ボクと魔王の雪だるま






 目の前は一面の銀世界。
 見渡す限りに真っ白で、頬に感じる空気は冷たく、手はかじかんでいる。
 靴で踏むとぎゅっぎゅっと鳴るこの白く柔らかい絨毯は、キスリングとロザリーの大人コンビ曰く「雪」だと言っていた。今まで故郷の村から出たことがなかった少年ルカにとって、この白く美しい景色と白を彩っている雪の存在は、新鮮なもので心躍らせる存在だった。王女でありルカと同じくらいの年頃の少女でもあるマルレインも、ルカと同じような反応をしていた気がする。しかしその素直な反応とは正反対に、彼女の口から出た言葉は「ルカ、寒いぞ!わらわを暖めるものを何か献上せよ。」だったが(そのせいでルカはリシェロでキスリングからもらった上着を渡すハメになった)。それでも、ルカもマルレインもこの白く美しい雪に心惹かれていたものだった。
 この地でハイテンションなニセ魔王のビックブルに遭遇し、マドリルの街の人間たちを洗脳したニセ魔王リンダと戦った。

 

 しかし―――今。何も無い真っ白な色の中で、ルカは独り、ぽつんと立っている。

 

 彼の緑の瞳と鮮やかな赤毛の髪がこの白の中で映えてはいるが、それでも誰も彼に気付きはしない。美しく見えた雪は今は冷たく、日が照っていた空は今は曇り。身を切るように凍てついた世界が、ルカの孤独に追い討ちをかけるようだった。白い雪の上にできた薄い色の影だけが、唯一自分の存在を世界に主張しているように思われた。
 いつもならその影が突然変形し、口やかましい声とともに魔王スタンが現れる。今だって彼は、この影の中にいるはずなのだ。何故なら自身の全ての力を取り戻すかルカが死んでしまわない限り、ルカの影から離れられない身なのだから。
 だが今は、どんなに呼んでも叫んでも、彼が出てくることがない。
 まるでスタンも、自分を無視してしいるかのように。
 または、自分自身を忘れてしまったかのように。
 スタンだけではない。リンダも、ビックブルも、キスリングも同じだ。この世界の人間誰一人、ルカの声が聞こえていない。
 自分はここにいるというのに、誰も気付くことはない。見えていないのだ。

 

 「・・・・・・・・これから、どうしよう・・・・」

 

 途方に暮れた彼は、あてもなく彷徨っていた。
 一人だと敵に遭遇したら対応できないかと思ったが、その敵であるオバケさえもルカに気付かないようだ。戦う必要がないのは不幸中の幸運だが。
 もともとこんなことになったのは、マドリルの下水道の奥に設置されていた「上に乗った者の特性をさらに伸ばす」という魔法陣に乗ってしまったせいだった。スタンが「超強い魔王」になりたいがために、自分の宿り主であるルカを無理矢理魔法陣に乗らせたのだが、その効果はルカに向けて働いてしまったらしいのだ。ルカは元々影が薄いと周りからよく言われていて、自分の言葉を無視されることも日常茶飯事だった。それが魔法陣の力で、もっと強くなってしまったのかもしれない。
 しかしそれでもまさか、自分の姿が誰にも見えなくなってしまうなんて、そんな摩訶不思議な出来事が起きるなど聞いてない。これではまるで透明人間だ。・・・・ただ影が薄くなりすぎて見えなくなっただけで済めばまだよかったかもしれないが、誰もの記憶から、自分が存在したという認識さえきれいさっぱり失われてしまったのである。まるで自分の存在そのものが、世界から消えてしまったようであった。

 

 「・・・・どうしてみんな、ボクが見えないんだろ。」

 

 考えながらルカは、とぼとぼと歩き続けていた。
 家族である父も母も、妹のアニーもルカに気付かなかった。それどころか、ルカをすっかり忘れてしまっていた。村や街を回ったが、結局ルカのことを覚えていたのは、ルカの祖母だけだった(もともとどこか鋭いところがあった祖母だが、誰もがルカのことを覚えていない中、祖母だけがルカのことを覚えていて少し嬉しかった)。

 

 「みんなに、何が起こってるんだろう・・・・?」

 

 ルカ以外の人間たちが、自分の知らない人間になっているように思われてならない。
 仲間だった女勇者のロザリーが「大勇者」扱いされていたり、いつもなら「ヘンな影」とあしらわれていたスタンが「大魔王」と恐れられていたり。キスリングはロザリーと出会って旅したことさえ忘れて「大勇者ロザリー」に会いたがっていし、ルカとスタンがアイドルとして鍛え上げたリンダは、2人から教えられたことをすっかり忘れていた。ビックブル・・・・はいつもと同じテンションで何故か叫びながら川に飛び込んでいたが。マルレインは、今どこにいるかはわからない。
 歩き続けていたルカは、ふと立ち止まって辺りを見回した。
 いつの間にかポスポス雪原まで来てしまったらしいことに、彼は今気がついた。

