2
マルレインに連れられて、ルカは月夜に白く浮かび上がる浜辺を横切っていく。川にかかった木製の木の橋を通過し、間もなくサーカスのテント村にやってきた。 「こっちじゃ。」 マルレインはそれらに気を止めることなく、夕刻のときと同じようにルカの手を引いて、サーカスのテントの脇を横切った。どうやらただの散歩ではなく、ちゃんと行くあてがあったらしい。 その岬の先端の端に、マルレインは腰掛けた。 「・・・・キレイじゃな。」 ぽつり、とマルレインが言葉を零した。 「・・・・そうだね・・・・」 「わらわは今まで、真面目に空を見上げたことはなかった。このような気持ちは初めてじゃ。」 ルカはマルレインの横顔を見た。彼女は純朴な笑みを浮かべ、目をキラキラと輝かせている。その輝きは、星々が瞳に映ったせいか。 「・・・・ここには来てみたかった。前から気になっていたのじゃ、このくるんとした形が。」 「・・・実は、ボクも。」 マルレインの言葉に、ルカは正直に同意した。 「・・・・くっ、ふふふふっ、あはははははっ!お前もか!?そうじゃろうそうじゃろう!お前もそう思ってたじゃろう!」 「・・・・・・・・ぷっ、ぷぷ。ふ・・・・あははっ。」 2人は暫し笑った。マルレインはさもおかしそうに、手で口もとを押さえてころころと笑った。ルカも控えめに笑う。 そして、ふと笑うのを忘れる。 「・・・・ルカ。わらわは忘れぬ。」 「え?」 「例えお前が世界から忘れられたとしても、わらわは決してお前を忘れぬ。」 ルカはその言葉の意味がわからず、暫し沈黙した。その後一瞬、ルカの目が見開かれる。 「もう一度言うぞ。わらわは忘れぬ。 唄を歌うように、詩を紡ぐように、王女は言った。 「ルカ。実はというと、わらわはこの旅をしている時間が幸せなのじゃ。だから、もし失ったら必ずまた手元に戻してやろうぞ。それに、お前はわらわの召使い。召使いはわらわのものだから、永遠に切っても切れぬ関係なのじゃ。」 「え・・・・」 「・・・・お前は、わらわを守り、楽しませるためだけに存在してくれれば、それでよいのだ。何も気にする必要なぞ無い。」 ふん、と鼻を鳴らしてマルレインはルカに言った。 「・・・・ありがとう。」 「礼を述べられるほどのものではない!これはごく自然に当たり前のことなのじゃからな。」 「・・・・うん。だよね・・・・・・・・、・・・・そうだよね。」 マルレインは、自身の小指をルカに差し出した。一瞬ルカは理解しかねる。 「約束じゃ。もしもお前が誰からも忘れられてしまっても、わらわだけは絶対に忘れぬということを。だから、お前もわらわを忘れるでないぞ。忘れたとしても思い出すのじゃ。そして、わらわを見つけておくれ。お互いの存在が消えてしまわぬように・・・・」 少し、含みのある言い方だった。その言葉にどんな意味があるのかは、ルカにはわからなかった。 「ゆーびきりげんまんっ、嘘ついたら平手打ち10回かます!」 「ひ、ひらてうち・・・・」 「どうじゃ?現実的で実行しやすい罰じゃろう?」 彼女の平手打ちには、ウィルクの森のオバケを一撃死させる威力が確実にある。一度それを味わった記憶のあるルカは、少し身を震わせる。そして無意識に、この約束を破らないことを誓った。 しかし。 「わ・・・・っ!」 「・・・・オバケか?」 「ん?なんの騒ぎだ。」 スタンもひゅっという音とともに現れた。二人は慌てて腰を上げる。 「・・・・まさか、こんな夜だからってこんなにたくさん出るとは思わなんだ。」 「・・・・・・・・どうしよ・・・・。」 今まで、その分類名のとおり物陰にひそんでいたのだろうか? 「やはりバカだなキサマら。こんな丘の上でしかも後ろは崖。確実に追いつめられるぞ、しかも現在進行形で。」 「ふむ。崖っぷちの状況とは正にこのことか。」 「・・・・・・・・少しは慌てようよ・・・・」 結局戦うのはルカ一人なのだ。非戦闘隊員コンビには、こちらの苦労も少しはわかってほしいものなのだが。 「・・・・とにかく、戦うしかないぞ子分。ちなみに逃げ場は無いからな。」 「さあ頑張ってくるがよい、召使いたちよ。わらわはここで待っておる。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・。」 ルカは軽く頭痛がした。絶望感、とはこのことだろうか。 『―――ドクラ』 「っ!!」 その瞬間、一気に体が重くなる。ついでに、絶望感による軽い頭痛が本格的に辛い頭痛に変わった。魔法による毒攻撃を食らったのだ。襲い掛かる頭痛と吐き気に、ルカは思わずふらりと眩暈がした。倒れる寸のところで、剣で体を支える。 「・・・・ぐっ・・・・・・・・うぅ・・・・いった・・・・!」 「何をしておる子分!こんなときに限って毒を食らうとは情けない!」 「・・・・って・・・・言っても・・・・・・・・うぐ」 「すまぬ、ルカ。残念だが浄化の石は無いのじゃ。宿に置いてきてしまったからな。