いつかルカは友人から、このような話を聞いた。

 

「お前ら、知ってるか。みんな、この世界は地続きになっていて丸く繋がっているんだって言ってるけど、実はそうじゃないんだぜ。この世界には実は、ちゃんと果てがあるんだ。世界の縁は切り立つ崖になっていて、川が流れていった先の海の水は、滝となって流れ落ちているんだ。その崖の向こうは繋がってなんかない。空があって、雲があって、星があって、何もないんだぞ。ほんとは、みんな何も知らないんだ。世界の果てを見たことなんかないクセに、やみくもに世界がずっと続いてるって思ってるんだ。ほんとだよ。ほんとだってばよ。」

 

 これを聞いたときルカも他の友人たちも、彼の言うことを冗談だと笑った。彼の方こそ何も知らないものだと思った。ルカにはこのいたずらな語りが子どもらしい空想なのだとすぐにわかった。
 自分と同じ年頃の少年である彼は旅に出たことなんかないし、そんな奇妙な話を伝え聞くにも、彼の父は確か役場で冒険はなしに働いており、母も旅人であった過去もなく市場の売り子であるはずだ。世界の果てを見たことがないのは、彼だって同じではないか。若い頃は冒険者であったと聞く自分の両親でさえ、世界が崖の上にあるとは言わない。夜空が回るのはこの大地が丸い星の形となって回転しているせいだし、あの大きな月が浮かんで沈むのはこの星の周囲を巡っているからだ。まさかこの地面が歩くカメの甲羅に乗っているわけじゃあるまいし。


 ずっとずっと昔にどこかの国の偉い学者が世界が丸いということを学説として立て、さらにその何百年後にやはりどこかの国の偉い船人が世界を一周して、世界が繋がっていることを証明してみせたなどなどの史実は、学校の歴史の授業でも勉強した。広い海を何日も何年も航海し続けて、あらゆる大陸を渡って、あらゆる国の民族と出会って、やがて自分の住む国の陸地に辿り着いた。誰もが習う世界史である。しかし歴史の授業はもちろんあらゆる科目の勉強も嫌いな反抗期の彼は、そういった授業も真面目に聞かなかったし、大人が大人ぶった顔で押しつける「当たり前のこと」にも反発していたようだ。
 対してさして反発する理由も情熱もないルカは、まったく疑うこともなく、退屈な授業の内容を、頭のちょっとした片隅に通した。新鮮味もなければ面白くもない、生きる上で必要のない雑学のようだった。

 世界は丸く、終わりなどなく繋がっている。それは疑いもなく当たり前の認識で、夢見る「果て」など本当はなく、世界は永久に続くのだという退屈だが幸福な常識であった。永遠に広がる世界はちゃんとあり、見ようと思えば見えるものなのだと信じて疑わなかった。

 

 

しかし今になって、導かれた答えを眼前にした今になって、それが間違いだったのだと気付くことになった。


「世界の果て」は、確かに存在したのだ。


世界の果ては確かに切り立つ崖となっていた。


世界の果ての地面は永久に続いていることはなかった。


世界の果てには透明な、しかし決してその先が見えない、聳え立つカベがあった。


 

 ルカは遠い空の彼方から吹きつける強風を受けながら、切り立つ崖の縁に聳える世界図書館を見上げて一人、友人が言った言葉を思い出すこととなった。黒々とした巨大な煉瓦造りの建物の背面は、もう崖っぷちだ。
 この先には道はない。大地はない。最果ての図書館の重苦しい影は、「こここそが世界の果てなのだ」と、無言で語りかけるかのようだった。海というものの水平線はどこにも見えなかった。

 

―――思えば自分は、自分たちは、滝になって流れ落ちるという「海」の水の存在さえ見たことがなかったわけだ。

永遠に続くはずの世界のその先を、自分は何も知らなかった。知らないのに自分は、世界は丸いものだと、だた信じていた。

 

 そもそも疑うという行為は、生活していく上で無為にエネルギーを使ってしまう。本当に答えがあるかどうかもわからないのに、加えて自分が望む答えを導き出す大がかりな手段を持たないくせに、闇雲に疑いを持つということは、つまらない力と時間の浪費でしかないように思われたのだ。何かを疑う仕事は、偉い学者たちにでも任せておけばよかった。

 そんな甘えからくる思考の放棄を嘲笑うように、目の前には確かに崖の存在がある。それがこの「世界図書館」なのだとルカは思った。別に学者でもないのに見つけてしまった、笑い話じみた真相。世界は広いという人々の認識は、透明な水となってこの崖の縁から無力にも流れ落ち続けている。水がその先に向かうことはない。「その先」はない、確かにここが世界の果てなのだ。


―――ああ、なんて自分は何も知らなかったのだろう。


誰もが信じて疑わない認識に、誰もが信じない疑いの言葉を口にして、笑われる人間が愚かだったのか。

誰もが信じて疑わない認識を、自らも疑うことなく信じ続け、真面目に生きていた人間が愚かだったのか。

答えはない。ただそこに崖があるのだということを認めて、立ち尽くすしかできない。その先はなかった、ボクたちは認識の外という縁から落ちないように、境界線が引かれた安全な崖の上で暮らしていた。世界の「外」を、ボクたちは今までかつて一度も見たことがなかった。そんなことを誰も知らない、いっそ知らなくてもよかったのかもしれない。

 

 

「・・・・おい。何をぼうっとしておる、子分?」

 

世界図書館という建物とその後ろに広がる何もない空、その「世界の果て」の風景を無感情に眺めていた少年に、その背中から魔王が尋ねた。彼は少し瞬きをして我に返る。
 扉を開いて奥に入ろうとしている仲間たちが、立ち止まったルカを不思議そうに振り返っている。

 

「どうした、ルカ。」

「なーに、どうしたの。村に忘れものをしてきたとか?今から取りに帰る?」

「いえ・・・・別に。」

「ちょっと準備体操したいというわけじゃーないのなら、とっとと行くぞ。用はまったく済んでおらんからな。」

 

 ルカは黙ったまま静かに頷いた。そして彼らに続いて、図書館に向かう。だけど疑いは晴れない。正しいと思っていたことが間違っていて、間違っていると思っていたことが正しかったのだ。広いと思っていた世界が実はとても狭かったり、自由だと思っていたのに実は支配されていたり、人間だと思っていた女の子が人形だったり、世界の果てなどないと思っていたら果てに辿り着いてしまったり。正しいものなんて、そもそもあったのだろうか。

 

「世界の外」なんて、本当に存在するのだろうか?