 

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

 一面の白に対し、言いようのない孤独感がルカの心を満たす。
 全ての村という村を回って、ついに今の旅の最終地点まで来てしまったのだ。今のところ自分たちは、この雪原の先に行ったことはない。雪原の先には確か大きな門があったが、一度開けようとしてびくともしなかったはずだ。
 しかし、今はもはやこれ以上行くあてがない。
 今やスタンがいないのでニセ魔王退治もせずともよくなったわけだが、自分には帰る場所もないのだ。自分の家にさえ居場所がないのだから。
 このまま自分の存在が消えてしまうのはもちろん嫌だ。
 とにかく、今はこの状況をなんとかする方法を探さなければならない。

 

 一人で、黙々と歩く。
 さくさく、ざくざく。

 

 自分が雪を踏みしめる音だけが、世界に響く。
 自分を呼ぶ声なんて無い。
 あんなに自分をこき使った大魔王さえも。

 

 「・・・・・・・・お――――い・・・・」

 

ボクはここにいるのに。

なぜ誰も気づかない?

 

 「・・・・・・・・誰か・・・・」

 

 そのとき、自分に対する複数の視線を感じた。
 はっとして、立ち止まって辺りを見回す。

 誰かが自分を見ている?

 

 「・・・・なんだ・・・・」

 

 その視線の主は、一列に並んだ、姿勢が歪な雪だるまたちだった。

 その白い大きな顔に、木の実の目をつけてひたすら前を見ている。
 こんな作り物の視線にさえ敏感になっている自分に呆れながら、ルカは雪だるまたちに歩み寄り、隣に立っている看板を見た。そこにはこの雪だるまの作者からのメッセージが書かれていた。

 

 『作品ナンバー37 空しさに空を見つめる友情の雪だるま(こわしたら泣かす!)』

 

 最後のコメントに軽く身震いしつつ、その雪だるまたちを見やった。
 この雪だるまが壊されたら困るのは、この雪だるまが世界暗号協会のある暗号のヒントになっているからだ。この雪だるまたちの視線の先の木の上に世界暗号協会の女(姿は見えないけど)がいて、最後の暗号をくれた覚えがある。今は話しかける気にもなれないが。37回も雪だるま作品を作りすぎだとか、なぜ友情なのに空しさがあるんだとか、つっこみどころならいろいろあるのだがそれにあえてつっこむ気もない。
 今はそのつっこみどころよりも、それらの雪だるまの風貌にルカは気がとまった。7つの雪だるまのうち6つが頭にバケツを乗せているが、最後のひとつは乗せていない。
 この雪だるまの元ネタを、ルカは知っていた。
 前にロザリーが自分に話したことがある、遠い国(どこだかは誰もわからないらしい)の昔話だ。

 ―――吹雪くある日、一人の貧しい生活をしている老人が、売れ残ってしまった帽子を持って帰宅する最中に7つの石像に遭遇した。心優しい老人は吹雪に晒された石像を哀れに思い、自分の持っていた帽子を石像にかぶせ、自分自身の帽子もかぶせたが、最後の一人の石像の分だけが足りなかった。せめてもの代わりにと、老人は自分の手袋を石像の手に嵌めさせてやり、石像の寒さをできるだけ防いでやろうとしたという。その夜、動かぬ者に対しても忘れない彼の思いやりの精神を評価した神さまが、老人の貧しい暮らしに多くの恵みを与え、以来老人はずっと幸せに暮らすことができた―――

 一見聞けば、ただの石像に心があるような気分になってしまった老人の妄想が生み出したくだらない物語。・・・・と情緒を解さない魔王スタンは笑っていた。しかし「石像」を「感情のあるもの」として考え、そんな感情のない石像に対してでも情けをかける行動や思いが、正義の勇者像にもつながっているという意見もあるらしい(本当かどうかはルカにはわからないが)。勇者は自分に得があるかないかは関係なく、人のために悪と戦うものだ。ロザリーもその話を胸に、正義の勇者として勇者らしくいようとしているらしい。

 

 今、ロザリーは本当に、その「正義」のために「大魔王」と戦っているのだろうか。

 

 彼女は自分に得があるかないかは関係なく、人のために悪と戦う、と言っていた。それはその石像の話になぞらえた言葉のようで、実際はロザリー自身の考えだ、とルカは考えている。勇者としての正義について真剣に考える勇者は、この世界中で彼女だけのように思えたからだ。お金のことばかり考える勇者や、ありもしない世界の終わりを嘆く勇者だっているというのだから。だからその考えこそが、ロザリー自身のアイデンティティーを示しているように思えた。
 しかし今の彼女は違う。街の人によると、彼女は他人の家に勝手に押し入り家中を漁ったり、あちこちの宝箱を見て回ったり、「薬草」やら「毒消し草」やら「巻物」やら(店にそんなもの売っていた覚えがない気がするのだが)を大人買いしたりしていたらしい。
 いつものロザリーなら、そんなことはまずしない。特に他人の家の中を勝手に漁る行為は、正義感溢れる彼女が最もしないと思われる行動だ。

