっかり「正しき者」扱いになってしまったのである。その「正しき者」の言葉の意味も、果たしてさっぱりわからないわけだが。
  正しき者には援助を。「暗号を通じ世界の秘密を探」ってきたどんぶらこの流れの果てに辿り着いたのは、この村の教会だった。教会が協会だったというシャレくさい真実をつきとめたルカは、彼女の祖父から謎の援助を受けることができた。非常に早く走れる靴(まるで足にローラーがついたかのような)は実際のところかなり実用的で、オバケとの戦闘においてはかなり役に立った代物だ。あのような質の良い品物を援助として与えてくれるのだから、世界暗号協会というおおげさな名前も案外伊達ではないのかもしれない。

 

「ルカさんは、旅をなさる中で暗号をどれくらい解くことができたのですか。きっと、世界のあちこちに散らばったあらゆる謎を、あなたは解かれたのでしょうね。その先になにか、この世界の謎の答えは見つかりましたか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えーと。うん。たぶん。見つかった、んだと思う・・・・。」

「わあ、そうですか。すごいです。ルカさんは頭がいいんですね。世界を巡りに巡ることができたら、今までわからなかったいろいろなことが、少しはわかるのかしら。おじいちゃんが研究している世界のヒミツについて、なにかわかるのかしら。・・・・あーあ、わたしも謎解きの旅がしたいなあ。」

 

娘は無邪気に肩をすくめてみせた。しかし世界暗号協会が暗号を通して隠しているヒミツとは、夢見がちな彼女が想像しているような「答え」ではたぶんない(ルカも実際に期待を裏切られた気分になった)。

 ・・・・この世界の謎の答え、という言葉がふさわしいのは、もう少し別のことに対してだったと、ルカは思う。
 世界暗号協会は、この世界の秘密を暗号を通して探るという名目で暗号をつくって遊んでいるというが、実際にこの世界には秘密があった。それもとんでもなく大ごとだった秘密が。―――隠された謎、解き明かされた回答。誰かによってうまく作られた暗号のような伏線が、「あの世界」のいたるところに散りばめられていたことは確かな事実だった。・・・・・・・・伏線という伏線、謎という謎をめぐりめぐって、やがて世界のひとつの真実に辿り着いた自分たちは、本当に世界暗号協会会員と言えるのかもしれない。
 でもそんな「真実」も、今では必要のないものだ。かつてあんなおかしな真実がこの世界にあったなんて、もはや誰もが知っている必要もないこと。もし次に自分たちが再び暗号に挑んでみるとするならば、見知らぬ世界が内包する新たな謎のほうだと思う。
 いつかこの女の子が旅立って追いかけるものは、きっと、新しい世界の新しい暗号なのだろう。

 

 

 

「こほっ・・・・こほっ!」

 

ふいに孫娘が、苦しげに咳きこんだ。ルカは慌てて彼女の背中をさする。

 

「だ、大丈夫?」

「・・・・・・・・ああ、はい。・・・・ごめんなさい。また少し、セキが出てくるようになってきたみたいです。今日は少し、興奮しすぎてしまったみたい。」

「本当にキサマはよわっちいのだな。そんなにヨワヨワでは、余も張り合いがないではないか。つまらん娘だ。おい子分、今日はもう帰ってやれ。」

 

 スタンが珍しく人に気を遣ったセリフを言い、ルカは若干感心しつつ、彼の言葉に頷いた。
 彼の言葉に、孫娘は咳をしながらも、申し訳なさそうに微笑んだ。先ほどより少し体調が悪そうに見える。確かに彼女はいったん休んだほうがよさそうだ。彼女の方も、咳をしている自分に付き合わせて心配をかけるのは悪いと思っているのだろう。彼女は名残惜しそうな様子で遠慮がちに謝った。

 

「ありがとう、おふたりとも。・・・・本当にごめんなさい。できればもう少し、もっと、あなたの旅のお話をお聞きしたいのですが・・・・」

 

孫娘はふと不安そうに、お暇しようと立ち上がったルカとスタンを見上げる。

 