 

 

 




     ボクと魔王が世界の果てで




 




 その場所は、楽園のように美しく、暖かく、緑豊かで、優しい陽射しに満ちている。
 ユートピア回廊と名づけられたその道は、ハイランドの村と世界図書館を繋ぐ架け橋となっていた。
 これが回廊―――というものなのかはルカにはよくわからない。回廊とは建物と建物を結ぶ折れ曲がった廊下のことを意味するが、この回廊は不思議なことに、建物内部でもなくもはや外そのものである。いや、どう見ても外だ。その地面は明らかに外の土を踏んでいるのと同じで、周囲にはそり立つ岩山や木々もあり、空の向こうから風も吹いている。村と図書館を連絡している以上回廊と呼んでもよいのだろうが、それにしても不思議な場所である。回廊というよりもはやちょっとした山道に近い。
 自分たちが知っている「外」と違うのは、この回廊の周りは何もないということだ。この回廊自体が空に浮いているのではないかと思うほどここは高い崖の上にあり、いくつもの自然のアーチ橋が崖と崖とを架け渡している。大きな岩山はあちらこちらに見えるが、それ以外は青い空と霞みかかった雲海が果てしなく続いている。
 そしてなによりも、緑に溢れているのに、生きたものの気配がしない。外と呼ぶにはどこか妙な違和感が残るのは、風が吹きつけるざわめきと草のそよぎ以外何の音も響かないこの場所が、あまりにも静かすぎるせいなのかもしれない。

 

 「ユートピアといえば、楽園と言う意味だったかな?」

 

 岩に腰掛けたオバケ学者のキスリングが、眺めていた本から視線を上げた。
 ここは雄大な峰の連なりの合間にある、ちょっとした広場である。土の上に広がる柔らかな芝は陽の光を浴びて温かく、緑と岩と空の色合いが見惚れるほどに美しい。
 空気は澄み切っていて、キスリングは気持ち良さそうに伸びをした。
 キスリングが腰掛けている岩に背中を預けて座っている日傘の女勇者―――ロザリーは、いつもよりも日傘を傾けて陽を浴びている。薄い黒の影がほんのりとピンクを帯びていた。日傘をさしているのは陽がキライなわけではなく、陽に当たると影がピンクになるという魔王の呪いのせいだった。だが今は陽を浴びたいらしく、さほど気にしていないようだ。

 

 「あれ、違うか。理想郷、っていう意味だったような気もするなぁ。このふたつの言葉は、似ているようで違うんだよね。理想郷・・・・理想郷というのは、完成された社会のこと。楽園は、苦しみのない世界のこと。ユートピアが理想郷なら、楽園は・・・・ああ、パラダイスだったっけ。なんにしろ、この場所はわりと居心地がいいのだけど。」

 「別に、そんな考えるようなことでもないじゃない?どうせただ休憩しているだけなんだし・・・・」

 「いや。ここはハイランドと同じく、私たちの持っている地図にない場所なのだよ。つまり私たちが本来知ることのなかったはずの場所だってことさ。うーん、かなり興味深いじゃないか!どんな原理でこの場所が存在しているのか、この空の果てには何があるのか・・・・。気にならない?」

 「ごめんなさい。正直すっごくどうでもいいわ。」

 

 彼の話を聞いたロザリーは、本当にどうでもよさそうに口を押さえてあくびをした。
 キスリングはまだ何かを話しているが、右から左へ聞き流されている。その様は少し哀れだが、毎度のことなので誰も真面目に聞くということはしないようだ。それは彼の話が複雑すぎるという原因もあるが、一番の理由はメンバーそれぞれ皆マイペースな性格であるせいだった。ちなみにキスリング自身も非常にマイペースなので、誰も聞いていなくても全く気にしていなかった。いや、気づいていなかった。

 

 「ほほう。なるほど、そういう意味もあったか・・・。」

 「そーんなつまんなそーな本を読んで、何が楽しいんですかぁ?あたし、本なんてキラーイ。」

 「そうかい?こんなに楽しくて、オバケちゃんと同じくらい興味深い対象が存在したことに、私は驚いたのだがなぁ・・・まあこれは学者として、この世界の者として、知らざるを得ないと言うべきか・・・・」

 「あーあーそうですかー。あたしは別に知りたくもないですよっ!興味ないしー。」

 

 途切れた道の先端に腰かけ、暇そうに両足をぶらぶらと垂らしている元・アイドル魔王のリンダが言った。ロザリーに続いて彼女までキスリングに追い打ちをかけたが、やはり彼は聞く耳を持たない。
 リンダはそれでも暫くはスリングの声を暇つぶしに聞いていたようだが、やがて興味をなくしたようにのんびり歌を歌い始める。そよ風がリンダの髪を舞わせ、まさに正真正銘本物のアイドルらしく輝かせていた。その横顔の絵一枚で広告に使えそうである。また彼女のコーチによって(アイドルとしても魔王としても)鍛えられただけあり、その歌も以前に比べて上達していて、透きとおった歌声は傍で聴いていてもさほど耳ざわりにはならなかった。ただし歌詞をよく聞くとわりとダークだが。
 もう一人の元魔王ビッグブルも、大胆に草の上に大の字になっている。一応寝てはいないらしい。奇術師姿の元魔王エプロスはというと、枯れた木の下で幹に寄りかかって、キスリングたちの話を聞いていた。そして少年ルカは、崖の端に腰掛けて何か考えに耽っていた。その目は空を眺めている。それぞれが好きなようにこの時間を過ごしているようだ。―――正確に言うと、暇を持て余しているのだが。

 


 魔王一行が何故このようにしているかというと、キスリングが世界図書館に収められた本を是非にと読みたがったためである。
 彼の望みにもちろんスタンもロザリーも呆れ、その要求を即座に却下しようとした。今
はそんなことをしている場合ではないだろう、もっと他にやるべきことがあるではないか、と。
 しかし学者キスリングの本気の論破は、悪口語録が実に豊富な彼らさえ軽く圧倒できる。なぜ急ぐ必要があるのか、別に誰も急かしてはいないではないか。とくに世界の危機が迫っているわけでもなし。世界図書館を訪れた理由などみなバラバラ、個々人が個々の目的を持って訪れたのだから、図書館にやってきて本を読むという行為もまた目的の一つに含まれていいではないか。それに我々には本を読むという心のゆとりが必要だ。時間はつくろうと思えばいくらでもつくれる。ダンジョン攻略をたまには休んで遊ぶのも立派な冒険の一部であり、健康的なラスダン攻略には不可欠なものであり、いろいろと切羽詰まった物語展開の連続に加えあの図書館内部に広がる鬼畜な迷路と強い敵の猛攻にいたぶられ精神的に余裕のない我々に今現在最も必要なもの、それこそひとときの休息なのだ。以下云々。