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 後方で控えている王女マルレインの無慈悲な台詞に、そろそろルカも泣きたくなってきた。外に出るならせめて、彼女には前もって戦闘の準備をしておいてほしかったものだ。 ―――しかし、何故かいつまでたってもその予想していた攻撃が来ることは無かった。 「―――ブルー!」 誰かの声と、何かを切り刻むかのような音がする。そして、きぃぃ、という悲鳴がたくさん聞こえてきた。 「ようボウズ。生きてるかー?」 「あ・・・・サーカスの・・・・。・・・・こんばんは・・・・」 いつかルカに魔王マップをくれた、目の前のサーカステントの主であるサーカス団の団長ブロックだった。 「なんか人の声がしたからよう、外に出てみりゃおめーさんがオバケに襲われているときたもんだ。全く、何がしたくてこんな夜中に出歩いているんだか・・・・ほれ、大丈夫か?浄化の石だ。」 言いながらブロックは、懐から親指くらいの大きさの綺麗な小石―――浄化の石を取り出し、ルカに手渡した。受け取ると、ひんやりと冷たく滑らかな手触りと小さな重みを手に感じる。 「あ、ありがとうございます・・・・助けてくれて・・・・」 「いいってことよ、一日一善がオレのモットーだ。いつも団員に置いてかれているからな・・・・自分一人で戦う術ぐらい、身についてるのさ。」 「なんじゃお前は?ルカの知り合いか?」 「ああ。こいつの同類みたいなものだ。類は友を呼ぶってな。」 「「?」」 「あー・・・・まあ、こっちの個人的な考えだ。」 ブロックは頭をポリポリと掻き、マルレインを一瞥した。初めて会ったはずなのに、ブロックはさほど驚くこともなく―――それどころか、どこかマルレインのことを知っているかのような―――何故か謎めいた表情を一瞬した。しかし、それはすぐに消える。 「おめーは・・・・そうかー。 「え・・・・!ちょ、ち、違います・・・・」 「この者はわらわの召使いじゃ。決してそのような関係ではない。」 「おお、気の強いお嬢さんだなぁ。」 マルレインの言葉には、「自分は王女だ」という意味が含まれていたのに、ブロックは何故か気にしている様子はない。ルカの不幸っぷりには気づいているようだが。 「ところでキサマは何者だ?どこかで見覚えがあるような気がするが。」 「ずいぶんなことを言うなぁ、影の大将も。このオレ様を忘れちまったのかい?まあ、オレの影の薄さじゃ当たり前か。」 「・・・・。・・・・!あ、あーっキサマは!いつかのサーカス男っ!!」 「ははは、やっと思い出してくれたか。じゃ、そういうことで。オレは寝るからな。」 「あ、おやすみなさい。」 彼の言葉にルカは、今の時間が真夜中だということを思い出した。マルレインとの会話や先ほどのピンチですっかり忘れてしまっていたようだ。そしてそんな夜中にわざわざ起きて自分たちを助けてくれたブロックに、改めて感謝する。 「ボウズ。旅をするのもいいが、たまにはこっちのテントに顔を出せよ。オレが言いたいことは、そのときに話してやる。」 「・・・・?」 「さっきおめーさんとそこのお嬢さんが話していたこと―――『ナゾの現象』についてだ。」 彼はそのまま、静かにテント内に戻っていった。 「あの男、会話を盗み聞きしていたのか。ふん、ずいぶんと失礼な男だ。余は最初から怪しいと思ってたのだ。」 「それはお前にも言えるじゃろう、スタン。わらわとルカの話を聞いていたのではないか?」 「そりゃお前、余が休んでいるそばでそんなことを話されれば、聞きたくなくとも聞かざるを得ないだろう。」 言われてみれば確かにそうだ。ルカとスタンは離れたくても決して離れることができないのだから。 「・・・・まあ、それで会話の邪魔をしなかったのは、褒めてつかわそう。」 「うがぁぁ!!なんだそのしつけされた犬のような扱いはっ!余を大魔王だと知っての愚行か!?」 「何の話じゃ?お前はわらわの下僕じゃろう?」 「・・・・だから違うって。」 スタンはもう諦めたように身を縮めた。マルレインの考えには勝てないことを悟ったらしい。マルレインはスタンで遊んでいるようだった。 「ルカ、行くぞ。さすがに夜もおそい。さあ、村に戻って寝ることにしようぞ。」 「あ・・・・はい。」 「・・・・ありがとう。こんな夜にわたしにつきあってくれて。」 その言葉を軽く受け流そうとしたが、何かの違和感に気付き、驚いてルカは顔を勢いよく上げた。しかしすでに、マルレインは岬を駆け下りていた。 「明日起きれなくなるぞ。早く追いかけろ子分、小娘がオバケと遭遇したらもっと面倒なことになるからな。」 「・・・・うん。」 ルカもマルレインを追い、急いで岬を駆け下りた。 マルレインと話した「一時の別れ」が、ブロックの言った「ナゾの現象」が、まさか本当に現実になるとはこの時はまだ思いもしていなかった。 そして、この旅の幸せが長くは続かないということも。 |