「ルカさん、スタンさん。また、いらしてくださいますか?遊びにきてくださいますか。・・・・あの、わたしたち、「友達」ですか?」

「ふん。んなこと、余の知ったことか。どう名づけようが余はどうでもよい。好きにしろ。」

「・・・・・・・・だって。・・・・だから、ボクたちは「友達」だと思うよ。きっと。」

 

ルカとスタン、2人の言葉を聞いた孫娘は、とても幸せそうに笑った。

 

「あの、今度来るときは、ボクの友達も連れてくるよ。ボクよりもおもしろい人、けっこうたくさんいるから。」

「本当ですか?うれしい、すごく楽しみです!
 でも・・・・ルカさん。わたしはあなたも、おもしろい人だと思います。・・・・・・・・こんなこと言ったら、失礼でしょうか。」

「え?ううん、その・・・・ありがとう。うれしいよ。」

「ああ、よかった。
 ・・・・・・・・そうだ。あの・・・・これ、わたしが作った暗号文です。おじいちゃんに比べたら、腕は未熟ですけど・・・・よかったら、あとで解いていただけますか。一生懸命考えて作りました。きっとルカさんなら、解けると思いますから。」

 

 孫娘がルカに手紙を渡す。世界各地で待っていた世界暗号協会の会員たちと同じ仕草で。
 その手紙は、前に拾ったビンに入っていた手紙と同じ手触りの紙だった。あのときはビンを通じて彼女のメッセージを受け取ったが、今度は彼女の手から直接渡される。

 

「さようなら。ごきげんよう。きっと、また、お会いしましょうね。わたし、もっと元気になります。もっとたくさん、おふたりとお話できるように。・・・・そしていつか、わたしもお外へ遊びに行けるように。」

「うん。きっと行けるよ。」

 

 ルカはしっかりと頷いた。
 だって、もう、彼女は元気になり始めている。今はまだ、「療養中」だけど。
 それでも「病気療養中の可憐な娘」の分類が、もはや彼女の中から消え始めているのだということを、ルカは最初から知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は孫娘と遊んでくれたのか?ありがとうな、ルカよ。」

 

帰り際、村の長老が書斎から顔を出し、ルカを呼びとめた。ちょうどよく現れた彼に、ルカは先ほどから気になっていた疑問を口にする。

 

「・・・・・・・・あの、長老。」

「ん?なにかね。」

「・・・・・・・・いえ、あの。もしかしたらって思ったんですけど・・・・。あなたが世界暗号協会をつくった理由って・・・・」

 

 世界をまたぐ協会の活動は、暗号好きによるちょっとしたネットワークになっているようだった。そして彼女も長老と同じように、暗号が好きだという様子だった。それらが示している意味とは・・・・。
 もしかしたら、長老はただふざけてこの秘密結社を設立したのではないのかもしれない。もっと真面目な理由、真剣な願いが込められているのではないか。
 言い淀んだルカの言葉の先を察したらしい長老は、普段の歳不相応にはしゃいでいる顔を見せず、珍しく歳相応に穏やかに微笑んでみせた。

 

「ふぉふぉふぉ。おまえの考えている通りじゃ。なぜわしが世界暗号協会を設立し、全国的に活動規模を広げていったのか。そのそもそもの発端は、わしのかわいそうな孫娘に、暗号を解くという繋がりを通して、広い「世界」を見せてやりたいがため・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・な〜んて言えたら、確かにカッコいいかものう。」

「あ、違うんですか。ちょっと期待しちゃった。」

「暗号はわしが好きだからやっとる。世界に支部をつくるのも、わしの野望だからじゃ。」

「ほう、余と同業者か。キサマも世界征服をたくらんでいるのだな?そーいう邪悪な考えはキライじゃないぞ。しかしこの世界はすでに余のものになる予定になっとるのだ。悪いな。」

「違うってば。」

 

自分の影にひっこんでいたスタンが、腑に落ちた顔で出てきては即座に主張したのを、ルカは即座に否定した。

 

「しかし、それとは別にあの子に世界を見せてあげたいって気持ちがあることは、もちろん嘘ではないぞ。さすがはわしの孫、・・・・いやそもそもわしが教えたのじゃが、あの子も暗号が好きじゃからな。いつかあの子にも自分の足で歩いて、わしが世界中に派遣した世界暗号協会会員のもとへ行き、自分の力で暗号を解いてほしい。そしていつかこの村の「教会」に戻り・・・・この世界の大いなるナゾを解き明かしてほしい、と願っとるよ。」