 ・・・・・・・・というわけで岩に腰掛ける彼の足元には、図書館で働く者から許可を得て持ち出した本が大量に、無造作に積まれている。読むならせめて宿屋で読んでもらいかったものだが、どうやら図書館の本にはどれも不思議な力がかかっているようで、「世界」の中―――さらに詳しく言うと、ユートピア回廊とハイランドを繋ぐ吊り橋の先―――に持ち出すことができなくなっていた。このためしかたなく、ユートピア回廊の道端に腰かけて読んでもらうことになった。ついでにキスリングの言葉に従って、ここで休憩も兼ねている。

 

 世界図書館の本は、魔王一行のような世界の秘密を知った人間のみが、読むことを許されるのだ。

 

 さすがは学者というべきか、キスリングは熱心に本を読んでいる。彼にしてみればどの本も興味深い内容らしく、この世界についてや分類についてなど、それはもういろいろと書かれているらしい。ただし、世界の一番奥―――世界の原点とも言えること。この世界がどうやってできているのかとか、全ての分類の力の仕組みなど―――については書かれていないという。あくまでも、世界や国、人間やオバケたちの歴史だったり、それぞれの分類の意味などだ。「世界」の内では全く知られていないような、オバケに関する裏知識もいろいろと知ることができたようだ。

 

 「世界図書館・・・・あれほどたくさんの本は初めて見たよ!本当にすごいよ。どこから集めたのか、はたまたどうやって書いたのか・・・・この天才学者が、あんな本たちを目の前にして興奮せずにいられると思うかい!?」

 「別にオレは興奮しないッス。」

 「いや、あんたには聞いてないと思うけど。」

 

 ビッグブルの意味の無い意見に、ロザリーがさらりとつっこんだ。キスリングの同意を求める熱い意見は、今のところことごとく蹴られ続けている。
 寝転んだビッグブルの小さな目には、青い空の白い雲が映っている。ロザリーのつっこみはそれほど気にしていないらしい。
 ふと、エプロスが顔をあげてキスリングへ言葉を投げかけた。

 

 「それらの本を読むのはいいが・・・・あまり読み過ぎないほうがいい。私たち「世界」の住人には、知るべきでない情報もあるだろう。そのような余計な知識を知りすぎてしまうと、世界の「分類」から必要以上に外れてしまう。この世界から消えゆく運命へ繋がる。」

 「・・・・・・・・トリステの人たちやボクみたいに、か。」

 

 ルカが呟いた。
 心ここにあらず、上の空でぼうっとしている。

 

 「・・・・まあ、ボクが消えかけた理由とは違う意味で外れてしまうのかもしれないけど・・・・」

 「世界の舞台裏に深く関わりすぎると、大変なことになる。前にも言っただろう?」

 

 ルカもエプロスも、他のメンバーには理解し切れないようなことを言う。
 それぞれ自らの経験を通して知っていることは違うようだが、どちらにしろ他の者全員にはよくわからなかった。・・・・それでもエプロスの言うことはなんとなくはわかるようだが。ルカが知っていることは、ルカにしかわからない。世界から存在を消されかけ、その間に体験し知った気持ちはルカにしか理解できないのだ。
 2人が共通してわかることは「分類によって修正された世界」だった。そしてその分類の力に呑まれた勇者や魔王などの世界の住人たちは、それを覚えていない。この世界の支配者にいいように踊らされてしまう。その力を打ち破るため、一行はその定義者―――ベーロンのもとに向かっている最中だった。

 

 「そ、それは怖いね。あまり読み過ぎないようにするよ・・・・。」

 「読むなら世界図書館以外にある本にしたほうが身のためなんじゃない?そんな命がけで読書なんかしなくてもいいわよ。」

 

 言いながらロザリーは、キスリングの足元にある本をパラパラと捲った。
 だがすぐ本を閉じて、元の場所に戻した。読む気は全く無いらしい。
 ルカは空に目を向けたまま、後ろにいるキスリングに言葉を紡いだ。

 

 「ところで、さっきの話だけど・・・・。ここってユートピア回廊っていうんだよね。」

 「そうだね。そういう設定になっているよ。」

 

 設定、という言葉にルカは顔を顰める。
 まるで自分が住む世界も、そういう「設定」という言葉で片付けられてしまった気がした。
 実際、「分類」の力で支配されていたとしても、この世界はこの世界として存在しているのだ。誰かの決めた「設定」で、この世界が作られているとは思いたくない。
 決してキスリングを責めているわけではない、のだが。

 

 「ユートピア・・・・って、本当の意味では“現実には決して存在しない、理想的な場所”・・・・?」

 「そういうようにもとれるね。多分、この場所の名づけ親はあの男だろうなぁ・・・・。ルカ君の言う意味で名づけたのだとしたら、この場所はどこにも存在しない場所ということになるよね。だからこそ、この回廊の周りを見渡しても、あるべきはずの陸や海がないのかもしれないねぇ。まあ実際ものすっごい辺境の高所にいるだけかもしれないけど。ほんと私たち、今どこにいるんだろーね?あはは。」

 「・・・・もしここが存在しない場所なんだとしたら、ここはどこだっていうのよ?」

 「さぁー、それはわかんないなあ。ただ、ギリギリ世界の内側にあるハイランドの村は、吊り橋の先にあるはずなのにこちら側からだと見えない。ハイランドから見たこの回廊だって同じだよ。お互いの陸地が見えないんだ。ということは、この回廊とハイランドは吊り橋を境界線にして実は全く別の次元にあったりしてね!」

 「いやいやいやテキトーなこと言ってんじゃないわよ。それじゃーもうただのSFじゃない。」

 

 本を読んだ後の学者の頭脳は、いつもよりも冴えている。いろいろな方向に。
 おかげでキスリングのお喋りはまだまだ止まらない。

 