 

 「・・・・みんなの言うロザリーさんは、ロザリーさんじゃない・・・・?」

 

 では、一体誰なのかと問われると、それも困るわけだが。

 そうすると、今噂になっている大魔王スタンだって、本当にスタンなのかどうかわからなくなる。
 村人たちによると、今スタンはひとつの村を壊滅させ、世界を恐怖のどん底に陥れているという。しかし実際ルカが知っているスタンは、そんなことはしない。確かにスタンはこういう邪悪なことに憧れていた(?)節があるが、はたしていつも口だけで人に危害を加えたことなどほとんど・・・・いや全くと言っていいほど無かった。あるといえばいつかマダラネコ団の子どもたちを襲ったことがあったが、結果的にスタンは彼らに怪我を負わせることはできず、逆に他人の恋を進展させてしまう結果になったのだ。
 そう、今のスタンには人を傷つけるほど―――ましてや村をひとつ壊滅させるほどの力なんて戻っていないはずなのだ。もしそのような力がスタンに戻っていたとしても、あのスタンがそんな魔王らしいことをするはずがない。オバケたちを一掃するだけの魔力があっても、人を傷つけたりなど決してしない。大体本人が今自分の影の中にいるというのに、どうやって遠い国の村を壊すことができるといえるのか。

 

 「・・・・わけがわかんないなぁ・・・・。ボクがいない扱いになったとたん、みんな変わっちゃうなんて・・・・。」

 

 まるで、世界の設定そのものがまるきり変わってしまったかのよう――――
 そして設定についていけていないのは、自分だけ。自分が置いてきぼり、仲間はずれにされているみたいだ。

 

 表情のない7人の雪だるまたち。
 その目は、空を見ているようで真っ直ぐ前の一本の木を見ている。

 まるで、ひとつの真実を見据えるように。

 

 「・・・・真実を探せ、と。キミたちはそう言いたいの?」

 

 もちろん、問いかけても彼らが応えることはない。
 それは相手が魂のない雪だるまだからか、それとも自分の影が薄すぎるからか。
 どちらにしても、当然ながら答えてくれない雪人形たちに対する自分の問いかけは無駄なことで、そしてとてもバカらしいことだった。ルカは空しさのあまり自分のやっていることにため息をついて、その雪だるまたちの前を通り過ぎた。これからまた、行くあても無く彷徨う予定だった。

 しかしふと、ルカは振り返る。

 

 「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 一番最後の列、または一番最初の列に立っている、頭にバケツを乗せていない雪だるま。
 代わりに、木の棒で作られた腕に赤い手袋を嵌めている。
 あの昔話の通りに。

 その雪だるまが何故か、ルカ―――自分自身のように見えた。何故か、自分と重ねてしまった。

 世界の中で仲間はずれ。人の中で独り外れている雪だるま。
 それが自分だとしたら、他の6人は自分の仲間たち―――ロザリー、マルレイン、キスリング、リンダ、ビッグブル、そしてスタン―――ということになるのだろうか?

 それでも皆、変わらず目の前の一本の木を見つめている。

 

 「“真実”・・・・・・・・?」

 

 

 ―――嘘ではない、真実と向き合わなければならない。

 

 それは、自分も、皆も同じだ。
 ボクたちはひとつの真実を見つめて、その先にあるさらなる真実を、探さなければいけない。
 そんな気がした。

 

 ・・・・そのためには、再び皆と出会って、旅立たなければならない。
 今、この世界のどこかで、自分とスタンのことも忘れ冒険している勇者ロザリー。その彼女とは違う、「本物の彼女」ともう一度出会わなければ。ともに旅をした思い出を全て忘れたつもりになっている、キスリングやビッグブルやリンダとも。
 そしてスタンを、この影から引っぱり出さなければならない。「大魔王スタン」とは違う、本物の「魔王スタン」を。
 
 

 このまま、わけも分からず世界のはしっこに消え行くわけにはいかない。
 いつかこわされてしまうかもしれない雪だるまのように、かつての自分たちの姿は今揺らいでいる。しかし雪のように存在を解かされるのはいやだ。いつか失われる雪の上の轍ように―――自分たちが歩いた軌跡を、消されてたまるか。

 

 「・・・・・・・・・・・・戻らなきゃ。皆のところに。」

 

 ルカは仲間はずれの、自分と同類の雪だるまに背を向けた。
 数分前にはなかった、自分自身の揺るぎない決意。それを自分の目に宿し、ルカは再び歩き始めた。
 世界の隅々まで探して、なんとしてでも自分が元に戻る方法を見つけよう。

 

 目指すは、トリステの街の大きな門だった。













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