「・・・・・・・・・・・・大いなるナゾって。それって・・・・・・・・・・・・えーと、実は自分の祖父が世界暗号協会の会長だっていう?」

「ふふふん、それはそれはビックリするじゃろうなあ。」

 

長老は自信満々の満面の笑みで胸を張った。確かにルカもびっくりはした。教会に隠されていた大いなるナゾが、実はこんなどうでもい・・・・・・・・・・・・拍子抜けするような真相であったということに。しかしその本音を口にしないだけの優しさがルカにも、一応スタンにもあった。スタンは「孫が孫ならジジイもジジイでアタマに翼が生えとるわけだな」とぼそりと呟いたが。
 しかしいつまでも若々しく生きるためには、子どもらしい夢と心と思考を持つのは悪くない・・・・のかもしれない。メンタルのアンチエイジングにはおそらく成功している。それに不粋なツッコミは不要。

 

「ところで、がちょ〜んって書いたのは、おまえか?それともそっちのカゲか?」

「は?」

「・・・・ああ?」

 

 突如の思わぬ質問に、ルカとスタンは同時に目を丸くした。
 そんな彼らに長老は、ポケットから3枚の紙を取り出して、手の先でひらひらさせる。

 

「わしの世界暗号協会の会員の一人が、リシェロの近くで拾って持ち帰ってきたんじゃよ。手紙の入ったビンなんぞ、何かの暗号っぽくて面白い。なんかのネタとして使えそう。っとな。それでわしが返事を書いてやったぞい。」

「 あ ん た だ っ た ん で す か 。 ・・・・うわー今、夢がひとつこわれた・・・・。」

「き、キサマ・・・・・・・・あのときは余をコケにしおって・・・・」

 

あの想像をかき立てられるようなロマンチック(一部ファニー)な手紙の返事が近所の陽気な老人から届いたものだと知り、激しくがっかりさせられたルカとスタンのなさけない顔を見て、長老はしてやったりと白い入れ歯をきらりと光らせた。

 

「な〜んてな。本当のところはわしと孫娘、ふたりで書いたんじゃよ。なかなかカワイイお返事じゃったろ?ふぉふぉふぉ。」

「・・・・・・・・このクソジジイ。頭皮面積の30%しかないその白髪を今から全部燃やしたろか。」

「・・・・・・・・あーそうですか。・・・・でも、どうしてその手紙を書いたのがボクたちだと?」

「ふん、今どき手紙をビンに入れて流すことなんぞ、誰もせんからな。孫娘が流したものを好きで拾ってきたヤツは、自分でも書いてそうじゃし。
 ・・・・・・・・しかし、ボトルメールとはいいもんじゃな。手紙を孫娘に見せたら、自分も書きたいと言い出してのう。・・・・言葉がこうして流れ流れて、運命のビンがこの広くも狭い小さな世界の中で巡り巡って、小さくも大きな出会いを生む。そうして出会った者が、一生モノのかけがえのない友人となる。・・・・おまえさんたち、その出会いを大事にするんじゃぞ。」

「けっ、よぼよぼのジジイがどっかで聞いたようなクサい決めゼリフ言いおって。んなこと言って、どーせ自分の孫がかわいいだけだろう。」

「そりゃーもちろんじゃよ。孫がかわいくないジジイがおるか。・・・・おまえたちの言葉があの子の目、あの子の世界を広げてくれるというなら、わしはそれがよいと思うてな。」

 

スタンの意地の悪い指摘に対しても、長老は当然だといった調子で頷いた。ルカは思い出す。以前自分がはじめて孫娘に出会ったのち、久方ぶりに見たという孫のうれしそうだったという笑顔、楽しそうだったという様子に、長老もまた心から喜んでいたようだった。おそらく彼は自分が思っている以上に、孫のことを大切に思っているのだろう。
 ・・・・あの少女は、いったいどれほどの長い時間を、ひとりぼっちで過ごしてきたのだろう。病気のせいで長いことベットから出ることができないまま、ずっと動けないまま・・・・。
 きっと、ずっとさびしかったに違いない。あの部屋から出たいのに、出られない。・・・・なんだかまるで彼女と同じだ。しかしあの彼女が閉ざされた部屋から出られたのだから、きっと彼女も開かれた外へ出られる日が来るだろう。そして自分たち以外のさらなる出会いにも巡り合えるに違いない。うん。