 「そうなると・・・・あの男、ベーロンは世界の分類を生み出している世界図書館に誰も入れることができないように、別の次元に建てることで守っているのかな?ま、世界図書館が本来人が立ち入ってはならない特別な場所なら、迷子の立ち入りを防ぐためにもそーいう凝ったことだってやっちゃうかもしれんが。あ、いや、こうも考えられるなあ。たとえばハイランドが吸血魔王のためにあえて作り出された村なのだとしたらこの回廊もまだ作りかけでゆくゆくはこの道を中心に世界が広がって行くのかもしれないし・・・・ハイランドもまだ土台の状態でゆくゆくはちゃんとした村になっていくとかだったらおもしろいよねえ・・・・魔王を育てるための村ならばもしかしたらフツーの人は入れない村なのかもしれないし・・・・あー、いやワプワプ島に繋がっているのなら他にも訪れた旅人がかつていたのかもしれないが・・・・ていうかあの村に住む人が柵もなしに暮らしててうっかり落ちたりしないのかすっごい気になるわけなんだが・・・・そしてあの村といいこの場所といい、なぜか戦いの匂いがしない場所というのがヘンだと思うんだけどそれもなんかこのユートピアの名前に関係があるのかな・・・・大体なんでこんなところに動物の骨があるんだ何の動物だったんだろう・・・・etc」

 「・・・・あーっ!!うるさいぞ馬鹿騒ぎ学者っ!少しはその口を閉じんか、おかげで休めやしない!」

 

 崖沿いに座るルカの薄い色の影が漆黒に染まり、ひょいっという音とともに摩訶不思議な影が現れた。
 ルカの影にとり憑いている魔王スタンだ。突然現れては、ぶんぶんと手を振り回してキスリングに猛抗議する。
 言われて、やっとキスリングは止まらない自分の口に気付いた。

 

 「あ、ああごめんよスタン君。まさか休んでいるとは思わなかったよ。影でも疲れるものなんだね。」

 「そういう問題じゃないだろーがっ!キサマのその尽きない話のネタと止まらない口がおかしいのだ。まずはそのテンションをなんとかせんか!子分もそう思っているぞ!」

 「え、ああ・・・・まあボクは別に、聞いていて面白いけど・・・・」

 「そうかいルカ君?じゃあ今度はオバケの存在と可愛らしさの意味を・・・・」

 「キサマは黙ってろッ!」

 

 スタンの言葉を気にした様子も無いキスリングに、ぶるぶると怒りで震えるスタン。
 どうやらキスリングのほうが一枚上手のようだ。ロザリーは「やるわねキスリングさん」と笑っている。スタンが参っている様子を見て気分が良いらしい。

 そんな調子を見て、エプロスも苦笑している。今まで、あまりこういう光景に出くわしたことのないエプロスにとって、このハチャメチャパーティーとの行動は動揺と新鮮さに溢れていた。ベーロンの娘もこういう気持ちだったのだろうか。
 エプロスが一番興味を持っているのはルカの存在であるが、最近はこのパーティー全体の力にも興味を持ち始めていた。彼が思うにその力は、この世界のカベを破壊する大きな矛のような巨大な力だ。
 この先彼らがどういう決着をつけるのか、そして自分は何を見るのか。それが気になっていた。

 

 「・・・・まあ、一見見れば気楽な変人の集まりだけどね・・・・。」

 

 だがしかし、こんな変人たちと共に行動して、世界のカベを破壊しようとしている自分も負けず劣らず変わり者だな。と心の底で自分に笑う。
 エプロスは木に深く寄りかかり、ふわりと周りを見渡した。
 今度はさっき笑ったロザリーと、それに怒ったスタンの口喧嘩が展開されている。キスリングは再び自分の考えを口に出して言い始めていた(黙って考えることはできないのだろうか?)。リンダはそんな3人のことは気にせず歌い続けている。ちなみにビッグブルはというと、ぐっすり寝入ってしまった。ルカは未だに上の空でいる。
 風は変わることなく、穏やかに吹き続ける。陽が雲の間から降り注いでいる。エプロスの座っている後ろの木の枝の葉が丁度木陰をつくってくれるかと思いきや、枯れ果ててしまっていてその役割を果たさなかった。別に陽が眩しいというわけでもないが。

 

 「そもそも、なんでここには生き物がいないんだろうね?」

 

 キスリングが、突然思い出したかのように言った。彼の疑問はまだ尽きないらしい。

 

 「一番残念なのは、愛するオバケちゃんがどこにもいないことだよ。残念。本当に残念だ。とてもさびしいよ私は。」

 「オバケなぞ、そこの図書館に行けばいくらでもおるだろーが。さびしいなどと抜かすなら一人で行ってこい。そして死んでこい。」

 「ああ、なるほど。このあたりのオバケちゃんはみんな、図書館に出稼ぎに出ているということか・・・・。それでいないと。ふむふむ。貴重な意見をありがとうスタン君。」

 「なんでそーなるのだっ!!」

 

 彼が言わずとも誰もが前々から気づいていたことではあるが、このユートピア回廊には確かに生き物もオバケもいなければ、木も枯れている。豊かな緑はあるものの、虫の気配さえしない。黙々と連なる雄大な岩山の影に、オバケが潜んでいる様子もなく、この場所はいたって平和そのものだ。こののどかな静けさがかえって、不可解に思われてならない。
 まるでこの場所だけ、落ち続ける砂時計の砂が止まっている―――世界を動かす時の流れが存在していないようにも感じてしまう。それこそユートピア・・・・あるいはユークロニアといった言葉を連想させるようだ。まあ、それでも日はちゃんと暮れるのだが。

 さきほどキスリングも言っていたが、一応何かの動物の骨は落ちている。そのふしぎな頭蓋骨は、もはや何の生き物だったのか識別がつかないほど古く白い。この骨の生き物は、いつからそこで眠っていて、かつてはどのように生きていたのだろうか。彼の仲間は、どこに行ってしまったのだろう。この場所はただ世界図書館と世界を繋ぐ回廊としてのみつくられたのだろうか、それともずっとずっと昔から、この世界が生まれる前からここにあるのだろうか。この場所がむかしむかし大きな世界の一部だったのであれば、この骨の主の仲間は、その昔に大きな世界のどこかへ行ってしまったのだろうか。・・・・・・・・彼だけを置いて。
 そういえばこの回廊を往復した際に、いつか見たことがあるような壊れた魔法陣と、壊れて使えなくなったストーンサークル―――世界中を行き来することができる、ワプワプ島へ飛ぶための魔力を纏った石柱―――を見かけた。しかし自分たちの知っているワプワプ島には、6つしかワープできる場所が無かったはずだ。つまりこの回廊にあったストーンサークルは、どこか違う場所に飛ぶことができたということになる。

 

 「・・・・この土地は、ベーロンに利用される前はどこか違う場所だったのかな・・・・」

 

 ぽつり、と再びルカが呟いた。
 彼の表情に感情が無い。何かをひたすら考えて続けて、感情を忘れてしまったかのようだ。

 

 そこでやっとスタンが、ルカの様子がおかしいことに気付いた。

 

 「・・・・どうかしたか子分。さっきからぼけっとして、いつもの倍以上に存在感が無いぞ。」

 「確かに。上の空でどうしたの?」

 「・・・・魔王も勇者も、ルカに対してさり気なく失礼なことを言うね・・・・。」

 

 エプロスが静かにつっこむが、ルカの反応は無い。

 

 ・・・・

 

 おかしい。この場に居合わせているスタン、ロザリー、エプロスが同時に目を合わせた。
 キスリングも本から顔を上げて首をかしげる。

 

 「・・・・おーい、もしもしルカ君?」

 「・・・・なんですか?」

 

 一応声は聞こえている。ただ、彼の目は空を見るばかりだ。
 さっきまで違和感は感じなかったが、今気付いてみるとどうもおかしい。目が虚ろなのだ。

 

 「おい、子分。」

 「・・・・どうしたの、スタン?」

 「キサマ、様子がおかしいぞ。」

 「そんなことないよ」

 

 ルカは顔を俯かせ、自分の足元を見た。

 

 自分が腰掛けているのは崖のはずなのに、その崖の真下は雲がかかっているかのように霞んで見えない。
 ・・・・本当に、ここはいったいどこなのだろう。この場所が存在し得ない場所、「世界の果て」だというのなら・・・・
 この両足の下には、崖のさらに下には、
なにもないのだろうか。
 自分の存在、信じていたもの、常識、希望。全てから意味がなくなって。
 見たこともない海の水は、この崖の上から真っ逆さまに、流れ落ち続けているのではないか。

 

 どこにも存在しない“理想郷”。

 

 その真下はあまりにも高く、遥かに遠い。

 

 切り取られた世界の一部分。入道雲のような美しいものではない、白く濁った霧のような雲が、大地の遙か下方を流れていく。

 

 この雲の白い海こそが、その実体のない海こそが、あるいは「海」なのではないかと、思う。

 

 まるで隔離されたかのような土地、それなのにまるで自由であるかのような大空。

 

 全てにおいて果てなき世界。しかし果てがなくても、この世界には果てがある。

 

 その先に道がなければ、そこには果てがあるのとなにも変わりはない。

 

 “理想郷”にいる自分は、大きな世界のどこにもいない。

 

 自分たちは大きな世界にいる誰からも見てもらえない。そして自分たちにも、大きな世界が、見えない。

 

 だけど、この足の下には。果てしない崖の下。遠く広がる雲の、さらに下。下、下、下―――その下界。あの底には。

 

 あるのだろうか。流れ落ちる滝を受け止める海が。あるいはユートピアを見上げる陸地が。
 理想郷などではない、本物の現実が。
 ―――本当に?

 

  『いかないの?』

 

 

 意識は混濁する。

 

 

 突然、ルカの意思とは違う別の意思が、ルカの体をつき動かした。
 自らの意志ではない自らの動作にルカはぎょっとして、目を見開いた。

 

 「―――わっ!?」

 「「ルカ君!?」」「ルカ!」

 「ちょ、おま、おまおまおま子分んん―――ッ!?何をするぅ!!やめろっ!」

 

 ルカの体はふらりと傾き、重力に従ってそのまま崖の下へ落ちようとした。
 その瞬間、見ていた他の3人の目は驚愕に見開かれる。ルカの体に引きずられ、スタンも崖下へ落ちそうになる。
 そして、ルカとスタンは崖から身を投げ出した。

 

 「うわああっ!?」

 「っぎゃ―――ッッッ!!!」

 

 ルカも自分のしたことに混乱しつつ恐怖した。咄嗟に崖の端に掴まり、落下を免れた。
 スタンも絶叫しつつ手を伸ばそうとしたが、ルカが地から離れた瞬間にスタンはいなくなってしまう。ルカが空中にいるため、影ができずスタン自身も消えたのだ。
 ロザリーが慌てて駆け寄り、咄嗟にルカに手を伸ばした。エプロスも飛んでくる。キスリングも本を投げ出し、ルカのもとへ走った。
 その騒動にリンダも気付いて、きゃーきゃーと言いながら走り寄ってきた。

 それまで穏やかな空気を保っていたその場の雰囲気は打って変わって、一気に絶体絶命な状況に陥る。

 

 「ルカ!一体お前は何をしているんだ!?」

 「ぼ、ボクにもよくわかんなくて・・・・っ!」

 「ルカ君、早く!早くつかまってっ!」

 

 そう言いつつ、ロザリーは自らルカの手を取って持ち上げようとした。
 しかし女性の細い腕には、少年一人を持ち上げる力が足りない。腕にかかるルカの重さにロザリーは抗うが、逆に引きずられてしまう。

 

 「お、落ちる!落ちる、落ちちゃう!」

 「キスリングさん、それがわかるなら見てないで手伝ってよっ!」

 

 その言葉にキスリング、エプロスも加勢して、ルカの手を握った。
 エプロスの物体を浮遊させる能力が使えればとも思ったが、彼の力を用いるのはこの状況では難しい。ルカの足下の陸地があまりにも遠すぎるのだ。一見自由自在に宙を飛び回れるように見えるエプロスだが、それでも彼が普段あまり高所を飛ぼうとしないのは、彼の能力も決して万能などではなく、限界があるからだと言っていた。
 こういうときに必要な馬鹿力を持つビッグブルはというと、こんな騒動にも関わらずぐっすり眠り込んでいる。リンダがマイクでたたき起こそうとするも、なかなか起きない。「こんの役立たずっ!」というリンダのキレた声とマイクの反響音が聞こえた。

 

 「うううううう〜っ!ルカ君、しっかり手握っててよ・・・・!」

 「は、はい・・・・っ!」

 「ぬぉぉぉぉぉおおっ!」

 「くっ・・・・!」

 

 ずるずる、とルカを崖下から引き上げる。
 そしてルカの両手を握ったまま、3人は手に一気に力を入れて引き上げた。その勢いにルカの体も持ち上がり、崖の淵に引きずられる。
 そして、ロザリーが地面に尻餅をついた。それに引っ張られ、エプロスとキスリングも倒れこむ。
 ルカの体も完全に地面についた。
 暫し、4人はぜえぜえと荒い呼吸をする。ルカは混乱して目を回していた。