 長老は孫娘のことで頷きながらも、なぜかそのままルカとスタンの姿を見た。以前に比べて少しはたくましくなったものの、それでも相変わらず地味な風貌をした少年と、彼とは正反対の奇妙ななりをした黒いカゲの魔王の、足元で繋がっているおかしな姿を。そしてさりげなく口にする。

 

「それとな。おまえたちのヘンテコな関係もまた、あるいはそんな巡り合いから生まれたのかもしれん、と見ていて思っただけじゃよ。」

「?」

「はあ?」

「ふぉふぉふぉ、ただの戯言じゃ。」

 

きょとん。そろって同じような表情が縦に並んだ2人の顔を見て、彼はにこにこといたずらっぽく笑い、背中に手を回してそそくさと書斎へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 
 テネル村の長老の家を後にした帰路の途中。ルカはふと立ち止まり、先ほど孫娘から受け取った暗号文をひらいてみた。
 影から出てきたスタンも、それを横から覗きこんだ。そしてすぐにバカにしたように鼻で笑う。
 そこにはたった一行、いつもの丁寧な字でメッセージが書かれていた。
 暗号の下には一応ヒントも書かれていたが、彼らには必要なかった。

 

“ぱあぴなぷたぺにぽでぱあぴえぷてぺよぽかぱっぴたぷ”

 

「・・・・あ。これ、もう解き方知ってる・・・・。」

「ふん、あの娘もまだまだだな。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから暫く経った頃。
 ルカはマルレインとともに、遠出の買い出しのために鉄の都・マドリルの町を訪れていた。そこで偶然にも、ルカを驚かせた巡り合わせが起きたのである。ボトルメールがまたもや自分の手元に届いたかのように。

 

「あ・・・・ルカさんっ!」

 

自分を呼びとめた元気な声にルカが振り向くと、そこには清楚なワンピースを着たあの可憐な娘が立っていて、朗らかに笑っていた。ふつうの女の子と同じように両足でしっかり立ち、肉付きのよい頬をりんごのように赤く染めて、それでもまだ白い肌の腕を肩まで上げて大きく振っていた。
 その姿にルカは驚いて、あわてて駆け寄る。

 

「きみ・・・・。こんなところで、どうしたの?体は大丈夫なの!?」

「はい、ずいぶん元気になりました。今日はママといっしょに、はじめてマドリルまで遊びに来たんです。本当に、はじめてですよ!人がすごくたくさんいて、見たこともない街並みで、目が回ってしまいそう。歯車もぐるぐる回っているんですもの。」

 

 歳相応にはしゃいでいる元気な姿を見て、この彼女が以前の白い羽毛布団に包まれていた儚く弱々しい娘と同じ少女であるということが、ルカには到底信じられなかった。
 孫娘とはあれ以来、何度もあの部屋で話をしてきた。彼女に会い旅の話を聞かせるたびに、彼女は次第に元気になりつつあるように見えた。ルカとスタンと話をした日やその後の暫くは、ごはんもたくさん食べ、よく動き、咳や熱にうなされることもなく気持ちよさげに眠るようになったと、彼女の母親や長老からは聞かされていた。なにより彼女の「外」への好奇心―――外で遊びたい、元気になりたいという気持ちが、ルカの世界を巡る旅の物語を通じて、日に日に強まっているようだと言っていた。彼女の強い願いは、彼女の身体に前向きなかたちで影響をもたらしたようだった。広い世界を望む願いは、扉の外へ一歩を踏み出すための力となって、弱い彼女を強く奮い立たせたのだ。
 偶然にもルカを彼女に巡り合わせた長老の思惑は、確かに効果を発揮したと言えるのかもしれない。ここ暫くは都合がつかなかったために彼女に会うことがなかったのだが、その間にも彼女はこんなにも回復していたのだと知る。
 彼女は今、元気だ。病弱な身体に彼女は打ち勝った。今、あの部屋を出て、彼女は外の空気を吸っている。
 心からの言葉が、ルカの口から零れざるを得なかった。