 

 「はぁー・・・・。な、なんとかなった・・・・みたいだね・・・・。」

 「ルカ君・・・・だ、大丈夫・・・・!?その前に、何をしたかわかってる!?」

 「わわ、わかんない・・・・」

 

 ルカが地面についたおかげで、ルカの体の下に影ができた。
 高速でスタンが飛び出してくる。

 

 「きききき、きさキサマっ!!血迷ったか!?余まで落ちるところだったぞ!!何自殺行為しているんだコラァっ!?」

 

 そう言うスタンの顔がかなり引き攣っていて、がたがたと震えている。
 スタンでも怖がることってあるんだ・・・・とルカは思ったが、確か自分がおちて死ぬと、スタンも無事ではいられないはずだった。そのことにスタンは身の危険を感じたのだろう。
 そして一番早く落ち着いたエプロスが、ルカの緑の瞳を覗いた。先ほどまで虚ろだった瞳は、今は光を宿している。さっきの騒動で一度正気に戻ったらしい。

 

 「・・・・何があった?ルカ。」

 「・・・・世界図書館を出てからずっと、頭がぼーっとしてたんです。っていっても・・・・みんなの言葉は理解できてたし、ただ疲れただけかなーとか思って。・・・・でも・・・・」

 

 エプロスはじっとルカを見て、何かを考えていた。
 キスリングもルカの言葉に耳を傾ける。何か引っかかるのだ。

 

 「でも・・・・時々、自分じゃない誰かが・・・・―――――」

 

 再び、ルカは頭がぼうっとし始めた。
 夢と現の境界が曖昧になり、自分の中の思想が頭を支配する。
 その間、意思を持たないルカの身体は無防備だ。そして体は違う意思に支配される。ルカは無意識に、剣の柄に触れた。
 エプロスはそのルカの様子を見逃さなかった。

 

 「なるほど・・・・呪いか。」

 「え?」

 「勇者。ルカにアンカーをかけた方がいい。」

 「・・・・あのねえ。前から思ってたんだけど、あたしを勇者って呼ばないでくれる?肩書き人間みたいでなんかヤなんだけど。せめて本名で言いなさいよ!あたしはロザリーよ!?」

 「それは置いといて早くしたほうがいいんじゃないかな、ロザリー君。」

 

 キスリングの冷静な言葉に、ロザリーは少し動揺する。
 ルカを見ると、また目が虚ろになっている。嫌な予感がした。

 

 「「だだの少年」とはいえ、ルカが剣を振ったら・・・・勇者、君だってさすがにひとたまりもないだろう?」

 「・・・・ちょっと、まさかルカ君・・・・反逆の呪いにかかってるの!?」

 「は、早くしろ鈍ニブ女!」

 

 エプロスの言葉に、ロザリーはさっと血の気が引いた。咄嗟に目を瞑り、魔力を構築し魔法を発動させる。

 

 「―――アンカー!

 

 その瞬間、ルカは白い光に包まれた。魔法が効いた、ということはつまり、本当に呪いにかかっていたらしい。
 光が消えると、ルカの瞳には再び光が宿っていた。
 呪いは解けたらしく、きょとんとして周りを見回している。

 

 「さて。ルカ、調子はどうだ?」

 「・・・・えーと、頭がなんかすっきりしました。」

 「・・・・なんとか治ったみたいね・・・・。ふぅー・・・・」

 「こんっの子分がぁあっ!!世話焼かせおって、危うく惨事になるところだったのだぞ!?この子分子分子分アホバカ子分!余を殺す気かーっ!?子分のくせに生意気なっ!責任とれっ!」

 「ご、ごめんスタン!あ、あとごめんなさいロザリーさん、エプロスさん、キスリングさん!助けてくれてありがとう・・・・」

 

 スタンの口調が微妙に狂っているが、彼は全く気づいていない。ぎゃあぎゃあと喚いている。迷惑をかけたことを知ったルカは、慌ててこの場にいる全員に謝った。そんな彼の頭を、スタンがベシベシと叩いた。
 その様子に、皆ほっとしたように笑った。場の緊張の糸が一気に解ける。
 キスリングは腕組みをして首を傾げる。

 

 「うーむむ、反逆の呪いに気づかなかった私も悪かったが・・・・一体どこで呪われたのかな?」

 「確か・・・・図書館から出る直前に現れた、コウモリのオバケと戦ったときにかかったのかも・・・・」

 

 ルカは申し訳無さそうに頭を掻く。
 その言葉に、キスリングは「そういえば」と手の平を打った。キスリングの調査によると、吸血コウモリのオバケは反逆の呪いをかけるのが得意なのだ。以前に戦った吸血魔王が連れていたコウモリも、呪いをかけようとして失敗していたことがあった。今さら思い出した。
 スタンは未だに怒りで腕を振り回しており、ルカがそれを困ったように見上げていた。

 

 「うがー!呪いにかかったなら早く言えっ!」

 「いや、気づかなくて・・・・」

 「それくらい自分で気づけ!キサマはどれだけ鈍感なのだ!?」

 「反逆の呪いは自分の意思とは違う行動をしてしまい、行動の指定や制御ができなくなる呪いだからね。自分の意思や身体が呪いに支配されてしまう。自分では気づきにくいものさ。」

 

 オバケ学者キスリングの適切な解説に、ルカとそれを聞いていたリンダは同時に「へぇー」と呟いた。
 ルカは、自分が呪いにかかってしかもそんなことに気づかなかったことに、驚きを感じていた。今までもそんな経験はあったが(旅をする前は呪いをかけられることさえもなかったのだが)、気づかないということは一度も無かった。自身に明らかな異常があるのに、自分が異常だという自覚が無いなんてありえない話だ。
 ルカより経験の深いロザリーも、キスリングの言葉に頷く。

 

 「そんな呪いもあるってことよ。ま、まだあたしのピンクの影の呪いのように強力ではなかったみたいだけど・・・・アンカーで解けたしね。」

 「ふふん、余の力はそこらのザコとは違うからな!」

 「ひけらかすな一反木綿。」

 

 機嫌が直り調子に乗るスタンに、感情の無い声でさり気なく呟くロザリー。しかし彼は気付いていない。
 リンダはロザリーと違い、純粋にスタンを褒め称えていたが。

 

 「さすがスタン様っ!リンダ惚れちゃいますぅ〜。」

 「でもこの呪いにずっとかかっていると、いつか完全に自分の行動が制御できなくなるから本当に危険だね。ルカ君が飛び降りたのにはさすがに驚いたよー!」

 

 物騒な言葉の割に爽やかに笑っているキスリングは、興味深い研究材料がまた増えたことを嬉しがっているのだろうか。
 ルカはもう一度小さく「ごめんなさい・・・・」と言ってぺこりと頭を下げた。自分で呪いにかかっておいてそれに気づかず、皆に迷惑をかけたことに対して、彼なりに責任を感じているらしい。

 キスリングは今度はのんびりと笑って、ルカの頭をぽんと叩いた。

 

 「世界図書館・・・・あの場所には、たくさんのオバケがいるよ。しかもどのオバケも、強力で面倒な呪いをかけてくるんだなこれが。それがあの男の仕業かはわからんが・・・・実に興味深いね。だからまーとにかく、君が謝らなくてもいいんだよ。これは仕方ないことだ。オバケの呪いは極めて自然な攻撃に過ぎない。スタン君が意識なく、ルカ君の妹さんやロザリー君にピンクの影の呪いをかけてしまったようにね。」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 「そう、気にしなくていい。あのような場所にいれば、危険や呪いと隣り合わせなのも当たり前だ。」

 「・・・・・・・・・そうだね。」

 

 大人らしく優しく諭すキスリングとエプロスの言葉に、ルカは微笑んだ。
 今までだってこういうことは何度もあった。危険なことも、悲しいことも。
 大きな障害は、皆の力と自分の心とくだらないギャグとコントと根性で全て乗り越えてきたのだ。
 だからこのような騒動は所詮小さなことに過ぎない。仲間たちの言葉にはその意味が含まれていた。
 今、ここに生きて存在している。それだけに意味がある。
 だからこそ、その「存在」のためにルカたちは、これから「分類」の力と戦おうとしているのだ。

 

 「・・・・スタンがあたしの影を元に戻さないのは、意図的にやっているようにしか思えないけどね・・・・。」

 「何を言う、キサマの影は余に全ての力が戻ったら治すと言っただろう。」

 「・・・・ほんとーにその気があるのかしら?」

 「なんだ。余を信用しないか?ならやーめた。余もキサマの影を治さん。」

 「あ―――っ、絶対治してよ!?この墨入り煮牛乳の膜魔王っ!」

 「だからそう言ってると余は治さんぞ、このゴリラのケツプラス森の人の足女っ!」

 

 いつもの調子でスタンとロザリーの言い争いが始まった。喧嘩するほど仲が良いと言うが、この低レベルすぎる喧嘩ではまさにその通りだった。言葉のボキャブラリーの多さがお互い負けていないあたり、どこか気が合っているようにも見える。スタンもロザリーも、お互いが憎むべき相手だからこそ遠慮も何もいらずに、好きなことを言い合えているようだ。もはや彼らはお互いを、「勇者」やら「魔王」やらという堅苦しいものとしては見ていない気がした。言ってしまえば喧嘩仲間みたいなものだろう。
 リンダも「スタン様頑張ってー!」とか空気の読めない発言をしつつ、観戦していた。喧嘩を止める様子は全く無い。それは他の面々も同じで、「また始まったよ」という、困っているような笑っているような顔で彼らを眺めている。


 再び騒がしくなった背後に、ルカはため息をついた。たださっき死にかけたことを思うと、今こうしていることが幸せなことに感じられる。
 彼らの声をBGMに、ルカはその場に寝転んだ。しかしそのことによりルカの影が消え、魔王は一瞬にしてルカの影に強制送還されてしまう。途端にその場が静かになった。

 

 「お、ルカ君グッジョブ。」

 「はは、まあ・・・・スタンには悪いけど・・・・。」

 

 後でスタンに文句を言われそうだな・・・・などと考えながら、そのままルカは空を仰いだ。
 目の前に広がっているのは、楽園のように明るく輝いている、透きとおった空。
 ロザリーやキスリング、エプロスも空を見上げる。
 喧嘩が強制終了してつまらなそうにしていたリンダも、皆に習って空を見た。

 先ほどとは再び打って変わった、穏やかな空間。
 そよ風が吹きぬけ、空を仰ぐ者の髪を揺らす。

 

 平和だ。魔王も勇者もこの場にいるのだから、世界を脅かす脅威などどこにもない。それは、ベーロンが作った偽りの物語だったのだ。
 しかし、それでもこの場が平和じゃないと認識できるのは、ベーロンが再び魔王の脅威を生み出す可能性があるから。世界の住人にとってそれは脅威のようで脅威ではないのだが(勇者が魔王と戦うのだから、村人たちはただ怖がっているだけでよいのだし)、ルカやスタンの個人的な話では別である。ルカはその脅威をどうにかしなければ殺されるし、スタンはいつまで経っても元の姿に戻れないし、ロザリーに至っては悪を許せない気持ちと早く元の色に戻したいピンクの影がある。これらの問題を解決しなければ、彼らにとっての本当の平和はやって来ないのだ。
 全ての問題を総括すると、最終的にはベーロンを倒す・・・・つまり「分類のカベの破壊」が問題解決の手段になる。彼らには戻る気なんてさらさらなかった。この箱庭を囲むカベの存在を知った今。

 

 「・・・・ここが、ベーロンが言う「箱庭」だって言うなら・・・・この空の続く場所に、本当の外の世界もあるのかな?」

 

 呪いにかかっている間、ルカはずっと考え続けていたことがあった。

 それは、ベーロンがいる、マルレインがいた、「外」の世界。このどこにもない回廊が、かつてあった元の場所。
 少女の箱庭がかつて、その一部だった世界。この世界の住人の誰もが知らない場所。
 強大な力を持つ大魔王さえも、全て征服することはかなわないだろう広い世界。

 

 ―――『いかないの?』

 

 あの声は、自分にかかっていた呪いが問いかけてきた声ではない。明らかな、自分自身の声だ。

 この世界には、果てがあった。それは確かな事実だ。
 高く聳え立つ崖のように圧倒的なこの真実の前に、自分は抗うことはできない。ならば結局その真実を認めるしか、受け入れるしかないのだ。自分たちがどれほど無知だったか、ということを。
 しかし、それでも無知なら無知なりに、これから学べることもあるのだろう。遮る大きなカベのむこう、世界の果てのさらなるその先にある世界を、いつか探しに行けるはずだ。
 そしてそれは急がなくていいことだ。ゆっくりでかまわない、このように休憩しながら、のんびりと笑いながら探しにいけばいいことなのかもしれない。
 ・・・・今から急いで、真実を求めて崖下へ飛び降りたりしなくても。

 この箱庭のカベを壊したら。「外」と「内」の分類を無くしたら。
 ・・・・ボクたちも、「世界の外」へ飛び出せるんだろうか?