 

「すごい・・・・・・・・よかったね。きみは強いんだ。すごいよ。」

「えへへ。・・・・全部、ルカさんのおかげですよ。ありがとう、ルカさん。」

 

孫娘とルカは、昔なじみの友だち同士のように笑い合った。

 

「今日はしばらく、ママとお店を見て回ったり、観光をして過ごします。あ、でも途中で一度、病院に行かなくちゃならないけど。でも、こんなに遠くまで来たのははじめてですもの。時間が許す限り、わたしはこの町を見ていたいです。」

「そうなんだ。でも、ちょっと空気が身体によくないかもしれないから、気をつけてね。塵とか埃とかテネルに比べて結構多いし、排気ガスもあるから。」

「そうですね。わかりました。またセキが出てしまったりしたら、大変ですものね。ありがとうございます。・・・・・・・・じゃあ、そろそろ行きますね。ママも待ってますから。
 ・・・・でも、テネルに帰ったら、また一緒に遊びましょうね。今度は、お外で。約束ですよ。」

「うん。・・・・約束。」

 

病気療養中だった娘は、ルカに向かって可憐に微笑んでみせた。相変わらず果てしない好奇心に満ちた目を輝かせて。そして手を振って、2人の会話を邪魔しないように少し遠くから足を止めて待っている彼女の母親のもとへと駆けていった。
 ルカは感慨深げに、母親と手をつないで歩いていく孫娘の後ろ姿を見送った。彼女は何度か振り返り、「またね」の手を振っていた。そのたびにルカも手を振り返した。

 そしてふと、さっきから視線を感じていたルカがそちらを向くと、マルレインがドスをきかせた目でルカを睨んでいた。
 ルカは買い物袋を落としかけた。

 

「・・・・ルカ。あの女の子はだれ。」

「え?あ、ええと、前に手紙で知り合った子なんだ。テネル村の長老のお孫さんなんだけど・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 マルレインは押し黙ったまま、娘が去っていく背中をじっと見つめた。
 そしてじろりとルカの方を向いたと思うと、突然言い放った。

 

「・・・・わたし、もう知らない。」

「へ?」

「ルカのバカ!ルカの浮気者!」

「はい!?」

「帰る。」

 

 唖然とするルカを置いて、逃げるように駆けていくマルレイン。聞き覚えのあるセリフ、そして怒った彼女の様子に、ルカはかつての王女様の面影を見た。彼女はまったく気づいていなかったかもしれないけど。
 なんだか妙に懐かしい光景に、ぽかんとその後ろ姿を見つめていたルカは、やがて吹き出してしまった。
 スタンもいつの間にか影から出てきて、女の子泣かせの罪な少年を見てにやにやと笑っている。

 

「ふん・・・・まーたこのパターンか。さっさと追いかけるんだな、子分。こいつは面倒なことになるぞ、クックック。」

「・・・・・・・・ちょっと待ってってば、マルレイン!」

 

ルカはマルレインを走って追いかける。またホテルの部屋で鍵かけてふて寝でもされたりしたらたまらない。

 


 ・・・・今はヤキモチを焼いているのだとしても、いつかはマルレインとも一緒に、あの子の家に遊びに行こう。
 あの子は喜んでくれるだろう。年が近い女の子と友達になれるのだから。
 きっと、きみたちは仲良くなれると思う。窓の外の世界へ大きな勇気を胸に抱いて踏み出した女の子たちは、いつかいっしょに手をつないで、明るい日差しの中で花を摘んだり、お店を回ってお買い物をしたりするんじゃないだろうか。
 もしそうなれたら、今度はみんなでいっしょに遠くまで遊びに行こう。
 足を踏み入れていない未知の世界はまだまだ、ボクたちの目の前にあるのだから。

 

 

 そうして世界を広げていけば、いつかどこかの国に住む誰かからまた、手紙のビンが届くかもしれない。
 だからまた書こう。

 

“見知らぬあなたへ、こんにちは”

 













  ←PREV     TOP