 

 「・・・・ねぇ、もし、もしだけど・・・・ベーロンを納得させて、「分類」を解いたら・・・・皆はどうする?」

 

 ルカが試しに尋ねてみると、想定外の質問に彼らは首を捻った。
 しかし、キスリングを先駆けに、次々に答えてくれた。

 

 「え?うーん・・・・さあ、考えてないなぁ。でも「分類」が消えても、私は変わらずオバケ学者さ。これからもオバケを調べ続けるよ。正直言って他にやりたいこともないしねぇ。」

 「あたしも勇者として・・・・いや、あたしの意志で、悪を倒し続けるつもりよ。」

 「リンダはもうイロイロ考えてるわよー!ねー、エプロス様ぁ?」

 「え?いや、私は特に何も考えてはいないが・・・・大体、本当に「分類」から解放されるかもわからないからな・・・・。」

 「いや、絶対に解放するのよ!ベーロンを倒して、世界図書館を焼き払う!これはあたし自身の戦いでもあるんだから!」

 「・・・・確かにそのとおりだな。ベーロンに立ち向かう理由は皆それぞれだろう。」

 「・・・・世界のカベを壊したら・・・・」

 

 ルカの声が静かに響いた。
 空の色も風の音も、変わることなく穏やかにある。最大の敵が待ち受ける建物が近いところなのに、懐かしい風の匂いと暖かいようで涼しいようにも感じる空気の温度は、それらを忘れさせてしまうほどに優しい。
 ルカは目を閉じる。

 

 「・・・・ボクは・・・・別に、今までどおり家でフツーに暮らしてもいい。だけど・・・・。・・・・もしできれば・・・・「外の世界」も見に行きたい、かも・・・・」

 

 

 ―――ならばそのためにも、消えてしまった本当のマルレインもきっと見つけ出そう。

 

 旅に出る前は考えたこともなかったこと。スタンに命令され、いい加減な家族に見送られ、しぶしぶ旅立った自分が今になるとこんなことを考えている。人生とは本当によくわからないものだ。
 未来は、誰にも定義することはできない。ベーロンでさえ、この世界のカベの傷を予測できなかったのだから。

 自分の帰る場所は、自分自身の家しかない。それが「普通の平凡な少年」である自分の旅の最終目的地であり、自分の本当の居場所だろう。旅が終わればまたフツーの日常が戻ってくるのだろうから、自分はこれからも「フツーの少年」としてフツーに生きていくのかもしれない。それが自分の生き方なのだから、わざわざ未知の世界へ飛び出す必要などないのだ。

 ―――しかし、この自分の人生がこれからもまだまだずっと続くのであれば・・・・。すぐにじゃなくともこの人生の中で、平凡な自分らしからぬことをもっとしてみても良いのかもしれない。この変な人たちがしてきたような変な自己主張みたいに、自分もたまには「平凡な自分」という「分類」に囚われず生きてみるのも良いのかもしれない、と思った。変わり者にはなりたくないけど。(しかし「分類」から外れている時点で、すでにこの世界で自分は充分変わり者なのではあるが。)
 未来がこれからどう動くのかなんて、結局自分にも誰にもわからないことなのだ。


 遠慮がちに言ったルカの言葉に、仲間たちが一斉に反応した。

 

 「あ、それならあたしも行ってこようかしら。外の世界にはまだまだ、ベーロンのような悪人がうようよしてるかもしれないもの。そういう奴らにはあたしの正義の鉄槌を食らわせないといけないしね・・・・。」

 

 ため息をつきながら、ロザリー。

 

 「それなら私も調べに行こうかなー。外にはもっといろいろな生物、オバケがいるかもしれないしね。おお、考えたらだんだんわくわくしてきたなぁ!このグッテン・キスリング45歳、愛するオバケちゃんのためならどこへでも行くよ!」

 

 ぐふふと怪しく笑う、キスリング。

 

 「・・・・私は・・・・今後、再び君と出会うことがあって、その時に気が向いたら行くとしよう。」

 

 目を閉じて何か考えている、エプロス。

 

 「あー、エプロス様が行くならリンダも行きますぅー!いつか出世して、あたしの歌を世界中に届けてあげるの!」

 

 うっとりと手のマイクを眺める、リンダ。

 

 「ふわぁ・・・・外の世界・・・・いい響きッスねぇー。もしかすると、強くて戦いがいのあるヤツがいっぱいいるかもしれねえな!スタンのアニキには負けるだろうッスけどね!」

 

 眠そうにあくびをする、ビッグブル。
 そんな彼に気付いたリンダとロザリーが、彼をじろりと軽く睨んだ。

 

 「ビッグブルったら、起きるの遅いわよー。あんなに起こそうとしてたのに、起きないんだから!」

 「え?オレが寝てる間になんかあったんスか?」

 「そりゃーもういろいろあったわよ。ねぇ、ルカ君?」

 「あー、はい、まぁ・・・・」

 

 ルカは苦笑しながら、理解できずに首をかしげているビッグブルから目をそらした。
 そのとき、ふと、ルカの耳に馴染みの声が聞こえる。
 寝転んだルカの背面の影からだ。

 

 

 ―――子分。キサマはどちらにしろ、いつか再び旅立つことになる。なんてたって、キサマは永遠に余の子分なのだからな。

 ―――覚悟しておくがいい!

 

 

 ルカはその言葉の意味がよくわからなかった。

 

 無造作に積まれた図書館の本のページが、風に吹かれてぱらぱらとめくれた。
 それぞれの想いが交差する、ユートピア回廊にて。
 今彼らがいる状況とは違い、暖かい陽射しが降り注ぎ、優しい風が吹き抜ける。
 そこはまるで楽園のようで、彼らにとっての一時の安らぎを与えてくれる。

 

 いつの間にか、ルカは眠っていた。

 
















 エプロスさんにチートパワーで助けさせなかったのはただ「みんなでルカ君を助ける」シチュエーションを書きたかっただけでした。




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